第4話 質問タイム
朝のSHRが終了後、本来なら別の先生へお願いして授業見学をさせてもらうのだが、みなさん慌ただしく上手く捕まらなかったため、一時間目は大人しく実習室で教育実習日誌を書くことにした。
僕と同じような理由で、愛鷹と竹虎も実習室に残っている。まだ日誌に書く内容も見つからないのか、愛鷹の方から僕に話しかけてきた。
「もう学校に慣れました?」
「まぁ、ボチボチ……」
「金剛力先生って、あんまり喋らないよね」
僕としては会話を早々に打ち切りたかったのだが、暇そうな竹虎が会話に参入してきた。その、遠回しに僕がつまらない人間だと言っているのか分からない評価に対して、僕は溜息を吐くように頷くことしかできない。
すると僕の意を汲んでくれたのか、愛鷹は皮肉にも思える疑問を竹虎に投げかけた。
「もしかしてトラさんは、生徒の前でも正直な性格なんですか?」
「いや、生徒の前では猫被る。こう、お淑やかな女性を演じる」
「絶対に無理ですよ」
それについては愛鷹に同意である。実際、年上と言えど、竹虎だけ実習生に対してタメ口を遣うようになっていた。自由すぎる。
「何おう? そう言うサンタは生徒と良好な関係を築けてるの?」
「普通ですよ、普通。別にそれで仲良くなったりとかはしませんね」
「でも女生徒に人気らしいじゃん?」
「そんなことありませんって。例えそうだとしても、俺は彼女いますから」
「へぇ、可愛い?」
「どうでもいいでしょ。トラさんこそ彼氏いるんすか?」
「いるよ。ネパール人の彼氏」
「なぜネパール人⁉」
「なぜかと問われても好みの問題だからねー。なんと言うか、あの堀の深い顔とか、逞しい毛深さとかに惹かれるんだよねー。特に胸毛」
とにかく、竹虎は人体の深くて濃い場所が好みらしい。そのフェチズムにドン引きしつつも、愛鷹は果敢に会話を続けようとした。
「……日本人じゃ駄目だったんですか?」
「高校の頃は普通の男子と付き合ってたんだけど、その彼がすっごい貧乏でトイレもボロくて、家へ遊びに行った時にウンコが流れなかったから逃げた」
あまりにも突拍子すぎるエピソードを聞いてしまった僕は、油断していたこともあり腹筋の硬度を維持できず、口の端から笑い声を漏らしてしまう。
「あれ? 笑ってません?」
その様子を目ざとく見つけた愛鷹が、ニヤニヤしながら僕の表情を覗き込む。彼の勝ち誇った顔が無性に腹立つため、僕は根性で笑いを押し殺した。
「……笑ってないれひゅ」
「そんな手を抓ってまで我慢しなくても⁉」
よし、なんとか笑いを堪えたぞ。だが、よりにもよって程度の低い下ネタに反応してしまったのは恥ずかしいので、汚名返上のためにも僕は竹虎のエピソードが作り話であることの矛盾点を探った。
「……ふぅ。一応は水洗トイレだったんですか?」
「それがボットン便所でさ、珍しくレバーで穴を開閉できるタイプだったんだよね」
「ん? ボットン便所なら確実に処理できるはずですよ? どんだけデカいウンコだったんですか?」
「逆だよ、逆。当時の私は太り気味で栄養バランスが偏ってたからさ、まるで兎みたいなポロポロのウンコが詰まっちゃったんだ。しかもボットン便所だからラバーカップも無くて、そのウンコを家の人に見られるのも嫌だったから、仕方なく素手で窓から投げ捨てた」
「もう止めてくれ! 僕が悪かった!」
話の半分くらいで既に僕の腹筋は崩壊しており、机に突っ伏しながら腹を抱えて笑い転げていた。この人の判断と行動は常人の思考を飛び抜けていて、あまりの馬鹿っぷりに僕も意固地になるのが馬鹿らしくなってくる。
ようやく笑い声が嗚咽のようなものに収まってきた頃、またもや愛鷹がニヤニヤしながら僕の表情を覗き込むので、僕は潔く観念することにした。
「トラさん面白いですよね?」
「……素直に面白いです。参りました」
「お粗末!」
