第21話 ありがとうを心から

「こんにちは」


 少しくぐもっていたけれど、確かに穂波ちゃんのようだった。


「来る前に電話くらいくれても良かったんじゃない?」

「いえ、電話はしました。でも、出てくれなかったので直接来たんです」

「ああ、そう言えばマナーモードにしてたかも。ちょっと取り込んでてね。で、何しに来たのかな? キー子ちゃんと上手くいかないとか、愚痴ならまた今度にして欲しいんだけど」

「そんなに時間は取らせません。いくつか教えて欲しいことがあるんです。家に上がっても良いですか?」


 穂波ちゃんの声の後、少しだけ沈黙。涼子さんの声が聞こえた。


「えっとねぇ。今、忙しいって言ってるでしょ? 帰ってくれないかな?」


 優しい口調なのにイライラしているのが分かった。

 私は、何とかして自分がここにいるって伝えないとと思って、声をあげようとした。


「ほ、ほなみ、ちゃ」


 体は辛かった。

 まだ爆発したみたいに熱くて、胸が苦しくて、ちっとも動かない。

 声も、出そうと頑張ってるの出てこない。


 頭がボーっとする。


 涙がまた出て来た。


 穂波ちゃん。

 あんなに酷いこと言った私なのに、助けてなんて都合よすぎるよね。

 でも、助けて。

 ここで助けてもらえないと、私……


「涼子さんって、もしかして私の学校の卒業生だったりしますか?」

「違うわよ? なんで?」

「いえ、前にお邪魔した時、私が付けている制服のリボンがあったと思って。リビングの棚だったと思います。一年生の、赤いリボンなんですけど」

「そう言えば置いてたかもね。でも勘違いよ。あれは知り合いの卒業生にもらったの」


 リボン?

 と、思うと、米川神社の薮に落ちていたリボンを思い出した。

 この家にあったってことは、多分、あれも涼子さんが置いたんだ。

 石段のところを調べるって言ったの、鞄の盗聴器で知ったんだと思う。

 それで、先回りして置いたんだ。


「卒業生ですか? 私、てっきり、学校の裏サイトを教えた一年生にもらったのかと思いましたけど」

「言ってる意味が分からないんですけど。裏サイト? チラッと聞いたことはあるよ? でも、私は穂波ちゃん以外に高校生の知り合いなんかいないわよ?」

「そうですか。私の隣のクラスの……名前も言った方が良いですか? この間知り合った子が涼子さんとお知り合いだって聞いたんですけどね?」


 ピリピリとした空気が、こっちまで伝わってきそうだった。


「そんな子もいたかもしれないね」

「忘れたんですか? とても仲良くしてたって聞いたんですけど。とっても、仲良く。涼子さんの知り合いって言ったら、いろいろ教えてくれましたよ? 彼女、本気で好きになっちゃってたのにって泣いてました。酷いんじゃないですか?」

「それはちょっと誤解があるよ。あの子とは偶然知り合って、私のこと好きだって言うんだけど、断れなくてね。私もだんだん苦痛になったから、それでお別れしたんだ。でも、最後は笑ってお別れしたよ? おままごとみたいな、プラトニックみたいな関係だったし」

「私の知ってる話と違いますね。最初は涼子さんに襲われたって聞きましたけど? 変な薬飲まされたかもって。それで好きだって言われて、なぁなぁで付き合い始めたって。体の関係もあったんですよね? で、涼子さんの部屋に入ろうとしたからお仕置きされたって言ってました。かなりきついお仕置きだったって聞きましたよ? その後、捨てられたって」

「嘘よ。って言うか、何なの? 穂波ちゃんは私の過去の恋愛なんて探ってどう言うつもり?」


 もう、完全に怒っている声だった。

 それでも穂波ちゃんの声は少しも動じている様子がない。


「制服で家に行ったこともあったとか。リボン、その時にもらったんじゃないですか? あ、盗んだのかな?」

「人聞きの悪い」

「人聞きが悪いで思い出しました。さっき言ってた学校の裏サイトなんですけど、誰が作ったんでしょうね。ちょっと調べたら、最初はSNSで正体不明のアカウントから不特定多数の人にDMでURLが飛んできて広まったって話なんですが。その子は何故か涼子さんから教えてもらったそうで。それもSNSで拡散されて間もない頃に。不思議ですねぇ」

