第11話 フィードバック

 どっかの馬鹿のせいで昨日は作業できなかったため、僕は今日の模擬授業までに間に合わせようと、空き時間を見つけてはパソコン室に入り浸っていた。


 今の内に資料を作成しなければ、次にパソコン室を使うクラスが入ってきてしまう。例え授業中でも教育実習生がパソコンを使うことは許されるのだが、全く面識の無い生徒たちから物珍しそうに見られるのは気恥ずかしい。


「隣いい?」


 静かな部屋でカタカタとキーボードをタイピングしていると、非常勤講師である鬼怒川先生が話しかけてきた。わざわざ隣に来る必要性を感じないが、気の小さい僕は反射的に了承してしまう。


「どうぞ」


 僕より二つ年上なだけなのに、エロすぎるオーラを纏っている鬼怒川先生に魅了されないよう、僕は努めて平静に素っ気なく応じた。


「確か、あなたC大だったよね?」

「はい」

「わたしロックンロール研究会にいたの。知らない?」

「……すみません」


 そのグラマラスなボディで男子生徒から絶大な人気を誇っている鬼怒川先生とは、竜造寺先生が不在の時に何度かHRの補佐をしてもらっている。だが、こうして会話するのは初めてなので、やけに緊張しながら受け答えした。


「もしかして、バンドやってる?」

「高校の時はバンド組んでましたけど、なんで分かったんですか?」

「ここのパソコン古くて、キーボードのボタンが厚くできてるの。それで君のキーを打つ時の音が硬質に聞こえたから、お仲間かと思って」

「耳が良いんですね」

「これでも大学の時は頻繁にライブやったり、作詞作曲もこなしてたんだから。まぁ、今はギターなんて触ってる暇は無いけど」


 聞いたことがあるような文言に、高校時代の記憶がフラッシュバックする。


「……もう、ギターは弾かないんですか?」

「できることなら、ずっとギターを弾いていたいよ。でも、このまま教師を目指すのも悪くないと思ってる。あなたは?」

「僕は、もうギターはいいんです。それよりも、どこかの企業へ就職して、働きながら新しい趣味を見つけたいと思っています」

「教職はどうするの?」

「自分のためにやっていることですから、あまり執着心はありません」

「……後輩だし、老婆心ながら一言だけ言わせて」


 そう言うが否や、鬼怒川先生は僕が座っている椅子ごと自分の正面へ動かし、両手で僕の両肩をガッシリとロックした。


「甘い」


 たった一言ながら、僕の体は痛烈に貫かれる。


「仕事ってのは、どんな仕事だろうと辛い。それでも続けていられるのは、辛さ以上の達成感があるからなの」


 おいおい、一言で終わるんじゃなかったのかよ……。さらに放たれる言葉の矢は次々と命中し、僕の気力を根こそぎ奪っていった。


「でも、わたしも偉そうなことは言えなくて、最初は甘く考えてた。夢中になってたバンドが空中分解して、やりたいこともないから就職に失敗して、今は食い繋ぐために非常勤講師やってる」


 鬼怒川先生の辿ってきた過去は、そう遠くない僕の未来を暗示しているようだ。なんだか他人事のようには思えなくて、親身になって話してくれる彼女の声に、いつの間にか僕は耳を傾けようとしていた。


「情けは人のためならず、って言葉があるでしょ? あれって情けは人のためにならないと言う意味じゃなくて、人にかけた情けは巡り巡って自分に返ってくると言う意味なの。そう考えたらさ、誰かのためにやっている事でも、結局は自分のためにならない?」

「誰かのため……ですか?」

「そう。何が誰かのためになるのかなんて分からないけど、それを探す意味でも教育実習は有意義な時間だと思う」

「……精進します」


 もうそろそろ三週間になるが、どの生徒がどんな悩みを抱えて学校へ来ているのか、僕は考えたことも無かった。まだクラス全員とコミュニケーションは取れていないし、果たして僕は生徒たちに何が残せるのだろう?


