第11話 もうやめてよ、神様

 あ、あの。

 怖いんですけど。本気で。


 何、言ってるんだろ穂波ちゃん。

 確かに、今、鞄の中には入ってないけど。

 でも、一か月前って、穂波ちゃんから手紙を貰う前の話だよ?


 先月の十三日って、学校は夏休みで、私は穂波ちゃんのことなんて思い出しもしてなかったし。

 なのに、なんで?


 唾液でふやけ切ったチーズバーガーが、いい加減に食べてくれと崩壊しだした。

 私は、何とかかぶりついていたチーズバーガーをモグモグムシャムシャして飲み込む。

 うん、美味しい。

 美味しいけど、まったく気持ちが落ち着かない。

 穂波ちゃんが怖いと、私は思い始めていたのだ。


 と、次の瞬間、穂波ちゃんが急に腕を動かした。

 私は飛び上がる勢いで席から立ち上がりかける。


 ガタッと動く椅子。

 私が座ってた椅子。


「どうしたんですか? あ、もしかしてポテトも食べたいんですね。じゃあ、食べさせてあげます。はい、あーん」


 フライドポテトが私の口に近づく。


 え?

 こ、こんな、人がたくさんいるところでそんなことするの?


 あ、ポテトは食べたいよ。

 食べたいけど、でも、それ、本当にポテトなの?

 私は、穂波ちゃんの全てが怪しく思えて、その手を払いのけたくなってくる。

 だけど、私は穂波ちゃんが怖くて、それを拒否することも出来ない。

 そして実際、ポテトも食べたい気分もあるから逆らえない。


「あ、あーん」


 意を決して、むしゃっともぐもぐ。

 そして思った。

 うん。

 私ほどの人間ならば、はっきりとわかる。

 これはポテトです。

 間違いない。

 あ、いや、今重要なのはそうではなくて。


「先輩、かわいいです」


 笑う穂波ちゃん。

 私は、今になって自分のうかつさを呪う。

 最初に教室で、呼び出しにこたえるべきではなかった。

 手紙なんて、受け取るべきじゃなかった。

 お弁当なんて、食べるべきじゃなかった。

 思えば、穂波ちゃんには謎がたくさんあったのだ。


 なんで、この子は私の家の場所を知ってたんだろ。

 なんで、私の好きなおかず、知ってたんだろ。


 なんで……


 なんで、知ってるんだろ。

 当たってるんだよ。私の生理。先月の十三日。


 それにエリと口論になった日、たまたま米川神社にいたとか言ってたけど、それって、本当に偶然なの?


 考えて、ゾッとする。

 怖いから、ここはひとまず無理を言ってでも帰ろう。


 私は、体調が悪いから帰るとだけ言い残して、ハンバーガーショップを後にした。

 穂波ちゃんは困惑した顔で見つめて「じゃあ送ります」なんて言って来たけど、私はそれを拒否して、一人で店を後にした。


 穂波ちゃんは、追ってこなかった。と、思いたい。



「ど、どうしよう。誰に相談したら」


 家に帰るなり、私はスマートフォン片手に考える人になっていた。


 気が動転している。

 悩んでいる。

 果てしなく、悩んでいる。


「こ、怖いけど。しっかりしなきゃ、私」


 全然分からない。

 穂波ちゃんは、どうやって私のことをいろいろ知ったんだろう。


 あまりにも色んなことを知りすぎているし、正直言うと異常だと思った。

 悪い子ではない、と思いたいのだけれど、身の危険を感じる。

 このまま行ったら、私は穂波ちゃんに何をされてしまうのか。


 怖い。

 どうしたら良いのだろう。

 ただでさえ、エリとのこととか、イジメのこととかで限界寸前なのに、それを癒してくれた穂波ちゃんのことまで悩み事になるだなんて。


 神様、どうして私にこんなことを。


 一人では、とても抱えきれない。


 私の指は、無意識的に電話の発着信の履歴を開いていた。


「涼子さん。涼子さんなら」


 でも、出来れば涼子さんには迷惑をかけたくない。

 そこまで巻き込めない。

 だって今日の朝、相談したばかりだ。

 女の子のことが好きなのか分からなくなって……って相談したばかりなのに、その女の子が私のストーカーで、身の危険を感じるだなんて。


 じゃあ、どうする?

