第3話 荒井は絶対、許さない

「ほ、ほわわわわわ!」


 めちゃくちゃびっくりした。


 私は半歩引いた後、何があってもとっさに動けるように体の力を抜いて、足をやや内またに――猫足立ちの構え。


「だ、大丈夫ですか? 先輩」

「は、はい。私は元気ですが」

「?」


 ピンチに次ぐ、ピンチ。

 まったく、油断も隙も無い。


 と、穂波ちゃんはクスクスと笑うと私に言った。


「ごめんなさい、いきなり声をかけて。あの、学食から出るところだったみたいですけど、先輩はお昼ご飯、食べないんですか?」


 なんと言うことだ。

 よりにもよって、こんなタイミングで会うなんて。


 今、この子と会うのはいろんな意味でピンチ。

 ただでさえ財布は無いし、手紙の返事も考えてない。


 うん。


 実を言うと、どうやって傷つけないように断ろうかと、昨日はずっとそればっかり考えていたんだ。

 やっぱり、女の子同士の恋愛って、私には無いかなって。


 って言うか、そもそも私は今、空腹なのだ。

 何も考えられないのだ。


「い、いつも一緒に食べてる友達がいないみたいでさ。独りぼっちで食べるのも悲しい話だし、今日は食べなくても良いかなー、なんて」


 つい、嘘をついてしまった。

 財布を忘れて学食に来ただなんて、知られるのはさすがに恥ずかしいもん。


 でも、この嘘で切り抜けられるはずだ。

 私は一刻も早く財布を取りに戻って、かつ丼の食券を買わなければならないのだ。

 このままでは私の体の中からカロリーがなくなって、ガリガリにやせてスマートボディを手に入れることしか出来ない。


 でも、穂波ちゃんはにっこり笑って言ってきた。


「だったら、もし良かったらなんですけど。私と、お昼ご飯食べてくれませんか? 実は、私も一人で。独りぼっちでご飯、食べたくないんです」


 そ、そう来たか。

 うーむ、どうしよう。

 この展開は非常に良くない気がする。


 一緒に食べるにしても、食券が買えないし、断るしかない。


 ごめんね、穂波ちゃん。

 財布がないから、これは仕方がないことなんだ。

 だから、決して拒絶したくて断るわけじゃないんだ。


「穂波ちゃん。今回は」

「だめですか?」


 穂波ちゃんは目に涙を一杯に貯めて、上目づかいで見てきた。

 なんだ、この可愛い生き物は。

 そんな風にお願いされたら、良いよって言ってあげるしかないじゃないか。


「ウ、ウン、ジャア、イッショニタベヨウカ」


 言っちまった!

 自分の声が自分の声じゃないみたいに聞こえた!

 くそー! 非常に取り返しのつかないことをしている気がするぜ!

 って言うか、財布、どうしよう。


「ほんとですか? 嬉しい!」


 私の不安をよそに、穂波ちゃんの顔色はパッと輝いた。

 表情がコロコロ変わって可愛いなぁ。


 あっ! いや! なんと言うか子犬とか子猫とかを見る感じね。誤解の無いように言っておくけど。


「先輩。私、お弁当作ってきたんです」


 ん?


「先輩の好きなチーズハンバーグとか、たこさんウインナーとか、甘いたまご焼きとか」


 んんん?

 お弁当作ってきたって?

 って言うか、私の好みを把握してるって、すごいな穂波ちゃん!

 そんなお弁当、早く食べたいよ!


「じゃあ、ついてきてください。ゆっくりご飯が食べれるところ、知ってるんです」

「任しときぃ!」


 ☆


 そんなわけで、チーズハンバーグに目がない私は穂波ちゃんに誘われるがまま、ホイホイ屋上の入り口までついて行っちゃったのだ。


 屋上は施錠されいて外に出ることは出来ないけれど、その入り口がある階段の踊り場は、まさに穴場だった。


 ひと気が無い静かな場所で、お昼ご飯を食べるのに十分なスペースがある。

 階段の下、遠くに誰かのふざけて笑う声が聞こえたけど、それでも誰も来そうも無い。


「はい、先輩のお弁当です」


 ちょこんと座った穂波ちゃんがお弁当の包みを取り出し、私はそれを受け取った。

 ずっしりとした重さが、私の手の中に在る。


 穂波ちゃんは、と見ると、自分用の小さいお弁当箱を持っていたようだ。

 なるほど。

 渡されたこれは、確かに食いしん坊である私のためのお弁当のようだ。


「開けても良い?」

「どうぞ」


 包みを広げ、お弁当箱の蓋を開けた。

 すると。


「こ、これは」


 素晴らしい光景だった。


 先ほど伝えられた、チーズのかかったハンバーグ、タコさんのウインナー、たまご焼き。そして、何よりも!


「先輩、大好きですよね? ポテトサラダ」


 ふふっと笑った穂波ちゃんのその声で、顔を上げた。

 お茶目な笑いとは裏腹に、穂波ちゃんは照れているような、不安そうな、絶妙な表情をしていた。


「だ、大好きですよ」


 思わず敬語を使ってしまう。

 穂波ちゃんは「良かったー」なんて言いながらにこやかに笑う。

 ぬうう、なんと言うことだ。

 私の大好きなおかずばっかりじゃないか。


 私はあふれ出るよだれを堪えながら、箸でチーズハンバーグを食べやすい形にカットし、口に運んだ。


「て、手作り、だと?」


 本当になんと言うことか!

 この味、この食感!

 肉は、憎らしい程に荒く挽いてあるひき肉!