「残りの実習期間、頑張るよりも楽しんでね」

「分かりました。ありがとうございます」


 鬼怒川先生は必要な分だけ書類を印刷し、言いたい事だけを言って去ってしまった。


……おそらく、僕に話しかけてくれたのは気まぐれだったのだろう。もしも、今みたいな場面で僕が生徒の立場だったなら、絶対に嬉しいはずだと思える。


 ×   ×


「まだまだ詰めが甘いですね」


 これで人から甘いと言われるのは何回目だろう?


 僕は最後の研究授業に向け、竜造寺先生に付き合ってもらい特訓していた。教材研究する時間が少なかった、とは言わせてくれない。指導案も板書案も未熟な点はあると自覚しているので、竜造寺先生からの叱責を受け入れる。


「いいですか? 一から十までの全てを教える必要はありません。授業の時間も限られていますし、十の内の一だけの大切な部分を生徒に覚えさせてください」


 その取捨選択が難しいのだ。僕には教科書の内容が全て大事に見える。


 やはり生徒たちには社会へ興味を持ってもらいたいし、僕だって楽しく実のある授業をしたい。竜造寺先生は時間の都合上でプリント形式にしているようだが、僕は板書形式で生徒に勉強の仕方も教えたい。


 だから全部やろうとして失敗するのだ。頭の中ではイメージとして完璧にできているはずなのに、どれか一つでも綻びが生じてしまうと、僕の未熟さと見通しの甘さによって、簡単に瓦解してしまう。


「そして教育実習の集大成が研究授業ですから、最後に何を生徒へ伝えたいのか考える必要があります。そこだけは自由に言いたいことを言ってください。多少のことなら評価に関係なく、僕は目を瞑ります」


 堅物な竜造寺先生にしては粋な計らいである。これならプレッシャーの多い研究授業でも、自由度の高さで自分らしさを出せそうだ。


「それでなんですが、HRクラスの生徒たちとは打ち解けましたか?」

「はい? ……はい」

「このことは僕の指示が適切でなかったから言わなかったのですが、LHRでやった『寄生獣』の授業で受けた僕なりの感想を正直に言いますと、高校の授業としては成り立っていません。どちらかというと、大学の授業で行うプレゼンテーションのように感じました。なぜだか分かります?」


「……いいえ」

「ただ単に『寄生獣』は面白いよ、と紹介するような内容だったからです。確かにテーマの分析と考察は興味深かったですが、高校教育は教え育てなければいけません。その証拠に、あの宍戸が強気に質問しましたよね? 彼女の質問が無かったら不十分で、伝えたいことがあっても生徒に届かなかったと思います」


 竜造寺先生の言う通り、僕が授業の終了を宣言した途端、クラス全体が大きく動揺していた。あの時に宍戸が質問してくれなかったらと想像すると、わざわざ『寄生獣』の授業をした意味が全く無かっただろう。


 生徒がいてこそ授業が成立するのだと、改めて感じられた経験だ。


「そして今、ピーンと思い浮かびました。もしかして最初から金剛力先生は、生徒に伝えたいことが無かったんですか?」

「……言われてみれば、上手く授業することに必死だったと思います」

「生徒にしてみれば教育実習生だから、という言い訳が通用しないことは承知していると思いますが、僕からしたら所詮は大学の教育実習生ですから。失敗してもフォローします。というか、むしろドンドン失敗してください。アフターケアもバッチリ欠かしません。それでも伝えたいことは皆無ですか?」


 他のクラスの授業でも、僕は幾度となく竜造寺先生に助けられた。時には重苦しいクラスの空気を緩和させ、発問に答えられない生徒には助け舟を出し、答えが的外れでも補足説明を加えてくれる。


 おそらく、不用意に僕が何か危険なことを口走ったとしても、竜造寺先生なら何とか軌道修正してくれるだろう。後で小言を言われるのは確実だが、そこまで生徒に伝えたいことは思いつかなかった。


