第4章 私と貴女と渦巻く不安
第9話 やっぱり今日も、家の前
それから。
私と穂波ちゃんは、二人で並んで帰った。
情けないけど、一人で歩けなくなってたんだ。
正直、悲しいことがありすぎて、もう、少しも動きたくなかったから。
そんな私の手を、穂波ちゃんはギュッと握ってくれて「がんばって、先輩」って私の手を引いて歩いてくれた。
それで、少しだけ思い出した。
そう言えば今年の入学式の日。
人手が足りないとかで手伝いに行った時、ちょっと休憩って、自動販売機まで歩いてたら、迷子の女の子がいたんだ。
で、私は今の穂波ちゃんみたいにその子の手を引いて、体育館まで歩いた。
今の今まで、忘れてた。
あれって、穂波ちゃんだったのか。
顔も、声も、何にも思い出せないけど、多分、そうだったんだと思う。
穂波ちゃんの手は小さくて、それでも熱くて、力強かった。
それだけで震えていた足と心が落ち着いてくる。
「先輩、また、明日学校で」
家に着くと、穂波ちゃんはにっこりと笑った。
「明日もお弁当、持ってきますね。朝も、迎えに来ます」
「ありがとう」
もう大丈夫だよって言いたかった。
だけど、きっと穂波ちゃんは納得しない。
放っておけないですから、なんて言って、何が何でも私にお弁当を食べさせて、家まで迎えに来るつもりだ。
だから、今だけは甘えちゃおう。
私は家に帰る。
家では、今日は帰ってたお母さんに腫れた目とか心配されたけど、今はただ、泣き疲れてしまったので、ひたすら眠りたかった。
汗をたくさんかいたので、シャワーだけは浴びることにしたけれど、でも、シャワーを浴びていたら、だんだんと穂波ちゃんのキスを思い出してきて、唇が燃えてるみたいになった。
キス。しちゃったんだ、私。
しかも、穂波ちゃん――女の子と。
私の体が、シャワーのお湯よりも、もっと熱くなっていく。
ファーストキッスはイチゴ味だとか、レモン味だとか聞いたことあるけど、正直、味なんて、何にもわからなかった。
ただただ、穂波ちゃんとキスしてしまったって事実だけを考えると、胸が苦しくなって、ドキドキしている。
どきどき?
私は、思ってから、自分でびっくりした。
私、穂波ちゃんとのキスを想って、ドキドキしてる。
ガールズラブ。私には絶対に合わないと思ってたのに、なんてことだ。
私は、シャワーの温度を下げて、顔に浴びせた。
「あ、頭、冷やさないと。いろいろあったから、何が何だか分からないや。混乱してるんだ。だって、穂波ちゃんと、キスとか」
う、うががががが!
恥ずかしくて、苦しい!
でも、この切なさは、何なのだろう。
いや、違うんだ。
私に、ガールズラブ何て、無いし。
無いと思うし。
多分。
うぐぐぐぐぐ、どうすれば良いんだろう。
誰かに相談したい。
でも、家族はだめだ。
こんなこと、お母さんにだって恥ずかしいし、お父さんには論外。
正志になんてはもってのほかだ。
あいつのことだから、多分、私に酷いことを言うに決まってる。
それで、末代までからかわれてしまうんだ。
孫に迷惑はかけられぬ。
でも、だったら、誰に?
そう思ったら、一人しか思い浮かばなかった。
涼子さんだ。
涼子さんはかっこいいし、頼りになるし、いつでも相談していいよって言ってたし。
秘密も、守ってくれそうだし。
心を決めた私は浴室から出る。
次の目的地が分かると、元気が沸いてくるよね。
よーっしと、今日は着心地の良い下着を選んだ。
よいしょっとパンツを持ち上げて、ブラジャーを付ける。
しかし、私のお気に入りのあのパンツ、どこ行ったんだろ。
まぁ、下着が無くなるなんてのは割と良くあることだけどね。
なんて、下着が行方不明になるだなんてことが良くあるっておかしいし、実際パンツはどこ行ったんだよって思うけど。
でも、仕方ないよ。
私はずぼらな性格だし、それどころか家族全員めちゃくちゃルーズ。
しかも、お母さんは仕事が大変で、洗濯物をため込んで、お休みの日なんかに一気に洗ったりするからさ。
だから、あれだけの量の洗濯物が干されるんなら、パンツの一枚くらいは風で飛んだりもするかもしれないし。
タンスに畳んで入れたと思ってたけど、気のせいかもしれないし。
パンと間違えて、正志が喰っちまったかもしれないし。
いや、それだと正志は変態になっちまうな。
でも、世の中、何が起きてもおかしくないからね。
私のパンツは正志が食ったと言うことにしておこう。
ちくしょう、あの野郎、私のパンツになんてことを。
そんなわけで、全部、正志が悪い。
パンツがなくなったごとき、私は気にしないのだ。
私は、フンっと鼻から息を吐き出すと、パジャマを着て部屋まで戻り、ベットにダイブした。
電気を消して、目を閉じる。
そして。
目を閉じて間もなく。
昨日からの酷い出来事がよみがえって来て、私は泣いた。
自分では、どうしようもなかった。
好きなんだ、って言って来た、荒井の顔。
階段から落ちて、死にそうになってる荒井。
掴まれて、ずり落ちるスカート。
丸見えのパンツに、誤解したエリ。
隠された制服。
邪魔だ、帰れと言った、ミホの怒った顔。
穂波ちゃんがいて、かっこ悪いところあんまり見せたくないって気持ちもあったから頑張れたんだと思う。
優しくされたから、平気だよって強がれて、それで頑張れたんだ。
