第7話 ハンバーガーが、待っていますし
私は教室に駆け込み、制服を脱ぎ散らかすと、急いで体操服を着た。
今日の体育は、確か体育館だ。
昨日、体育委員のエリから跳び箱の授業するとか聞いた気がするし。
エリと普通に会話してたのが遠い昔に思えて、また少しだけ悲しくなってきたけど、とりあえず急ごう。
と、急いで着替えて体育館に到着すると、すでに皆集まっていた。
ギリギリセーフ!
点呼が始まり、一人ずつ名前が呼ばれていく。
準備体操。
案の定、授業は跳び箱で、跳び箱が苦手な私は頑張って跳んでは見たものの、四段の跳び箱がどうしても飛べない。
三段は何とか飛べるのだけれど、四段はお尻が乗ってしまうんだ。
ドシンッて、音が出るくらいダイナミックに。
「く、くそー」
いつもは負けるか―! 次こそは―! って、チャレンジできるんだけど、今日は体が重い。
私が失敗するたびに、クスクス笑われているのが分かったから。
誰が笑ってるかなんて分からないけど、みんな、私のお尻を笑ってるんだと思う。
いや、でも、笑うのは分るよ。
なんと言うか、下半身がデブで、でっかいお尻なんだよ、私。
ウエストと比べて見たら、どう見てもお尻がでかい。
そこから伸びてる足も太い気がして、見てると泣きたくなる。
そもそも運動、苦手。
こんなんじゃ痩せるはずも無い。
五十メートル走るのに十一秒もかかるし、体も硬いし。
いつもは笑われてなかったから、忘れてた。
私、デブで運動音痴で、かっこ悪い奴なんだ。
クスクス笑われていると、また泣きたくなってくる。
それでも頑張って飛び続けて、笑われ続けて、体育は終わった。
で、跳び箱の授業は、終わった後に片付けるのが大変だ。
体育委員の仕事なんだけど、エリと、もう一人男子の二人しかいないから、とてもじゃないけど間に合わない。
私は、跳び箱の片付けだったりは、いつも手伝っていた。
だけど、今のエリは相変わらず冷たい態度で私を無視しっぱなしだ。
こんな状況で手伝うのは、やっぱり辛いけど、でも、やっぱり大変そうだし、私は勇気を振り絞って、跳び箱の踏み切り版(男子が飛ぶ、高い跳び箱の前に敷いてあるバインバインしてるあれ)を持ち上げると、用具室まで運んだ。
倉庫へ向かう途中、ビックリした顔のエリと目が合う。
が、すぐにそらされた。
「余計なこと、しないでくれる?」
「で、でも、大変じゃない?」
エリは、何にも喋らなくなった。
私も何にも言えない。
言えないから、ただ手伝った。
男子の体育委員、えっと、名前なんだっけ。
そうだ、丸山だ。
丸山と一緒に跳び箱を持って運んだりした。
急げ、急げよ、丸山。
って言うか、跳び箱の授業の片付け、大変なの皆知らないのかな。
先生だって、大変だから手伝ってって授業が終わる時に言ってるのに、誰も手伝わない。
丸山は小柄な男子で、跳び箱を持つのも大変そうだ。
リスみたいな男子。
頭が丸刈りなので、若干、栗にも見えてくるけど。
しかし、手伝ってくれる人がいないなんて、なんと言う、せちがらい世の中よ。
これが温もりを忘れてしまった都会の人々の、荒んだ心の現われか。
とまぁ、ようやく片付け終わった頃には、休み時間が終わろうとしていた。
これはやばい。
次の授業が始まる前に、着替えを終わらせなくてはならないんだ。
急いで帰らないと。
私とエリと丸山は走って教室へ向かう。
って言うか、丸山、男子は空き教室で着替えるのに間に合うか?
