第8話 優しい気持ちが、いっぱいぱい
颯爽と町を駆けていく、私。
熱い風が吹いて、蝉も鳴いていて、汗もたくさん流れたけど気にしない。
走ってると、色んなことを忘れられる気がする。
荒井のこと。
エリのこと。
隠された制服のこと。
息が苦しくなって、足もだんだん痛くなってきた。
でも、そんなのすらもう、どうでも良くなってくる。
私は、早くチーズバーガーが食べたいのだ。
なんてったって、元気が一番! 旨いも一番!
で、ひたすら急いだおかげか、私は順調にハンバーガーショップに辿り着いた。
呼吸を落ち着かせて、深呼吸。
続けて順調にチーズバーガーを買う。
走ったし喉も乾いたから、コーラも一緒に頼んだ。
飲み物は、何を一緒に飲むか迷うんだよね。
お茶かコーラか。
カロリーを考えたらお茶が良いのかもしれない。
でも、私は氷がザクザク入った、ハンバーガーショップで売っているコーラが大好きなのだ。
氷が溶けて、炭酸が少し弱くなって、それから甘さが若干控えめになるのも、また良い。
むしろ、それくらいが飲み頃かな。
チーズバーガーと一緒なら、特にそう。
お茶はお茶で良いんだけれど、氷が溶けると、ただの薄いお茶になるのが気に入らないので、やっぱりコーラにしてしまう。
ふーぅうと一息。
チーズバーガーは一個にした。
終わったらまた、多分、いつもみたいに、ハンバーガーショップで練習の打ち上げをやると思うし。
足りない分はその時に食べようっと。
と、お腹がいっぱいになってしまったら、眠くなってしまった。
だって、昨日はあんまり眠れなかったし。
六時間目も目をつぶっていただけのようなものだったし。
少しだけ、休もう。
私はトレイを横にずらし、かばんを枕にすると、前のめりになって眠り始めた。
……
それからどれくらい経ったのだろうか。
フッと目を覚ました私は、目をこすり、氷が溶けてほぼ水と化したコーラを飲む。
久しぶりに、良い夢を見た気がした。
エリと、バンドのみんなでショッピングに行く夢だ。
楽しかったけど、この目覚めて感じる悲しさのようなものは何なのだろう。
そして、私はスマホを見ると驚いて飛び上がりそうになった。
現在時刻は、集合時間をほとんど一時間近く過ぎていたのだ。
私は慌ててトレーを持って立ち上がると、片づけて、風のように店を後にした。
大遅刻だ。
ハンバーガーショップに来た時よりも、もっと全力でスタジオまで走った。
当然、集合場所には誰もいない。
多分、みんな困ってる。
ドラムがいなくてはリズムも取れない。
皆、練習出来なくて怒ってる気がする!
ベースのミホなんかは本気で殴ってきそうだ。
私は急いで受付の横を走り抜ける。
受付のお兄さん、いつもの顔見知りの人なので、みんながすでに練習を始めているのなら、大丈夫のはずだ。
一瞬、受付のお兄さんと目が遭った時に「あれ?」なんて顔をされたけど、でも、大丈夫のはず。
私はニコッと笑って「えへへ、遅刻しちゃった」なんて言いながら、走った。
学校で見たメッセージを見る限り、今日はD室。
D室は練習スタジオのランクが低く、一番安い部屋だ。
ランクと言うのは、用意された機材や広さの関係(多分)なのだけれど、良く利用する部屋である。
D室ではもう、練習が始まっていた。
ドア越しに聞こえて来る重低音。
ミホのベースの音だ。
ドアは防音のために二重構造である。
本当なら演奏中にいきなりドアを開けたりはしないのだけれど、二重扉だし、良いかなーなんて思いながら最初のドアを開けた。
取っ手を掴んでガシャンと引いてから回し、重い扉を力いっぱいに動かす。
で、最初の扉がきちんと閉まったのを確認してから、次の扉を開ける。
「ご、ごめーん! みんな! 遅刻しちゃった!」
そう言いながら入った私と同時に、演奏は止まった。
マイクスタンドの前でギターを抱えていたギターボーカルのエリ。
ベースを弾いていたミホ。
だらんとした格好でギターを持っているアイリ。
と、ドラムのところに座ってるの、誰だっけ。
「は? なんで来てんの、こいつ?」
「あ、ごめーん、メッセージ、間違って送信しちゃってさぁ。集合場所にいなかったから、来ないかと思ってたし」
「ったく、前からバンドのメッセージグループ作ろうって言ってただろ? こう言うことあるからさ」
ミホとアイリがなんだか他人みたいに感じた。
私を無視して言葉を交わしてる二人。
ミホは、今まで見た事のないような不機嫌な顔をしている。
いや、遅刻しちゃったのは悪かったけど、そんなに怒らなくても。
と、思ったら、ミホがこっちを睨みつけて、歩いてきた。
「で、何で来たんだよ、お前。エリにあんなことして、良く顔出せるよな」
「え?」
黒いタンクトップを着てる、セックス・ピストルズ信望者の少女ロッカー、ミホ。
ミホは怒った私の前に来ると、スカートを見た。
「聞いてた通り、安全ピンで止めてるんだ。金具、どうしたんだよ」
「そ、それは、荒井に」
言いかけて、ハッとした。
ミホは、ムカッとした顔をして、私にさらに詰め寄る。
「あぁ? じゃあ、やっぱりそうなのか? 噂とか正直、半信半疑だったんだぞ? 私はよ!」
胸倉をつかんでくる、ミホ。
ミホは背が高いから、私はちょっと浮き上がって、つま先立ちで、息が苦しくて、何も言い返せない。
噂って何?
