第16話 残っていた友情

 息が苦しい。

 私は病院を出た後、とにかく走り回っていた。


 私は穂波ちゃんの家を知らない。

 電話番号も、メッセージアプリの連絡先も知らない。

 SNSのアカウントも、メールアドレスも、何も知らない。

 あんなに、私の行く先々に現れたのに、どこに行っても会える気がしない。

 もう、空がオレンジ色になってる。

 もうすぐ夜になってしまう。

 走っている間、今まで穂波ちゃんが助けてくれたことが次々と浮かんできた。


 美味しいお弁当を作ってくれたこと。

 泣いていた私を慰めてくれたこと。

 学校に行けなくなった私の手を引いて、前に進ませてくれたこと。


 どうやって私のプライベートなことを色々知ってるのかは分からないし、怖いけれど、もしかすると何か理由があったのかもしれない。

 それなのに、私は穂波ちゃんの話も何も聞かないで一方的に悪者扱いしてしまった。


 私、なんてことをしてしまったんだろう。


 と、その時、「キー子じゃん」と私を呼ぶ声がして、私は振り向いた。

 駅前だった。

 その声は良く知っている声だったけれど、酷く棘のある声の様子で……


 誰じゃい!


 振り向いた先にいたのは、アイリだった。

 私がいたバンドの、ギターの。


 アイリはハンバーガーショップの入り口にいた。

 まるで、私が来るのを待っていたかのように、ショップの壁に寄りかかったまま、私を見ている。


「キー子。あのさぁ、正直、町をうろうろされるのもうざったくて迷惑なんだけどー」


 私をまだ誤解している。

 説得できればとも思うけれど、こんなところで道草を食ってる場合じゃない。


「ねぇ、キー子。どんな気持ちなの? どうせ今日も荒井クンの病室に行ってきたんでしょ? 自分で突き落としておいて、よくもまぁ。まだ遊び足りないの?」

「アイリ、私は、そんなんじゃ」

「エリが荒井のこと好きだって知ってて、荒井と最後までしちゃったんでしょ? 何回したの? 男漁りって楽しいの? 友達裏切って楽しかった?」

「私は」

「ねぇ、どうなの? まぁ、キー子はいつでも、誰とでもしちゃうんだもんねぇ?  いつもやってる事だから、特別言葉にするのわからないか。あーきたならしい!」


 ブチ切れた。

 私は地面を思いっきり踏みつけて、怒りのままに叫んだ。


「私はまだ処女だよ!」


 言ってから後悔した。

 駅の、周りにいる人が、みんな私を見てた。


 ハンバーガーショップの中の人まで見ている。

 店員も、お客さんも。


 アイリは……


「あははッ! すごいこと言ったねぇ! でも、なんだ、やっぱりそうだったんじゃん。おかしいと思った」


 笑っていた。

 とても、おかしくてしかたがないように、笑っていた。


「アイリはね、キー子の事はバカだと思ってるし、色気よりも百倍くらい食い気の方が強いの知ってるし、食べ物を餌にすればすぐ騙される奴だと思って見下してるよ。だからね。ほんとはキー子の事、信じてた。そんなことする奴じゃないもんねー」


 何、言ってんだ。


「あ、私もバンド抜けたからねー」


 な、なんだって?

 しかし、私の心境はそれどころじゃなかった。

 こんなところで処女宣言をしてしまったことが、本当に辛い。


 なんでこんなことになっちまったんだ!

 頭がフットーしそうだよ!


「なんなのよ、もう」


 私は全身から一気に力が抜けた。

 走ってたから、ほんとに倒れそうだった。

 と、座り込みたくなったその瞬間、後ろから私に近寄る荒々しい足音が。

 私は殺気を感じて思わず振り返った。


「なんかうるせえと思ったら、キー子か。なんでいるんだよ」


 ミホだった。

 アイリと一緒で、バンドでベース担当していた、あのミホだった。

 ミホは、相変わらずボタンを三つも外したラフな格好で、乱暴な雰囲気を帯びている。

 そのミホに、言葉を投げかけるアイリ。


「ミホ、どうだった?」

「知らねぇの一点張りよ。あの写真、エリだと思ってたんだけどな」


 話が見えない。


「あ、アイリ、何の話?」

「キー子が知ってるかは知らないけどね。学校の裏サイトってのがあって」

「知ってる」

「じゃあ、良いか。あのね、ミホがね、掲示板に上がってた写真、上げたのエリじゃないかって」

「エリじゃないらしいぜ。知らねえって言うんだ」


 ミホはフンと鼻を鳴らして、それからアイリがクスクス笑う。


「ミホもバカだから、最初はエリの言葉、すっかり信じちゃってたけど、やっぱりどこか不審に思ってたみたいでねー。ミホ、昨日エリとすんごい喧嘩しちゃって。で、バンドはミホもやめちゃったの。で、私も抜けたからバンドは解散ー。エリはあのキョーコってドラムの子と新しいバンドメンバー募集してるみたいよー。あ、この間はピック投げてごめんね。でも、私のはどこにも当たらなかったでしょ? わざと変なほう投げといたから」


