第14話 文化祭

 まだまだ大学生は夏休みが続いている九月。付属校では文化祭が催されていた。


 せっかく教育実習をやっていたので、久しぶりに生徒たちの顔が見たくなった、と言うのは建前だ。本当は残暑が厳しい日に付属校まで来たくなかったが、とある理由により実習生と集まる約束をしていたので、わざわざ仕方なく足を運ぶ。


 いつもはスーツで通勤していたのに、今日だけはラフな私服で来られて新鮮な気分だ。ここのところ就活でもスーツを着続けていたので、堅苦しさから解放されて非常に心地良い。例え今日が茹だるような暑さだろうと、鍛え抜かれた僕にとっては生温く感じる。そよ風でさえ制汗剤だ。


 しかし、付属校に来ても誰もおらず、閑古鳥が鳴いていたのには鳥肌が立った。確か一般開放しているはずだよな……?


 不安になった僕は体育館へ行くと、もう既にステージが始まっている様子だった。どうやら校舎の立地が悪すぎて、一般開放しても保護者しか来ていないらしい。


「あ、ミギー先生! こっちです!」


 体育館の扉を開けただけで目立つ有様だ。申し訳なさと気恥ずかしさで居た堪れなくなった僕は、そそくさと呼んでくれた愛鷹の傍に駆け寄る。


「間に合いましたね。もう三年D組の出番ですよ」


 どうやら丁度タイミング良く来たらしい。舞台袖にいる司会が紹介した後、三年D組の面々がステージ上に上がった。衣装は白いオールインワンで、所々にカラフルな絵の具を塗りたくっている。


 楽しそうに作業している光景を目に浮かばせていると、その中で一人だけ、ドラゴンボールに出てくるフリーザのコスプレをしている猛者がいた。あれは白熊だろうか? まさか動物化していなくて、困ることになるとは思わなかった……。


 ダンスは無事に終わり、生徒たちが壇上から降りてくる。その時に僕の近くを通りがかったので、労いの言葉をかけてやった。


「お、金剛力先生だ! 久しぶり!」

「久しぶり。ダンス良かったよ」

「後でクラスの出し物、見に来てね!」

「分かった。必ず行く」


 また後で会いに行くことを約束し、自分たちの持ち場へ戻ろうとする彼らを見送る。てっきり新密度は振出しに戻ると思っていたが、最後に行ったスピーチが効果的だったのか、生徒たちの記憶に僕を強く印象づけることができたようだ。


「よう、ミギーっ! 久しぶり……って、大学でも会ってるか!」


 少し優しい気分に浸っていると、雰囲気をブチ壊すように犬神が大声で挨拶してきた。どうでもいいけど、生徒の前でミギーと呼ぶのは止めて欲しい。


「来るの遅かったね。もう自由時間だよ?」


 うるさい犬神と一緒に、蟹頭もやって来た。そして心底どうでもいいが、二人とも壊滅的にダサいクラスTシャツを着てやがる……。どうやら生徒から貰った者らしく、彼らは心成しか嬉しそうだ。


 ちなみに、まだ実習生全員の動物化は解除されていない。僕の生徒じゃないし、別にいいかなと思っていたが、そういうわけにもいかないか……?


「竹虎と鯖江は?」


 犬神と蟹頭の二人を見ていると気が滅入りそうだったので、他の二人はどこか質問すると、愛鷹が答えてくれた。


「トラさんはグアム旅行から帰ってくる途中で、サバちゃんも関西から今こっちに向かって来る途中のようです」

「二人とも打ち上げには来るって約束したから、文化祭は四人で回ろう」


 犬神は簡単そうに提案するが、僕は立ちっぱなしでステージを見ていたため、どこかで一休みしたかった。どうせ何時間も楽しく盛り上げられるような文化祭ではないだろうし、休憩場所を確保するのも大切だ。