「普通は公民の教師だったら、誰かに伝えたいことの一つや二つあるもんですよ? まさか無いわけじゃないですよね?」


 伝えたいことが無いわけではないが、別に我を通してまで伝えたいわけでもない。

というか、僕が誰かに伝えたいと思っていることは、今の僕が抱えている人生の葛藤なのだ。できれば教えたくないし、伝わらないに越したことはない。


「……やはり熱意を感じられません。金剛力先生が教員を目指す理由は、両親が教員だからでしたっけ? やりたくないなら反抗したらどうですか?」


 僕の熱意は他人に伝わり辛く、ある条件下でしか発揮されないことは受け入れよう。熱意がどうのこうのという話は、実習が始まってから散々に言われ続けてきたことだ。


 だからこそ、耐性ができてしまったせいで竜造寺先生に対する警戒心が薄れ、僕は嘘を吐いている罪悪感で心がいっぱいになった。今こそ恩師である彼と対話せねばならないと思い直し、僕は両親が教師ではないことを告白する。


「すみません! 親は美容師で、理髪店を営んでいます! 嘘を吐いて、誠に申し訳ありませんでした!」

「どうして嘘を?」


 竜造寺先生の目つきが険しい。だが、それがどうした? 僕は今ここで過去と戦わなければ前に進めない。もう、甘いだなんだの言われるのはウンザリだ!


「僕は教師が嫌いなんです! 理不尽で、見栄っ張りで、権力を振りかざして、結局は無責任で、僕の話を聞いてくれなくて、何が何でも型に嵌めようとする教師が大の、大大大っ嫌いなんです!」


 ついに溜まりに溜まった鬱憤を全て吐き出す。そうやって腹を括ってしまえば後は楽だった。僕が抱えていた負の感情はダムが決壊したように溢れ、もはや止めようとも思えないほどの狂気に身を任せた。


 まさに混沌。だが、その大惨事を目の前にしても竜造寺先生は全く動じず、僕から目を逸らすことなく真正面から冷静に受け止める。


「そこまで嫌いなのに、どうして教師を目指そうと思ったんですか?」

「僕は間違ってなかったと、あいつらこそが間違ってたんだと、僕が教師になって証明してやりたかったからです……」

「独善的ですね」


 今まで僕が抱えていた葛藤を、たった一言で切り捨てられた。社会をナメて甘いと言われるより、何十倍ものダメージを負う。


「あなたは人にものを教える立場にありません。ですが、これも正直に言ってしまうと、僕は金剛力先生が途中で教育実習を辞めると思っていました」

「……正直すぎません?」

「ようやく心を開いてくれたので、それに僕も応えようかなと。あまり褒められた理由ではありませんが、それだけ金剛力先生が本気だったということですから、やり切ったことには自信を持ってください」


 やっと努力を認められて喜ぼうにも、なんだか素直に喜べない……。本当に竜造寺先生へ胸の内を曝け出して良かったものか、かなり心細くなってきた……。


「そもそも、教師を志す動機は人それぞれです。こうした理由じゃなければ絶対に駄目だ、ということは決してありません。でも、そしたら生徒のために何がしたいの? って言う話になります」


 さっき鬼怒川先生にも言われたことだ。その時は教育実習の期間中に探せば良いと考えていたが、もう既に一週間を切っているのである。休みが明けたら研究授業であり、悠長なことは言っていられない。


 残り時間が少ないことは自覚しているのに、果たして生徒へ何がしたいのか、まだ僕の中で決着はついていなかった。


「例えば、学校行事の式典で国歌を歌わない教師がニュースになりました。彼らなりの理由として愛国心を植えつけさせないとか、意味の無い画一的な悪習に不満があったのでしょう。しかし、その姿を見て生徒はどう思いますか?」


