第3章 私と貴女とファーストキッス

第5話 なんで私の家の前?

 救急車を呼んでからが大変だった。

 荒井はなんとか意識を取り戻したようで、でも、意識を取り戻して何をしたかと言うと、私のスカートを掴みやがった。


 左手はどう見ても折れているので、右手。

 何かに触れていたくて、何かを探していて、必死に掴んだのが私のスカートだったのだろうか。


 スカートは、ずるりと落ちた。


「や、やめろ、バカ! 離せ!」

「高田。ごめんな、俺」

「いいから、喋るな、バカ。救急車呼んだから!」

「踏み外した感覚とか、全然無くて、誰かに足を引っ掛けられたみたいな気がして。多分、罰が当たったんだよ。米川神社の主に。俺、悪かったよ」

「わかったから。わかったから」


 私は、震えている荒井の手を掴んだ。

 じっとりと汗で濡れていて、少しだけ冷たい。

 そうしていると野次馬が集まってきて、人だかりの中から、誰かが飛び出してくる。


 エリだった。


「あ、荒井! な、なによこれ? き、キー子? どうしたの、これ?」

「荒井、石段から落ちたみたいで」

「……キー子、なんでスカート、脱げてるの?」

「え? あ、これは、神社で荒井が脱がしてきて、それで」


 言い方を考える余裕なんか無かった。

 でも、もう少し考えればよかったと気づいたのは、すぐだった。


「荒井に、脱がされた? キー子、神社で、荒井と何してたの? 何で、荒井は石段から落ちたの?」


 そう聞いてくるエリの顔はすごく険しい表情だった。


「そ、それは。あのね、違うんだよ、エリ。荒井が、私に無理やり迫って来て、キスとか、でも、その後、私が頭突きして、そしたら」


 私は出てこない言葉を必死に探していた。

 と言うか、何を言えば良いのか。

 エリは荒井の事が好きで、なのに荒井は私のことが好きとか言って……


 ただでさえ、エリは傷ついてるのに、なんて言えば良いのか。

 頭がごちゃごちゃしていて、混乱してる。

 と、言葉を話せない私の顔を見て、エリが言った。


「迫って来てって。キス、したの? なんなの、キー子。まさか、荒井と」


 エリが泣きそうな顔になり、それから私の肩を掴む。


「キー子、私の気持ち、知ってるよね? ねぇ? 私達、友達だったじゃん。なんで? どうして? 何で、こんな、酷いことするの?」


 私は、エリが何を言っているのか、何となくわかった。

 自分は、迫られて、スカートを脱がされたと言ってしまったのだ。

 スカートを脱ぐようなことを二人きりになれる場所でしたと思われてしまっている。


 酷く暑くて、私のシャツが汗で透けていて。

 私の全身がびしょ濡れになって、顔が真っ赤になっているのが、自分でもわかった。


「ち、違うの、エリ」


 だけど、私はそれだけを言うので精一杯で。

 エリの誤解に火を注ぐことになった。


「何が違うの? ねぇ、何が違うって言うのよ」


 エリは掴んでいた私の肩を離すと、力無くうな垂れた。


「もう良い。もう良いよ。そう言う奴だったんだよね、あんたは。もう、あんたの顔なんて見たくもないよ」


 エリはそう言うとくるりと後ろを向いて、とぼとぼと歩き出した。


「ま、待って、エリ」

「うるさい、話しかけるな!」


 エリの拒絶の声に、私は身をすくませる。


 なんで、こうなっちゃったんだろう。

 大好きだった友達で、バンドの仲間で、私の大切な存在だったのに。

 そんな大好きな人に、顔も見たくないって言われるのは、すごいショックだ。


 ふと、気づく。

 荒井も、こんな感じだったのかな。

 だから、それで、頭が一杯になってて階段から落ちちゃったのかな。

