第2章 私と一生懸命な貴女

第2話 ピンチを救ってくれるのは、あの子?

 翌日。


 リンリンうるさい目覚まし時計が鳴って。

 布団を跳ね飛ばし、背を伸ばす。


 カーテンの隙間から眩しい金色の光。

 隣にある壁。弟の部屋に向けて、大声。


「うおーい! 起きろー! 正志ー!」


 いびきが止んだのを確認して、私は制服に着替える。

 パジャマをたたんで、ベッドへ置く。

 いつもと変わらない朝。

 階下に降りて、お母さんの作った朝ごはんを食べる。


「おはよう、公子」

「おはよう! 今日の朝ご飯は……」


 やったー! ベーコンエッグだ。


 ベーコンエッグには何もかけない派の私。

 だって、ベーコンには油の旨味と塩分がある。

 ベーコンの美味しい、良い部分が、とろーりまったりな半熟の黄身に絡まって、至高の世界へ。うへ、うへへへ。


 とと、いかんいかん。


 食べ終わった私は、ギリギリまで新聞を読むお父さん、ギリギリまでテレビを見てる弟を残して家を出る。


 弟は一つ下の学年で同じ高校だけど、一緒には登校しない。

 だって、なんだか恥ずかしいもん。


「あ、おはようございまーす!」


 私は道ですれ違う涼子さんに挨拶をした。


「おはよう、キー子ちゃん。今日も元気だね」

「へへ、それだけが私のとりえですから」


 私は笑顔でその場を離れる。

 涼子さんと言うのは、近所に住むOLのお姉さん。


 なんと言うかカッコいいロングヘアーの美人で、私の憧れでもある。

 スーツもバッチシ決まってて、今日もかっこいいなぁ。

 でもでも、だからと言って、女の子を好きになる感覚って、私にはわからない。

 わからない、と思うんだけど……


 昨日のことを思い出すと、なんだか不安になってくる。


 夕月穂波ちゃん。

 大きな目、小さい身体、ひかえめな胸。


 手紙を渡してきた時に、少しだけ指と指が触れて、それからあの子の長い髪の毛が揺れて。


「良い匂い、してたよなぁ」


 目の前のサラリーマンさんがギョッとした目でこっちを見た。

 私は何を口走っているのだろう。

 気づかないうちに気持ち悪い感じで笑ってたし、これはいかん。

 これじゃ変態さんみたいだ。


 私は正常である。

 好きな人とかはまだいないけれど。

 チーズバーガーとポテトの大好きな、どこにでもいる平凡な女の子です。


 うん。


 そうなんだよなぁ。

 こんな平凡な私の、どこが良いのだろう。


 穂波ちゃん。

 正直言って、美少女だと思う。

 なんとなく『守ってあげたい!』なんて思わせるような。


 声もすっごく綺麗だった。

 肌も白いし、多分、どこにも染みとか無いんだろうな。


 それに引き換え、私はあんまり可愛くない。

 ギリギリ目が二重? それくらいしか見るところない。

 顔にニキビだってあるし、お尻はでっかいし、胸もあんまりないし。


 足も太い。


 ……いかん、死にたくなってきた。


 元気元気!

 私は元気だけがとりえなのです。

 悲しくなることなんて考えない。


 楽しいこととハンバーガーのことだけ考えて生きている私です!

 まぁ、弟には「バカ丸出し」なんて言われるけどね。


 ☆


 学校に着くと、相変わらずな荒井(昨日、私に『呼び出しだぞー』とか、言って来た男子ね)は来てないし、友達のエリ(それを茶化してきた女子ね)はスマホをいじっている。


 荒井はまた遅刻だろうな。

 なんて思ってたら、荒井はやっぱり遅刻で怒られてた。


 あいつ、また生活指導の先生に呼び出しくらうんじゃないか?

 まぁ、どうでも良いけど。


 で、そんな感じで朝のショートホームルームが終わり、阿鼻叫喚の逆巻く夏休みの宿題の提出ラッシュが始まった。


 私はもちろん全て終わっている。

 実を言うと、8月の中ごろには全て終わっていた。

 ああ、なんて要領の良い私。


 なんて思いながら、宿題を忘れた荒井がほぼ全ての授業で怒られてるのを見てる。

 エリは荒井のことが好きみたいだけど、正直言ってどこが良いのかサッパリわからない。


 エリは成績優秀な優等生で、砕けた性格も相まってすごい親しみやすい。

 一緒にバンドを組んでるから知ってるけど、歌もうまいし人気者だ。


 荒井は、なんと言うか毎日ふざけすぎ。

 子供っぽいし、私よりもずっとバカ丸出しよね。


 後、『ハンバーガーなんかよりフライドチキンの方が美味しいし、栄養面でも優れてる。ハンバーガーなんて時代遅れで、フライドチキンのご馳走感には手も足も出ないぜ!』なんて難癖つけてきたから嫌いだ。


 ほんとかよ、フライドチキン。

 お前だって、手も足も生えてないだろ、フライドチキン。


 それと、どうしても許せないのは私の好きなチョコレートのお菓子、「きのこの森」を散々貶めて、「たけのこの村」の方が絶対に旨いと言いおった。


『きのこなんかはそのまま食べても旨くないし、ビスケットとチョコの部分を分離させてから別々に食べる』だと?


 まったく、あの野郎はわかってない。

 しっかりとあの形で口に入れないと、何にも意味がないだろうが。


 あのビスケットのツルツルした舌触りと、表面のパリッとした食感。小麦の素朴な味わいがチョコレートの滑らかな甘さとコンビネーションを織り成す、あの芸術的な美味しさがわからないあいつは、言うなればもう、私の敵である。


 荒井は敵! 倒すべき、敵!