 警察?

 だめだ。いくらなんでも、そんなかわいそうなことできない。

 だって、穂波ちゃんがいてくれたから助かった部分だってあるし、とてもそんなことは。


 じゃあ、どうするの? 私。


 分からないよ。

 誰か、助けて。


 と、その時、玄関で音が聞こえた。


「ただいまー」


 弟の正志だった。

 なんだか深刻そうな顔で居間に入って来る。


「なぁ、姉ちゃん。ちょっと話があるんだけど」

「え?」


 テーブルにドサッと置かれる、ハンバーガーショップの袋。

 ハンバーガーショップの袋は、私ごひいきの……って言うか、さっきまで私と穂波ちゃんがいたお店のものだ。


「なぁ、姉ちゃんって、夕月と仲良いのか?」

「ゆ、夕月って、穂波ちゃんのこと?」

「そうだよ。夕月穂波だよ」

「なんで、あんた穂波ちゃんのこと知ってんの?」

「俺、同じクラスだし」


 な、なんだってー!

 よく考えたら、弟と穂波ちゃんは同じ一年生だし、あり得る話ではあった。


「だ、だけど、何で、穂波ちゃんのことを?」

「さっきまで俺も店にいたんだよ。そのくらい察しろよ、バカ」


 つい、ムカッと来る。


「何で、いるのよ!」

「最近お前が元気ないからだろうが! で、チーズバーガー買ってたら、夕月にポテト食べさせてもらってるの見てよ。なんだよ、あれ。付き合ってんの?」


 全部見られてしまってたと思うと、涙がボロッとこぼれた。


「ね、姉ちゃん?」

「ごめん、なんでもない」


 遅かった。

 涙を見た正志は、怒った様子で言った。


「姉ちゃん、何かあったろ」

「無いよ! 何にもない!」

「嘘つけよ。掲示板、今、酷いぞ」


 は? と思った。

 掲示板って、何だ?


「学校の裏サイトだよ。ちょっと前にこっそりURL回って来てさ。先輩とかの間でもなんか流行ってるって聞いて。俺は今日の今日まで興味なかったから今まで見もしなかったんだけどさ、町でスカート脱いでる女の子の写真が載ってて」


 正志がスマートフォンを見せて来る。

 そこには、顔を手で隠している女子高生が、ずり落ちたスカートを気にもせずに、呆然と立ち尽くしている写真があった。


「このパンツ。姉ちゃんのじゃない?」


 お前、姉のパンツを覚えているのかよ、この変態め!

 と、思ったけど、写真を良く見て、心臓が止まりかけた。


 本当に、私だった。

 多分、米沢神社の近く。エリに誤解されて、泣いてる時に撮られてしまったんだと思う。

 正志からスマートフォンを奪い、内容をスクロールする。

 写真と一緒に乗っていた文章は、とても信じられないような内容だった。


――――――――――


 街中で大喧嘩してるカップル発見!


こいつ、誰にでもヤらせてたみたいで、彼氏っぽい奴と大喧嘩してんの。

街中で服を脱いでまで引き留めようとして、結局フラれてるクソビッチwww

で、その彼氏を米沢神社の石段から突き落として大怪我させて救急車騒ぎwww

クズ過ぎてクソ笑ったわwwwww

これマジ?

誰?

このリボンの色だと二年生じゃない?

藁藁

誰にでもって言うなら、普通に俺もヤりてーわ。探してみよっかな

足太くね?

そこが良いんだよなぁ。腰つきとか、マジ好み

男子キモい。死ね

男子死ね。後、誰にでもさせてるってこの先輩もキモい。学校から消えて欲しい

私も同感。で、二年で女子って、誰か特定できる人いないの?

って言うか、これ、本当なの? デマじゃない?

