第9話 寄生獣

 何度も授業を見学していて分かったのだが、竜造寺先生は教えるのが非常に上手い。


 導入から生徒の興味を引きつけ、勉強する意欲を掻き立てる工夫がされている。それなのに、どうして僕のフィードバックだけは辛辣なのだろうか……。


 汚名返上のためにも、HR授業だけは成功させてみせる!


「みんなHR授業で何するの?」


 放課後、実習室で各自の作業が一段落したのを見計らい、竹虎が呑気に質問した。


「私はアンケートですかね。それで一人ひとりに返事を書きます」

「俺は夢について語り合うよ!」

「大学の話しろって指示されました」


 蟹頭は無難に、犬神は暑苦しく、鯖江は担当教諭の言いなりだった。


「まだ決まってない」

「ミートゥー。で、金剛力先生は?」


 肉食獣である鷹と虎の鋭い視線が、せっせと作業している僕のプリントに注がれる。オタクっぽくて恥ずかしいので隠しておきたかったが、観念して白状した。


「……『寄生獣』をテーマに授業します」

「え? 『寄生獣』って、あの『寄生獣』ですか⁉」


 意外や意外。あまり漫画とか読まなそうな愛鷹が一番に反応した。


「それ以外に何かあります?」

「俺も『寄生獣』のファンなんですよ。非常に面白そうですけど、随分と奇を衒いますねー。どうして『寄生獣』をやろうと思ったんですか?」

「生徒たちが好きらしいので」

「やっぱり映画効果は絶大ですね。でも、マニアックな作品のままでも良かったかもなぁ~? 悩ましい……」


 愛鷹がウザくなってきたので、そのまま放置しておく。彼とは漫画の他にも映画やドラマの趣味は合いそうだが、あまり知識量だけで好きを競いたくはない。


「この資料、見せてもらっていいですか?」

「ああ、コピーなので差し上げますよ」


 もう話は終わったと思ったら、けっこう堅物そうな蟹頭が怪訝そうに睨んでくる。何を考えているのかは分からないが、どんな理由であれ興味を持ってくれたのは嬉しい。


「登場人物の台詞から読み取る、作者の人間観?」


 さっそく蟹頭はタイトルを読み上げるが、それだけの難しそうな情報だけではチンプンカンプンだろう。もっと分かりやすくする工夫が必要か……。


「それで、金剛力先生自体は、どのくらい『寄生獣』が好きなんですか?」


 遠い世界から復帰したらしい愛鷹が、普通に話し相手として趣味の質問をしてくる。そして僕は『寄生獣』好きなら誰もが興奮するであろう、とっておきのネタを披露した。


「右手に目玉の刺青を掘って、ミギーと会話したいくらい好きです」

「……それはちょっと、ドン引きですね」


 まさかの裏切り⁉


「じゃあ、金剛力先生のあだ名はミギーにしよう。理屈っぽいし」


 そして追い打ちをかけるように、竹虎が僕のあだ名を命名した。本当に、この女は思いつきでマシなことを言った試しが無い。


「よっ、ミギー」


 急に馴れ馴れしくなった犬神のアホ面を見て、僕は燃えるように盛る怒りに震えた感情を、授業にぶつけてやろうと心の中で決めたのだった。


 ×   ×


 本を読む、という行為には三つの段階がある。


 まず一段階目は、ただ本を読み終えるということ。ここで大多数の人が躓くことになるが、時間をかければ誰でも読んだという達成感は得られるため、一般的な層に分類される。専門的な知識はいらないし、余計な考察もする必要は無い。


 次に二段階目は、読んだ本の内容を完璧に理解すること。大抵の本は尤もらしい根拠を用意しているが、たかが一冊の本を読んだ程度で内容を鵜呑みにするのは危険だ。構成から言葉の意味まで執拗に中身を分かりやすいよう整理し、これでもかと何か矛盾点は無いか粗探しすることで、他の作品と相対化しなければいけない。


 だからこそ、最初は分厚い本を難しそうに感じても、論じられ続けてきた古典の方が効率的であるため、二段階目は学生層に分類される。何が正しくて、何が間違っているのか、自分の判断で選択できるようになるのだ。


 そして三段階目は、複数の本から必要な情報だけを抜き取り、また新たに繋ぎ合わせて構成すること。これらは自分の発見や考察を論ずるための材料であるため、社会的な意義のある研究者の層に分類される。


