おっさんずスティグマ―年齢の刻印―
白州の置物
瀬戸際な恋愛模様
"おっさん〟
かつては白く若々しい張りを持った肌も今では外回りで浅黒く日焼けしているか、或いはデスクワークで死人の如き不健康な白蝋の肌をしているか。
しかし、どちらにも共通して言えるのは樹齢を数えるように皺と言う年輪を刻でいるという事だ。
人間が人間と言う生物である以上、避けては通れない道。
ならばどうするか。
答えは一つしか無い。
「年齢に恥じない生き方をしよう」
――これは、とある商社に務めるおっさんと、そんなおっさん達に思いを募らせる女性達の物語である。
▽
東京某所に拠点を構える瀬戸際商事。
従業員は社長を含めて数十人程度と規模の小さな零細企業である
そこに、やり手がいる……と、にわかに噂が流れていた。
昨今、グローバリゼーションの流れで英会話を含めたコミュニケーション力が求められ、やり手と噂されるようになれば多くの企業は販路拡大の為に有力な人材を買い求めてヘッドハンディングが来てもおかしくはない。
しかし、瀬戸際商事自体に話が舞い込んできた等と言う事実は無根であった。
取り分け人材豊富なわけでもない瀬戸際商事だが、不思議と若い女性社員が多い。
実になんと、社長と部長、そして平の男性社員二名の計四名を除けば他は課長と係長を含めた半数以が全て女性社員で締められているのである。
とは言え、小さな商社である瀬戸際商事に役職など在ってないようなもの。
締めるところは締めるが社員たちの仲は良く、重苦しくない雰囲気の職場である。
社会と言う縦関係の枠組みの中にあっても礼節を忘れるべからず。
物を尋ねるときは誰かを呼びつける事もなく、本人自ら近くまで行って声をかけるし、わかならい部分は社員のトップである部長ですら他の社員に頭を下げて質問をしている。
故に、社員たちの顔色は常に明るい。
「あ、すみません吉倉さん。少しわからない所がありまして、今よろしいですか?」
「ん? ああ、大丈夫だよ」
エントリーNo.1――
少しだけ丸い顔と大柄な体が特徴的な瀬戸際商事の古株の一人。
筋肉が付いている、というわけではなく、体格は体質らしいとは他の女性社員談。
ウェッティに撫で付けられた髪は七三の割合であるのだが、キッチリと分けていない無造作感は、印象を考えて作られた隙のようなもののように感じる。
歳の程は三十四歳。孤高を気取る名ばかりの独身貴族とは程遠いただの独り身。
普通、この歳で独身だと色々と疑われてしまうものだが――、
「どうぞ、座って。どこがわからないか聞いてもいいかな?」
自分のデスクを空けるようにして横にズレ、さり気なく着席を勧めつつ身を引くようにして確保されたパーソナルスペース。
その流れるような一連の所作からはいやらしさどころか圧迫感すらを受けたりはしない。
相手の事を気遣う動作は一朝一夕に身につくものではない。
言動の一つ一つから滲み出る思いやりは、吉倉 章人その人の人生を物語っているかのようである。
「ありがとうございます。えっと、ここの数字なんですが……」
「ああ、そこはこうして――」
口調は優しく丁寧で、教え方も上手い。
一言一言に答えるたび、吉倉がいつの間にか取り出していたノートに読みやすい字で補足事項を書き込んで行く。
軽快にペンを走らせていた女性社員はふと気付く。
(あれ? 私いつの間にノート出したんだっけ……)
気が付かないのも仕方が無いだろう。
椅子を引くと同時に音も出さずに取り出されたノート。その手口足るや、マジシャンの使う視線誘導技術顔負けであった。
女性社員が一瞬ばかり浮かべた疑問の機微を読み取る吉倉は、数秒だけ言葉を切った。
結局、あまりに自然な流れで取り出されたノートが吉倉によるものだと気が付かずに「まぁ良いか」と女性社員の空気が弛緩したのを吉倉は逃すことなく、口を再び開く。
「どうかな?」
「なるほどぉ。じゃあここをこうして――」
「あ、それも面白いね」
こうしなさいと決めつけた物言いをする事はなく、質問者が行ってきた道程を確認しながら他者視点で提案するように物を教えてくれる。
顔が丸いと言ってもぽっちゃりしていると言う意味ではなく、輪郭が太いと言うべきもので、今どきに言われる格好良いとは少し路線の違う精悍な顔立ちは人気が高い。
一つ問題があるとすれば、勤めている企業が零細であると言うことと、本人に野心とも言うべき強い上昇志向がないこと。
しかし、仕事が出来て気配りも上手い。
出るところに出れば間違いなく一廉の人物として上に行く人材なのは間違いない。
流石にプライベートに踏み込んでいった猛者は未だに現れず、故に詳しい内情を知る者は居ないと思われていた。
だが最近「一緒に居ると自分がダメになりそう」と言う理由で女性の方から別れを切り出されたと、度々行われる吉倉宅の飲みの席で酔い混じりに零したらしい。
人は優しいだけでは成り立たない。
立たせてやるには時に、厳しさも必要になるのである。
じゃあ、それは誰が?