「何が言いたいの?」


 クスクスと笑う穂波ちゃんの声。


「いえ、その学校の裏サイト、私は昨日知ったんですよ。ただ、そこにキー子先輩の下着姿の写真が誹謗中傷のコメントと一緒に載ってまして」

「だからさ、何が言いたいの?」

「あの写真を撮ったの、誰なんでしょうね。載せたの、誰なんでしょうね。私、思うんですよ。先輩が追い詰められて行くように仕組んで、弱ったところで優しくして自分のものにしようとした誰かがいるような気がするって。その子のことも、私のことも良いように使っていた誰かが」


 完全にケンカだった。

 涼子さんは怒り心頭で、穂波ちゃんは挑発してるみたいに楽しそうで。


「ところで、話は変わります。ちょっと思ったんですけど。今、先輩がこの家に来てませんか?」

「はぁ? いきなり何を言うの? 本当に話が変わり過ぎなんですけど。言ってる意味が分かりません。って言うか、忙しいって言ってるでしょ! 帰りなさい! もう来ないで!」

「答えてください。来てないんですか?」

「来てないに決まってるでしょ! 何でキー子ちゃんがいるって思うの?」


 へぇ、と穂波ちゃんが言った。


「それ。そこにあるのは先輩の靴じゃないですか? 詰めが甘いですね、涼子さん」

「な」

「先輩! いるんでしょ? 返事して! どこにいるの! どこですか!」

「何勝手に人の家に上がってるの? 入らないで! それ以上進んだら警察呼ぶよ!」

「呼びたきゃ呼んでください! 呼べるなら!」


 ドタドタドタとした足音が近づいてくる。

 穂波ちゃん!


 涼子さんは、部屋の鍵をかけなかったようだった。

 ガチャッという音と共に、開くドア。


「せ、先輩? 裸」


 入ってきた穂波ちゃんは、ギョッとした表情の後、顔を青くして私を見ていた。

 私は必死になって言う。


「ほ、ほな、みちゃん、う、しろ」


 穂波ちゃんの後ろに、ものすごい怖い顔をした涼子さんがいた。

 穂波ちゃんも殺気を感じたのか、振り返る。


「ッ!」


 振り向きざま、穂波ちゃんはグッと足を踏み込んで、涼子さんの脇腹に強烈な蹴りを放った。

 正直、最初は何をしたのかまるで分からないくらい素早かった。

 それが蹴りだと分かったのは、涼子さんの横っ腹に穂波ちゃんの脚があって、涼子さんが呻きながら後ろに後ずさったからだった。


「良くも、こんな! 先輩に! 先輩に何をしたんですか! まさか」

「フフフ、そうだよね? 穂波ちゃんはキー子ちゃんが好きなんだもんね? でも残念だったね。可愛かったなぁ、キー子ちゃん」

「そんな! 何を、したんですか?」

「さぁねぇ? 穂波ちゃんは何をしたと思う? 私、女の子悦ばせるの上手いのよ? 今まで色んな子と遊んだけど、始めてでもみんなすっごい気持ちよくなってくれるの」


 穂波ちゃんは、わなわな震えてる。

 涼子さんは、自分の人差し指と中指をぺロッて舐めた。


、もらっちゃった。穂波ちゃんにも聞かせてあげたかったよ、乱れたキー子ちゃんの声」

「う、うわああああ!」


 穂波ちゃんが突撃した。

 踏み込んで、今度は顔にめがけて回し蹴り。

 でも、涼子さんはそれを受け止めると、掴んで上へ持ち上げた。


 浮いた穂波ちゃんの体が、床に思いっきり叩きつけられた。


「ぐ、ぅっ」


 涼子さんは、頭から落ちて呻く穂波ちゃんに馬乗りになると、首を掴む。

 穂波ちゃんの、本当に苦しそうな声が聞こえた。


「穂波ちゃん。けっこう良い動きしてるよね。何か格闘技とかやってたのかしら? 学校じゃ天才少女とか呼ばれてるんだっけ。でもさ、私とじゃ、流石に体格とか違いすぎるよね? 少しでもかじってるなら、負けるって分かるでしょ?」