スカートの金具は、昨日、直す時間なかったし、だから安全ピンで止めるしかなかったんだよ?
と、その時、アイリが言った。
「ミホ。暴力はNGよー」
「ちっ」
ミホが、私を掴んでいた腕を離す。
「アイリ、ありが」
「あ、キー子。言うの遅くなったけどさ」
私の言葉を遮って、アイリは言った。
「はーい、新しいドラムスのキョーコちゃんでーす。キー子に名前が似てるけど、滅茶苦茶上手いの。正直、今日いきなりエリが連れて来た時はびっくりしたんだけどさ。キー子と違ってリズムも全然崩れないし、アドリブも完璧でー」
「え? えっと、そうなんだ、はじめまして」
私は意味が分からずに、そう言ってみた。
キョーコとか言う、私がいるはずの位置にいる細身の女の子は返事もしない。
こっちを見ようともしない。
「おい、聞いてなかったのかよ」
ミホが再び一歩近づいて、私の視線をふさいで立つ。
「え、えっと、何、が?」
声が震える。
ミホはフンと鼻を鳴らすと言った。
「お前クビだから」
「え? え?」
私は、言われても意味が分からなくて、みんなの顔を見た。
みんな、私に怒っているようだった。
エリは、私をずっと軽蔑する目で見て、どこか笑っているようにも見えた。
ちっとも目を合わせてくれない。
ミホは、見るからに怒ってる。
パッと見、本職のパンクロッカーだ。
アイリはずっとニヤニヤしてる。
その目はずっと私を見下してるようで、どこか楽しんでる目だった。
アイリはマイペースで、言ってることが女王様みたいな性格だったけど、こんな目で見られたのは初めてだ。
で、でも、クビって。
え? なんで?
私の喉から、勝手に首宣告に対する疑問の声が出て来た。
「な、なんで? だって、ライブだって近いし、他のバンドと合同企画も再来月にやるって話してたし」
「だからさ、お前なんかより全然上手いキョーコに叩いてもらうって言ってんの!」
ミホはイライラした口調でそう言った。
言葉は、遅れて実感としてやって来た。
耐えられなかった。
私は涙をボロボロこぼして、わめくようにして、言った。
「や、やだよ! 私、やだよ! だって、今まで、みんなで頑張ってきたじゃん! 私、ドラム、好きだよ。大好き! みんなの後ろでドラム叩くの、大好きなんだよ!」
「うるせぇ! 練習の邪魔だって言ってんだよ! 帰れ!」
ミホの怒号と同時に、ベースの、でっかいおにぎりの形をしたピックが私の額に直撃した。
ミホだ。
ミホが、投げたんだ。
「い、痛い! やめてよ」
「うるさーい! さっさと帰りなさいよー! このクズ! クソ虫!」
「や、やめてぇ! やめてよ!」
ギターのピックも飛んできて、カツンッと後ろの壁に当たって落ちた。
私は、手で顔を隠しながら後ずさって、そして見た。
エリが、冷たい目で私を見ている。
キョーコとか言う子と、二人で。鼻で笑っていた。
「ひ、ひぐっ、こ、こんなの、ひどいよ、私、は」
何も悪くない。
何も悪いことしてない。
でも、言えなかった。
何も、言えなかった。
私は落としたかばんを拾うと、入ってきたのと同じように、D室の練習部屋から出た。
事情を察していたのか、受付のお兄さんが廊下に来て、私を見ている。
「だ、大丈夫?」
「く、クビ、だって、私。お、お世話になりました」
「あ、はい」
私は、何か言葉を探しているらしいお兄さんの前を歩いて、階段を降りた。
階段のところに、メンバー募集のチラシや、連絡先の書いたチラシが何枚も貼ってあるのを見る。
全部、剥がしてしまいたくなるくらい悲しい気持ちになった。
でも、私はそれをしない。
したって、何の意味もない。
なんだか、おかしくなってきちゃった。
なんでこんなことになっちゃったんだろ。
私は楽器屋の一階部分を抜けると、外へ出た。