 そのように意見を唱えようとしたら、先に愛鷹が手を挙げた。


「ちょっと生徒たちの差し入れ買いたいから、コンビニに行ってくる」

「了解。じゃ、おれたちは先に生徒たちの所へ顔出しに行くな?」


 よし、この流れで僕も犬神と蟹頭ペアから離れよう。瞬時に頭の中で言い訳を捏造していたところ、またも愛鷹に先を越された。


「ミギー先生も付いて来てください」

「なんで?」

「何でも好きなモノ奢りますから」

「行こう」


 コンビニくらい一人で行けよと思うが、どうしてもと言うのなら仕方ない。僕たちは二人ペアで別行動することにし、この辺で唯一あるコンビニへ向かったのだった。




「何飲みます?」

「……モンスターで」


 愛鷹に連れて来られた場所はコンビニではなく、道端のベンチだった。この炎天下で何をふざけているのかと思いきや、ちょうど木陰になっていて涼むことができる。


「ここ良いでしょ? お気に入りの場所なんです」


 僕に缶を手渡しながら、愛鷹は得意気に言った。いくら居心地が良いからと言って、嘘を吐かれた僕は不満タラタラである。


「わざわざ連れ出した理由って何?」

「……俺だけ一週間も長く教育実習したじゃないですか? その時にイヌが頻繁に来てくれたんですけど、あいつの差し入れがヤバいんです」


 そう、なぜか体育だけ四週間だと途中で発覚し、僕らは度々いじって笑いの的にしていた。そして打ち上げは全員が終わってからにしようと約束し、みんなが集まりやすい文化祭まで待っていたのだ。


「生徒一人ひとりにドーナツですよ? 今日だってクーラーボックスに大量の缶ジュース持って来てましたし、俺なんかには真似できません」


 確かに金かけすぎである。餌付けまでして生徒に気に入られようとは思わない。だが、陰口を言いたいだけなら鬱陶しい。


「で、それがどうしたの?」

「なんて言うか、生徒に好かれようとする熱量が凄くないですか? テカリさんにしたって教師になりたいみたいだし、みんながいる前では話し辛いんですよね」


 その点、僕は教師になろうと執着していないってか? やかましいわ。こっちだって色々と悩んでいるんだよ。さっさと話を済ませたい。


「用件は?」

「俺、教師にはなりたくないんですけど、水泳のコーチにはなりたいんです」

「それってボランティア?」

「いや、一応バイト代は出るんですけど、所詮はバイトですから。生活するために昼間だけ、紹介してもらったスーパーに就職します」

「立派だな」


 おそらく実家暮らしとはいえ、決して金銭的に余裕のある生活にはならないだろう。昼間だけということは就職先で昇進することも無いし、子供たちに水泳を教え続けるのは並大抵の根性じゃ成り立たない。


「でも、彼女とは別れました」

「別にいいんじゃない? 愛鷹ほどのイケメンなら、女も取っ替え引っ換えだろう」

「やっぱりミギー先生に相談して良かった。俺ずっと踏ん切りつかなくて、どうしようか迷ってたんです」

「あんまり難しく考えず、やりたいことやれよ」


 今を生きるとは、そういうことだ。後先のことを考えず、やりたいことをやる。非常勤講師だろうと、水泳のコーチだろうと同じだ。僕は愛鷹の背中を押しただけである。


「それじゃあ……」


 さらに愛鷹が何かを言いかけた時、視界の隅に女装モードの鯖江が映り込んだ。


「ぶッ⁉」


 あまりの衝撃に思わず、飲んでいたモンスターエナジーを鼻から吐き出してしまった。あいつ遅れるとか言っておいて、実習先で何やってんだよ⁉


「大丈夫ですか?」

「いや、なんでもない。で、なんだっけ?」


 鯖江の正体が愛鷹にバレないよう、僕は慌てて誤魔化す。すると彼は何かを決心したように、勢い良くベンチから立ち上がった。


「……うーん、やっぱり止めました! また今度にします!」

「気になるだろ」


 もしかして、挙動不審に見えたのがいけなかったのだろうか? 愛鷹の動物化を解除するチャンスは今しかないので、なんとしてでも引き止めたい。


「いえ、もう本当にスッキリしたんで、ありがとうございます!」


 そう言って振り返った愛鷹の顔は、眼光の鋭い鷹から素顔に戻っていた。そして愁いを帯びたように笑う姿は、やはり絵になるイケメンである。


  × ×


 自分のHRクラスへ行くと告げて愛鷹とは別行動をとり、僕は急いで鯖江の変態野郎を探しに奔走した。だが、いくら探しても一向に見つかる気配が無い。


 この学校は田舎だけあり、敷地面積だけは無駄に広いのだ。そして使いこなせていない。鯖江の露出癖を満たすには、絶好のポイントと言うわけだ。


 もしものことがあっては困る。その一心で鯖江を捜索していたが、見つけたとして一緒にいても、生徒にバレる確率が高くならないか? そう冷静になって考え直し、僕はHRクラスの出し物を見に行った。


 三年D組の出し物はコマーシャルらしい。いまいち要領が掴めないが、人気のコマーシャルを模倣して、一から自分たちのカットで作成したようだ。


 わざわざ既にできているものを撮り直す意味があるのか? それが面白いのかは未知数な領域だが、仕掛けとしては新しいように思う。悪い意味で、誰もやろうとしなかっただけかもしれないが……。


 しかし、一日の映像スケジュールを確認すると、次のが始まるまで時間がある。実習生権限で入れないか生徒に頼んでも駄目だった。仕方なく、教室の前に用意された椅子に座る。


 案外、ここで見張っていたら鯖江を見つけられるかもしれない。暇潰しに廊下を通り過ぎる人たちを観察していると、嬉しい人物に出会った。


「どうしたの? 怖い形相で睨んで……」


 非常勤講師の鬼怒川先生である。文化祭は授業が無いから休みのはずなのに、律儀にスーツで出勤してきたようだ。


「いえ、なんでもないです。それより、お久しぶりです」

「久しぶり。元気だった?」


 軽く挨拶をすると、彼女は自然に僕の隣へ座った。


「元気と言えば元気ですが、ちょっと就活が煮詰まっています……」

「あら、一般企業に就職するんだ?」

「はい。鬼怒川先生は採用試験どうでした?」

「駄目だったよ……」


 どうやら僕の質問は失言だったらしく、鬼怒川先生はガックリと肩を落とした。僕は慌ててフォローする。


「他の実習生も、みんな駄目でした。まさか、あんなに人がいるとは思わなかったです」


 当日の試験会場は文系と理系と、教科ごとに分かれていた。

 ちなみに、僕は文系の国、英、社だったのだが、それでも体育館が埋まるほどの人数だった。面接なんて僕の順番まで三時間待ちだったため、面接を受ける前からグロッキー状態である。もはや何を言ったのかさえ覚えていない。


「そりゃ憧れの職業だからね。その上、離職率も高いから諦められない」


 憧れていたはずの職業なのに、現実の辛さを知って辞めていく。そして空いた席を埋めるように、次の人へチャンスが訪れる。その繰り返し。


 まるで蠱毒だ。そのように劣悪な環境で漠然とした不安を抱えたまま、どうやって教師になろうとする意欲を維持しているのか、参考までに訊いておきたい。


「非常勤講師から転職する人っているんですか?」

「私は聞いたことないな……。妊娠した人の代わりに常勤になるケースも多いからね、今は修行だと思えば何年かで採用されるよ」


 はっきり言って教員は人手不足ではない。ただ、指導力があって、精神的なタフさも持ち合わせる、優秀な教員が足りていないのだ。


 そして、優秀な教員は誰も育ててはくれない。全て現場で自分が吸収するしかないため、やはり非常勤講師が一番の近道か。


「でも、勉強する時間ってあります?」


 教育実習で竜造寺先生の働きを見ていたから分かる。教師という仕事は非常にやらなければいけないことが多いため、一瞬にして優先順位を決めて実行せねばならないのだ。


 流石に正職員とまではいかなくとも、例えば教材の準備、職員会議、保護者からのクレーム対応など、非常勤講師でも頭に留めておかなければならないことは多肢に渡る。それらの業務を苦労してこなしながら、採用試験の勉強なんて無理に決まっている。


「基本は定時で帰れるけど、仕事ってそういうものじゃない? 一生を懸けて取り組むものだし、それが生き甲斐にもなる。いちいち泣き言なんて言ってられないよ。別に本人は苦痛とも思ってないだろうし」

「そうですか……」


 頭では理解したものの、まだ心では納得できなかった。バンドや俳優や芸人なら分かるのだが、どうしても教師という仕事にハイリスクを背負う価値を見出せない。


 なぜなら、教師になったからと言って、どこにも自分を表出する場所が無いからだ。主役は生徒たちである。結局、教師になろうなんて考えるような奴は、夢に敗れた者たちが自分の不可能性を隠匿するため、逃げ込むような墓場でしかないのではないか? 


「バンドやっていて後悔したことありませんか? 時間を無駄にした、とか」


 もう、自分の中だけで自問自答するのは限界だ。心のキャパシティを超えた僕は、縋りつくような気持ちで鬼怒川先生に訊く。


「私は音楽教師じゃないけど、でも、きっと音楽で生徒と繋がれる」


 まさに目から鱗だった。教師に必要な資質は授業内だけで発揮されるものではなく、むしろ授業外でこそ知識や経験を生かせば良いのだ。


「私は音楽の力を疑ったわけじゃない。それだけは誓えるし、この先も信じる」


 逃げ道を作っていたのは僕の方だった。

 しかし、まだ僕は誰かのためにとは考えられない……。

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