第17話 ヒーロー

 竜造寺先生に結婚の報告を受けてから二週間という時間が経っても、なぜか僕は原因不明の胸騒ぎが治まらない。ついでにゴリラも治らない。


 やはり鮫島から聞いた不審者について、まだ胸に取っ掛かりがあるのだろう。そのような考えに至った僕は、気分転換に街をパトロールすることにした。


 今回は弁当を買うついでではなく、ちゃんと就活した後でだ。そして昼間は暑かったのでコートを着ておらず、代わりに用意していたジャージをジャケットの内に着込む。これで動きやすくなったろう。


 時刻は午後九時。奇しくも、女装している鯖江を見つけたのと同じ時間帯である。そして同じく場所は歓楽街である駅前だ。


 ここで唐突に一つ小話を。けっこう有名な話だが、皆さんは哲学的ゾンビという言葉を知っているだろうか? これは人間としての意識があるのは自分だけで、実は他の人たちには自我が芽生えていないのかもしれない、と言う考え方のことだ。


 この見解を聞いて、何を自己中心的なと嘲笑う人もいるかもしれないが、今なら僕も哲学的ゾンビを発案した人の気持ちが分かる。すぐ家に帰るでもなく、何か目的があるわけでもなく、ただフラフラと人の流れに沿って歩く。まさに孤独な群衆だ。


 しかし、今は僕だけがゴリラに見えるわけなのだから、動物化現象を哲学的ゾンビに準え、この特異体質を哲学的ゴリラと名付けよう。うん、なんだか急に愛着が湧いてきたが、いい加減に僕も欲望を持って人間の姿に戻りたい。


 後は自分のためではなく、誰かのためにと願うことである。解決する条件は分かっているのに、その方法が実行に移せない。そんなもどかしさを胸に抱えながら溜息を吐き、ふと周囲を見回す。


 肌を刺す冷たい風と、寒さで身を寄せ合うカップル。その道を照らす街灯に温かみは無く、すれ違う人々の表情は乾燥していた。


 これだけで何かが起こる条件は揃っている。というか、何が起こっても不思議ではない。それに狂人化した蟹頭の件もあって、僕は九時以降の歓楽街を魔のバーサークプリズンと呼ぶことにした。どうでもいい。


 この前と違う点があるとすれば、学校の制服を着ている生徒が異様に多いことだろうか? 付属校だけでなく、その他の共学校や、女子高の生徒まで出歩いている。何かイベントがあるのだとしても、そのような広告は不思議と見当たらない……。


 まぁ、未成年が補導されるのは午後十時を超えてからだ。ただ制服を着ている生徒が多いということだけで、非行に走っていると決めつけてはいけない。彼らは大人でもなければ、子供でもないのだ。少しくらいアンダーグラウンドな雰囲気を味わっても、ちょっとした社会勉強くらいに思えば良い。


 ……などと寛容的な気分になっていたら、学生のバカップルが道の往来でディープキスをし始めた。非常に歩く邪魔になっているのだが、そのバカップルは人の迷惑を考えず、二人だけの臭い世界に浸っている。


 最初は誰もが唐突な行動に目を見張ったものの、スーツを着た大人たちは見て見ぬふりで通り過ぎ、子供が指を指しても子供の方を叱るだけ。若者の性が乱れて跋扈してしまうのも、これでは仕方がないと思えた。


 だが、不幸中の幸いと言うか、バカップルの男の方は付属校の生徒だ。気休め程度にしかならないとしても、僕は教育実習生として注意できる立場にある。そう思って声をかけようとした時だった。


「人通りが多い街中で濃厚なKISSをするな!」


 突然、赤と灰色の全身タイツを着た、ウルトラマンとペプシマンを足して二で割りました、みたいな奴がバカップルの間を引き裂いたのである。


「え、何? 変な人が来た……」

「やだ、キモーい」


 語彙力の無いカップルの悪口など意に介さず、謎のヒーローは変なポーズをとりながら自己紹介をした。


「私の名はバニッシュマンだ!」

「訊いてねーよ! つーか、テメーには関係ねーだろ!」

「テメーではない、バニッシュマンだ」

「うるせー、っつーの! おい、もう行こうぜ……」


 退散しようとするバカップルの背中に向けて、バニッシュマンと名乗る変態野郎は注意を呼びかける。


「不純異性交遊は禁止だぞ」


 ……どうやら一応は正義のヒーローらしい。お粗末な全身タイツに加え、改造したサンバイザーを顔面に張り付けるなど、手作り感が満載で非常に安っぽい。


 なぜ、そこまでして正体を隠すのだろうか? このまま放置しておくのも危険なため、僕は勇気を振り絞って喧嘩腰で彼へ話しかけた。


「あなたは何者だ?」

「私の名はバニッシュマンだ!」


 またもや気持ちの悪いポーズをとりながら名乗る。こんなに目立つ変態が今まで注目されなかったのには、必ず何か裏があるはずだ。僕は彼を逃がさないよう慎重に、有意義な質問を心がけて引き止めた。