 涼子さんは楽しそうに笑うと、前のめりになって穂波ちゃんの首を絞め始めた。

 体重をかけてるんだと思う。

 やめてって思った。

 助けないとって。


 自分の腕を少し持ち上げて、体を起こそうとした。

 でも、ダメだった。

 それが限界で、本当に動かない。


「すごいよねぇ。口も達者なんだ。私の詰めが甘いって言ってたっけ? フフフ、腹が立ったよ。本当に。こんなにムカついたの、久しぶりだよ」


 涼子さんは片手を首に残したまま、大きく腕を振り上げた。

 そしてその後、ドンって言う怖い音。


「ゃ、め。りょう、こ、さ」


 声が上手く出せないのが、本当に辛かった。

 やめてと言いたかった。

 動かない手を伸ばそうとした。


 見てられなかった。

 涼子さんは思いっきり、穂波ちゃんの顔を殴っていた。

 二発目はすぐで、さっきと同じくらい大きな音だった。


「クソガキが! よくもこのッ! 良い気分がぶち壊しだろうが! せっかく、キー子ちゃんとヤれてたのによ! てめぇは一人で寂しく自分を慰めてろよ! 邪魔しやがって! キー子ちゃんはもう、私の物なんだよ! この負け犬!」


 もう、何発殴ってるのか分からなかった。

 穂波ちゃんは、もう、何の抵抗も出来ないのに、涼子さんは穂波ちゃんを殴り続けている。


「やめ、やめてくだ、さい! もう殴らないで!」


 穂波ちゃんが叫ぶようにして言ったけど、涼子さんはそれを鼻で笑うと、また殴った。


「どうした? 随分と元気がなくなったじゃないか」

「う、うう」

「どうしたって聞いてんだよ! ホラァ! 言うこと無いならまずは謝れよ! クソガキ!」


 また殴った。


「ご、ごめん、なさい」


 涼子さんはそれを聞くと、笑いながらまた殴った。

 酷い。

 穂波ちゃんの顔はもう、ボコボコだった。

 あんなに可愛かった顔が、本当に、見る影もないくらいに。

 顔全体が腫れて、青あざだらけで、鼻も曲がってる気がする。


 穂波ちゃんは泣いていた。

 ぶるぶる震えて、泣いていた。


「まだ許さないからな? てめぇ、服脱げよ。その貧相な体、写真に撮ってやる」

「な、なにを、服って、そんな」


 涼子さんがまた穂波ちゃんを殴って、言った。


「学校の裏サイトに載せてやるって言ってんだ。お前が疑ってた通り、管理人は私だからよ。誰でも見れるようにしてやる」

「い、いやです」

「逆らうってのか?」

「い、いた! 痛いッ! やだぁ!」


 涼子さんは穂波ちゃんの前髪を掴むと、立ち上がった。

 小さな体の穂波ちゃんも持ち上げられて、泣きながら叫んでる。


「やめて! やめてぇ!」

「少し黙れよ、うるせぇからよ」


 涼子さんは穂波ちゃんの顔を掴んだまま、部屋の壁にぶち当てた。

 私の写真が何枚か、パラパラ落ちる。

 穂波ちゃんはズルズルと、壁に血と涙と唾液の跡を残しながら床に落ちた。


「あー、やっと静かになった。ね、脱ぎたくないんなら、脱がしてあげるよ」


 穂波ちゃんの服が、乱暴に散らかされていく。

 穂波ちゃんが、うつろな目をしたまま裸になってしまう。


「ほら、こっちに向かって足開けよ。しっかり写らないだろ?」


 穂波ちゃんは、スマホで写真を撮られてる間も黙ったままだった。

 涼子さんがウフフと笑うと、落ち着きを取り戻した様子で言う。


「さて、と。これで分かったよね? 私のことを誰かに言ったら、今の写真を裏サイトに載せるから。名前入りで。絶対に誰にも言っちゃだめだからね?」

「う、うう」

「じゃあ、今度はご褒美かな。特別に見せてあげる。本当に特別だよ? 好きな人が他人に愛されてるところ、しっかり見ててね?」


 涼子さんが私の方に振り返った。

 コロッと表情を変えて、笑顔で。

 立ち上がって、歩いてくる。

 ベッドの上に乗って、私の脚を掴んで来た


 その時、突然笑い声が聞こえた。

 力ない笑い方だったけど、とても楽しそうだった。


「ふ、ふふふ、あはははは」


 穂波ちゃんだ。

 笑って、ゆらりと立ち上がるとベットに向かって歩いて来た。


「何、こいつ。何で笑ってるの? 気でも狂った?」

「い、いえね。涼子さん、は、本当にどうしようもなく、可哀そうだなって思ったら、おかしくて」

「可哀そう?」

「じ、自分のために。自分の、気持ちだけのために、たくさんの人を傷つけて、不幸にして。好きって言いながら、先輩のことも傷つけてたんでしょ? そんな風にしか、人を好きになれないなんて、可哀そうじゃないですか」


