第14話 もう二度と会わない

 なんで?


 なんでそんなことしたの? 穂波ちゃん。


 私は落ちていた一年生のリボン――証拠品を拾うと、握り締めた。


 もう、決定的だ。

 私の頭の中で、包帯グルグル巻きの荒井と、ベットで寝ていた正志の顔がぼんやりと浮かぶ。


 こんなの、どんな理由があったって許されることじゃないよ。


 石段を一つ一つ降りて行くその間、私は流れそうになった涙を必死にこらえた。

 優しかった穂波ちゃんが、私の中でどんどん変わっていく。


 人を平気で傷つける、化け物みたいな存在に。


 ★


 私はすぐに学校に向かった。

 スマホで時間を見て、慌てたんだ。

 もうすぐ、放課後になってしまう。

 学校が終わってしまっては、穂波ちゃんを捕まえるのが難しくなってしまう。


 走りながらも思った。

 穂波ちゃんは、なんで、そこまでして、私を?

 私が好きなら、何でこんなことするの?


 ふいに『支配』と言う言葉が頭に浮かんだ。 


 そうだ。

 穂波ちゃんは、私を弱らせて、それで、自分の思うままになる私を作ろうとしていたのだ。


 支配して、それで、私を玩具にするつもりなんだ。


 怖い。

 なんで? 穂波ちゃん。

 あんなに優しかったのに。どうして?


 学校に辿り着いた瞬間、チャイムが聞こえた。

 放課後開始のチャイム。

 昇降口から出てきた帰宅部の人達が私の横を通り過ぎる。

 人の波の中で、私は完全なパニックになっていた。


 しっかりしないと、だめだ。

 穂波ちゃんを探さないと。


 グッと、唇を噛む。

 途中、知らない男子も、女子も、変な目で私を見ている気がして、隠れたくなるのを必死にこらえた。


 ――学校の裏サイトに書かれていた「誰にでもヤらせてた」とか言う根拠のない事柄と、それを信じる人たちを思い出して気分が悪くなる。

 事実、ジロジロとみる男子の目は、私の足とか、腰とかを見ている気がした。


 あと、無い胸も。


 私なんか見たって、興奮なんかするのかよ。

 私なんて、顔も可愛くも無いし、おっぱいもあんまり無いし、足太いし。


『お前さ、自分じゃ自分のことあんまり可愛くないとか言ってるけど、そうとう可愛いよ』


 突然に思い出した荒井の言葉に、何故かムカついた。

 そんなこと、あるわけない。

 あいつは多分、目が腐ってる。


 と、その時。ふと何か予感のようなものを感じて顔をあげると、急いだ足取りでやって来る、見覚えのあるシルエットがあった。


 穂波ちゃんだ。

 一瞬、どこか心が休まるような感覚があったけど、慌ててそれを打ち消す。


 これは錯覚だ。

 穂波ちゃんの顔を見てホッとするなんて、あの子が私を騙していたからなんだ。

 犯人だってわかっても嫌いになれないのは、私が穂波ちゃんしか頼れないような状況をあの子が作って洗脳みたいなことをしていたからに違いない。


 こんなんじゃだめだ。

 ちゃんと戦わないと。

 私は、穂波ちゃんを許せない。

 許しちゃいけない。


「穂波ちゃん」


 私は呼びかける。


「あ! 先輩! 弟さん、大丈夫なんですか?」


 白々しい表情だ。

 突き落としておいて、よくも……!


「ホームルームで弟さんの入院先、先生が言ってたんです。お見舞いにいってやれよって。だから、今から行こうと思ってたんですよ。先輩もいると思ったし。良かったら、一緒に」