 ……答えようとはしない僕の様子を見て、さらに竜造寺先生は話を続ける。


「きっと幻滅するでしょう。いつもの授業も聞き流すようになるでしょう。多感な年頃である生徒に思想やら理念やらを押しつけたところで、行動を制限する足枷にしかなりません。以上を踏まえた上で、もう一度だけ訊きます。あなたは生徒に何をしたいんですか?」


 ここまで言われては黙っていられない。僕は強気な態度で言い返すように、竜造寺先生へ本音をぶつけた。


「例えば鷲尾なんかはクラスに息苦しさを感じているようなので、何か学校の外で夢中になれるものを探す手助けができたらと思います」


 普段は大人しい模範的な生徒だが、彼の書く日誌は非常に面白いのである。本来ならば授業を受ける生徒の態度を書かなければいけないのに、わざわざ自分の肩が凝ったとか書いてしまうような奴なのだ。


「どうして学校の外なんですか?」

「学校の中だけだと、ドンドン考え方が狭まって行きそうで……」


 おそらく、鷲尾は教室の中で充分に自己表現できていないのだろう。それなら学校で腐っていくよりも、学校の外で居場所を見つけた方が良いと思った。


「今だと良いかもしれませんが、文化祭の時はどうします? 毎年ステージでダンスを披露するんですけど、参加しないわけにはいきませんよ?」

「なら、そこで感情を爆発させるべきだと思います」

「短絡的すぎます。明らかに鷲尾なんかは穏やかな性格ですし、まず自分のために文化祭を台無しにするような生徒じゃありません」

「それじゃ、いつまで経っても息苦しいままです。できないのなら、指を銜えて見ているしかありません」

「必ずしも鷲尾が目立ちたいと考えているわけでもないでしょう。金剛力先生は、何でもかんでも自分と重ねようとする癖がありますね」

「それは……」


 かなり過激なことを言ったつもりだったのに、現実的な対応で竜造寺先生に言い包められてしまう。今にして思えば当たり前だが、やはり竜造寺先生も大人側なのだ。僕の意見なんて聞き入れてくれない。


 もう神も仏もいないと挫けそうなった時、竜造寺先生は静かに優しい声音で、僕に質問を投げかけた。


「……鷲尾が実は歌が上手だと知ってましたか?」

「いいえ、知りませんでした」

「僕もです。それを教えてくれたのは白熊でした」


 ……嘘だろ⁉ あの気優しい鷲尾と、横柄な白熊なんかが仲良しなわけがない! 教室で話していたことなんて一度も見かけなかったし、お互いに無関心を装っていた。


 それなのに、あの自己中心的な白熊がクラスメイトを気にかけているだと⁉ 絶対に信じられない!


「修学旅行のバスにカラオケがありまして、白熊が鷲尾に歌うよう強要したんです。てっきり僕はイジリだと思って庇ったんですけど、今度は鷲尾の方から歌いたいと言ってきました。そしたら本当に歌が上手で、どうして歌が上手いのか後で本人に訊いたら、歌詞を書くのが趣味らしいんですよね」


 確かに、生徒と長い時間を過ごすのは教師よりも同じ生徒である。おそらく、白熊も音楽の授業か何かで知ったのだろう。そうでなければ、控え目な鷲尾から教師に歌が好きだとカミングアウトするわけがない。


 きっかけは些細なことだが、それで救われることもある。初めから手助けをしてやろうと考える教師よりも、何気ない提案をする生徒の方が自然で受け入れやすかった。


「教師が単独で活動する力なんて、たかが知れています。どんなことがあっても自分だけ、なんて甘っちょろいことは考えないでください」


 退路は塞がれた。いや、竜造寺先生が道を示してくれたのである。ならば、もう僕の方から一歩ずつ前へ進むしかない。


 迷ってはいられないのだ。モラトリアムなんて感じている暇があるくらいなら、自分にもできる目標を倒して行こう。


 待ってろよ、僕の生徒たち!

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