 かかっているチーズは固まっていた物の、その舌触りのツルツルとした舌触りと言ったら、もう!


 スーパーの総菜売り場や冷凍食品売り場で売っているものとはまるで違う。

 違いすぎる!


「お、美味しいですか? 頑張って作ったんですけど。その、私、ハンバーグって作るのはじめてで」

「美味しいです! シェフ!」


 私の雄たけびのような『シェフ!』の叫びに一瞬だけ体を強張らせた穂波ちゃんだったが、すぐに緊張を解き、それから「良かった」と眩しい笑顔を見せていた。


 しかし、私は食べるのが夢中でそれどころじゃない。


 たまご焼きは出汁の旨味が生きていて、しかもとろみの残った半熟。

 タコさんのウインナーは焼き加減が絶妙で、柔らかすぎず固すぎないタコさんの表面が舌に触れた瞬間、もうダメだった。

 その切れやかな触手が与えたもう鋭敏な質感に、私はもうノックアウト寸前なのです。


 白米も隙間のないほど箱にたっぷりと敷き詰められていたが、食いしん坊な私にはちょうど良い。


 ポテトサラダなんて言うまでも無く、素晴らしかった。


 私ほどの人間になれば、食べる前に、はしで触れたその瞬間に分かる。

 その滑らかな舌触りを。


 そして、口に入れれば広がり続ける、上品な味の世界。

 そして、後から来た旨味のノッた圧倒的ポテト感に、私の脳内に住まうポテトの大好きな民衆達が立ち上がり、拍手喝さいで大いに盛り上がっていた。


 パーフェクト!


「ごちそうさまでした」


 私は一気に食べてしまっていた。

 欲望のまま、その美しさを貪り、食べ尽くしていたのだ。


「素晴らしかった! 本当に美味しかったよ! 穂波ちゃん! 是非、私の嫁」


 になって欲しいと、いつもエリに言うみたいな冗談を言いかけて、ハッとした。

 この子にそのワードはやばい。シャレにならない。

 もう、ここで止めてもヤバい気がするし、シャレにならない。


「よめッ……そう、かの有名なヨメニミコス大統領がジャマイカ共和国に行った時の話なんですがッ!」

「よ、め? え? ジャマイカ共和国ですか? 大統領? え?」


 なんとかごまかす。

 若干、ごまかし切れてない気がするが、多分、気のせいだ。

 ふー、危ない。

 ヨメニミコス大統領って何だよ。って言うか誰だよ。どこの国の大統領だよ。


 って言うか、今更、気づいた。

 ひと気がない場所で、ラブレターをくれた女の子とふたりきり。


「先輩、あの」

「じゃ、じゃあ、そう言うことで! どうもありがとね! ごちそうさま!」


 私はお弁当箱を渡して、その場を逃げるように後にした。


 ☆


 息を切らせて、教室。


「あー、あぶなかったー」


 私はとことん疲れた体を静かにするべく、息を吸い込んだ。

 まぁ、私ともなればこの程度の危機はどうってことないけどね。


 自分の席、机の横にかけてあるカバンをまさぐり、お気に入りの財布を確認する。


「ちくしょう。やっぱりここにあったわ。私の財布」


 そのがま口は、静かに私を待っていた。

 今時がま口の財布なんて、ってエリには良く馬鹿にされるけど、ポケットに入りやすいし、好きなデザインなんだよなぁ。

 ごめんね、がま口。独りぼっちにして。


 と、その時、前の席に座るエリの背中に気付いた。


「へいへーい! エリ、どうだった? 荒井の反応は!」


 エリは、何も答えなかった。


「どうしたの? エリ?」


 エリは静かに首を振ると、机にうずくまった。


 どうしたのだろうか。

 さっきは、あんなにウキウキしてたのに。

 何か、ショックな事でもあったのでは?


 まさか。

 荒井の奴がエリに何かしたのでは?

 思ったが、荒井は予鈴が鳴っても姿を現さず、さらに言うと本鈴が鳴るギリギリになってから教室に入ってきた。

 いったい、何があったんだ?


 今のエリは、明らかに普通じゃない。

 本当にどうしてしまったのだろう。

 と言うか、エリ。今日の練習、大丈夫なのかな。

 私とエリは他の友達とロックバンドを組んでいて、今日は練習日なのだ。


 とは言え、今日がダメならキャンセル料を払って、スタジオを予約し直せば良いだけなので、そんなことはどうでも良い。

 私は、とにかくエリのことが心配なのだ。


 そればかりを思っていたら、すぐに授業が終わった。


「あ、エリ!」


 声をかけようとしたけれど、エリはさっさと教室を出て行ってしまう。

 追いかけようとしたその瞬間、他のメンバーからメッセージの通知があった。


『やっほー。アイリだよ。エリ、今日の練習出れないってさ。今日、やめよっか。ボーカルがいないんじゃ、私も気分乗らないし』


 リードギターのアイリだ。

 エリはギターボーカルなので、エリがいないと練習が味気なくなるのは同意である。


『了解』っと私は短くメッセージを返した。


 だが、どうしてエリは私に直接言わないのだろうか。

 だって、私はすぐ後ろの席なんだぜ?

 どうしちまったんだよ、エリ。

 と、顔を上げた瞬間、荒井と目が合った。


「おい、荒井!」


 語気が荒くなってしまったが、仕方が無い。

 荒井は、どこか気まずそうに私を見ていたのだ。

 確信した。

 こいつがエリに何かをしたに違いない。

 それも、普通じゃいられなくなるほどショックを受けるような、とんでもないことを。


 私の友達に何をしたんだ、こいつ!

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