「……で、何を目的に行動してるわけ?」

「青少年たちを正しき道へ更生させる! それが私の役割だ!」


 安易に正義を語らないのは評価するが、あたかも自分こそが正しくて、それが社会のためになると信じているのが気にくわない。こういう自分に理解できないものを押し殺して、人の話を聞かない奴が何よりも厄介なのだ。


「なんで? いつからヒーローごっこ始めたの?」


 嫌悪感を表情に出さないよう、俯瞰的な視線で質問する。これで活動開始時期が九月頃ならば、文化祭での目撃情報と一致するはず……。


「すまないが、ここで話し込んでいる暇は無い。こうしている間にも青少年たちは危険な目に遭っているのでね、私は次の現場へ向かう。それでは!」

「ちょ、待ってくれ!」


 僕が呼び止める声を聞かず、バニッシュマンと名乗る変態仮面野郎は走り去り、夜の雑踏へと紛れ込んでしまった。すぐに僕は追いかけようとしたが、あろうことか人の波に阻まれて見失う。


 あんなに目立つ格好をしているはずなのに、いくら探しても見つからない。僕は新たな目撃情報を求め、駅前で屯していた学生たちに訊き込み調査を行おうとしたが、その学生たちが不思議と駅前から姿を消していたのである。


 結局、バニッシュマンの足取りは掴めず、僕は今夜の捜索を断念したのだった。


 ×   ×


 僕がバニッシュマンと接触したのは昨日が初めてである。けっこう熱心に活動している印象を受けたが、なぜか人々の間では存在が浸透していない。


 その謎を解明しようとネット検索したところ、チラホラと都市伝説レベルの情報が転がっていた。ほとんどは宇宙人や妖怪の類という眉唾物だったが、たった一つだけ興味深いコメントを見つける。


 乱れた世界の中で真実の愛を求めるニューヒーロー、その名はバニッシュマン! 彼は青少年育成法の範囲内で、裁けぬ法に代わり子供たちを悪しき道から救い出す! 彼こそが健全な教育を守る最後の砦なのだ!


 ……おそらく、これはバニッシュマン本人の書き込みだろう。どうして自演までしているのに、誰からの反応も無いんだ? ただ一つだけ分かるのは、バニッシュマン自体は存在を隠しているわけではないということである。


 では、なぜ僕との会話は早く切り上げた? 考えられる理由は正体が明るみに出ること。つまり、僕と面識がある者に限られる。


 僕と知り合いで、正義感が強くて、ここらの地域に馴染があり、男性という条件で人数は絞られる。また、体格や声質からして大よその検討はついた。


 ズバリ、犬神である。


 彼にしては無謀で大胆な行動に出たと感心するが、あれほど教師になりたいと言っていたのに、どういった心境の変化だろうか? ここまで追い詰められ、暴走してしまうような動機が全く思い当たらない。


 とはいえ、悪い事はしていないのである。その活動内容が若者たちの反感を買うようなものであっても、後ろめたくて正体を隠す必要があっても、むしろ本人は正義のヒーロー気取りなのだ。


 いずれは警察に捕まってしまうのも時間の問題だが、どういうわけかSNSが普及した情報化社会でも、バニッシュマンのことは尻尾さえ掴めない。もしかして、犬神も僕の哲学的ゴリラと似たような現象に悩まされているのだろうか?


 だとしたら、犬神の話を聞いてあげられるのは僕しかいない。このまま変態行為を続けようとする彼を野放しにはできないし、知り合いを助けられたのに助けなかったのでは僕の寝覚めが悪くなる。


 というわけで、もう一度だけ僕はバニッシュマンと接触するべく、ラブホテル前のコンビニで張り込み調査をしていた。


 なぜ、ラブホテルの出入り口を監視しているのかと言うと、バニッシュマンは健全な青少年の育成を目指しているからだ。弱者を救おうとしない彼の正義は歪んでいるため、それを逆手にとって学生カップルを待ち伏せしているのである。


 今日は学校が放課後になる時間帯から駅前に来たが、もう時刻は魔のバーサークプリズンが広がる午後九時である。そろそろ店員の冷たい視線が背中に突き刺さって痛い頃、ようやく学生カップルがラブホの前に現れた。


 つーか、本当に学生でもラブホ利用できるんだな……。行ったことが無いから半信半疑だったが、考えてみれば援助交際の温床みたいな場所だった。


 後はバニッシュマンさえ現れてくれたらミッションを遂行できるのだが、その前に一体どんな奴がラブホへ入ろうとしているのか顔を拝んでみる。そしたら、なんと僕が担当したHRクラス生徒である、蛇渕と鶴若だった。


 ……二人が恋人同士なのは雰囲気で察していたが、確か二人とも一般入試のはずだ。センター試験が目前に控えているというのに、こんな所で遊ぶ余裕があるのだろうか? 一応、止めに入るべきか?