 この三段階目になって、ようやく人にメッセージを伝えるステージに上がれるのだ。今、僕がHRクラスでやろうとしているのは、そういうことである。


※ここから先は漫画『寄生獣』のネタバレを含みます。知らなくとも読めますが、知ってた方が楽しめる程度の内容です。


「では、LHRの授業を始めます。あまり固くならずに、こんな授業を大学でやってるよ、程度に軽く聞いてください」


 というわけで、ついに待ちに待ったLHR授業である。この日のためにリサーチは欠かさなかったし、資料も配布して準備は万端だ。


 表向きには大学で行っている授業の例だが、手抜きをするつもりは無い。もう既に寝始めている生徒を後悔させるほどの素晴らしい授業をするべく、導入から工夫して発問した。


「みなさんは昼食に何を食べましたか?」

「ハンバーグ!」

「カツサンド!」

「ミートボール!」


 馬鹿みたいに答えてくれた屈託の無い瞳の生徒には悪いが、今は心を鬼にして、本題へと入りやすいよう道しるべを付ける。


「え、肉なんて食べて、気持ち悪くないですか?」


 一気にクラスが黙り込むのは想定していたことである。要は、既成概念だけ破壊できれば良いのだ。

 とはいえ、変に勘違いされる前にネタ明かしをしておく。


「実は僕、菜食主義者なんです。あんなに可愛い牛や豚を食べるなんて、可哀想だと思いませんか? ……って、言われた時、君たちなら何と言い返します?」

「うわぁ、冗談か! ビックリしたぁ」


 大袈裟な反応をしたのは蛸星である。続いて、丸亀が反抗的な発言をした。


「野菜が食いたいなら、勝手に食ったらどうですか?」

「それが、そうも言ってられないんですよね。その理由を、『寄生獣』をテーマに考えていきましょう」


 よし、ここまでは理想的な運びである。この先も順調に展開できるかと思いきや、予想だにしないトラブルが舞い込んできた。


「『寄生獣』って何?」

「……黒樺は知らなかったのか?」

「うん、知らなーい」


 しまったぁ! 先週のLHR時間、黒樺だけ竜造寺先生と個人面談だったから、彼女にだけ確認が取れなかったぁ!


 しかし、ここで黒樺だけを置いてけぼりにできないし、黒樺だけに時間を割くわけにはいかない。数秒だけ迷った末、少し説明して後は資料へ丸投げすることにした。


「あれだよ。人間に寄生するパラサイトのことだよ」

「寄生したらどうなるの?」

「自我を乗っ取られて、人間を食べるようになる」

「メッチャ怖っ!」


 黒樺がアホで助かった……。そのくらいの認識で充分なので、構わず本題へ入る。


「それでは、登場人物を人間とパラサイトに分けましょう。配布したプリントを見ながら、どちらに誰が属するか答えてください」


 用意した登場人物は主人公の新一、相棒のミギー、ヒロインの里美、教師の田宮、政治家の広川、地球最強生物の後藤、殺人鬼の浦上の七人だ。さっそく生徒たちは選択肢の中から、人間とパラサイトを分類し始める。


「主人公の新一は人間でしょ」

「でも、右手にはミギーがいるよ?」

「だったらヒロインの里美は確実に人間だ」


 事前に『寄生獣』が好きと公言していた鮫島、牛込、烏山のおかげで、クラスから積極的に発言が飛び交う。これなら良い雰囲気で授業を進められそうだと思ったところ、またもや無知である黒樺が邪魔し始めた。


「この田宮良子も人間でしょ?」


 聞こえないフリをしても良かったのだが、とにかく黒樺は声がデカいため、親切に答えを教えてやる。


「いや、その女はパラサイトだ」

「え、どうして⁉」

「どうしても何も、寄生生物に脳を支配されたからパラサイトなんだ……」

「じゃ広川もパラサイト⁉」

「そいつは人間」

「人間なのにパラサイトの味方なの⁉ 意味わかんない!」


 非常にうるさいだけの女かと思いきや、良い所に気がつく。まだ登場人物を分類し切れていないが、彼女を利用して話を進めるチャンスだった。


「そうだ。広川は人間なのにパラサイトの肩を持つ。その理由は不明だが、作品の中で作者とは違う思想を持つキャラが現れることは必要なことだ。これを二項対立と言う。善悪とか、美醜のことだな。しかし、話は単純に人間対パラサイトという構図にはならない。なぜだか分かるか?」


 ……生徒からの反応は薄い。だが、確実に視線は僕に集中していた。おそらく頭の中で目まぐるしく熟考していることを感じ取り、さらに説明を続ける。


「それは主人公の新一が人間でもあり、右腕をミギーに寄生されたパラサイトでもあるからだ。これにより、新一は人間にもパラサイトにも加担することなく、ちゃんと作者が見せたかった二項対立を捉えている。つまり、生態系と人間だ」


 僕ばかり喋っていても仕方ない。なんとか授業に生徒を巻き込みたいため、再び簡単な発問をした。


「みんな、生態系とは何か答えられるかな?」

「あれでしょ? 確か理科で習った。えーと、分解とか何とか」


 ヒントとしてピラミッド型の図形を黒板に書いたら、蛸星が足りない頭を絞って答えを捻り出そうとしていた。その答えようとしてくれる姿勢だけでもありがたい。


「あまり難しく考えなくていい。要は食物連鎖のことだ。草が多く生えれば、それをエサとする草食動物が増え、どんどん草は無くなっていく。だが、代わりに草食動物が増えたことで、それをエサとする肉食動物も増えるので草食動物が減っていく。そして草食動物が減れば肉食動物も減るが、草の量は元通りになって草食動物が増えていく。その繰り返しで自然は自然の摂理により自然に守られている」


