第6話 ファーストキッスもまだなのに

 どこかで、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。

 でも、もちろん私はそれどころじゃなかった。


「ほ、穂波ちゃん? なんで、ここに?」

「なんとなく、心配で来ちゃいました」


 なんで私の家、知ってるんだろ。

 いや、でも、私の好きなお弁当のおかずを知っているくらいだ。

 家くらいは知ってたのかもしれないけど、でも……


 悩む私の顔を覗き込んで、穂波ちゃんが言ってくる。


「先輩、大丈夫ですか? 私、昨日、見ちゃったんです。先輩が米川神社の近くで、エリ先輩とケンカしてたの。その後、泣いてるみたいだったけど、なんて声をかけて良いのか分からなくて。ごめんなさい」


 あれ、見られてたんだ。

 だから、心配してくれてたんだって、そう思った。


 自分の好きな人が泣いてて、でも、上手く声をかけられなくて、穂波ちゃんも一晩中、苦しかったに違いない。


「穂波ちゃん、ありがとね」

「え?」


 私を心配してくれている人がいる。それがとても嬉しくて、私は言った。


「あの時来てくれても、逆に困ってたから良かったよ。一人で気持ちの整理つけたかったし。でも、もう大丈夫だよ。ほら、私は元気!」


 私はわざとらしく明るく笑うと、両腕で力こぶを作って見せた。


 うん。


 こうしてると、何だか本当にパワーが沸いてくる気がした。

 腕立て伏せも、今なら6回は出来る気がする。

 あ、でも昨日、チーズバーガー食べ損ねたからやっぱり無理かも。


 そんな私を見て、穂波ちゃんはにっこりと笑った。


「うん。先輩、頑張って。私、元気な先輩が好きです」


 穂波ちゃんは言ってから照れたみたいで、頭から湯気が出るくらい赤くなってうつむいてしまう。


 好きって、そんな、ストレートに。ぐぐぐ、ドキドキしてしまったじゃないか。


 なんて、ちょっと混乱してる。私もちょっと照れてるのかも。


 うう、いかん。

 このままではめくるめくガールズラブの世界に行ってしまう。


「ほ、穂波ちゃん、そろそろ学校に行こうか」

「はい!」


 私は穂波ちゃんと一緒に歩き出した。

 話が変な方向に行きそうな時は、前を向いて歩くに限る。


 ただ、正直、どんなに取り繕っても気分は沈んでた。


 でも、それを見抜いていたのか、歩いている間、穂波ちゃんはずっと色んな話を私にしてくれた。

 可愛い犬の話とか、美味しいご飯の話とか。


 穂波ちゃん、意外と美味しいラーメン屋さんのこととか知ってて、今度行きましょうなんてお誘いもあった。

 ラーメンくらいならガールズラブじゃないと思ったし、別に良いよね。


「でも、私、分からないんです」

「え? 何が?」

「昨日先輩が言ってた『ヨメニミコス大統領』って、どこの国の大統領なんでしょうか?」

「あ、うん。えっと、それはね、どこだっけ。えっと、ほら、南米か、ヨーロッパのどっかだったかも。アジアの可能性もあるし、いや、もしかすると中東だったかも。アフリカ大陸だった気もする」


 ごめん。知らんわ、そんな人。


 と、まぁ、穂波ちゃんのおかげでずいぶん気分が楽になった。

 これなら頑張れると、私は昇降口で穂波ちゃんとバイバイする。


 意気揚々と上履きを履き、教室に向かった。

 が、前に進むたびに、段々と気分は暗くなって来る。


 エリと会うのが、こわい。

 ちゃんと謝れるだろうか。

 また、仲良く出来るだろうか。


 うう、くそ! こんなんじゃだめだ!

 なんとかなるなる! 頑張れ私! 負けるな私!

 よし、ここはひとつ、挨拶でもぶちかましますか!