「だ、ダメ!」


 叫んでしまった。


 ダメだ。

 お見舞いなんて、嘘だ。


 正志に、とどめを刺すつもりなんだ。


「ダメ、行っちゃ、ダメだから」


 でも、引き止めるのに最適な言葉なんて、私に言えるわけ無くて、私はそれしか言えなかった。

 でも、私の手は、きょとんとしている穂波ちゃんの腕を掴んでいる。


 行かせない、絶対に。


「あ、あの、先輩、わかりました。先輩にも会えましたし、無理に行くことも無いと思うので」


 私は手の力を緩める。

 でも、絶対に離さない。


「穂波ちゃん。少し、話、良い?」


 私は苦しくなる胸を感じながら、穂波ちゃんの腕を掴んだまま、体育館の裏へ歩き出した。


「せ、先輩? どうしたんですか?」


 穂波ちゃんは最初は体を強張らせていたが、特に抵抗するつもりは無いらしい。

 素直に私に引かれて歩いている。


 ああ、鞄が重い。

 やっぱり家に置いてくれば良かった。


 日陰。

 体育館はバスケ部が練習してるみたいで、あんまり人の気配がないわけでもなかったけれど、裏となればやっぱり人はいない。


 ここで手紙をもらったのが、ほんの何日か前のはずなのに、すんごい昔に思える。


「誰もいませんね、先輩。こんな場所で何があるんですか? あっ」


 穂波ちゃんは何かに気づいたかのようにして、顔を真っ赤にした。


「だ、大事な話なんですよね? 聞きます」


 私から何を聞きたいのだろうか。

 手紙の返事でもするとでも思っているのだろうか。


 うん。穂波ちゃんの顔が赤い。


 なんて演技派なんだろう。

 こんな平然として、笑顔で接してくるなんて。

 人を傷つけて、それでもニコニコ出来るなんて。


 それとも、私が本気で参ってしまって、これから穂波ちゃんへの服従宣言でもするとでも思っているのだろうか。

 そう言う期待なのだろうか。


「ねぇ、穂波ちゃん。教えて欲しいんだけど」

「はい。なんですか?」


 穂波ちゃんは深呼吸すると、私の目を見てくる。

 私は、穂波ちゃんの顔を極力見ないようにして言った。


「米川神社で私が泣いてたこと、覚えてる?」

「えっと、ああ、はい。先輩がエリ先輩とケンカしてた時の話ですか? 救急車が来たりしてた」

「そう。それなんだけど。確か、穂波ちゃんはそれを近くで聞いてたって言ってたよね? それって、どこで聞いてたの?」


 声が震える。

 ちゃんと言えたのか不安になる。

 バスケ部の練習の声が少しうるさい。

 穂波ちゃんは困惑した表情のまま数秒間だけ黙った後、言った。


「えっと、どう言う意味、ですか?」

「荒井が、あの日、石段から落ちて怪我をした人が、足を誰かに引っ掛けられた気がしたって言ってたの」


 穂波ちゃんは首をかしげている。


「私、先輩が何を聞きたいのか分からないです」

「石段の、荒井が落ちたって位置の右の方に、人が隠れられる薮があるの。だから」


 今まで、優しくしてくれた穂波ちゃんの顔とか声とか、頭の中をグルグルグルグル回り出した。

 でも、だめだ。

 気を強く持って、振り払わないと。


「そ、そこで、穂波ちゃんが、荒井を、待ち伏せして、そえで、せ、そ、お」


 口の中がカラカラで、言葉が上手く出てこない。

 喉に言葉が引っ掛かったみたいになって、私は何も言えないまま震えることしか出来なくなっていた。


「あの、先輩、どうしたんですか? 一回、ゆっくり息を吸って落ち着きましょ? お話、ちゃんと聞きますから」


 突然、穂波ちゃんが手を伸ばして私に向かって歩いてきた。


「ち、近づくなッ!」

「ひっ」


 穂波ちゃんの短い悲鳴が聞こえた。

 ギョッとした顔で、私の手元を見ている。

 見れば、私はポケットからカッターナイフを取り出していた。


 ほとんど咄嗟の反応だった。

 自分の体が自分じゃないみたいだった。


 でも、これで良かったんだと思う。

 だって今、穂波ちゃんは私に何をしようとしたの?

 手を伸ばして、掴もうとしてたんじゃないの?

 もしかして私、すごく危ないところだったんじゃないの?


「そ、そこから動かないで! 私の質問に、答えて!」


 私は荒くなっていく自分の呼吸を落ち着かせながら、震える手でカッターナイフを穂波ちゃんに向けた。

 それをみた穂波ちゃんの表情は、本気で怯えているようにも見える。


 でも、騙されるものか!


「あら、荒井を、転ばせて落としたの、穂波ちゃんなんでしょ? なんで? なんで、そんな酷いことしたの?」

「え、え? せ、先輩? な、何を言って」

「一年生のリボンが落ちてたの! 薮の中に! 荒井を転ばせた棒と一緒に! ね、ねぇ、答えてよ! どこで聞いてたのよ! 私とエリのケンカ!」


 胸が苦しい。

 涙が、悲しくも無いのに涙が出ている。

 口が、閉じられない。


 息が、上手く吸えない。

 吐くのも難しくて、寒くも無いのに歯がガチガチと鳴っていた。

 でも、穂波ちゃんは怯えながらも、ハッキリと言ってくる。


「わ、私、薮なんて知りません。駅まで歩いてたら人が集まってて、救急車も来てたし、近寄ったら、先輩と、エリ先輩が」

「う、嘘言うな!」


 私は腕を振り回して、言った。


「そんなの、嘘だ! だ、騙されないよ! 正直に、正直に言え!」

「先輩、落ち着いて! ダメだよ、そんなの!」


 穂波ちゃんが近づいてくる。

 私は少しずつ後ずさり、体育館の壁に背中をぶつけた。


「うっ、ち、近づかないでって言ってるでしょ!」


 カッターナイフを両手で持ち直し、自分の体の前で構えた。


「ほ、穂波ちゃんはなんなの? なんで、私の好きなおかず、知ってるのよ! なんで、私の家まで知ってるのよ! 先月の、私の生理とかも! どうやって調べたのよ! ねぇ! なんで? 早く答えてよ!」