と、女性社員達は給湯室で意見を交わしたと言う。
「ありがとうございました!」
「うん。またわからないことがあったらいつでも聞きに来て。僕も勉強になるから」
「あ、ああ、あのっ」
「ん?」
「こ、こんばん――」
「すみません吉倉先輩! 私もここ教えて欲しいです!」
後が
最初に聞きに来た社員に「ごめんね」とハンドサインで挨拶すると、先程までの社員はがっくりと肩を落としながら自らのデスクへと戻って行った。
▽
そんな水面下で行われる可愛らしいキャットファイトを、壁際のデスクから猛禽の如き目をした人物が眺めていた。
経理の鷹とも呼ばれるその人物の名は、
二十六歳と言う若さながら係長の役職に就いている出来る人物だ。
脱税、横領。
罫線の上で踊る社会に蔓延る不穏な闇など、彼女の鋭い眼光の前では寝ぼけて巣穴から出てきたネズミに等しく、如何なる理由があろうとも見落とされる事はない。
経理と言う存在は人体で例えると、体に酸素を送る
売上・仕入れの管理から、社員の給与・保険の管理・計算に、会社が会社として在るための税金の計算まで、瀬戸際商事の金の動き全てを一手に引き受ける彼女は紛うことなき女傑である。
(まったく、吉倉君は人が良すぎるわよね。自分の仕事もあるのにあんな小娘達の仕事まで教えちゃって。まぁ、それでも時間内で処理できるから出来る男ってのも魅力の一つなんでしょうけれど)
淡いブルーライトを灯して数字を並べるモニタから、少しだけ顔を覗かせて見ていた先の出来事に、貴宮経理は呆れ混じりの溜息を吐く。
ピシッとしたレディーススーツ。
跳ねっけのない整えられた艶めく黒髪。三つ編みにされた横髪を後ろに回して結んだ髪型は、どこかのお嬢様のよう。
薄っすらと施された化粧は下地の良さを活かして大人の魅力を増幅させている。
だが、どうしても細かい物を見続ける仕事上、眉間に皺が寄るのは避けて通れない道だった。
度の入ったスクエアフレームレスの眼鏡の奥で輝く切れ長の瞳は、気が付けば自然と鋭くなり、整った顔立ちも相まって、いつの間にやら"経理の鷹〟なんて呼ばれるようになっていた。
(私だって、そんな風に呼ばれたいわけじゃないわよ)
とは思うのだが、他の会社に入ったら入ったで凄まじいストレスに晒されて今度は違う部分が悪化するだろう。
別の会社に勤めている同年代の友人を見ていると、したくなくともそんな想像をしてしまう。
そういう意味では、貴宮経理は瀬戸際商事の職場環境を非常に気に入っているのである。
再びモニタに視線を戻し、キーボードを打ち込み始めたときだった。
マウスが置かれていない左側の空白部分に、コトリと何かが置かれた。
「戻ったよ。それはお土産ね、皆には内緒だよ。それと、これを経費で頼めないだろうか?」
「あ、部長。おかえりなさい。お気遣いありがとうございます、拝見させていただきますね」
エントリーNo.2――
実質、瀬戸際商事のナンバーワンである部長職に就く人物である。
綺麗に刈り整えられた濃いめの口髭。
他者との重要案件を取り纏める立場から外回りが多いため、健康的に日焼けした浅黒い肌。
空調の効いた社内とは違って外は暑かったのか、スーツを腕にかけ、グレーのチョッキに白いシャツが眩しい。
今年で四十前半だと言う話だが、堀が深く、ツーブロック気味のワイルドヘアをしているちょい悪オヤジな風貌とは裏腹に、背筋がピンと伸びた活力溢れる立ち姿は三十半ばにも見える若々しさを持っている。
この年代では珍しく、若い女に相手にされなくなって欲望を孕んだ下卑た視線を送ることのない人物として社内外からも知られるくらい性格は非常に紳士的。むしろ若い女の方から草部の匂い立つ男の色香に誘われる始末。別の企業に勤めている貴宮経理の友人も、何故か草部部長を知っており、繋ぎをして欲しいと何度か打診を受けた程。
快活な人柄もあって人を選ばない人望の厚い豪傑である。
ぶっちゃけ、渋すぎ。
貴宮経理はそう思う。
思いながら、渡された領収書に視線を落とした。
(相変わらず無駄がない……!)
