第6章 私と貴女と孤独な心

第15話 私、バカだった

 私は部屋に帰るなり、ベットに倒れこんだ。


 なんだか、もう、何にもしたくない。

 酷く、疲れてしまった。

 気力も体力もゼロ。

 もう、眠ってしまいたいくらい。


 私は布団の中に潜り込んだ。

 暑くて、薄暗くて息苦しい。

 今すぐ布団から出たいとすら思うけれど、でも、外の世界。現実の世界の方が、もっと辛い。

 外に出るくらいだったら、このまま眠ってしまった方が楽なんだ。


 目を閉じると、夏休み前の日々。楽しかった私の生活がゆっくりと浮き上がって来る。

 

 エリと、美味しくなくて有名なアイスをわざわざ買いに行って、「噂通りの強烈なマズさだぜ!」って、笑いながら食べたこと。


 ミホが、ロックのことをあまり知らなかった頃の私に、「シド・ヴィシャスは最低だけど最高な奴だ」とか、けなしながら褒めて教えてくれたこと。


 財布を落としちゃった時に、アイリがツンツンした態度で、「キー子は相変わらずまぬけだねー。本当にバカなんだから」ってけなしてきて、それでも一緒に探してくれてたこと。


 クラスメイト達と一緒に過ごした教室。

 学校の行事。


 全部、無くなってしまった。

 もう、どうやったって戻って来る気がしない。


 私を見る人の目。

 女子からは軽蔑されて、男子にはいやらしい目で見られて。

 誤解だって言うのに、話も聞いてくれない。

 私にはもう、どこにも居場所なんかない。

 どこにも味方なんていないんだ。


「もう、私、ダメかも」


 全部、穂波ちゃんが壊したんだ。

 穂波ちゃんなんて、大嫌いだ。


 大事だった友達との関係も、クラスメイトとの生活も、みんな、みんな。

 それで、私のことを手に入れようとしてたなんて、とても許せない。

 でも、本当に危ないところだった。

 私、穂波ちゃんのことを好きになりかけてたんだと思う。


 身体だって、ずっと小さい穂波ちゃんに抱きしめられたり、キスされたり。

 拒もうと思えば拒めたのに、何にも抵抗できなかった。

 このまま穂波ちゃんとガールズラブの世界に行ってしまっても良いかなって、気持ちが傾きかけてたのかもしれない。


 でも、もう、全部終わったんだ。


「思い出したくもないよ、もう」


 私は穂波ちゃんの罠にかかって、作り変えられてしまった。

 穂波ちゃんに酷いこと言って、あれは正しいことだったけれど、でも、あの子の悲しんだ顔を思い出す度に、心の中が虚しさで空っぽになってしまうんだ。


 そうしている内に暗くなっていって、今が何時なのかわからなくなった。

 おなかもあんまり空いていない。

 家に人の気配とかも感じないので、お父さんとお母さんも、帰ってきて無いみたい。


 スマホで時間を見れば、夜の十時。

 寝ないと、と思うのだけれど、眠れそうにない。


 考えれば最近、あんまり眠れてない。

 ここ何日も早く起きれてはいたけど、本当は、ぐっすり眠れてないから朝早い時間に起きてしまってただけなんだ。


 病院で寝れたのは久しぶりだったけれど、それでも疲れは全然取れてない。

 あまりにも寝れなくて、私は起き上ると窓を開ける。


 夜の風が少しだけ涼しくて、気持ちいい。


 それにしても、と思う。

 穂波ちゃんは、私のプライベートなことをどうやって知ったんだろう。

 と、その瞬間、窓の外に何となく違和感を感じた。


 ……


 …………


 窓の外。

 暗い夜に浮かぶ、街灯の灯りの近く。

 電信柱の影。


 誰かが、いる気がする。

 こっちを、見ている気がする。


「誰?」


 私は怖くなって窓を閉めると、カーテンも閉めた。


 穂波ちゃんだろうか。

 そうか、ずっとこうやって、家の周りで、情報を集めてたんだ。


 私の生活習慣とか、そう言うの知られてたんだ。

 ゴミとかも漁られてたかもしれない。


 もう、やだ。

 気持ち悪い。もう、放っておいて!


