第19話 こんなの酷過ぎるよ

 シャワーを浴びてスッキリした私は、涼子さんとのお菓子パーティに備えて、オシャレをすることにした。


 あんまり化粧とか知らない私だから、そんなに特別な事も出来ないけれど。

 でも、せめてオシャレな服とか着て行きたい。


 まずは下着からっと、お気に入りのパンツが盗まれたのかもしれないと思い出して、悲しくなる。

 でも、涼子さんはそんな私を元気づけるために呼んでくれてるんだ。


 悲しい顔なんて、してられない。

 私は履きなれた下着を身に着けると、お出かけ用の服を引っ張り出して着た。

 白いワンピース。


 去年の夏、ショップで店員さんのセールストークに乗せられて買った後、家で冷静になって以来、着ることのなかったオシャレ服。

 はっきり言って私には似合わないと思ったこともあるけれど、でも、少しでも涼子さんみたいなキレイな人に近づきたいな、なんて。


 私は身支度を整える。

 ふと、急に不安になった。


 何が不安になったかと言うと、涼子さんのことだ。


 私の家に入って来るのを邪魔した涼子さん。

 もし、犯人が朝も家の近くにいて、涼子さんが帰るのを見ていたとしたら?

 それで後ろをつけて、何か怪我をさせてやろうとか思ったとしたら?


 私はスマホを手に取ると、急いで涼子さんに電話した。

 数秒。

 コール音が鳴りっぱなしで不安にもなったが、プッとコール音が途絶えた瞬間に涼子さんの声が聞こえて来て、私は安心した。


「もしもし」

「涼子さん、大丈夫ですか?」

「え? 何が?」

「その、もし悪い人が涼子さんに悪いことしようとしてたらって」

「あっはっはっはっは」


 涼子さんは笑っていた。


「そんなの、大丈夫だよ。キー子ちゃんは知らないかもしれないけど、格闘技もやってるからさ」

「でも」

「大丈夫だって。ところでキー子ちゃんの方こそ大丈夫?」

「え? 何がですか?」


 涼子さんはコホンと一つ、咳払い。


「キー子ちゃんが私の家まで一人で来れるかなって。迎えに行こうか?」


 一瞬不安にもなる。

 だけど、お日様も昇って明るいし、道に人もいるだろうから断った。


「近いですし、大丈夫です」

「そっか。じゃあ、気をつけてね。もう、準備も出来てるからいつ来ても良いよ」

「あ、じゃあ、今から行きます」

「はいはーい。じゃあ、またねー」

「はい」


 私は電話を切った。


 それからお父さんとお母さんがもうすぐ帰ってくるかもしれないと思い出す。

 私が家にいないのに気づいたら心配もするかもしれない。

 私は紙を一枚、テーブルに置くとペンで書置きをすることにした。


『涼子さんの家に遊びに行ってきます。家にいなくても心配しないでください。公子』


 フーっと一息。

 これで安心だ。

 と、スマホにメッセージが来ているのに気づいた。


『キー子、大丈夫?』


 ミホとアイリが作ってくれたトークルーム。


『大丈夫だよ、心配しないで。私は無事だから』


 と、ひと言だけメッセージを返した。

 本当は昨晩のことも書いといた方が良い気もしたけど、何しろ今から行くって涼子さんに言っちゃったから時間がない。

 待たせるわけにもいかないもんね。


 私は戸締りを確認し、警戒しながら家を出て、涼子さんの家へと向かった。


 ★


 涼子さんの家まで、距離は無い。

 近所も近所だと思う。


 距離にすると、歩いて百メートルくらい?