 そう言えば、アイリの投げたピック、私には当たらなかった。

 と、流れに便乗したかのように、ミホが「キー子!」と私の前で頭を下げた。


「キー子、悪かったな。痛かったろ? 私の投げた、ベースのピック、当たったもんな」

「う、うん。でも」


 思う。

 なんだ、いたじゃんか。

 私にも、信頼できる友達。

 私は言った。

 感極まって、ほとんど涙声だった。


「私は、嬉しいよ。だって、私のこと、信じてくれる人なんて誰もいないと思ってたから」


 アイリは、相変わらずの毒舌お嬢様で、ミホは乱暴で。

 それでも、私は彼女たちの言葉や態度に、謝罪の感情を感じた。

 我慢しなくちゃとは思ったけど、涙がボロボロと出て、つい言ってしまう。


「アイリ、ミホ。お願い。助けて。私、どうしたら良いのか」

「まぁ、いいけど、さ。お店入って何か注文しない? 何か食べようよ。お腹空いちゃった」


 彼女たちに誘われるがまま、ハンバーガーショップに入る。

 中の人たちは、一瞬、ギョッとした顔をして私たちを――と言うか、私を見ていた。

 と言うか、今気づいたけど処女宣言したの、ここにいる人たちみんな聞いてたんじゃん!


 ひー!  他のお店に行きたいよ! せめて、他のお店に!

 とは言え、店員は実にプロフェッショナルなスマイルで「いらっしゃいませ、ご注文がお決まりでしたらどうぞ」と、言ってくる。


 どうしょうと思っていると、ニヤニヤしているアイリが私を見ているのを感じた。

 ミホは状況を分かってなくて「何食べようかなー」なんて言ってる。

 もしかして、アイリ。わざとこのお店に私を誘いこんだのか?


「わざとだよー」

「なん、だと」


 アイリは悪そうな顔でニヤニヤ。

 まったくなんて奴だ!

 いや、元々アイリはこういう奴なんだけどさ。

 こんな奴だから、交友関係はとことん狭いし、長続きする友達も限られてるとは思うけれど。


 ぐぐぐ、この怒りをどうしたら良いのか! と言うか、本気で恥ずかしいよ!

 お店を出て、誰も知らない見た事もないような地面に穴を掘って、埋まっていたい!

 でも、どうせ一万年後とかに発掘されて、博物館に飾られるんだ。


『世にも珍しい、一万年前の地層から発掘された西暦時代の処女』


 くそー! やめろ、未来人!

 見世物にすんじゃねー!


