第15話 再集合

 文化祭が無事に終了し、僕たち六人の実習生は居酒屋に集合していた。


「ウェーイ!」


 ザ、大学生のような犬神の音頭に合わせ、僕たちは並々と注がれたビールジョッキを叩き壊す勢いで乾杯する。


「ぷはぁ! 美味い!」


 まるでオッサンみたいにビールの旨味を噛み締めている竹虎は、なぜか動物化していた虎の姿から、人間の素顔へと戻っていた。僕は何もしていないのに、どうして動物化を解除することができたのだろうか?


 どうやって探りを入れようか考えていたら、彼女の隣に座っている蟹頭が話しかける。


「トラさん、グアムは楽しめました?」

「すっごい楽しかったーッ! もうね、泳ぎまくったし、食べまくったし、買い物しまくったよ! 最高!」


 どうやら竹虎は教育実習中に欲望を抑圧していただけで、それが終わってからは思う存分に欲望を解放できたようだ。


 何しろ、実習中にハイロウズの「日曜日よりの使者」を、聴いているこっちがノイローゼになるくらい頻繁に鼻歌で歌っていたくらいである。自由奔放な彼女らしい理由だと、妙に納得した。


「文化祭どうだった?」


 素知らぬ顔をして、女装を解いた鯖江が訊いてくる。あれだけ堂々と学校に潜入しといて、僕が気づかなかったとでも思っているのか? 怒りが沸々と込み上げてくるぞ……。


 僕の自制心が崩壊するよりも先に、あっけからんと犬神が答えてくれた。


「みんな楽しそうだったよ」

「でも、不審者が目撃されたんじゃなかったっけ?」

「ぶッ⁉」


 愛鷹の情報を聞いて僕と鯖江、二人とも同時に呑んでいたビールを噴き出す。


「汚ッ!」


 正面に座っていた竹虎に被害が及んでしまったが、気に留めている場合じゃない。なんとかして話を逸らさねば!


「……そんなことより、衆議院選挙について予想しようよ!」

「なんで⁉」


 蟹頭の質問に答える暇を与えず、被せるように鯖江が話に乗っかってきた。


「いいね! オレは自民党が勝つと思うけど、それでも三分の二以上は避けたい! 誰か有望な人とかいないかな⁉」

「どうした⁉」


 心配そうな犬神は無視し、強制的に話を展開させる。


「ねぇ、みんな誰に投票するの⁉」

「ミギーは?」

「いや、僕は住民票が地元になってるから、こっちじゃ投票できない……」

「おとといきやがれ!」

「……どうぞ続けてください」


 竹虎に一喝され、僕と鯖江は大人しくせざるをえなかった。愛鷹の情報が鯖江の女装でないことを祈る。


「それで生徒から聞いた不審者の話なんだけど、二学期が始まってから急に頻発して出始めたらしくて、おそらく文化祭で噂になっているのと同一人物らしい」


 どうやら鯖江のことではなかったようだ。鯖江は一学期から既に女装癖があったため、噂になっている不審者との出没時期とは異なる。


 しかし、安心してはいられない。もしかしたら、その不審者は鯖江以上の変態野郎かもしれないのだ。さらに蟹頭が特徴を聞き出そうとする。


「何それ? どんな人」

「それは俺も知らないけど、なんか噂だけは広まってた」


 愛鷹が言うには、不審者の目撃情報はあるのに、それが上手く全体に伝播されていないらしい。ということは、現場の先生方も不審者の存在を知ったのは、文化祭である今日が初めてなのかもしれない。


 このまま後手に回っていては、不審者の尻尾さえ掴めない。噂だけが先行して独り歩きし、生徒たちの恐怖心を煽る。かと言って、絶対にいると確信できたわけじゃないし、どうしようか悩んでいたら、犬神が驚くべき情報を隠し持っていた。


「おれはヒーローって聞いたぞ?」

「ヒーロー? 何それ?」


 突拍子もないことを言い出すので、僕は反射的に訊き返す。


「なぜか付属校生を救ってくれる、謎の覆面ヒーローが出没しているらしい」

「初めて聞いた。メッチャ面白そうじゃん!」


 興奮している竹虎を余所に、僕は非常に胡散臭いと感じた。犬神も誰に吹き込まれたか知らないが、そんなに派手な奴なら目撃情報が不明瞭になるはずがない。


 そこで僕は思い出す。確か教育実習中に、クラスの生徒がヒーローに挨拶されたと噂していた。すっかり夏休みを挟んで忘れていたが、愛鷹の言う出没時期とは異なる。あいつも鯖江と同じく、一学期から学外でヒーロー活動をしていたはずだ。