竹虎のドヤ顔が非常に腹立たしい。なんだか殴りたくなってきたが、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
生徒からは教師と言えど、先生からは学生である。その不安定な立場にいる者同士、これから打ち解けて行けたら良いと思う。
× ×
二時間目の授業見学を終え、何事も無く実習室に戻ろうとしたら竜造寺先生から呼び出された。なんでも生徒の前で行った自己紹介について、時間ができたのでフィードバックをしてくれるらしい。
何を今更とも思うが、僕は職員室前のテーブルで待機する。
「いやぁ、お待たせしてすみません」
簡易的に備えつけられた席に竜造寺先生の巨体が勢い良く乗っかり、今にも折れそうな椅子は金属音で悲鳴を上げていた。
「さっそく単刀直入に訊きますと、どうして金剛力先生は教職を志しているのですか?」
なぜ今になって、僕の核心を突くような質問をするのだろうか? これでは相手を試しているようなものであり、その態度を竜造寺先生は隠そうともしない。
それならば、ご期待に応えて僕の教師嫌いを告白してやろうか。なんて意地悪な発想を思いつくも、即座に考え直す。いや、僕はまだ、竜造寺先生を信じ切ったわけではない。授業見学を通し、教師として優秀なのは認めるが、彼は完全に大人側なのだ。
「……僕は、親が教師なので、ただ漠然と、自分も教師になるのかな、と」
全くのデタラメである。本当の両親は共働きで自営業の理髪店だ。
なんだか正直に教師嫌いであることを告白するよりも、嘘を吐いている罪悪感の方が重くのしかかり、よっぽど相手に悪印象を与えている気がする……。
「そういう理由でしたら、はっきり言って教師になるべきではないですね。例え教師になれたとしても、きっと途中で辞職することになるでしょう」
竜造寺先生の言葉は辛辣だった。そんなことは当たり前だと、自分で理解しているのにもかかわらず、嘘で塗り固めた僕には受け止める術が無かった。
「いいですか? 教師は生徒の信頼あっての職業です。例え自分の身を犠牲にしてでも、生徒のために行動しなければなりません。その覚悟がありますか?」
生徒の顔色を窺ってまで自己犠牲に酔うつもりはない。僕が教員免許を取得するのは自分のためである。誰かのためと思えるほど、僕の精神は成熟していなかった。
「それは分かりません。でも、その覚悟の仕方にも限度があると思います。それぞれ生徒の性格に応じて、教師も接し方を変えるべきではないでしょうか?」
「なら、どの生徒に、どういった対応をしますか?」
そう竜造寺先生に言われた瞬間、僕は自分の浅はかな考えを呪った。
安物の金メッキが剝がれていくのと同時に、中身がスカスカであることを取り繕うように、自我を主張したくなる欲求が強くなる。
「例えば、自己主張の強い派手な生徒なら、その個性を良い方向へ導きたいと思いますし、逆に自己主張したくともできない生徒がいれば、自己表現できる場を紹介したいと思います」
「そのコミュニケーション方法は、HRクラス生徒の誰を想定していますか?」
「えっと、それは……」
実はまだ生徒の名前なんて覚えてないし、覚えてもないのに個人の性格なんて知るよしもない。どれもこれも似たような顔に見えるし、突出した才能で目立つような、二次元に出てくるキャラなんかも登場しない。
この人の前では全てが見透かされているような気がして、丸裸にされた僕は押し黙ることしかできなかった。咄嗟に答えられない僕の様子を見て、さらに竜造寺先生は話を続ける。
「生徒の個性を知りたいのであれば、自分から心を開くしかありません。そして生徒の心を開かなければ、我々は問題に気づくことさえできないのです」
僕はただ、僕のような境遇に陥ってしまった人を、自分と重ねて自分の手で救い出したかっただけなのかもしれない。理不尽な社会に対して、精一杯の抵抗がしたい僕には理想があれど、実現させるための具体的な方法は何も思いつかなかった。