 だったら、荒井が怪我したの、私のせいだ。


「エ、エリ。ごめん。ごめんなさい」


 私は泣きながら言った。

 もう、体裁を取り付くろうだとか、そこが普通の道で、まだ野次馬が一杯いようがどうでもよかった。


 ただただ、エリに嫌われたくなかった。

 私はエリの名前を呼んで、声を上げて泣いた。


 と、その瞬間、エリが振り返り、こちらに戻ってきた。

 戻って来てくれたと喜んだのもつかの間。

 エリは、私の襟をつかんで、私に詰め寄ってきた。


「頭突きって、言ったよね? あんた、荒井を階段から落としたの? 何やってんのよ! 荒井、お母さんが難しい病気で入院してて、毎日、朝早くから夜中までバイトで頑張ってるのに、あんな酷い怪我じゃ働けないじゃん! どうすんのよ! ねぇ!」


 エリも泣いていた。

 私も泣いているけど、私と違うことは、エリは私に対して憎しみみたいな怖い感情を持って泣いていると言う事だろう。


「ち、違うの、エリ。お願い、話を聞いて」

「うるさいって言ってんの。もう二度と話しかけるな! あんたのこと、絶対に許さないからね!」


 そうしてエリは再び離れて行ってしまい、私はそこでしばらく泣き崩れていた。


 救急車は荒井を運び、野次馬も遠ざかり、でも、夜はすぐにやってきて。

 あたりはすぐに暗くなった。

 それからどのくらいそうしていたのか。

 私は、未だ止まらない涙のまま家へ歩いた。


 夜の風は夏の暑さを残したまま吹いているのに、一足速い秋の虫がリンリン鳴いていて。

 私は汗なのか涙なのか、鼻水なのかわからないくらいぐちゃぐちゃの顔で、ひたすら歩いていた。


 スマホの着信通知が胸元でバイブレーションして、私はポケットから携帯電話を取り出す。


 エリからかと思った。

 酷いこと言ってごめんね、って、言って欲しかった。

 そんなメッセージが来たのかと、期待してしまっていた。


 だけど、差出人は弟で、帰りが遅いので連絡したみたいだった。


 お母さんとお父さんが夜デートに出かけてて、ご飯がないみたいだ。

 チーズバーガー買って来たから早く帰って来い。


 そんな内容だった。

 でも、お腹が全然空いてない。

 とてもじゃないけど、食欲が無い。


 家に帰ると、弟がハンバーガーショップのロゴが入った紙袋を持って居間にいた。


「やっと帰って来たな。捨てちまうところだったぜ」


 弟はそう言うと袋をひらりと振って見せた。


「ん? 姉ちゃん、目、腫れてるぞ? なんかあったの?」

「う、うん。ごめんね、ちょっと食欲無いから、今日は良いや」


 私はそれだけを言うと、二階の自分の部屋に向かった。


「マジかよ。あのハンバーガー大好きモンスターが」


 弟の驚愕の声が聞こえたけど、今はしょうがない。


 ゆっくり眠らせてくれ。

 私は制服を脱ぎ捨てると、下着姿のまま部屋の電気を消し、ベットに倒れこんだ。


 そして、倒れこんでから、スマホの充電だけはしないとと思い出し、制服のポケットから端末を取り出す。


 そのまま数秒、スマホを見つめて、私はメッセージアプリを起動した。

 ……何をしても、今はダメだとは思う、けど。

 だけど、それをせずにいられなかった。


 私はそれから30分近くかけて、今日あった事を全て細かいことを交えて文章を打ち込んだ。

 あて先はエリで、送信ボタンを押す。


 誤解だとエリに伝えたかった。

 しかし、メッセージの送信が完了してからほんの数秒後、私のスマホには「このユーザーにはメッセージを送ることが出来ません」と言う内容が書かれていて、私が送った文章がエリに届くことは無いのだと言う、残酷なことを告げていただけだった。


 耐えられなくなった私はお風呂場に直行し、シャワーを浴びた。

 汗で、気持ち悪かった。

 これで少しは気分が晴れるだろうかと。

 全部、水と一緒に流れて行ってしまえば良いと。


 浴びている最中も、頭の中はやっぱりエリのことでいっぱいで、どうしようもなく悲しかった。


 とことん嫌われてしまったと思った。

 もう、学校に行きたくないなとすら思った。

 このまま、永遠に温かいお湯に触れていたいとすら思った。


 それでも、私はお風呂場を出る。

 いつまでも、こうしているわけにもいかないのだ。


 せめて気分を紛らわせようと、下着のタンスからお気に入りのパンツを探す。


「あれ?」


 無かった。

 何日か前、お母さんと洗濯物を取り込んだ時に、確かにタンスにしまったはずなのに。


 でも、まぁ、良いや。

 私は、別の下着を身に着けて、再び自室のベッドに倒れ込む。


「明日、ちゃんと、話せれば。エリ」


 消えるような呟きは、ゆっくりと、部屋の静寂の中に飲み込まれて行った。



 起きたのは、朝の六時前だった。


 目が冴えていて、全然休めた気がしない。

 一晩明けても、気を緩ませると、涙が浮かんでくる。


 私は気を紛らわそうと、着替えて家を出た。

 六時前とは言っても、外は明るい。


 小鳥がチュンチュン鳴いている。

 と、ばったり、ジョギング中の涼子さんと出会った。


「あら、おはよう。今日は早いのね」

「おはようございます」と、私。


「どうしたの? 元気ないね」

「うん。友達と、ちょっと」


 涼子さんは口元に手をやって、それから言った。


「男の子関係でケンカでもしたのかな」

「なんで、分かるんですか?」


 涼子さんは、するどい。

 たまに、私がどうしようもなく悩んでいたりすると、今みたいに当てて来る。

 そんな時、涼子さんは決まってこう言うのだ。


「なんでって、私も一度は通った道だからねぇ」


 今日もまた、涼子さんはふふふっと笑う。

 そんな姿も様になっていて、ちょっとカッコいい。


「良い? キー子ちゃん。男の子だとか、そんなことで離れていってしまう人よりも、貴女のことを一番気にかけてる人を大切にしてあげて。私とかもさ。いつも元気なキー子ちゃんがそんなんだから心配してるよ。悩みとか、いつでも相談して良いからね」


 私は涼子さんのハスキーな声を聞きながら、涼子さんの顔を流れるキラキラとした汗を見ていた。

 粒になり、地面に落ちる、一粒の光。


 なんていうかすごい綺麗で、見とれてしまう。


「あ、もう、こんな時間だね。キー子ちゃんも学校行かないといけないもんね。会えて良かったよ。あ、これ、私の名刺だけど書いてある電話番号、私の携帯のだから、いつでも相談してね」


 涼子さんが名刺を差し出す。

 ジョギング姿に名刺って、酷く似合わない気もしたけど、って言うかジョギングするのになんで持ってるのか分からないけれど、とにかく、今の自分にはありがたい。


 私が名刺を受け取ると、涼子さんの束ねている髪が踊った。


「がんばってね、キー子ちゃん」

「はい。がんばります」


 私はそれだけを言うと、もと来た方に向かって歩き出した。


 そうして家に着いたものの、時間はまだ、普段起きる時間よりも少しだけ早い。

 私は玄関をくぐると、自分の部屋に向かった。


 頑張ろうと、そう思った。

 頑張ろうなんて、気持ちを切り替えてみたものの、やっぱり学校に行くのは怖かったけれど。

 私のことを嫌ってしまったエリと顔を合わせるのが、たまらなく辛いけれど。


 でも、とにかくがんばらないと。

 悩むなんて、私らしくないし。


 私は制服に着替え、鞄を持って、玄関を出た。

 時間はまだ、七時を過ぎたばかり。


 歩いても余裕で間に合う時間だ。

 朝ごはんも、少し吐きそうになったけど頑張って食べれたし。

 うん、大丈夫。まだまだ頑張れるぞ!


 と、そんなことを玄関先で思っていたその瞬間。


「先輩、おはようございます!」

「え?」と顔を上げた視線の先に、なんと穂波ちゃんがいた。

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