「おっはよー! ……ございます」


 尻すぼみに言葉が小さくなった。

 教室に入って感じたのは、周囲からの冷たい視線。

 エリなんかは、まるっきり私を無視してる。

 みんなはすぐに私から目を逸らし、決して顔を合わせようとしない。

 すごく、気分が重い。

 私が席まで歩いてる間、みんなヒソヒソ、何かを話してる。


「エリ。あの、昨日のことなんだけど」


 私の前の席のエリは、私の声に気づいた様子も見せないで、スマホをいじっていた。


 だめだ、こんなんじゃ。

 私、ちゃんと、エリに誤解だって伝えないと。


 と、私が深呼吸して、勇気を振り絞ったその瞬間、同じクラスの竹沢さんがエリに話しかけていた。


「エリ、私の席の近くにおいでよ。みんないるし」

「そうだね、後ろに、うるさい虫がいるみたいだし」

「話しかけてくる前に、行こう」


 虫?

 って、私が聞き耳を立てた瞬間、話が終わる。

 竹沢さんがこっちを見てた。

 酷く軽蔑した眼差しで。


「高田さん。あんたが何やってたか、全部、聞いたからね」


 竹沢さんは私にそう言うと、エリと他のクラスメイトのところに走っていった。

 エリが。冷たい目で、こっちを振り返って、それから少しだけ笑った。

 私は、なんとか笑顔を作って返したが、エリはまるっきり無視して歩いていってしまう。


「何、これ」


 口に出した。

 そして、何が起きているのかを一瞬で理解した。

 エリだ。

 エリが、誤解したまま、私のひどい噂を流してるんだ。


 噂はすでに広まりきっていたみたいだった。

 多分、昨日のうちにスマホで、メッセージでやり取りでもしてたんだと思う。


 竹沢さんのグループが、みんなこっちを見てた。

 私のメッセージは、もう、誰に送っても届かないんじゃないかと思う。

 それくらい噂の内容は最悪だった。

 二時間目の授業が終わってちょっと長めの休み時間。


 クラスの、ちょい不良な男子たちが話をしているのを、こっそり聞いた。

 私が、エリの気持ちを知っていたのに、荒井を誘惑して奪ったとか、そんな話だった。


 しかも、付き合うとかそんな気はなくて、ただの遊びだったと。

 隠れてしまくってたと。

 で、昨日、純情だった荒井が本気になり過ぎたのをウザく感じて、米川神社の上から突き落としたとか。


 バカじゃないのと何度も思った。

 私と荒井が犬猿の仲だったの、皆知ってるじゃん。

 って言うか私みたいなブスがいくら誘惑したって、笑われて終わりじゃん。

 なんて思ってたら、昨日の荒井の台詞が頭に甦って来た。


『お前さ、自分じゃ自分に自信が無いみたいなこと言ってるけど、そうとう可愛いよ』


 いや。ないだろ、そんなの。荒井は趣味が悪すぎる。

 と思ってたら話が「俺も頼んだらヤらしてくれっかな」から「やめとけ、お前も石段から落とされるぞ」のやり取りになって、腹が立ったので聞くのをやめた。


 クソヤロウどもめ! お前らなんて、こっちから願い下げじゃい!