 涼子さんはやれやれと手を振るとベットから降りて、穂波ちゃんの前に立った。


「何なの? あんた」

「わた、私は、先輩のことが好き。絶対に悲しませたくない」

「だからさ、何なの? それがどうしたって言うの?」

「涼子さんじゃ、先輩のことを幸せにできるなんて思えない。涼子さんは、誰かを愛せてる気になってるだけで、永遠に一人なんだ。ずっと、誰からも愛してもらえないで独りぼっちなんだ」


 穂波ちゃんは、力尽きたかのように倒れ込む。

 涼子さんは穂波ちゃんを蹴り上げた。


「ぐっ、う」

「まだ、痛めつけられたいのか? って言うか、よくそんな元気あるよね?」

「私、絶対に、負けない、もん。守りたいから、私。好き、だから」

「そんなのでどうやって守るって言うの? って言うか、守る? 私の方が正しい愛し方なのよ? キー子ちゃんだってすぐに分かるんだから。私の愛が本物だって。私を愛するようになるんだから」

「なりま、せん」


 涼子さんが、また穂波ちゃんに馬乗りになる。

 グッと呻いた後、穂波ちゃんは言った。


「そうやって、力で人を支配して、言うことを聞かせて満足して、寂しくないんですか?」

「いい加減、嫌気がさしてきたわ」


 涼子さんが、穂波ちゃんの首に手を伸ばす。


「奇麗な首だよね。ほんとに。あなたがキー子ちゃんのことを好きじゃなかったら、一回くらいは愛してあげても良かったんだけどね」

「そんなの、ごめんです。それに涼子さん、やっぱり、あなたは詰めが甘いんですよ。涼子さんの負けです。私の、勝ちです」

「あらそう。でも、やっぱり言ってる意味が分かんないや。さっきから言ってる事、何一つ理解できない。キー子ちゃんには私が必要なの。私にとっても特別な存在なんだから。やっと、やっと私の夢が叶うんだから。……邪魔者は、消えろ」


 涼子さんは、またグググッと穂波ちゃんの首を絞め始めた。


「ぐっ、ぅ、ぁ」

「間違えて殺しちゃったらごめんね」


 と、その時だった。

 部屋の入り口から、ミホとアイリがこっそり入って来たのは。


「フフフフ、アハハハハハ」


 涼子さんが笑って、必死に抵抗していた穂波ちゃんの体から力が消えようとしたその時。

 抜き足差し足で近づいたアイリが、手に持っていた何かの機械を、涼子さんの背後からそろりと近づけ、そして……


 一気に接触させた。


「ぎにゃぁぁぁぁぁあっぁ!」


 涼子さんがすごい叫び声をあげる。

 続いてミホが、手に持っていたまな板――なんでまな板? とりあえずまな板で思いっきり涼子さんの頭を殴った。


 涼子さんは、穂波ちゃんの上に崩れ落ちると動かなくなった。


「本当に詰めが甘いのよねー。ほら、戸締まりもちゃんとしないと侵入されちゃうんだよー? どっかの誰かみたいにさー。ま、アイリと、このスタンガンの方が強かったって話だよね」


 アイリが笑う。

 おほほほほっと、お嬢様みたいに。


「くそ、アイリ! 笑ってる場合じゃないぞ! おい、一年生! 大丈夫かよ! スタンガンで、一緒に痺れてないか?」


 ミホが慌てて涼子さんをどかすと、穂波ちゃんを抱き起す。


「がっ、はっ、だい、大丈夫、では、ないです。痺れては無いですけど、もっと早く来てください」

「悪い。タイミングが……いや、正直に言うと、ビビっちまって。怖くて出られなかったんだ。まさか、こんなことまでする奴が相手だと思わなかったから」

「ごめんねー。アイリ達、格闘技とか何にもしてない、ただの女子高生だからさー」


 アイリが少しの悪気も無い顔で、ニコッと笑う。


「ととー、とりあえず。二人とも、裸でいるのもあれだからさ。ミホ、何かかけてあげて。私はっと」


 アイリが涼子さんの腕を後ろに回し、両手の親指を紐で縛った。


「ぐ、ぐぐ」


 涼子さんが呻いて、ミホがまな板を構えた。

 今にも起き上がりそうで、怖い。


「足も縛るから大丈夫だよー。とりあえず縛り終わったら警察に連絡するねー」

「あ、ああ、頼む。キー子は服着れるか?」


 ミホが、私のワンピースを持ってくる。


「か、からだ、動かな、くて」

「なんだよ、何されたんだよ、お前。まったく、馬鹿だからこんな目に遭うんだよ。もっと警戒しろよ」

「ごめん」


 ミホが「でも、無事で良かった」って言って、笑う。


「そ、それより、なんへ? なんで、みんな、ここに?」

「昨日、アイリとそこの一年が連絡とれてさ。昨日の夜は3人でずっと話してたんだよ。いろいろ分かったこともあって、それで朝からお前の家に行こうってなってたんだ。向かってる途中、心配ないってメッセージ来たけどさ。チャイム押しても出てこなかったから心配になって。それで中に入ったら書置きが」