そこには極限まで無駄を省かれた綺麗な数字が踊っていた。
部長と言う役職柄、他の社員よりもやることは多い。
今日も他社へ赴く時間ギリギリまで社内で他の仕事を処理していたのを貴宮経理は知っている。
にも関わらず、その上、経費を削減した労が伺える少ない数字達。
大抵、接待や外回り中の移動費や食事は経費でと言われる。
だが部長はどんな魔法を使ったのか、タクシーの移動費どころか食費も記されていない。
「えっと、これだけ……ですか?」
「不思議かな?」
「正直に申しますと、不思議です。もしご自分のポケットマネーを使われたのでしたら――」
経理としては間違っている。経費で落とすものが少ないと言うのはそれだけで会社の利益になる。
しかし、部長と言う最上の役職に就く見本となる人物がポケットマネーであれこれしていると、他の社員が気後れして請求できなくなってしまうのだ。
会社は会社の利益を守ると同時に、社員を守らなければならない。終身雇用契約とは、そういった契約でもあるのだから。
そんな貴宮経理の表情を読んだ草部部長は朗らかに笑った。
「はっはっは。心配は要らないさ。いざとなればタクシーを使うつもりだったが、早足で歩いていると心配してくれたのか、乗せていってくれると話しかけて来る人がいてね。いや、驚いたよ。今の御時世にそんな事をしてくれる人が居るものなのかとね」
「えぇ……?」
「冗談だと思うだろう? でも冗談ではないんだよ。でなければ私は遅刻して先方を怒らせていただろう。そしたら今頃、こんな元気に笑っていられないと思わないかな?」
「それはそうですが」
「加えて言うなら、相手さんと気持ちよく話していると奢ってやると言われてね」
そこまで言われれば流石の鷹も黙るしかなかった。
真実はどうあれ、可能性を否定するだけのものもないのだ。
会社と社員の利益が守れればそれで良い。
そう言い換える事も出来るが、それは部長に対しても同様である。
その本人がどうしてこれほどまでに少ない数字を出せたのかを説明しているのに、それ以上言及する事は難しい。それに嘘を言っていると思えないのも大きかった。
上に行くとはただ業績が良い、と言うことではない。
企業にとってどれだけ利益の出る人物か、と言うのも審査の考慮に入る。
だから、利益に繋がる口が上手いと言うことは、それだけ人好きされ易くもある。
勿論、瀬戸際商事営業部長と言う肩書を外して草部 蔵人その人自体を見ている人物もいる。
多くの人間と会話を行って来た年月に裏打ちされた経験豊富な年齢と、そこから滲み出る貫禄。
経験則から導き出されたツボを抑えた繊細な話術は老若男女を問うことなく虜に落とす――と、貴宮 希は思っている。
(草部部長、素敵すぎません!?)