 いや、待てよ? 流石に図々しくないか? もう教育実習期間は終了しているのだ。生徒たちの恋愛に対し、とやかく僕が言う筋合いは無い。


 いや、しかし、でも……。そうして僕が脳内で会議をしている間にも、蛇渕と鶴若の二人は自然な所作で入り口に近づいている。やはり僕が止めるしかないと決心した時、非常にタイミング良くバニッシュマンが二人の前に現れた。


 ヤバい……本当に正義のヒーローに見えてきた……。

 コンビニの窓越しで会話は聞き取れないが、変なポーズをとっているので昨日みたいに自己紹介から始めているのだろう。地道な活動である。


 なんにせよ、これで一件落着だ。僕は彼の姿を見て、変な使命感と好奇心で深追いするのは、本日限りで止めようと思った。


 別にいいじゃないか。個人でヒーロー活動したって。誰に迷惑をかけているわけでもないし、目障りな高校生共の抑止力にもなるし、願ったり叶ったりである。これぞウィン=ウィンの関係だ。僕は応援する。


 そう悟って、バニッシュマンの活動を温かく見守っていた時だった。蛇渕と鶴若とは別に、バニッシュマンの背後から二人の男が武器を持って襲いかかり、彼の後頭部をタコ殴りにしたのである。


 あっけなくバニッシュマンは膝から崩れ落ち、瞬く間に体を手際良く袋へ詰められ、そのまま二人に担ぎ込まれてしまった。


 ……突然のことに驚愕している場合ではない。慌ててコンビニから出るも、既に襲った二人の形跡は無く、後には茫然としている蛇渕と鶴若だけが残っていた。


「おい! あいつらがどこへ行ったか分かるか⁉」


 焦っていた僕は、鶴若の胸倉を掴む勢いで訊き出す。すると彼も状況を把握し切れていないのか、優先すべき順位が分からず混乱していた。


「え、金剛力先生⁉ どうして⁉」

「いいから! 早く答えろ!」

「あっちですけど……」


 傍にいた蛇渕が駅裏の方を指し示す。


「よし、あっちだな!」


 確か駅裏にはロータリーがある。もしも車に乗せられたら最悪だ。そう判断して猛然と駆け抜けようとした直前、大きな声で鶴若に呼び止められる。


「ちょっと待ってください!」

「何⁉ 今は一刻を争うんだ!」

「追いかけるのは止めといた方がいいですよ」


 さっきまで挙動不審だったくせに、なぜか今は落ち着いている……。つまり、連れ去られた先で何が起こるのか知っているのだ。


「……君たちはグルか?」

「違います! ただ、変な情報が出回ってるんですよね……」

「あの不審者のことだろ?」

「それもあるんですが、それだけじゃなくて……」


 いまいち鶴若の説明は要領を得ない。早く追いかけたくとも情報は大事なのでヤキモキしていると、代わって蛇渕が教えてくれた。


「学校裏サイトの中でも特別な会員制バージョンの、大きい掲示板に張り出されてたんです。ここんとこ噂になってる不審者を捕まえたいから、ぜひとも協力を申し出たい人は夜の駅前に集まってくれ、って」

「それはいつ頃?」

「けっこう最近です」


 それでノコノコ駅前に来たってか。今ここで説教したい気持ちもあるが、重要な情報を伝えてくれたので不問としてやろう。


「他に知っていることは?」

「いえ、そこまでは……」


 どうやら本当に蛇渕と鶴若の二人は共犯者じゃないらしい。それが分かれば充分だ。後は僕の足で居場所を探し出す。


「そうか、分かった。情報ありがとな。君たちも寄り道しないで、さっさと家に帰るように。いいね?」


 最後に先生らしいことを言って、僕は蛇渕と鶴若の二人と別れた。その後、彼らが僕の言う通りにしたのかは知る由も無い。


 ただ、今は頭でグルグル考えるよりも、無心で走りたかった。僕は目の前で起こった現実を受け止められない。モヤモヤした邪魔な感情を取っ払っい、思考をクリアにしようと頭を冷ましたかった。


 どうしてバニッシュマンが酷い目に遭う? そりゃあ奴は無鉄砲で押しつけがましい正義を振り回していたが、誰もやろうとしないことを実行する努力をしていた。あんな馬鹿でも偽善を偽善で終わらせないよう、精一杯に頑張ったんだ。


 それなのに行きつく先が焼け野原であってたまるか!

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