 もうちょっとあるかな、とは思うのだけれど。

 ちょっと歩いて、曲がり角を曲がればもう着いちゃう。


 今日は雲が少し出ていて、そこまで暑くは無いのだけれど、まだ蒸し暑くてジッとしてると汗が出てきそうだ。

 せっかくシャワーを浴びたのに、もったいない。


 早く行ってしまおう。

 私は少しだけ早く歩いて、涼子さんの家の前へ向かう。


 涼子さんの家は、普通の一軒屋で、今は涼子さんの一人暮らし。

 涼子さん、何歳だっけ。

 確かまだ二十代。


 私がまだ小学生の頃、涼子さんのお父さんもお母さんも病気で死んじゃったんだ。

 だから家でずっと一人なんだと思う。

 彼氏がいたとか、そう言う話もまるで聞かないし、それに少し前にずっと片思いしてて、上手くいかなかったって寂しく笑ってたっけ。


 あんなにキレイなのに上手くいかないなんて、ちょっと考えられないけど。

 でも、確か好きになっちゃいけない人って言ってた気もする。


 ふと『不倫』だとか、そう言う良くないワードが頭に浮かんでくる。

 相手に恋人がいたとか、結婚してたとか。

 それにものすごい年上のおじさんだったとか。


 涼子さんが言った『世の中には、いろんな『好き』の形があるんだよ?』って言葉がよみがえって来て、悲しくもなった。

 でも『人を好きになるって悪いことじゃない』とも言ってた。


 それでもあの時の涼子さんは寂しそうだったと思い出す。

 家族も死んで、恋人もいないで、ずっと一人で。

 会社に行って、帰って来たら、一人っきりの家で何を思うんだろ。


 私だったら、とても耐え切れない。

 お父さんもお母さんも、正志までいないなんて。

 昨日だけでも――これは今の状況だから余計に思ったのだけれど、本当に心細くて辛かった。


 あんなに優しい人が、どうして幸せになれないんだろう。


 とは言え、考え事もおしまいだ。

 だって、涼子さんの家に着いたから。


 私は玄関のチャイムを押した。


「こんにちはー」


 声をかけると、ニコニコした涼子さんが玄関を開けて出て来た。


「いらっしゃい、キー子ちゃん。あら、可愛い服!」

「え、えへへ」


 だ、だめだ。

 気持ちの悪い笑い方をしてるかもしれない。

 だけど、涼子さんに褒められたのが本当にうれしくて、私のほっぺたは緩みに緩みまくっていたのだ。


「じゃあ、あがって。お茶の用意も出来てるから」

「お邪魔しまーす」


 私は靴を脱ぐと、綺麗に整えて、それからぎくしゃくしながら上がらせてもらった。

 不自然に緊張しまくってるけど、しょうがない。

 だって、この家、すごく良いにおいするんだもん。


「じゃあ、こっちに座ってね」


 リビング。

 私の家とあんまり変わらない広さだけど、やっぱり一人で住むには広すぎるなぁと思ったり。

 ぬいぐるみだとか、素敵さいっぱいの小物だとか置いてあったりして、ニコニコしてる涼子さんが本当にオシャレなお姉さんなんだって。

 こんな素敵な人と一緒にお菓子を食べたりできるのが、本当にうれしい。


 テーブルと椅子もすべすべしてて、座り心地が本当にいい。


「はーい、お菓子でーす」

「わーい!」

「フフフ、今、お茶も持ってくるからね」


 見たこともない包みだった。

 可愛い感じ柄が付いた、アルミホイルみたいな包み。


「先に食べてても良かったのに」


 お盆にお茶を持って出て来た涼子さんが席に着くのだけれど、私は緊張してしまって手が伸ばせない。


「食べても良いんだよ」

「い、いただきまーす」


 包みを開けると、何やらチョコレートのようだった。

 楽しみだぜ!

 こんなの見たら、口に入れてモグモグするしかねぇ!

 そんなわけで、もぐっ!


「海外のチョコレートなの。あんまり食べたこと無いと思うんだけど、どうかしら?」

「お、美味しいです」


 嘘だった。

 え? 何、これ。

 いや、チョコは美味しいよ?

 でも、なんか、チョコの中にトロッとした良くわかんない味のソースが入ってて、それが本当に美味しくない。


「お口に合わなかったかしら?」

「そ、そんなことないです! 私、これ好きだな!」


 包み紙を空けて、もう一つ。

 さらにもう一つ。


 ポンポン口に入れて、にっこり笑おうとした。

 けど、中身が溶けて出て来て、背中に変な汗が出て来るのが自分でもわかった。


 どういうことなんだ?

 これ、本当に美味しくないぞ?


「あ、お茶と一緒に飲むと美味しいよ。口の中で一緒に混ぜるみたいにしてみて」

「そ、そうなんですね」


 早く言ってよね。

 私はお茶を口に含む。

 そんなに熱くも無いし、こうなったらゴクゴクするしかないぜ!


 でも、このお茶、何なんだろ。

 すごい渋味があると言うか、変な味。


「アジアの方の珍しいお茶なの。どうかしら? 深い味わいでしょ?」

「す、好きかも、です。このお茶」


 嘘だ。

 全然、好きになれない。

 ど、どうしよう。

 私、こんな美味しくないお菓子とお茶、始めてかも。


「もっと食べても良いんだよ?」

「わ、わーい!」


 私はチョコレートを口に入れると、お茶をまた口にした。

 チョコの中の良く分からないドロドロと激マズのお茶が混ざって、吐きそうになった。


 って言うか、本当に気持ち悪くなってきた。

 ど、どうしよう。

 正直にこれ以上は食べられないって伝えるべきか?


「キー子ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

「へ、はれ」


 頭がクラクラして来た。

 何だろ、汗がドッと出て来て、目も回ってる。

 息が、少し苦しい。


「大丈夫なの?」

「た、たい、ひょう、ぶ、れ」


 口から、言葉が出てこない。

 体が痺れて来て、上手く座ってられない。


 グッと、テーブルの上に突っ伏しそうになって、慌てて手で体を支えた。


 おかしい。

 一体、私の体に、何が。


「本当に大丈夫なのかしら。うーん、けっこう、口にポンポン入れて思い切って食べちゃってたからなぁ。多分、大丈夫だと思うんだけど」


 え? っと、頑張って顔を上げたら、涼子さんが可愛く首をかしげていた。


「まぁ、いっか。ねぇ、キー子ちゃん。昨日は話してくれなかったけど、キー子ちゃんが本当は何に悩んでたのか、当ててあげよっか」

「ふぇ?」

「盗聴器と、カメラでしょ?」


 な、なんで?