 口頭での説明もほどほどに、黒板で図示しながら補足を加えていく。生徒に分かりやすく、かつ問題意識を持たせるように狙って……。


「でも人間はこの生態系から逸脱し、トップに君臨しているよね? 人間は好き勝手に生態系を壊し、どんどん数を増やしている。そこで作者は人間よりも数は少ないけど、人間を食す上位種としてパラサイトの存在を設定した。つまり、広川の言う通り生態系を守るのなら、人間の数を減らせるパラサイトは増やした方が良いことになる」


 まだ結論ではない。一つ一つのストーリー性が崩れないよう、細心の注意を払って、頭の中で授業の構成を確認する。


「しかし、新一は地球最強の寄生生物である後藤を殺してしまった。なんでだと思う?」


 生徒からの発言を待つべく、教室内を見回す。元から興味が無くて机に突っ伏している女子と、話は聞いていてもメモを取る習慣の無い男子。

 その中で、助け舟を出すように鮫島が僕の質問に答えてくれた。


「……後藤が人間にとって脅威だから?」

「いや、もう既に新一は人間とパラサイトとの対立に関心は無くて、生態系と人間の問題というステージにいるんだよ。で、もしも生態系を優先するのであれば、人間の脅威となる後藤は絶対に殺しちゃいけない」


 僕が教師としてあるまじき暴論を吐くものだから、生徒たちが一人残らずドン引きしている。生徒の興味を引きつけるためとはいえ、一瞬でも誤解されてしまうのは厄介である。


 自分でも気づかず口調が徐々に熱くなっていた中、背筋を一滴の冷や汗が垂れたのを感じたので、僕は勿体づけずに正解を教えた。


「……新一が後藤を殺した理由、それは後藤が人間にとっての脅威だからではなく、ただ純粋に新一の敵だったから。つまり、どの生物も命の危機に直面すれば生態系よりも、結局は生き残ろうとする本能で自己保存を優先してしまう。いや、そうするべきだ、という主張になる。だから君たちが動物の肉を食って罪悪感に浸る必要は無い」


 これまで広川の意見に対し批判的で、人間側へ一辺倒だった生徒たちに安堵の表情が浮かぶ。だが、まだ僕の授業は終わっていない。


「でも『寄生獣』の面白い所はね、実はラスボスが後藤じゃなくて、人間の浦上という点にある。本当に人間の自己保存が優先されてしまうのなら、浦上の殺人も倫理的に正当化されてしまう。だからこそ、僕らは他人と寄り添って生きる、という意味に自覚的でなければいけない。その中には敵もいるし、仲間以外を除外することはできないんだ」

「そんなの、作中で言ってることと同じじゃん」


 もう授業を終わらせ、事務連絡がある竜造寺先生にバトンタッチしようとしたが、まだ納得のいっていない丸亀に痛い所を突かれる。僕は予想外のことに戸惑う素振りを億尾にも出さずに、彼の視線を受け止めた。


「その通り。でも君は野菜が食いたきゃ勝手に食えばいいじゃん、と同じトーンで殺人のことも扱えるかい?」


 ……丸亀は黙ったままである。流石に酷な話か。僕は彼の言葉を待たずして、今度こそ授業を終わらせる。


「誰かの問題が自分に関係ないということは無いんだ。僕たちは害を与える者とも共存しなければいけない。その上で、どのようにして他人と生活したら良いか考えてみよう。じゃ、これで授業を終わります」

「え、これで終わりですか?」


 異議を唱えたのは鮫島だった。これ以上は『寄生獣』の中でも書かれていない領域なので、言いたいことは全て出し尽くしたつもりである。


「はい」

「いや、どう生活したら良いのか教えてくださいよ!」

「どんなに考えたところで、たった一つの答えは無いからね。助け合いの精神が大事だと言う人もいれば、身の安全を確保するために金を稼ごうとか、体を鍛えよう、って意見の人もいるでしょ? 別にどっちが間違っているわけでもないし、そう思ったのなら僕は尊重したい」

「なら、先生の答えを聞かせてください」


 あの温厚な宍戸がクラスの前で意見を言うものだから、僕は引き下がれなかった。彼女の眩しい瞳を見つめながら、僕は自分の考えていることを吐き出す。


「……自由を守るとは、反対した人間が反対するという行為を妨げないことだ。つまり何が言いたいのかというと、みんな自分の殻に閉じ込まらず、様々な人々の意見に耳を傾けて欲しい。結局のところ人それぞれだと言ってしまえば終わりだが、だからこそ生きることは面白いんじゃないか? みんなと一緒なんて退屈なだけだ。他人と違うことを恐れず、自分だけの何かを掴み取ってくれ。以上」


 柄にもなく熱いことを口走ってしまった僕は、空前絶後の恥ずかしさで顔から火が出そうになり、全てを言い切った後は急いで教壇から下りた。


 その時、早足で教室の後ろへ移動する際、すれ違いざまに宍戸の顔がライオンから人間に戻っていたことに気づく。


 しかし、気のせいだったらしく、慌てて振り返っても宍戸は雌ライオンのままだ。まるで旅人を試すスフィンクスのようだと思った僕は自嘲気味に笑い、竜造寺先生から変な目で見られていることに気づけなかった……。

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