 だけど、まぁ、土仕事は苦手なので穴を掘りにはいかない。

 何より、チーズバーガーの魅力には勝てない。


 ここの店舗、ケチャップの量とかが、私の好みにどストライクなのだ。

 まさに花より団子。恥より団子。

 私はチーズバーガーを三つとコーラを頼むと、注文番号の書かれたレシートをもらった。


 三つも頼んじゃったのは、話長くなったら足りなくなるし、念のため。

 アイリとミホが味方だってわかったら、少しだけ安心しておなかが空いてきちゃったってのもあるけど。

 走って疲れたし、体力を回復させないといけない。


 私は泣いた後の目をごしごし擦って、チーズバーガーを食べた。

 ムシャムシャしてやった。今は反省している。

 あまりにも美味しいので、ちょっとだけ笑った。


 ミホはチキンナゲットを口に放り込んでモグモグ。

 アイリはシェイクをストローで吸ってる。


「とりあえず、話してよー。何が大変なの?」


 私は今までのことを話した。

 エリが荒井を好きだったのに、呼び出されて告白されたこと。

 無理やりキスされそうになって、こっぴどく振ってしまったこと。

 落とした財布を取りに言ってる間に、荒井が階段から落ちてしまっていたこと。


 スカートのボタンが壊れてて、荒井と一緒だったのにパンツが丸出しの状態と言う姿をエリに見られて、誤解されたこと。


 それから、穂波ちゃんのことも話した。

 包み隠さず。

 ラブレターをもらったところから。

 その異常性。

 弟の正志が怪我をしたのが事故ではなく、誰かに突き落とされたからで、荒井の件も事故じゃない可能性もあって、穂波ちゃんを疑ってしまったこと。


 薮に一年生のリボンがあって、それだけで犯人と決め付けて、傷つけてしまったこと。

 かいつまんで話したつもりだったけど、すっかり夜になってしまった。


「なるほどねー。キー子も大変だったんだね。アイリ、全然知らなかったよ」


 アイリが、もう空っぽになったシェイクをまだストローで吸ってた。

 蝶々が蜜を吸ってるみたいだった。

 アイリは容姿が良い。

 縛った長い髪の毛は生まれつきなのか少しだけ赤っぽくて、目がパッチリしてて、鼻も小さくて、性格さえ良ければ相当モテたと思う。


 ついでに言うと、おっぱいもめっちゃでっかいし。


「で、何を助けて欲しいんだ? 私らは何をすればいいんだ?」


 ミホは少しだけイラっとした様子。

 ミホの方だって、足長くて、スレンダーでボディラインがすごい羨ましい。

 運動神経も抜群で、力も強いし、殴り合いのケンカとかしたら女子じゃ勝てる奴いないんじゃないかってくらい。

 おっぱいも、私よりか少し大きいし。


 いや、そんなことはどうでも良い。

 この二人なら、心強いんだ。


 ミホは荒事ならこれ以上ない味方だし。

 アイリはそれ以外のことは何でも頼りになる。

 今まで、どこにいたって、どんなピンチが起きたって冷静だったし。

 そりゃ、口が悪すぎてこっちの心が折れることもあるけれど、彼女の特技は本当に。


 うん。アイリはお洒落で全然そんな風に見えないけど、機械とかそう言うのにやたら滅多に詳しいんだ。

 自宅は、ちょっとしたお屋敷みたいな家なんだけど、専用の作業室みたいなのを作ってもらったとか言ってた。


「まぁ、ミホじゃ出来ること限られてるよねー」

「なんだと、アイリ」


 ケンカすんなよ!

 と、思ったら杞憂。


「犯人見つけたら、その時はね。頼りにしてるよ、ミホ」

「おう」


 犯人?

 そうか、犯人だ。

 でも……


「でも私、その前に穂波ちゃんを探さないと」

「キー子、冷静になろうねー。その穂波って子が犯人とは決まってはいないけど、まだ犯人かもしれないから、まだ近づくのは危険だよー?」

「え、なんで? だって、リボンなんてあからさまな物、穂波ちゃんがやったって証拠には」


 言いかけた私を、ミホがフンっと鼻で笑う。


「あからさますぎるそれが、キー子に違うって思わせる罠って可能性もあるってことか」


 ミホは怒っているのか、笑っているのか。

 多分、怒っているのだとは思うけれど。


「どちらにせよ、つまんねー小細工する奴が犯人だな。キー子みたいな馬鹿な奴じゃないと引っかからない無い。くだらん罠だぜ」

「うんうん。私が気になってるのはそこなんだよねー。なんて言うか、都合がよすぎるって言うか」


 ものすごく失礼なことを言われている気がするけれど、アイリが何を気にしているのかの方が気になる。

 そこって?

 都合がよすぎる?


「じゃあ、とりあえずはキー子の部屋を調べてみようかー?」


 アイリはおもむろにそう言うと立ち上がり「わふー」とあくびをした。


「私の部屋って? なんで?」

「一応、念のためねー。とりあえず、ちょっと道具持って行くからさ、キー子は先に行っててよ。引っ越しとかしてないでしょ? あの住所で良いんだよね?」


 確かに、夏休み前に何度か、バンドのみんなに来てもらったことはある。

 だけど、何で私の家? って言うか部屋?


 混乱する私。

 アイリはトレーの上に乗っているゴミを捨てると「まぁ、とにかく冷たい飲み物でも用意して待っててねー。私の好きな飲み物、知ってるよね? お願いしまーす」とだけ言って、行ってしまった。


「待てよ、アイリ」とミホも追いかけて行ってしまう。


 私も慌ててお店を出ると、家に向かった。

 アイリが何をしようとしてるかわからない。

 だけど、言うと通りにしよう。


 今は、そうしよう。

 穂波ちゃんに会って話がしたいけれど、今は出来ることから。

 私は少しずつ、元気を戻って来たのを感じた。

 チーズバーガーも、美味しく食べれたし。


 うん。私は元気だ!

 なんて、まだ本調子とは程遠いけども。


 私は自宅に帰ると、冷蔵庫の中を調べた。

 アイリは、果汁100パーセントのジュースが好きだ。

 それもグレープフルーツとか、そう言った類の、すっぱいフルーツ。


 私はあんまり得意じゃないから、冷蔵庫にあるかどうか……

 あ、無いや。

 牛乳はあるんだけど、まぁ、牛乳も実質、牛100%だから良いよね。


 私は氷もチェックして、それから一番上等なコップを出した。


 お父さんもお母さんもまだ帰ってきてない。

 家には私一人ぼっちだ。


 と、その時、家のチャイムがなった。


 アイリだな。早いなー。と、思いながら玄関に行くと、ドアを開ける。


 だが、ドアの外には誰もいなかった。


「あれ? アイリ?」


 やはり、誰もいない。

 私は、靴を履いて外に出た。


 瞬間、後ろの物陰から飛び掛ってきた影が私を羽交い絞めにしてきて、私はかつてないほどのピンチに陥ったことを知ったのだった。

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