数字を見るのとは違う輝きを宿した眼光。それに見られている事に気づいているのかいないのか。
草部部長は快活に笑って言った。
「余計な心配をさせてしまったかな?」
「いえ、
「貴宮経理。君には君の素敵な所がある。伸ばせる部分を伸ばすのは、気持ちがいいものだよ。おっと、そうそう。カップの中はハーブティーでね、先方に聞いたら良い店を教えてくれたんだ。眼精疲労に良く効くらしい」
「え? 部長?」
「"経理の鷹〟優雅で良いじゃないか。君が居ると私も安心して外を回れる。それに、伸ばせるものは伸ばすが"羽根を伸ばす〟のも大切なことだ」
「部長……」
最後の最後にカマしてきた底冷えしそうなオヤジギャグ。
やはり若く見えてもそうなのだな、と貴宮経理は思うのだった。
「はっはっは」と笑いながらデスクへと戻っていく草部部長の背中を見送り、凍えそうになるのを留めた胸の中の煮えた吐息を吐き出すと、カップへと手を伸ばす。
上等な厚手の紙コップは温かく、見ればほんのりと湯気が立っていた。
そして一口。
「あ、美味しい。あれ? でもこれ……」
ペパーミントをベースにしているのだろう。
体を突き抜ける爽やかさが疲れた頭をスッキリとさせてくれた。
あまり上下関係を気にする機会の少ない雰囲気を持つ会社だが、草部 蔵人自身を気にしている貴宮経理は本人を前にして勝手に緊張していた。
本人が立ち去った事と、差し入れのハーブティーを一口飲み込んで落ち着きを取り戻した時、そこで傍と気づく。
(このハーブティー、経費で請求されてない……!)
つまり、口にしているハーブティーは草部部長のポケットマネーから出ているのである。
他の社員達に土産は渡されていない。
それは、草部 蔵人から"貴宮経理だけ〟に渡された、"貴宮経理の事を考えた特別な〟ハーブティー。
無意識に、カァッと顔が熱くなるのを自覚した。
「ささ、さぁ。もう時間も残り少ないし、頑張ろっかな」
顔を手で扇ぎながら壁に掛けられている時計を見れば終業時間まで後少し。
組み合わせた手を持ち上げて肩甲骨をコキリと鳴らし、頬を赤く染め上げた貴宮 希はモニタへと向き直るのだった。
▽
そんな大人チックなやり取りを温かく見守る視線があった。
スーツの下から覗くシャツを押し上げたボリューミーな女性の魅力。
お隣のおうちの優しいお姉さん臭をムンムンと漂わせる彼女は人材管理の要塞。
瀬戸際商事の聖母マリアを拝命する実質的ナンバーツー。
サイドテールにされたふんわりとしたセミロングの髪。
左目の下に付いた泣きぼくろ。
スレンダーであるが故に一層際立つ女性らしさは座っていてもわかる程。
二十代前半に思える若々しい見た目をしているが年齢は不詳。恋人は居ないと自称している。
怒った所を見た人物は誰一人として存在せず、常に穏やかな微笑みを湛える彼女は社内の清涼剤として機能している。
こうした女性は他の女性から絶好の攻撃の的になりやすそうなものだが、座ってニコニコしている相手をどうして攻撃できようか。
もしするような人間が居たら、それは腰の曲がった老婆が歩道橋の階段で四苦八苦している時に邪魔だと言って蹴り転ばす畜生の行いに等しい。
だが彼女は課長である。
のほほんとした見た目に反して自らを守る術をしっかりと持っていた。
瀬戸際商事の働きやすい環境作りに多大な貢献をしながらも事務処理において敵無し。
開いているのかいないのかわからない柔らかさを持った瞳は、まるで心の奥底を覗かれているようだ、とは面接に当たってしまった不運な社員談。
滲み出る貫禄は百戦錬磨の
紛うことなき瀬戸際商事の英傑である。
「あらあら、今失礼な事を考えなかった?」
基本的に縦並びになっているデスクに対し、衝立の如く横並びにされている部長と課長のデスク。
その課長のデスクから最も近い場所で仕事をしていた男は、突然話しかけられた事に反応して横を向いた。
「はい?」
エントリーNo.3――
マッシュヘアをベースにしたネオウルフカット。
少し若々しすぎる気もしないではないが、些か古臭い黒縁の眼鏡が印象を年齢相当に落ち着けた外貌をている。
草部部長、吉倉社員に次ぐ最後の男性社員である。
元は吉倉社員の下で業務に従事していたが、寿退社していった女性社員に代わり、佐々部直属の部下となる。
とは言え零細。部署や課の垣根などあってないようなもの。