 私の目から、また涙が流れる。

 もう、何度目だろう。

 ここ数日、ずっと夜に泣いている。


 もう、悲しいのも、苦しいのも、全部疲れたよ。

 誰もいないところに行きたい。

 誰も傷つけないで、傷つけられないで。

 そうやって生きて行きたい。


 私は布団の中に戻ると、頭までかぶって、必死に耐え続けた。


 ★


 結局、眠れなかった。


 朝が着て、私はギリギリまで部屋でボーっとした後、支度をして家を出た。

 穂波ちゃんと出会う前の、早すぎない、普通の時間。


 ドアの取っ手をゆっくりと動かして、外に押す。

 チラリと顔を出して外を見る。

 そんな警戒した感じで玄関を出たのだけれど、穂波ちゃんがいないようで安心した。


 いたら、また対決しなければと思う。


 いたとしても、負ける気はしないし、無視して走って行けばいい。

 だから、昨日みたいにポケットに武器は入れてない。

 また対決しなければならなくなったらと思うと怖いけれど、どんな理由があったって、刃物を持って人と接するのは、すごく嫌だ。


 でも、うん。多分、大丈夫だ。

 穂波ちゃん相手なら素手でも十分だし。

 あんなもの、持って無くても問題ない。

 昨日も刃を出さないままで済んだし。


 とりあえず、歩こう。


 私はそのまま学校に向かい、歩きながら穂波ちゃんに会わないことを願った。

 そして穂波ちゃんは学校に着くまで、一度も姿を見せなかった。

 代わりに、キリッとしたスーツの涼子さんとすれ違う。


「あらキー子ちゃん、おはよう。いってらっしゃい」

「おはようございます、涼子さん」


 通勤途中なんだろうな、なんて思う。

 寝不足ばかりの私と違って、スッキリとした顔をしていて、すごくカッコいい。


 私は、涼子さんみたいな大人になれるだろうか。

 そんなことを思いながら歩いていると、不安にもなる。

 でも、元気を出さないと。

 とりあえず、今を頑張らないと。


 そう思うと、ゆっくりでも前に進める気がした。

 頑張れ、私。


 ★


 教室について、ホームルームが終わり、授業が始まって。

 昼休みになって。

 それでも穂波ちゃんは来なかった。


 二度と近づかないでって言ったのは私だけど、その通りになった。


 今、私は心の底から安心している。

 この調子なら、これ以上酷くなることは無いとすら思う。


 とは言え、現状。私はクラスで一人ぼっちになってしまったけれど。

 とても寂しくて、辛いけれど。

 この間まで、穂波ちゃんが来て、形だけでも元気になれてはいたのだけれど、あれは全部、幻だったんだ。

 もう、穂波ちゃんには会いたくない。

 会いたいなんて、思っちゃいけない。


 そんなわけで、昼休みは一人で学食に行って、ラーメンを食べた。

 その後、午後の授業を受けて、放課後のチャイム。


 穂波ちゃんは放課後も来なかった。

 今日一日は、平和だったと思う。


 制服の時みたいに私物が無くなったりすることも恐れたけれど、それも無かった。

 クラスメイト達からは、徹底的な無視。

 エリにも、誰からもいないように扱われて、関わろうとすれば無言で避けていく。

 泣きたくなるくらい寂しかったけど、それでも何事も無く一日が過ぎようとしていた。


 で、放課後。

 私は、正志の様子を見ようと、病院に向かう。

 もちろん、荒井の方はどうでも良い。

 むしろ、ずっと入院してろとも思う。


 面会時間はあんまり残ってなかったけど、病室に向かった。

 で、病室の前。荒井の不機嫌な声が聞こえて来て、私は固まった。


「俺が悪いんだよ、親父」


 何を怒ってるんだと思って、チラッと見ると、荒井のベッドの近くに人影があった。

 よれよれのスーツを着たおじさん。


「しかし」

「こんな頻繁に来なくても良いから。仕事、あるんだろ?」

「すまん。お前にばかり負担をかけて。あんなにバイト入れてたなんて知らなかった」

「毎月、あれだけお金渡してたんだ。それくらい気づけよ。もう、無理だけどさ」


 荒井の情けないような笑い声。


「すまん」

「謝ってんなよ。親父だって、仕事がんばってたろ。気にすんなよ。俺だって、手伝えなくてごめんって気持ちもあるんだ。ただでさえ、母さんの病気のお金だとか大変なのに」

「それは俺がなんとかする。だから、心配するな。また来る」

「ああ」


 出て来るおじさん。

 慌てて廊下で知らないふりをする私。


 おじさんは疲れた背中だったけれど、しっかりとした足取りで歩いて行った。