いや、他人を心配する余裕は無い。
私は教室へひたすら走った。
廊下は走っちゃいけませんなんて、今は言われたくない。
授業に遅刻する方が、もっといけないから。
ただ、エリは運動神経が良くて、私なんてあっという間に追い抜かされてしまう。
どすどすと走る、独りぼっちの私。
うがが、体が熱い。
着替える前に水道で水飲んでおこうっと。
私は教室の手前の水道で、蛇口を上に向けて水をがぶがぶ飲む。
やっぱり運動の後の水は、最高だぜ。
冷たくて、美味しい。
そうしてたっぷり水を飲み、右腕で口を拭って一呼吸。
よしっ、と教室に入った。
さらにギリギリになったけど、まだ、間に合うはずだ。
男子はまだ帰ってきてないし、急いで着替れば、まだ。
と、思ったのだけれど。
机の上に散らかしていたはずの、私の制服が無かった。
あれ? ロッカーにしまったっけ?
なんて思いながらロッカーを開けるけど、そこにも無い。
見事に消えてしまっていた。
誰かがクスクス笑っている気がする。
跳び箱にお尻が乗った時みたいに、失敗を笑うような、嫌な笑い方。
エリはとっくに着替え終わってしまっていて、私は一人、体操服のまま立ち尽くして、泣きそうになって。何にも出来ずにオロオロしてしまった。
そんな中、男子達が帰ってくる。
ガヤガヤとした人だかりが教室を活気付かせ始める。
制服は、無い。
私は、パニック状態で、汗をダラダラ流し始めた。
なんで?
なんで、制服が?
なんで無いのか、全然分からない。
あ、チャイム、鳴っちゃった。
響く音を聞きながら、私はそのまま席に着いた。
エリがちらりと、やはり冷たい目でこっちを見る。
と、その時、私に向けたと思われる言葉が聞こえて来た。
「自業自得」
エリが言ったわけではない。
誰がどこから言ったか分からないけれど、確かにそう聞こえた。
女子の声だった。
もしかして、とその時、思う。
誰かに、隠された?
まぁ、どうでも良いか。
放課後、制服探せば良いことだし。
って言うか、自業自得って、それはおかしいじゃん。
だって、私、何にも悪いことしてないもん。
まぁ、こんなことされても、全然辛くないし!
悔しくも無いし!
たまに弟が言ってくる暴言とかに比べたら、なんともないし!
なんて思ってたら、涙が勝手にボタボタ落ちてきた。
机の上が汚れていく。
ち、違う。
こんなの、悔しくも、なんとも無いから。
ほら、私は元気だし、元気だけが取りえだし。
涙を拭こうとした手が、ぶるぶると震えたけど、これは、水を飲み過ぎて、体が冷えたからなんだ。
だから、何でもないんだ。
ふと、クスクス笑ってる声がまた聞こえた。
次の授業の先生は、遅れているのかまだ来ない。
その空いた時間で、誰かが、何人かが私を見て笑っているんだ。
なんだよ。
なんで、みんな、笑ってるんだよ。
そんなにおかしいことあるんなら、私にも教えてよ。
ねぇ。
エリ、こっち見てないけど、背中見てれば分かるよ?
なんで、笑ってるの?
それを考えたら、もう、限界だった。
あーもう、知らねー!
なんも知らねー!
関係ねー!
私は目を閉じると、寝ることにした。
何も考えたくない。感じたくない。
無心に、ひたすら無心でいよう。
今から私は、例え美しい花を見たとしても心の動くことのない、無感動人間だ!