趣味のゲームによって培われたキーボード捌きは佐々部課長をして目を瞠るものがあり、彼女からは出来の良い弟の如く可愛がられている。
ゲームの他にも筋トレが趣味で、細身のスーツがよく似合う細マッチョ。
口数はそれ程多くないタイプで、インドアなのかアウトドアなのかよくわからないミステリアス感が受けているのだが、それを知らぬは本人のみである。
他の二人が三十代、四十代とそこそこの年齢であるのに対し、彼は二十八歳と少し若い。
とは言え、社会でバリバリと働く者達からすればまだまだ若いと言われる年齢。
だが、大学や高校を出たばかりの女性が多い瀬戸際商事内からすれば十分、射程範囲内の年齢だ。
何が、とは最早言うまい。
「あら、おかしいわね。私の勘も鈍ったかしら……」
「はぁ、そうですか?」
上司に向けて良いものではないが、話しかけられた事が煩わしかったのか、少々鬱陶しげに細められた視線が眼鏡の奥から佐々部を射抜く。
されど英傑。
その程度の視線は出されたお茶の茶柱が立った沈んだ程にどうでも良い事であり、優しく微笑むだけだった。
「ところで、お願いしていた資料はどうかしら?」
「あれでしたら既に終わってますよ」
「え?!」
少なくとも後一日はかかると思っていた資料作成が既に終わっている事実に、佐々部は常に浮かべていた余裕の表情を漸く崩した。
「じゃ、じゃあ今やっているのは?」
「自分なりに改善出来る部分がないかの確認を兼ねたチェックと、それと同時進行で明日の分の見積もりの作成です。フォーマットは今のままでも大丈夫なのでしょうが、うちは営業が優秀で業務の手が煩わされる事がありません。他社の人間から聞くよりもうちの事務は時間に余裕があるようなので、有効活用しないのは勿体無いと思いまして。勝手な事をして申し訳ありません」
佐治はそれだけ言うと、既に準備していたのか引き出しの中から綺麗にファイリングされた紙の束を持って佐々部の元へとやってきた。
受け取ると佐々部はサッと目を通していく。
整然とされた資料は寸分違わず依頼したものであり、書式も綺麗。
言っていた通り、進行しながら出来る部分は改善していたのだろう。
想定していたよりも良い出来栄えに、思わず口元が緩んだ。
「凄いわね」
「ありがとうございます」
無愛想、と言うのが佐治に感じた第一印象だった。
今でもそれは変わりない。
だが、よく見ていると彼は無愛想と言うより、兎に角何事にも真剣なのである。
張り詰めている。
それが瀬戸際の聖母には少しだけ心配だった。
部長である草部は別として、吉倉や佐治は佐々部が面接をして入社に太鼓判を押した人物である。
そんな傑物を見つけ出した事は課長として、そして一人の人間として、自分の見る目に間違いがなかったのだと誇らしい気分になる。
同時に、彼等ほどの逸材であればどんな所でも働けるし、上に行けるだろうとも思う。
すると、佐々部の頭には毎回疑問が浮かぶのだ。
「少し、聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
「どうしてうちに入ろうと思ったの?」
「それは……」
自分から積極的にアピールする事はないが、聞かれたことには淡々と答える。
その佐治が言い淀んだ。
直立不動で立ったまま、困ったと分かりやすく顔に出して目を泳がせている姿に佐々部は、
か、可愛い……
思わずトキめいた。
瀬戸際商事の聖母。
常に柔らかな笑みを湛える鉄壁の英傑。
張り付いた笑顔を打ち崩し、佐々部 舞と言う女はあっけなく陥落した。
「言いづらいことだったかしら?」
「いえ、そいうわけではないのですが……」
「入りたくなる会社、働きやすい職場。そういうのを作るのに、意見は貴重なの。ね、お願いできない?」
甘く誘う。
その度に、佐治の頬はほのかに赤みを帯びた。
(まさか、まさかまさか……ひょっとして、ひょっとしちゃうのかしら?! きゃー!)
瀬戸際商事を支える年齢不詳の聖母は、渋み溢れるおっさん社員の中で若々しい輝きを放つ蕾の如き男の子を、図らずも手に入れていたのだった。
おっさんずスティグマ―年齢の刻印― 白州の置物 @oshirasu
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