 私は、病室に入ろうか迷ったけど、入ることにする。


「高田か」


 荒井のバカがニヤッと笑顔を見せてる。

 正志は、トイレかな。いない。


「高田、もしかして、今の聞いてたか?」

「ま、まぁね。お前も大変なんだなぁ」


 エリから聞いた言葉が、胸に突き刺さる。


『お母さんが難しい病気で、バイト頑張ってたのに』


 荒井は、大した奴だったんだなぁと感心する。

 私はどっこいしょっと、鞄を床に置くと、正志のベットの横にあった椅子に腰かける。


「かっこ悪いところ見せちまったなぁ。あの高田が、わざわざ俺のお見舞い来てくれたのに」

「ち、違うよ、バカ」

「まぁ、分かってるけどさ。でも、こうやって高田と普通に話せるだけで、良かったよ。もう、二度と話しなんか出来ないと思ってたから」

「そう言えばそうだった。じゃあ、もう話さない」

「ちょ! そう言うなよ!」


 荒井は前みたいなお調子者の荒井に戻ってる。


「そう言えば、高田。夕月穂波のこと、どうした?」

「穂波ちゃんとは、もう、会わないことにした。犯人だったから」

「そっか」

「うん。犯人だったよ。証拠も見つけたし」

「証拠?」

「荒井が言ってた薮に、一年生のリボンが落ちてた」


 沈黙。

 そのまま十数秒。

 沈黙を破る様にして、荒井は言ってきた。


「それだけか? 証拠って」


 荒井が、意外そうに私に言った。


「何が? これだけだけど」

「一年生のリボンって、女子が制服に付けてる襟の奴か? お前も付けてる奴? それ、夕月穂波のリボンで間違いないのか?」

「え? うん。一年生の色。私のは青でしょ? ちゃんと、赤い色のリボンが落ちてた。何か、変?」

「あからさますぎないか? 普通、そんなところに付けてるリボンなんか落とすか?」


 えっと。

 何言ってんだ、荒井は。

 そんなの、穂波ちゃんのリボンで間違いないでしょ?

 穂波ちゃんなら、リボンくらい落とすよ。


 穂波ちゃんが、犯人で間違いない。


 ……


 間違いない、よね?


 荒井を棒で引っ掛けて落として、それで、その後……


 ……


 あ、あれ?

 リボンってどうやって落とすの?

 制服を、着替えた時とか?


 ……


 あれ? 穂波ちゃん、犯人だよね?


「どうしたんだよ?」

「あ、う、うん。多分、穂波ちゃんのだよ。だって、どう考えてもあんなところに落ちてるのも怪しいし、直接会いに行って問いただしても、知らないとか、やってないとかってしらばっくれるし」

「何だよ、それ」


 荒井はそう言ったあと、泣きそうな顔をして言って来た。


「一年生のリボンなんて、去年一年生だった俺たちの学年の奴だって、捨ててなきゃ持ってるだろう。それこそ今の一年生だって女子なら、夕月穂波以外の全員が持ってるんじゃないか? 三年生だって。それに聞いてもしらばっくれるって。もし、本当にやってなかったら、やってないって言うしかないだろ? 夕月穂波が本当に犯人じゃなかったら」

「え、あ、うん」


 穂波ちゃんが、犯人、だったと思ってたけど。

 もしかして、違う?

 え? なんで?


「馬鹿野郎が」

「な」

「好きな奴に、信じてもらえないって辛いんだぜ? お前だって、分かることだろうがよ」


 私の頭に衝撃が走った。

 そうだよ。

 もし、穂波ちゃんが本当に何も知らないで、何も関係なくて、私にあんなこと言われたら、私に拒絶された荒井みたいに悲しいはずだ。

 エリに拒絶された私みたいに、どうしようもなく泣いてしまうはずだ。


 バンドをクビになった時の私みたいに。


「あ、ああ!」


 取り返しのつかないことをしてしまった気がする。

 穂波ちゃんは怪しい。

 怪しいけど、もし、荒井のことも、正志のことも、なにも関与してなかったら、私は……


「あ、姉ちゃん、来てたのかよ」


 正志が病室に帰ってきた。


「姉ちゃん、どうした?」

「ね、ねぇ、私、どうしたらいいの? 何を信じたら良いの?」

「は?」


 正志が首をかしげている。

 荒井は、何か遠い眼をしてこっちを見ようともしない。


「私、穂波ちゃんと、もう一回、ちゃんと話をしないと」

「姉ちゃん? どこ行くんだよ」


 私は鞄を拾うと、病室を出た。

 穂波ちゃんにもう一回会わないと。

 ちゃんと話をしないと!


 私は病院を出て走り出した。

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