いや、米沢神社の近くで救急車見たぞ。男子生徒が乗せられるところも見たし。この女子もいた気がする

俺も見た。この人、多分、二年の高田先輩。

ふざけんな。そいつはそんなことする奴じゃねーよ

本人降臨?

本人乙。言い訳したって、そんなことをしてる証拠画像がここにあるんだよなぁ。

普通、街中でパンツなんて見せねーだろ。

私は本人じゃねーよ!こいつが高田なら、私の友達だよ!写真載せたの誰だよ!消せよ!

こいつはクセーぜ!本人の臭いがプンプンすらぁ!

本人確定wwww火消しに必死wwww

てめえら! やめろ!

――――――――――


 一人、怒ってる人がいて、その人が反論しまくってて、余計に激化している。

 書き込む人数もドンドン増えていったみたいで、私のパンツの写真、色んな人に見られたんだって思ったら、血が頭からどこかに流れて行って、頭の中が真っ白に。


 全身の力が抜けて、私はへなっとそこに座り込んでしまった。


「姉ちゃん?」

「正志、私、どうしよう」

「何があったんだよ」


 正志は、すごい真剣な顔で私に詰め寄って来る。

 心配してくれてるんだ。

 インターネットに写真流れて、いくら普段のん気してる私でも、これがとんでもないことだってわかる。

 顔はバレてないと思うけど、知ってる人が見たら、私だってバレるかも。


 だって、これがあった翌日なのに、もう、教室でだって聞こえて来てた。


『俺も頼んだらヤらしてくれっかな』

『やめとけ、お前も石段から落とされるぞ』


「私、何もしてない! 何も、してない! なんで、こんな!」


 私は泣いた。

 涙がボロボロこぼれて、止まらなかった。

 正志は、私が落ち着くまで待ってくれて、それから言った。


「姉ちゃん、話してよ」

「絶対に、誰にも言わないで。お母さんとか、お父さんにも」

「分かった。約束する」


 私は、正志に話した。


 穂波ちゃんからラブレターをもらったこと。

 荒井とのこと。

 エリとの誤解。

 いじめられてる事。


 それから、穂波ちゃんが怖いってことも。


「怖いって、夕月か。あいつ、確かに変わってるよ。1学期の成績、学年1位で、運動神経も良いし。ちょっと普通の人じゃないよ」

「そ、そうなの?」

「しかも、芸術とかそっちのほうもやたらすごいよ。なんか、勝手にコンクールに応募したとかで、全校集会かなんかで表彰されたの知らない? 油絵だったかな」


 知らなかった。有名人だったのか、穂波ちゃん。


「いや、しかし、まさか姉ちゃんにラブレター送ってたとはね。天才は常人とどこか違うのかね、やっぱ。でも、あいつ、友達いねーんだわ。誰と話しても、なんとなく壁作ってるって言うか。油絵の件だって『描けるかどうか試してみたので、それを評価されるかも試してみました』みたいなこと言ってさ。テレビの話も出来ないし、アニメとか漫画とかの話も出来ないっぽいし。ほとんど何もしゃべらないの。俺らも何言ったらいいのか全然分からなかったから、誰も近寄らなくなっちゃって。だから、俺も夕月のことは良く知らないんだ」


 やっぱり、穂波ちゃんには謎が多い。


「ねぇ、正志、相談に乗ってくれる? 怖いの。だって、作ってくれてるお弁当も私の好きなおかずばっかだし。私の生理の周期とかも把握してるし。今日は、無事に帰れたけど、怖いの。でも、今、イジメられてて色々まいっちゃってて、穂波ちゃんのおかげで助かってる部分もあるから、本当に、どうしたらいいのかわかんなくて」

「姉ちゃん」


 弟はため息をついた。


「お弁当作ってもらったって言ってたけど、ほいほい食べちゃったの? ラブレターくれたって人の手作り弁当を?」

「だ、だって、美味しいから」

「バカだろ? で、どこまで行ったの? どうせ押しに弱い姉ちゃんだから、夕月の情熱に押されて、ぐいぐい最後までやられちゃったんじゃないの?」

「き、キスまでしか、してないよ!」


 弟が顔を真っ赤にして「ちょ、そう言う生々しい話はやめろ」とか言ってきた。

 なんだよ、ちくしょう!