「ど、どうやって、入ったの?」

「鍵、ドアにつけっぱなしだったぞ? 本当に、しっかりしろよ、お前。そんなんじゃ生きてけないだろ」


 そう言えば鍵かけて、隠し場所に置いた記憶がない。

 まぁ、良いや。

 まだ顔が痺れてぴりぴりしてたけど、笑った。


「あ、キー子、よだれヤベーぞ? ほら」


 ミホが、ポケットから出したハンカチで私の口元を拭く。


「ありがと、ミホ。でも、なんへ? なんで、まな板、なの?」


 だんだん良くなってきた気がするけど、まだ舌が上手く動かない。

 声が勝手に震えるし。

 ミホが頭をかきながら言う。


「だって、流石にベースで殴ったら死んじゃうだろ?」


 いやいや、そうだけど、だからって何でまな板なんだ? どっから持ってきた?

 と思ったら、見覚えがあった。

 お父さんが、大工さんやってる同級生の人からもらったって、木のまな板だ。


 って、私の家からかよ!


 あたしは痺れる顔を歪ませて、また笑った。


 いや、でも、そんなことよりも。

 わたしはなんとか立ち上がろうとして、出来なくて、それでもなんとか身体を起こそうとした。


「ほが、ほなひちゃん、ごへん。ごめんね。私、酷いこと、言ったのに」


 私は笑ってはいたけど、泣いた。

 穂波ちゃんの状態が酷過ぎて、今までしてしまったことが悲しくて、色んな感情が私の心の上をぐるぐる走り回ってる。

 穂波ちゃんは、辛そうに服を着ながら、言った。


「大丈夫です。一番辛かったのは、先輩ですから。わかってますから」


 そんなわけない。

 穂波ちゃんだって、辛かったはずなんだ。


「ほなみ、ちゃん」


 私はベットの上を転がった。


「おい、キー子、落ちるぞ?」


 ミホが私を慌てて止める。

 穂波ちゃんはと言うと、スッと顔をそむけていた。

 本当は許してくれてない? って心配にもなったけど。

 穂波ちゃんはボソボソっと言うのだ。


「あ、あの、出来れば服を着てくれませんか? 刺激、強すぎます」


 多分、顔が普通なら真っ赤になってたんだろうなと思う。


「あ、ご、ごへん」


 私はくらくらする頭で立ち上がろうとした。

 けど、やっぱりダメみたいだった。


「じゃあ、警察呼ぶねー。説明がちょいめんどくさいけど。まぁ、実際にここのキー子の写真貼ってある異常な部屋とか、穂波ちゃんのボコボコの顔見たら全部分かるよねー。じゃあ、ちょっと行ってきまーす」


 アイリが外に出て電話をかけてる。

 ミホも、一緒に出て行った。

 私は穂波ちゃんの顔を見る。


 穂波ちゃんは目に涙を貯めて、私を見ていた。


「先輩。私、先輩のこと、守れなくてごめんなさい。酷いことされたんですよね?」


 本当に申し訳なさそうに。


「ううん。大丈夫。その、色々触られたけど、本当に酷いことはされてないと、思う。気を失ってたから、あんまりわからないけど」


 だんだん、私の言葉は意味を取り戻し始めた。

 体はまだ動けそうも無いけれど、でも、それでも伝えたかった。


「穂波ちゃん、ありがとう。助けに来てくれて、嬉しかった」

「先輩……」


 穂波ちゃんの顔は酷い。

 ボクシングの試合でも、そんなボコボコになったかをは見たことがないくらいだ。

 穂波ちゃんはベットの上に来て、私の手に触れる。

 私は、まだ力が入らない手で、穂波ちゃんの手を握った。


 私と穂波ちゃんは一緒に泣いて、少しだけ笑って。

 それからしばらくしてパトカーのサイレンが聞こえても、ずっと手を繋いだままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る