幸い、六時間目の授業は、教科書を読むだけが授業だと思ってる、あのおじいちゃん先生の授業である。
定年一歩前の田中先生。
生徒からの評判も、他の先生からの評判も良くない先生だけれど、今回ばかりは助かる。
ごめんね、田中先生。なんてちょっと謝りながら、私は机に突っ伏して、目を閉じた。
お経みたいな、ぼそぼそとした先生の声。
黒板にカツカツとチョークがぶつかる、力のない音。
私はひたすら時間が過ぎるのを待った。
待ち続けた。
でも、待とうと思えば思うほど、時間の流れはゆっくりで、私はまた挫けそうになっていた。
どうでも良いことばかりが、グルグルと頭の中を回っている。
これって、いじめだよな。
私、いじめられてるんだよな。
こんなに辛いとは思わなかった。
すごく、穂波ちゃんに会いたいや。
これがただの逃避なのはわかっているけど。
でも、やっぱり、穂波ちゃんといる時だけ、辛いとか、悲しいとかそう言うこと感じないですんでいた。
ただ、制服がないままでは帰れないし、こんな姿で会ったら、また穂波ちゃんに心配かけちゃうしで、なんとしても探さないとと思った。
もし隠されたのなら、場所は大体、想像つく。
誰が隠したかは知らないけど、体育の後だったら着替えなきゃいけないと思うし、どこかに隠しに行く時間は無かったはずだ。
多分だけど。
授業が終わり、おじいちゃん先生がさっさと教室を出て行くやいなや。
思いを決めた私は立ち上がり、教壇近くのゴミ箱を覗いていた。
こんなところにあれば、流石の田中先生も授業中に気づくだろうけれど、とりあえず。
と思って覗いたら、やっぱり無い。
それじゃあ次はと、今度は教室後方に設置してある掃除用具入れを開けてみたら、あった。
無造作に放り込んであって、クシャクシャだったけど、とりあえずは見つかった。
埃だとかは多少はついていたけれど、目だった汚れはないようで安心する。
私はホッと一息入れるとトイレに駆け込み、急いで制服に着替える。
で、席に戻ると、担任教師が来た。
特に話は無いようで、ホームルームはあっという間に終わってしまった。
エリは、さっさと歩いて教室を出て行く。
私はどうしよう、と思ったら、スマホにメッセージ通知が来た。
ぶるぶるぶるっと。
メッセージはアイリからで、スタジオ予約が今日取れたので練習しようって内容だった。
ちょっと時間は遅いけど、大丈夫かな? って。
私は大丈夫、なんて打ちながら、エリ、も来るんだろうなと、少し心配した。
そう思うと、やっぱり辛い。
強がってみたけど、今の状態はやっぱり辛いよ。
ちっとも、話が出来る気がしないし。
でも、なんとかして仲直りしないと。
私たち、まだバンドの仲間なんだから。
スタジオはいつもの『サウンドポケット』だ。
一階が楽器屋で、2階が練習スタジオになってる。
駅前にあるから、学校からもそんなに遠くない。
歩いて、十五分くらいかな。
家とは方角が違うけど、家からもそんなに遠くないし。
そして、いきなり練習と言っても、楽器が無い、なんてことはない。
私は担当がドラムスで、ドラムセットはスタジオに用意されているのだ。
常に鞄に入れてあるドラムスティックさえあれば、練習に参加できる。
そして、スティックはかさばらないので、常に私の通学カバンの中に在るのだ。
でも、皆は楽器を取りに、帰るのかな?
エレキギターも、ベースも重いし、持ち歩かないよね。
そんな中、家にも帰らずにスタジオに直行できる私は、まさにドラ息子ならぬ、ドラむすめである。
そんなことを思っていたら、お腹のポケットから不思議な道具を出す猫型ロボットの娘が頭に浮かんできて、ちょっとだけ笑った。
うん、元気出て来たぞ。
私は、音楽が好きなんだ。
お茶目なリードギターのアイリ。不機嫌な顔でクールに決める、ベースのミホ。
とびっきり可愛くて、飛んではねて歌う、ギターボーカルのエリ。
その後ろでドラムを叩くのが、私、大好きなんだ。
一時は練習のしすぎで、人指し指の皮が破けて血が出たりして痛かったけど、そのおかげか、今は皮膚が厚くなって、ドラムを叩くための指になってる。
まぁ、そんなことはどうでも良いや。
多分、きっと、一緒に練習してれば、また、仲直りできる。
音楽には、そう言うパワーがあるはずだ。
ただ、これからスタジオ練習かと思うと少しだけ小腹が空いてしまった。
元気が出たら、食欲がちょっと復活したみたい。
実際、ロックバンドはカロリー消費が激しいもんね。
エネルギー補給しとかないと。
幸い、待ち合わせまで時間もある。
そう思った私は、スタジオの近くにある駅前のハンバーガーショップへ向かうことにした。
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