 って言うか、ファースキッスもまだなのに、なんでこんなことに。

 私は沈痛な面持ちで授業を受けた。

 エリは、ほぼほぼ無関心な様子で私を無視し続けている。


 何度も話しかけたくて、でも、そのたびにエリは私から遠くに行ってしまった。

 竹沢さんのグループも、エリを守るみたいにして囲んでいる。


 辛かった。

 お昼休みになったけど、私の周りには誰もいない。

 いつもいるエリは竹沢さん達と教室を出て行ってしまった。


 どれだけ話したくても、それすらも許してもらえない。

 私は、なんだか酷く虚しくなって席を立った。

 寂しくて、悲しくて、もう、何も考えたくない。

 教室にいると、下品な男子の目とか、軽蔑する女子の視線が痛くて、とても座ったままじゃいられない。


 っと、そんな時、穂波ちゃんが教室の外で、私を待っていた。


「先輩。今日もお弁当作ってきちゃいました。もし、良かったら、一緒に食べましょ?」


 穂波ちゃんは可愛いな、なんて改めて思った。

 純真で、優しくて。

 この子に比べたら、私なんかちっとも可愛くないじゃん。

 実際に私なんかが誘惑したって、男子たちはゲラゲラ笑うに決まってる。


 で、こう言う子に誘惑されたら、つい、手を出してしまうんだろうな。男共は。

 ちょっと幼い感じだけど、お尻とかぷっくりしてて、かわいいし。


「どうしたんですか? 先輩?」

「う、ううん、なんでもないよ。お弁当、ありがとう穂波ちゃん」


 本当にどうしたんだろう、私は。

 悲しくて寂しくて、それなのになんだかどうでも良くて、穂波ちゃんの体とか、変なことばっかり考えてる。


 ☆


 で、昨日と同じ場所。

 穂波ちゃんのお弁当は今日も美味しかった。

 とっても。とっても、美味しかった。


 ジューシーな鶏のから揚げに、ミニトマトのサラダ。

 ふりかけのかかったご飯に、ベーコンが入ったマッシュポテト。


 食欲の無いのを予想してくれたのか、昨日よりも量は控えめだった。

 私の嫌いな食材は一切使われてない。

 ピーマンとか、レンコンとか、今後も出ないでくれるとありがたい。


「美味しいですか?」

「うん」


 ろくなコメントも出ないくらい、美味い。

 噛めばあふれ出る、鳥の旨味。

 滑らかなポテト。


 モグモグが止まらないぜ。

 英語で言うと、アイ、ドント、ストップ、モグモグ。

 キャン、ノット、ストップ、モグモグ。


「一生懸命食べてる先輩、可愛いです」


 うぐっ!

 聞いた瞬間、見られながら食べるのが、すっごい恥ずかしくなってきた。


 でも、この安心感は何だろう。

 穂波ちゃんといると、すごく安心する。

 なんだか、教室の噂とか、全部どうでもよくなってくる。


 ああ、穂波ちゃん。可愛いよなぁ。

 髪の毛とか、柔らかそうで。触り心地とか良さそう。

 ほっぺも、すべすべしてそうだし、柔らかいんだろうなぁ。


「先輩」


 いつの間にか穂波ちゃんをボーっとと見つめてしまっていたみたいで、穂波ちゃんが火照った顔で私の目を見ていた。


「考え事、してるんですね。でも、無理しないで。私、先輩が辛いの、分かりますから」


 いや、特に辛くもないし、何も考えてないよっと、言おうと思ったけど、嘘だった。


「あ」


 私の右目から、涙が一滴だけ流れている。

 思い出すと、耐えられない。


 うん。

 今、分かった。

 私、逃避してるんだ。


 辛いこと、ぜんぶ投げ出して、穂波ちゃんに逃げ込もうとしてる。


「ご、ごめんね、穂波ちゃん! 私は、ほら、元気だよ!」


 慌てて涙をぬぐって、笑って見せる。

 でも、穂波ちゃんは私の涙の跡に指で触れて、そのまま私の顔を覗き込んで来た。


「先輩。私」


 大きな目が、私を見ている。

 穂波ちゃん、まつげが長いな。

 穂波ちゃん。

 っと、予鈴が鳴った。


 昼休み、終わりの合図だ。


 ビクッと我に返った私は、思った以上に近づいていた穂波ちゃんの顔に驚いて、慌てて立ち上がる。


「わ、わわ! そうだ! ごめん! 次、体育だった! 穂波ちゃん、ありがとね! ごちそうさま! じゃあ、急ぐからもう行くね!」


 私は、逃げるように階段を駆け下りた。


 危なかった。

 って言うか、私、穂波ちゃんの魅力にやられて来てる。


 穂波ちゃんが、私の弱いところとか、好きなところとか突いてくるんだ。

 献身的過ぎて、なんだかぐらついてる。


 でも、どんなに今が辛くても、穂波ちゃんは女の子。

 私も女の子なんだ。


 好きとか言われても、このまま流されちゃだめだ。

 辛いことから逃げないで、ちゃんとしないと。

 しっかりしないと。


 よし! 深呼吸!

 次は体育だ。頑張ろう!


 だけど、どれだけ頑張ろうと思っても、午後の授業で私はさらに傷つくことになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る