 穂波ちゃんは答えない。

 どこかためらうように、そして、どう言い訳したら良いのか考えているように見えた。


「く、狂ってるんだ! 狂ってるんだよ、穂波ちゃん! 手紙の返事、するよ! お前なんか、大嫌いだ!」

「そ、そんな!」


 穂波ちゃんが絶望した顔で涙を流し、顔を歪ませた。


 悲痛そのものだった。

 ボタボタと地面に水がたれていて、小さな体がフルフルと震えていて。

 それがものすごく悲し気で、痛々しくて……


 だけど、騙されない。もう、騙されない。騙されるわけには行かない。


 弟は。

 正志は、私が守るんだ!


「私がエリとケンカしたのも、バンドに必要ないって言われたのも、全部、穂波ちゃんのせいなんだ! 私を、追い詰めようとして! 荒井だって、怪我させること無いじゃない! なんであんな酷いこと出来るのよ! 死んでたかもしれないじゃない!」

「違い、ます」


 穂波ちゃんは、ついに地面に膝をつけて泣き出した。


「知らないです。石段の、隠れられる場所なんて。薮なんて。私、何もしてません」

「しらばっくれて!」


 私は穂波ちゃんに掴みかかった。

 制服の襟を掴んで、強引に立たせる。


「正志を突き落としたのも、穂波ちゃんなんでしょ!」

「つ、突き落とした?」

「しらばっくれるなって言ってるの!」


 穂波ちゃんが正志にやったように、私は穂波ちゃんの小さな身体を突き飛ばした。


「痛っ!」


 穂波ちゃんは簡単に転がる。


 カッターなんて、必要なかった。

 脅すのには役に立ったけど。それでも刃物なんて危ないもの持つ必要も無かった。

 って言うか、今気づいたけど刃も出てなかったので、意味なんか全然なかったのかもしれないけれど。


 でも、こんなのはもう必要ない。

 こいつ、丸腰の私でも簡単にやっつけられる。

 私はカッターをポケットにしまうと言った。


「早く、言え! 本当の事、言ってよ!」

「せ、先輩、私、本当に何も知らないんです や、やめてください。私に悪いところあがあったんなら、謝りますから、だから」


 私は呼吸を落ち着かせながら、嗚咽を上げて言い逃れをしようとしている穂波ちゃんを睨んだ。


「まだ、しらばっくれるの?」

「なんで、なんで信じてくれないんですか?」


 穂波ちゃんは再び顔を歪ませた。

 涙が、ぼたぼたと地面に落ちている。


 こいつ、まだ知らないふりをするのか。


 悪魔だ。

 子供みたいな小さな身体をしていて、油断させて、人を食い物にする悪魔だ。


「先輩、し、信じて」

「うるさい!」


 私は倒れている穂波ちゃんに言った。


「普通に、ストーカーみたいなことしないで普通にしてくれたら、好きになってたかもしれないのに! いっぱい、嬉しかったのに! もう、あんたの顔なんて見たくもないよ!」

「そ、そんな」


 穂波ちゃんの体ががくがくと震えだした。


「せん、ぱ、先輩、お願いします。見捨てないで。し、信じてください、先輩……意味が、意味が分からないの、私、本当に何も知らないし、してない」


 穂波ちゃんの顔色が真っ青で、もともとの肌が白いから、何か悪い病気にかかったみたいになってる。


 そうか。

 穂波ちゃんは悪い病気なんだ。

 私の個人的な情報を集めて、人を傷つけて、平気で人を騙すような、そんな病気なんだ。


 穂波ちゃんはすがるような目つきで這いよって来た。

 私はとっさに伸ばされた穂波ちゃんの手を振り払って、それから言った。


「触ろうとするな! 気持ち悪い!」


 穂波ちゃんは、もう、倒れてしまうんじゃないかと言う顔で、それ以上、近寄ってこなかった。


「もう、二度と顔を見せないで! 学年違うんだから出来るでしょ? 正志にも近寄らないで! もし、近寄ったら、今度こそ許さないから!」


 私はそれだけを言うと、走り出した。


「ま、待ってください、先輩、待って! 全部、説明するから! お願いします、先輩、先輩」


 穂波ちゃんの、消えそうな声が耳に届く。


 だけど、待つわけない。

 私は決意するなり走り出すと、そのまま駆けて体育館裏を脱出した。


 鞄が重い。

 頭がふらふらする。


 でも、これで終わった。

 もう、失ってしまった楽しい日常なんて帰っては来なけれど。


 さよならだよ、穂波ちゃん。


 私はそのまま校門を抜け、一直線に家へと向かった。

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