 なんで、知って……


「あはは、驚いてる! だってね、あれ仕掛けたの、私なんだもん」


 涼子さんが顔をほんのり赤らめて、可愛く言った。

 可愛いけど、なんで?

 え?


「いやー、それにしても昨日は焦ったなぁ。すごい友達いるんだね。まさかばれるとは思ってなかったからびっくりしちゃった。もう、何年もずっとバレないでいたのに、いきなりバレるんだもん」


 犯人は、涼子さんだったの?

 何で?

 意味が、全然分からないよ!

 何で、涼子さんが!


「な、なんへ、そんな、りょうこさん、なん、で」

「前に言ったでしょ? 好きな人がいるって。一歩、勇気を出してみたって」


 そう言うと涼子さんは立ち上がって近づき、ぐったりと力の入らなくなった私の顔を持ち上げた。

 そのままスッと自分の顔を近づけてくる。

 ふわっと良い匂い。


 じゃなくて!


 え?

 ち、近いよ。

 近いって、涼子さん!


 え、なんで、そんな。

 なん……


 涼子さんが私にキスをした。

 力の入らない私の唇を、涼子さんの舌がこじ開けてくる。


「ん、んー! んー!」


 暴れようとしたけど、力が入らない。

 私の舌に涼子さんの舌が、まるでヘビみたいに絡まってきて、息が全然できなくて苦しくて。


「んぁっ! ひ、やめ、へ」

「こら、暴れないの。ん」


 一瞬だけ逃げられたけど、がっしりと顔を掴まれて無理やり続けられた。

 頭がボーっとして、もう、訳がわかんない。

 私の体は痺れていて、押しのけようとして涼子さんの体に触れた腕にも、まるで力が入っていなかった。


 そのまま数秒。

 私にとって拷問みたいだった時間の後、顔を赤くした涼子さんがフーッフーッと息を荒くして、うわずった声で言った。


「どうだった? 大人のキス」


 なんて答えたら良いのか。

 そもそもあんまり喋れないので、何にも言えなかった。


「嫌だったの? でもね、キー子ちゃんが悪いんだよ? あんな友達を呼んじゃうから悪いんだよ? あの子ならいずれ私までたどり着くだろうし。そしたらキー子ちゃんは私の事を嫌いになるでしょ? だから、仕方がないんだよ? こうするしか、無かったんだよ」

「ひ、ひぃ」


 私は逃げようとした。

 だけど、体が上手く動かなくて、椅子から転げ落ちる形になって。

 私はリビングのフローリングに思いっきり顔をぶつけてしまった。


「あらあら」


 涼子さんはクスクスと笑う。


「動けないんだから無理しないでね。痛くなかった? 体も敏感になってるから。ね、すごいでしょ? チョコとお茶に混ぜた特製のお薬」


 正直、信じられないくらい痛かった。

 でも、痛い以上に、胸の奥がギュウギュウ締め付けられるような間隔があって、お腹の下の方から得体のしれない感覚がゾワゾワ上がって来る。

 薬って言ってたけど、何の薬なんだ全然分からない。

 だから怖かった。


 私の体は今、どうなっているんだろう。どうなっちゃうんだろ。


「うっ、うう、ぐ、が」


 逃げなきゃって思う。

 這って、手を伸ばして、それで廊下の方に少しだけ進む。

 このままじゃ、良くないことが起きるって、必死に。


 でも、それだけだった。


 体がほとんど動かない。

 息が、苦しい。

 体が熱くて、頭がボーっとして、このままじゃ、私……


 と、背中に誰かが覆いかぶさって来た。

 誰かって、ここにいるのは私と涼子さんしかいないのだけれど。


「昨日は我慢するのに大変だったなぁ。何回、お風呂に入ってるキー子ちゃんを襲いに行きたくなったか分からないでしょ? それに、眠ってる顔も可愛くて……だけど、がんばって我慢したんだよ? 偉いでしょ? だからね、昨日の分まで」


 私のうなじに涼子さんがキスをして来た。

 ちゅっ、ちゅって、二回。

 それがすごくゾワゾワして、本当に気持ち悪くて。


「あ、あ、い、や」

「嫌じゃないでしょ?」


 体が熱い。

 苦しくて身をよじった瞬間、涼子さんの手がワンピースの隙間から入って来て、心臓が跳ね上がった。


「やだぁ、あぁぁ!」

「ね、ベットに行きましょ?」


 フーっと耳元に息を吹き返られた瞬間、信じられないくらい汗が出て来た。


「二度と嫌だなんて言わせないからね。私の事を好きになるまで、たっぷり愛してあげる」


 涼子さんは決して軽いはずのない私を軽々と抱きかかえると、平然と歩き出した。

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