「例えば、もっと具体的な出来事は無いの?」


 自分が不審者の対象じゃないと分かった途端、鯖江は冷静に情報を分析しようとする。あわよくばヒーロー騒動に便乗して、自分も女装する回数を増やせそうだな、という魂胆が丸見えだった。


「おれも現場にいたわけじゃないから詳しいことは知らないけど、不良に絡まれていたところを助けられたらしい」

「え? 確かに一つ外れたら治安が悪くなるけど、ここら一体は平和的な学校が密集している方じゃない? わざわざ不良が田舎まで遊びに来るかな?」


 蟹頭の言う通り、付属校の周辺には僕が在籍しているC大学と、その隣に女子大があり、さらに中高一貫の女子高もある。他にも共学の公立校や、小学校もあるのだ。


 都会と違って遊べる場所は少ないとはいえ、風俗街も無いので子供の教育には良い。それゆえに、わざわざ他校の不良生徒が遠征に来る理由が不明である……。だが、その謎は愛鷹が解明してくれた。


「女子は知らないだろうけど、実は男子にとっては有名なナンパの聖地なんだよね。もしかしたら、それを狙ったのかもしれない」

「お、経験者は語るねぇ」

「マジふざけんな!」


 いつもの茶番を繰り広げる愛鷹と竹虎を尻目に、僕は内心で驚愕の事実に動揺していた。まさか穏やかな地域がナンパ野郎の巣窟とは、一人暮らし四年目にして初耳である。


 しかし、お嬢様がヤンキーにナンパされたからと言って、図々しく正義のヒーローが参上するほどのことか? ヒーローである必要性も、動機も見えてこない……。


 それだけでなく、一学期の地味なボランティア活動と比べ、現在のヒーロー活動が過激になっているのも懸念だ。太宰先生に頼んで忠告してもらったはずなのだが、全く効く耳を持たないということか。


「気をつけないとなぁ……」


 鯖江は無意識にか細い声で呟いていたが、僕の耳は聞き逃さなかった。

 いや、お前が気にすることじゃねーから! と、ツッコミたい衝動を堪え、それ以上はヒーローについて誰も詮索しなくなった。


 生徒にとって教育実習を終えた僕たちは、あくまでも知り合いの他人なのである。例え街で会ったとしても、おそらく話し込んだりはしないだろう。きっと生徒が僕を見かけても、見ないフリをするのが関の山だ。逆も然り。


 それが分かっているからこそ、今更になって不審者だとか、ヒーローだとかの存在が現れても対処に困る。僕たちは何もできない。


 結局、久しぶりに再会した僕たちは思い出話に花を咲かせ、それぞれで解散した。なんとなく、もう二度と会えないと悟りながら……。




 居酒屋を出て帰路につく際、僕たちは自然に電車組と徒歩組の二つに分かれた。と言っても、徒歩組は一人暮らしのために引っ越した僕と、唯一の地元民である蟹頭だけである。


「じゃーねーッ!」

「気をつけて帰れよ!」


 ストリートミュージシャンもいる雑多な駅前だろうと、竹虎と犬神の大きな声は目立つ。いいから早く帰れと手を払い、他の四人は駅のホームへと姿を消した。


 残された僕と蟹頭は気まずい距離感を隠そうともせず、視線を合わせないように逸らしながら、とりあえず無言で駅を出る。


 正直、実習中に言い争いになったこともあって、僕は蟹頭さんに苦手意識を持っている。だが、この夜道を彼女一人で帰らせるわけにはいかないだろう。ましてや、居酒屋で不審者のことが話題に上がったばかりだ。


 まぁ、未だ動物化が治らず、彼女の方が不審者よりも怪人らしい風貌かもしれないが、過去のことは水に流そう。ここは僕が大人になる。


「蟹頭さんの家って、どの辺ですか?」

「大学の手前にある橋を渡った先」

「じゃ、大学の手前までは僕と一緒ですね。もし良ければ、家の前まで送りますよ?」

「けっこうです。あまり頼りにならなそうだし」


 このクソ女……。僕の好意を無下にしやがって……。こっちだってね、バルタン星人のエスコートなんかお断りだよ! レイプでも何でもされやがれ!