 なんて、ひたすら恨みを念じながら授業を受けていたら、お昼になった。


 私のお腹はぺこぺこのペコちゃんである。

 そうなれば、今日は学食のカツ丼に決めた。

 今の私にあのガツン系カロリーの破壊力は実に相応しい。


 よし行こう、今すぐ行こう。


「エリ、学食行こうドン! ドンドン食べるドン!」


 私は授業終了のチャイムと同時に席を発ち、前の席のエリの背中を、まるで太鼓を叩くがごとくトントンと叩きながら言った。


「あ、ごめん、今日お弁当なの」

「え?」


 じゃあ、お弁当持って学食行こうドン!

 と、思ったけど、なんでエリはお弁当を二つも持っているのだろう。


「え、もしかして」


 私に? と言おうと思ったら、違った。


「荒井に、さ」


 エリは顔を真っ赤にして言った。

 好きなのは知ってたけど、いつのまにそんな関係に。


「な、なんてこった。裏切り者めー」


 私はエリを指差して言った。

 もちろん、声のボリュームは控えめに。

 いくらなんでも、注目を浴びさせるのは可哀想だ。


 と思ったら、荒井が教室をさっさと出て行くのが見えた。

 エリが慌てて言う。


「いや、あのさ、勘違いしないで欲しいんだけど、あいつ、節約して昼、食べて無いっぽいんだよね。貧乏が悪いわけじゃないけど、さ、その、可哀想じゃん。半年に一回しか食べれないフライドチキンがご馳走とか言ってるし。から揚げのお弁当、あげたら喜ぶかなーって」


 お、おう。


「つ、付き合ってるとか、まだそんなんじゃないからね。とと、荒井を追いかけないと」


 エリがますます顔を赤くして、それから「じゃあね、キー子。行って来る」と手を振って、教室を出た。


 私はそろそろと歩き出し、学食へ向かう。

 気分は最悪である。


 荒井の幸せ者め!

 悔しい!

 私だってエリのから揚げ弁当食べたいよ!


 荒井が貧乏だなんて知らなかったし気づかなかったけど、本当にエリはあんな奴のどこが良いのか。


 すんごいバカだし。アホだし。マヌケだし。

 ちょっと顔が良いし、運動神経良いし、社交的だし、明るくてクラスのムードメーカーみたいなとこはあるけど。


 ……うん? 意外と優良物件なのか?

 と思ったけど、私に対する数々の無礼を思い出し、無いなと結論付ける。

 って、そんなことを考えていたら、学食に着いた。

 漂うかぐわしい香り。カロリーの匂い。

 何はともあれ、旨いが一番である。

 もう、よだれダラダラなのである。

 私は口元を拭いながら、混雑している学食の券売機の行列に参加した。


 そう、食券の販売機の前で迷ってはいけない。

 何を食べるのかを決めてから並ぶのが、ここのルール。


 すでに私の頭の中はカツ丼づくしだ!

 白米と、出汁を染み込ませているパン粉の衣をまといし、豚のお肉。

 それは、とっても良い物なのです。


 とは言え、並んでいる最中にも、様々な誘惑が私を襲っているのも確かだ。

 おばちゃんから完成された食料を受け取った人々の、幸せそうな笑顔。

 その手から、様々な香りが私に襲い掛かる。


 ああ、ラーメンは素敵。芳醇な醤油の香り。わかめにメンマに薄切りチャーシュー。

 ワンポイントのうずまきナルトがまた憎いねぇ。


 今度は味噌ラーメンが通り過ぎる。

 知ってるか、ここの味噌ラーメンは野菜が山盛りで乗っていて、とても旨いんだ。

 お? 今日の日替わり定食は野菜炒めか。

 ご飯も大盛りですんごい旨そう。


 いや、しかし、今日はカツ丼で決めたのだ。

 私は迷わない。

 スムーズに巡る順番を待ち、ついに券売機の前に立った。


 が、しかし。私は券売機の前で、スムーズに固まった。


 ……無い。

 財布が、無い。

 ぐおお、教室だ! 鞄の中に入れっぱなしだよぉぉぉ!


 なんてこった。


 全部、荒井のせいだ。

 考え事をしながら歩くと、いつもこうだ。


 ちくしょう、荒井のバカ野郎。

 荒井のおたんこナス! アホ! ドジ! マヌケ!


 ん、いや、まてまて、と私は思い出す。

 緊急用の五百円硬貨が制服のポケットに入っていたりしなかったかと。

 私は急いでポケットに手を突っ込んだ。

 が、私は何もつかめない。

 ポケットは空っぽだった。


 いや、待て!

 まだ希望がある。

 遠い昔。

『殺し屋にピストルで撃たれた時に胸元にコインを入れておいたおかげで助かった』なんて展開があるかもなんて五百円硬貨を胸ポケットに入れた時期が私にもあった。

 あの五百円硬貨が今もそのまま残っているならば、もしかして……


 私は急いで胸ポケットに手を突っ込んだ。

 と思ったけど、やっぱり無かった。


 望みは無い!

 小銭すらない!

 私の後ろには人々の群れ。食料を求める長蛇の列。

 私は泣く泣く券売機の前から離れた。

 もう、水を飲んで飢えをしのぐしかないのか。

 学食の入り口でトボトボと歩き、涙目でいる私。

 と、そんな打ちひしがれた私の肩をだれかが突っついている。


「誰じゃい!」


 私は振り返る。


「ひゃっ! あ、あの、せ、先輩」


 そこには、昨日ラブレターをくれた夕月穂波ちゃんがいた。

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