 お前から話を振ったんじゃん!


 でも、ちょっとだけ、元気が出てきた気がする。

 正志、お前、良い奴だったんだな。

 と思った矢先、正志は顔に嫌悪感を露わにして言って来た。


「って言うかさ。ドン引きなんですけど。女同士とか気持ち悪いし不潔じゃん」

「ふ、不潔じゃないよ!」

「なんでそこで擁護するかな。夕月に洗脳でもされてるの?」

「されてない!」


 洗脳って何だよ。

 いくらなんでも、あり得ないだろ!


 それに、私と穂波ちゃんは不潔なんかじゃないと思う。

 穂波ちゃんは、純粋に、心から私のことを好きなんだと思うし。

 ちょっと度が過ぎてるけど。


 それに涼子さんも言ってた。

 女の子が女の子を好きになっちゃったって、好きになっちゃったんなら仕方ないって。

 悪いことなんかじゃないんだって。


 で、私の態度を見て、正志がまたため息をつく。


「じゃあ、姉ちゃんは夕月のことが好きなのかよ」

「それは、その」

「違うだろ? だったら、好きじゃないってことだよ。ちゃんと言えば良いじゃん。私はガールズラブには興味ないし、付き合えませんって。手紙の返事って名目でさ。女同士なんて気持ち悪いって、ちゃんと言えば良いじゃん。あなたのことが気持ち悪いから、もう近寄らないでくださいって」

「それは」


 正直、穂波ちゃんが悲しむ顔を見たくない。

 それに穂波ちゃんがいないと、多分、私は学校に行くことすら出来ない。


「俺から言おうか?」

「ううん。それはだめ」


 私は首を振って答えた。


「もし、言わなくちゃいけないなら、自分でちゃんと言うから」


 カバンをぎゅっと握り締めて、しっかりしなきゃともう一度思う。

 今はだめでも、でも、言わなくてはいけないことなら。


 でも、今日はもう、寝よう。

 お風呂に入って、着替えして、明日の学校の準備もして。


 その間、ずっと穂波ちゃんのことを考えてた。


 出さなきゃいけない手紙の返事。

 あいまいにしていた自分。

 助けてくれた穂波ちゃん。


 いじめ。

 エリとの誤解。

 インターネットで晒されてる写真。


 私、どうしたら良いんだろ。

 答えは、いくら考えても出ない。


 そうして翌日。


 私は穂波ちゃんに答えを出せないまま、何も言えないまま、自宅の前にいた穂波ちゃんと一緒に登校した。


 同じく早朝。昨日よりも、もっと早い時間に穂波ちゃんは来ていた。

 正志は、まだ寝ているし、お父さんもお母さんも寝ぼけてる。


「先輩、今日も学校に行きましょう」

「う、うん。そうだね」


 穂波ちゃんは、今日も優しくて、可愛くて、素敵な女の子だった。

 そして、それが怖かったけれど、でも、私は穂波ちゃんに手を引かれて、今日も学校に行けた。


 学校に着いて、また顔をカバンにうずめて寝たふりをする。

 昨日よりも長くて、でも、やっぱり眠れなくて。

 時計の針がチコチコ、ずっと聞こえていた。


 しだいに騒がしくなる教室。

 ホームルームは予定通りの、いつもと変わらない時間に始まって、そうしてまた、学校での一日が始まる。


 と、思っていた。


 ただ、教室に入ってきた担任教師がなんだか酷く慌てていて……私の名前を呼んだ。


「高田!」

「え、はい」

「すぐ、病院に行ってくれ。タクシー、用意してあるから!」


 胸がざわつく。


「弟さんが事故にあったって。救急車で運ばれて、危ない状態で。登校途中に」


 教師が言葉を続けるが、頭の中がぐるぐると回っていて聞けなかった。


 何て言ったの?

 正志が、救急車で、運ばれた? 危ない状態? 事故に遭った?

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