 ……いかん、いかん。頭に血が上り過ぎた。よくよく考えてみたら、僕を除いて動物化しているのは蟹頭だけなのである。竹虎みたいに自然と解除されるケースもあるが、このまま彼女を放置しても良いものか?


 少し歩きながら考えた結果、無言の空気に耐えられない。夜空の星が光ってロマンティックな雰囲気になるのも嫌なので、僕は根気よく話しかけ続けることにした。


「星が綺麗ですね」

「…………」


 しまった! 無難な会話にしたつもりが、結果的にロマンティックが止まらない感じになっている。別の話題を探さねば!


「今日は可愛い服装ですね」

「…………」


 しまった! とりあえず褒めとけば良いと思っていたら、この女いつまでクラスTシャツ着てんだよ⁉ お世辞を言っても不自然になるだけだ。

 かと言って、今更になって趣味の話をする気にもならない。もはや手詰まりだ……。


 というか、どうせ僕しか蟹頭の動物化は分からないし、もう二度と会うことはないだろうし、別に見捨ててもいいんじゃないか? そう思えばこそ感慨深いことに、このバルタン星人も見納めである。


「……文化祭の時、サンタ君と二人きりで何を話してたの?」


 唐突に、蟹頭の方から話題を切り出して来た。あまり彼女の関心になるような内容は喋っていないが、訊かれたからには答えるしかない。


「え? 別に、大学卒業後の話とかですよ?」

「サンタ君は教師になるって言ってた?」

「いや、教師になりたいとは言ってませんでしたけど、昼間はスーパーで働きながら、夜は水泳教室のコーチをやるって言ってました」

「そう……」


 あれ? ついペラペラと勝手に喋ってしまったが、愛鷹に確認しなくて良かったのだろうか? まぁ、大丈夫でしょ。別に隠すことでもないし、きっと彼も許してくれるに違いない。


 それよりも気になるのは、蟹頭の読めない反応である。自分から訊いておいて素っ気ないと思いきや、なんだか挙動不審なのだ。そして不気味にモジモジしながら、また会話を再開しようとする。


「それで、あの、ええと、例えば彼女さんの話にはならなかった?」

「あ、別れたらしいですよ」

「よっしゃあ!」


 人通りが少ない夜道とはいえ、蟹頭は通行人の目を気にせず狂ったように暴れ叫んだ。とっさに僕は他人のフリをするも、ただ呆然と見ていることしかできなかった。


 なぜなら、蟹頭の動物化が解除されていたからだ。あの恐ろしいバルタン星人から、これまた怖いくらいに我を忘れた素顔を曝け出している。


「イエス! モーマンタイム!」


 もはや意味が分からない。

 と言うか、どうして急に動物化が治ったんだ? あらん限りの勢いで叫び疲れているのを見計らい、僕は彼女を労うように話しかけた。


「え、好きだったんですか?」


 その瞬間、顔から火が出るんじゃないかと思うくらい蟹頭の顔は赤くなり、全身がカチコチに硬直した。どうやら図星だったらしい。


「……じゃ、私もう帰るから! サヨナラ!」


 まるでロボットのようにギクシャクした動きで立ち上がると、彼女は目を泳がせながら明後日の方向へ駆け出してしまった。


「そっち逆方向ですよ⁉」

「サヨナラ!」


 また蟹頭は僕の前を通り過ぎ、今度こそ闇の中へと全力疾走する。一方、残された僕は帰路をトボトボ歩きながら、今起こった出来事を整理していた。


 愛鷹が彼女と別れたと知った途端に、あの狂気でしかない暴れよう……。そして僕が彼女に愛鷹のことが好きなのか確認した後の、分かりやす過ぎる赤面と戸惑い。


 以上のことから、蟹頭の欲望は愛鷹との恋愛だったと考えられる。それなら動物化が解除されたのにも合点がいくが、あそこまで見境なしに喜べるものだろうか?


 あの面食い女、奥手そうに見えてムッツリスケベである。こんなに面白い女性だと教育実習中に分かっていたら、もっと周囲と仲良くなれたのかもしれないのにな……。非常に惜しいことをした。


 もう会えないと覚悟していたのに、また会いたくなってしまい、僕は満足気に夜空を見上げる。今くらいはロマンティックな気分に浸っても良いだろう。

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