相変わらず、暑い。
もう、暗くなってきている。
とぼとぼと、歩いてみたけど、私はどこに向かっているんだろ。
本当に何で、こんなことになっちゃったんだろ。
全部、全部。
私の大事なもの、全部、無くなっちゃった。
私が、何をしたって言うんだろ。
仲間って、こんなものなのかな。
「う、うう」
私はもう、我慢できなかった。
涙はもう、止まらない。
もう、前なんて向けないよ。
その時だった。
「先輩!」
聞いたことのある声が聞こえた。
穂波ちゃんの声だ。
「先輩、どうしたんですか?」
「ほ、穂波ちゃ、ん」
歩道のど真ん中で泣いていた私は、ゆっくりと顔を上げる。
穂波ちゃんの顔が、すぐそこにあった。
「先輩、どうしたんですか? 何で、泣いてるんですか? 一体、何が?」
私は悲しすぎてどうにかなってしまったのだろうか。
気がつくと、穂波ちゃんの肩に顔をうずめていた。
「うっ、ううっ」
嗚咽で、言葉がまともに話せない。
「大丈夫。落ち着いて。ちゃんと聞いてあげるから。先輩、ね?」
穂波ちゃんは可愛くて、私のことを何でも知っていてくれて、いつも、私が苦しい時にいてくれる。
正直、なんでここにいるの? とも思ったけど、でも、今はもう、何でもいい。
何でも良いから、今は、穂波ちゃんにそばにいて欲しい。
「ほ、穂波ちゃん。わ、私ね」
一度、泣き言が出せたら、止まらなかった。
「私、皆のこと、大好きだったの。みんなカッコいいし、一緒に、バンドやれるのが、大好きだったの、なのに、私、く、クビだって」
穂波ちゃんは、年下だけど、私の情けない言葉を全部聞いてくれていた。
「わ、私、ね。いっぱい練習したんだよ。暇な時とか、スティック持って、膝叩いたりして、演奏する曲のCDだって、何回も聞いたりして」
「うん」
「でも、他の子が、私のいる場所にいて」
「うん」
もう、ダメだった。
道の往来だったが、私は声を上げて泣いてしまった。
「うああああああああ! ああああああああああー!」
鼻水も沢山出て、息も苦しくて、それでも心の中のことを吐き出して。
だけど、穂波ちゃんはそんな、意味のない叫びみたいな言葉も全部、さっきと変わらない様子で、受け止めてくれた。
それから段々落ち着いてきて、私は穂波ちゃんが渡してくれたティッシュで鼻をかんで、涙を拭いた。
「ご、ごめんね、穂波ちゃん。制服、私の鼻水でぐしゃぐしゃで、汚くしちゃって、ごめん」
「先輩。辛い時は、泣いても良いんですよ。こんなの、汚くもなんともないです」
「穂波ちゃん、何で、そんなに優しいの?」
「先輩は、入学式の日に私を助けてくれたんですよ? 先輩はいつも真っすぐで、誰にだって話しかけるし、誰にだって優しいから私のことなんて忘れてたかもしれないけど。私に優しくしてくれて、私を慰めてくれたんです。だから、私も先輩に優しくしたい」
手紙にも書いてあったと思い出す。
でも、ごめん。正直覚えてないんだ。
なんとなく、そんなこともあったかなーなんて記憶はおぼろげにはあるけれど。
それが穂波ちゃんだったってこと、穂波ちゃんの顔を見ても、まるで思い出せないんだ。
「先輩」
穂波ちゃんは私の髪に触れ、それから私の頬に手を添えて、それからつま先足で背伸びをして。
私にキスをした。
唇が、ちょんって触れるくらいの、すぐにはそれがキスだなんて気づかないくらいの。
「守ってあげたいんです。今度は私が先輩を。慰めてあげたいんです」
穂波ちゃんはそう言うと静かに微笑んで、言った。
「キス、しちゃった。私、キスしたの、初めてです」
穂波ちゃんの顔は、真っ赤になっていた。
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