でも、一人、目を閉じると、もう無理みたい。
「ひっ……ひっ……」
鼻をすする。
全部、全部、嫌になっちゃった。
もう、学校に行きたくないよ。
朝も、来なくていい。
ずっと、ずっと夜のままでいい。
それでも、疲れ果てた私の体は睡眠を欲していて、私は深い眠りの中に落ちていく。
夢の中では、私の好きな音楽がずっとなっていた。
私がドラムスティックをでカウントを取って、ミホのベースとリズムを取っている中、エリとアイリのギターがカッコ良く響いて、エリがマイクに向かって叫んでいた。
ライブハウスのお客さんは大盛り上がり。
クラスメイトのみんなも応援に来てくれてて、私はハッスルしてドラムを連打する。
そして私は目を覚まし、もう、二度と帰らない、体験する事の出来ない現実を想って、悲しくなった。
時間は五時半。
また早起きしてしまったと思ったけれど、それでも良い。
私はシャワーを浴びて、それから散歩に出かけた。
また、涼子さんに会える気がしたからだ。
と、家を出て数分。
「あ、涼子さん」
「やぁ、キー子ちゃん、おはよう」
涼子さんは私を見つけると立ち止まり、首にかけたタオルで顔を拭いた。
「ふー、早起きだね。どうしたの?」
「涼子さんに、会いたくて」
「あら、それは嬉しい」
涼子さんはにっこり笑う。
「でも、ただ会いたいってわけでもないんじゃない?」
「あ、はい。実は、相談事が」
さすが涼子さん、するどいな。
私が悩んでいることなんて、お見通しなんだ。
涼子さんは、顔を流れてた汗を、再びタオルで拭くと、私に言った。
「そっかそっか。でも、いつでも電話してくれても良かったんだよ? こないだ渡した名刺の電話暗号に」
「そ、そうですね、すいません」
謝ってから思う。
「でも、出来れば、顔を見て、相談したくて」
「そっか。深刻そうだね。良いよ。どうしたの?」
涼子さんは優しい。
かっこよくて、汗の臭いとかも全然私と違うし、すごく良い匂いがする。
「実は、その。涼子さんは、女の子が女の子のこと好きになるのって、どう思いますか?」
一瞬、言いよどんだけど、何とか言いきった。
「女の子が、女の子を?」
「は、はい」
声が震える。
「それって、キー子ちゃんが、女の子を好きになっちゃったってこと?」
「いえ、その、それが、分からないんです」
自分でも、考えがまとまらない。
相談したのは失敗だっただろうか。
でも、涼子さんはアハハと笑うと言った。
「そんなの、好きになっちゃったら仕方ないんじゃないかな」
「え?」
「良い、キー子ちゃん。世の中には、いろんな『好き』の形があるんだよ? そりゃ、共感できない人からは『気持ち悪い』とかって言われるかもしれない。でも、それでも、キー子ちゃんの『好き』を否定したりは、私はしないよ。だって、人を好きになるってこと、私も経験あるからさ。どんな形だって、『好き』は『好き』だよ」
涼子さんは寂しげに笑って、言葉を続ける。
「好きな人、いるとすごい幸せになるよね。どんな辛いことがあったって、たちまち元気になれる。頑張ろうって、勇気をもらえるから。それが女の子だったって、全然変な事じゃないよ。私の話をするけどね、私の方も、ちょっと事情があって、随分長い間、ずっと一人で悩んでたんだ。その人を好きになるって、すごくいけないことのような気がしたから。けど、一歩、勇気を出してみたんだ。恋人になれなくても良い。せめて、声をかけて、仲良くしたいって。そしたら簡単だったよ。別に変な事じゃないって、すぐに理解できた。人を好きになるって、悪いことじゃない。好きになっちゃいけない人なんて、いないんだって」
「涼子さん、その人とは?」
「うーん、仲の良い、お友達、かな。自分でも悔しかったけど、それ以上の関係にはなれなかったから。ほら、今の私見たら、分かるでしょ? でも、良いんだ。独りでいたって、それはそれで悪くないから。好きな人の友達でいられるって、とっても素敵な事だなぁって思えるから」
そう言って涼子さんが笑った瞬間、さわやかな風が吹いた。
涼子さんの長い髪の毛が、ほんとにキレイで、すごく良い匂いがして。
大人の女の人って、かっこいいなって思う。
で、ついつい見とれてしまっていたけれど、我に返って、私は言った。
「そ、そっか。女の子を好きになるって、悪いことじゃ、ないんだ。でも、やっぱり、もうちょっと考えてみます。私、自分の気持ち、まだ分からなくて」
「うーん、青春だねぇ、キー子ちゃん」
涼子さんが、ふむふむーっと頷く。
「まぁ、キー子ちゃん、電話、いつでも良いからね。独りで悩むくらいだったら、相談してね。待ってるから」
「は、はい!」
相談してよかったと本気で思った。
うん。
何がどうなろうと、私は私。
もし、仮に、穂波ちゃんのことを好きになっちゃったとしても、それでも。
とりあえずは、がんばろう。
学校、あんまり行きたくなかったけど、行かなくちゃ。
頑張らないと、私!
私は家に帰ると着替えて、朝ごはんをモリモリ食べて家を出た。
時間は7時、ちょい過ぎ。
で、宣告通り、家を出た私を、穂波ちゃんが待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます