第10話 何でそんなの知ってるの?
「おはようございます、先輩!」
「おはよう、穂波ちゃん」
涼子さんと話した後だからか、ちょっとだけ気まずい。
女の子が女の子を好きになっても良いんだ、って思った後だし、穂波ちゃんは私のこと好きだって言ってくれるし。
「あれ? 先輩、風邪ですか? 顔、赤いですけど」
「え? いや、違うよ! なんでもないよ! じゃあ、学校行こうか!」
言われて気づいたけど、顔、めっちゃ熱い!
なんだか、すごい恥ずかしくなってきた。
何と言う事だろう。
私、穂波ちゃんの事をめちゃくちゃ意識しちゃってる。
どうしよう。
やっぱり私、穂波ちゃんの事、好きなんだろうか。
いやいや、まだ結論を出すの早い。
とりあえず、もうちょっと考えないと。
って思ったのに、もうすぐ学校ってところで穂波ちゃんが隣に来て、私の手を握ってきた。
「わわ、あわわわ」
「先輩」
穂波ちゃんの手はあたたかくて、心臓が。
いや、頼む。ちょっと待ってくれ。
もうちょっと考えさせてよ、頼むから。
と、穂波ちゃんの力がギュッと強くなる。
「先輩、大丈夫ですか? 手、震えてます。足も」
何言ってんの?
と、思ったら、ほんとだった。
私の足は、勝手にがくがくと震えていた。
何これ? っと、思った瞬間、急に気分が悪くなって、顔に空いた手で額を抑える。
じっとりした気持ちの悪い汗が、私の顔を湿らせていた。
それから学校の方に目をやった瞬間、涙が、勝手にぼたぼたと。
強烈な吐き気も、私を襲って来て、そこで初めて自覚した。
学校、行くの嫌だ。
エリも、アイリもミホも、竹沢さんも、みんないる。
荒井はいないけど、バカな男子たちが私のことをジロジロ見て来るんだ。
みんな、噂だとかそう言う良く分からないことを信じて、私をいじめて来る。
でも、それを怖がるばかりじゃダメだよね。
こんな顔、穂波ちゃんに見られたらまた心配されちゃうし。
私は目を腕でごしごしと擦って、前を向いた。
「大丈夫! こんなの、何でもないよ! ちょっと、早起きしすぎて、頭フラフラで、だからかな! ほら! もう、なんともないし!」
元気元気!
元気出さないと。
私、悪いこと、何にもしてないし。
それに、穂波ちゃんのお弁当を想うと、勇気が沸いてくる。
私の好きな物ばっかり入ってる、私のためのお弁当。
そのお弁当を食べるためにも、頑張らないと。
私は、穂波ちゃんの手を握り返して、先に進んだ。
「行こう、穂波ちゃん!」
「はい! 先輩!」
学校の門をくぐり、朝の練習をしている運動部の掛け声を遠くに感じながら歩く。
まだまだ、頑張れる。
私には、穂波ちゃんの特性弁当がついているんだ。
勇気百倍だ!
で、穂波ちゃんとは昇降口で別れた。
そのまま教室まで行ったけれど、朝早く来すぎたからか誰もいない。
と、思い立った私は再び昇降口まで戻ると、靴を持ってUターン。
制服みたいに隠されたり、いたずらされたらたまらないもんっと、ロッカーにしまい込んで、カギをかける。
「良し」
私は自分の席に着くと、かばんを枕にして、目を閉じた。
朝早かったし、やることも無いし、少しだけ寝よう。
と、思ったんだけど、寝れなくて。
だんだん騒がしくなってくる教室だとか、たまに聞こえて来る私の悪口だとかに悲しくなりながら、ホームルームが始まるまでずっと寝たふりをしてた。
授業中は目立たず、騒がず。
そうしていたら、すぐにお昼になって。
私は穂波ちゃんと待ち合わせしてある、連日続けて通っている屋上入り口前の場所に向かったのだった。
☆
「はい、先輩。今日のお弁当ですよ」
「わーい! 待ってました!」
今日のお弁当は「鶏のくわ焼き」だった。
知名度は低いかもしれないけど、私の大好物だ。
鶏のくわ焼きって言うのは、鳥胸肉を片栗粉でとろみがついた美味しいタレで味付けした奴で、鶏肉のシンプルな肉と、このとろっとろのタレが織りなすハーモニーは、まさに最高級の組み合わせとなるのだ。
鶏むね肉も安いし、まさにお値段以上の価値がある。そんな料理なのである。
「感動した!」
私は、頑張ってよかったと心の底から思った。
口に運ぶ米と、鶏のくわ焼き、ポテトサラダ。
ほんとにもう、どこで仕入れて来るのか、私の好み情報。
で、がっついて食べ過ぎたのか、やたら早く食べ終わっちゃったりして。
「美味しかった! ごちそうさま!」
お弁当箱を返す私。
受け取った穂波ちゃんの指が、僅かに触れて、そこからもう、ダメだった。
「先輩」
目をとろんとさせた穂波ちゃんは、あろうことか、私にいきなり、抱きついて来たのだ。
私は、突然のことで、何にも言えなくなってしまった。
少しも動けない。
昼休みの、一番穏やかな時間。
施錠された屋上の入り口になんて誰も来ない。
二人だけの、空間。
優しかった穂波ちゃんの腕の力が、ギュッと私を抱きしめて来る。
「先輩は偉いです。辛いこと、いっぱいあったのに頑張ってて。なのに、全然辛いってのを顔に出さないで、頑張れてる。私、先輩のこと、尊敬します」
「お、おう」
だ、誰か、助けてくれ!
尊敬すると抱き着いてくるカワイイ生き物がここにいるんだ!
って言うか、待ってくれ!
穂波ちゃん、何か、今日は強気だ。
と、穂波ちゃんが顔を上げて、私の目を見つめている。
それから、私を抱いていた腕の位置が動き、次の瞬間には、その細い指が私の頬に触れて……触れ……触れてない。
なんだか、触れるか、触れないかの境目みたいな距離で、私の頬を撫でた。
頬の産毛だけがサワサワと穂波ちゃんの優しい動きを感じる触り方だ。
正直、ゾクッとした。
「あっ」
「先輩、可愛いです」
私、今、多分。鳥肌が立っている。
可愛いって、私がか?
穂波ちゃんの方が百万倍カワイイじゃないか。
あ、いや、そう言うことじゃなくて。
「ほ、ほなみ、ちゃ」
「ん」
私は、身動きの取れないままの状態で、穂波ちゃんにキスされた。
最初の時と違って、ちゃんと唇が重なり合った、本当のキス。
ちゅ、ちゅって、二回、三回。
「また、キスしちゃいました」
「あわ、あわわわわわ」
唇が離れて、穂波ちゃんの甘い息の匂いが、鼻の中に湿気とともに入ってくる。
私の吐いた息は、多分、鶏のくわ焼きのにおい。
穂波ちゃんが吸ってる。
ヤバイと思った。
心臓が暴走してるみたいにドキドキして。顔も全部、燃えてるみたいに熱い。
このままではガールズラブの世界に突入してしまう。
まだ、穂波ちゃんのことが好きかどうかも、答えが出てないのに。
こんな、流されるみたいになんて、マズいって、本当に。
「せん、ぱい。好き」
「ね、ねぇ、ほ、なみちゃん、も、もう、や、やめ」
私の言葉なんかまるっきり聞いてない穂波ちゃんが、首筋を触っ……触ってない。
また、あの触れるか触れないかの絶妙な距離で指を滑らせた。
「だ、だめだって。あッ」
わき腹を突かれたみたいな感じで体が撥ねた。
私の身体が、おかしい。
色んなところが敏感になってる感じがする。
このままだと、私、本当に、ガールズラブの世界に……
と、その時、私を正気に戻す音が聞こえて来た。
昼休み終了のお知らせ。予鈴である。
チャイムの音がゆっくり鳴り響く。
「い、行かないと、ね」
「先輩。私、寂しいです」
名残惜しそうな穂波ちゃんの手を振り抜き、私は立ち上がると階段を降りて行く。
「先輩、帰りも、一緒に」
なんて穂波ちゃんの声が聞こえたけど、聞こえてない振りをして駆け降りた。
☆
あ、あぶなかった。
今日の穂波ちゃんはすごい積極的だ。
帰りも、と言ってたけど、今日はちょっと、遠慮してもらおうっかな。
あんまり急に色々されると、こっちも心の準備が必要ですし。
とりあえず、残りの授業だ。
授業は英語と数学。
移動教室が無いのはほんとに助かる。
で、平和にホームルームまで時間は進み、そのまま終わる。
放課後が開始されると、私はさっと立ち上がり、教室を出た。
急がねば。
穂波ちゃんが来ないうちに。
と思ってたのに、昇降口に待ち伏せされていた。
「先輩。早いですね」
「ほ、穂波ちゃん」
私はそこで、なんとなく怖いと思った。
だって、私の心の中、完全に読まれてる。
穂波ちゃんには感謝しているし、感謝ししてもしきれないくらい助かってるけど。
でも……
「先輩、今日、私の家に来ませんか? 今日は、お母さんも家にいないし……」
わ、私を家に連れ帰って、何をする気なんだー!
「い、いや、ごめん、ちょっと、用事があって」
「そ、そうですか」
がっかりした顔の穂波ちゃん。
しかし、こんなに押しが強いとは。
ほんとに、今日はどうしたんだろうか。
私は靴を履くとすぐさま、穂波ちゃんを置いて走る。
「え? せ、先輩! 待ってください!」
「ごめーん! ちょっと、大急ぎの用だから!」
「待って!」
待たない!
ちょっと可哀想だったけど、私は穂波ちゃんを置いて全力で走った。
通学のルートは把握されちゃってると思ったので、私は急遽、ハンバーガーショップに逃げ込むことにした。
駅前の、ライブハウスが近くにあるいつものお店である。
が、しかし。
私が席について、チーズバーガーにかぶりついたその瞬間。
息を切らせた穂波ちゃんが、フライドポテトを載せたトレイを持って私の隣に座ったので、そのまま固まってしまった。
「おなかが空いてたんですね。先輩の、そう言うところ、可愛くて好きです」
私は、本気で怖くなり始めた。
なんで行く場所が分かるんだろ。
「えへへ、先輩の用事なんて、すぐ考えつきますから」
思考を読んだ?
固まったままの私。
チーズバーガーふがふが。
「あ、そう言えば先輩。先月の十三日あたりから生理だったじゃないですか。今月はもうすぐかなーなんて思うんですけど、そろそろ用意しておいた方が良いと思いますよ? 私、買ってきましょうか?」
……
…………え?
背中に、冷たい感覚が走る。
そして私の、困惑成分がたっぷり含まれているであろう唾液は、チーズバーガーのバンズにゆっくりと染み込んでいった。
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