おそらく僕は、自分が空っぽな存在であることを認められず、それが周囲に知られてしまうのを必死に隠していただけなのか? だとしたら、実に滑稽である。つまらない意地など張っている場合ではない。
「……確か午後の授業は自習だったと思います。その時に自己紹介をやり直しましょう」
「え、またですか?」
「そもそも、金剛力先生は自己紹介の後に質問タイムを設けず、さっさと終わらせましたよね? ですから、今回は少し長めに時間を確保しましょう」
ここのところ自己紹介ばかりで飽き飽きしていたが、再びHRクラスで自己紹介の機会を与えられるとは、願ってもいないチャンスである。
僕は竜造寺先生と段取りを確認しながら、どのような自己紹介をしようか、綿密に計画を練った……。
そして本日の六時間目。
休み時間の喧騒とは打って変わって、授業中の廊下は不気味なほど静かだった。昼食後の眠気と合わさり、校舎全体の雰囲気が微睡んでいる中、僕は竜造寺先生に連れられてHRクラス前に来ていた。
「担当の先生に話は通してあるので、それではお願いします」
竜造寺先生の合図に従い、僕は教室のドアを開ける。
担当の先生に話は通してあっても、僕が来るのは生徒たちにとってサプライズだったらしく、少しばかり驚く声が上がった。
僕は堅苦しい動作で教壇に立ち、生徒たちの視線を一身に受ける。いつもSHRで生徒の前に立っているというのに、今回は何をするか分からない期待の眼差しが強い。
早々に居た堪れなくなった僕は、最初にクッションを挟むことなく本題に入った。
「初日は慌ただしくて自己紹介が雑になってしまったため、この時間をお借りして自己紹介をやり直させていただきます」
三年生の春学期中間試験前という大切な時期に、貴重な自習時間を削られたくない。なんて真面目な生徒は一人もおらず、みんな退屈な自習時間の良い暇潰しになると喜んでいる。
ちょっとだけ雰囲気が緩和されたことに安堵し、僕は自分の名前を黒板に書いた。
「改めまして、私の名前は金剛力亜斗夢(こんごうりきあとむ)と申します」
まぁ、名前と文字については一回目で散々言われたことだから、あえてみんな触れないでスルーしてくれる。緊張で一人称だけが堅苦しくなってしまったが、問題はこの先だな。
「趣味は読書、音楽や映画鑑賞などです。特技としてはバスケ、演劇、バンドなどの経験があります。そして様々なメディア作品に触れて知識を深めたいため、大学では主に社会学の勉強をしており、最近はファッションやアートにも興味があります」
自分で言っておいて何だが、なんて掴み所のない内容なんだ。どれもこれもが突っ込むには中途半端であり、広くて浅いにも程がある。このまま表面的な情報だけを与え続けるわけにもいかないので、なんとかして生徒たちの興味関心を惹きつけるような話題を提供したい。
しかし、僕は高校生の間で流行っているものを知らなかった。と言うよりも、それぞれの嗜好がバラバラであるため、全体へ向けて話すのが難しい。仕方なく、開始一分目にして質問タイムへと移行した。
「前回は時間が無かったので飛ばしましたが、今回は質問タイムをメインに据えたいと思います。何か質問がある人はいますか?」
真っ先に手を挙げたのは鮫島だった。嫌な予感がしつつも、他に手を挙げる生徒がいなかったので指名する。
「付き合っている人はいますか⁉」
出たよ。もはや定番すぎる、クソどうでもいい質問である。
これだから質問タイムを設けるのは嫌だったんだ。まさか未だに、デリカシーの無い質問をする化石みたいな奴が存在するとはな……。てっきり絶滅したと思っていたため、僕は嫌悪感を隠さずに冷たく答える。
「いません」
「え? それじゃあ、まだ未体験なんですか……?」
「なぜ気の毒に思うのかは不可解ですが、余計なお世話です。はい、次の質問は?」
すると、今度は誰も手を挙げなくなった。
他人のプライバシーにだけは好奇心旺盛で、それ以外には無関心で素っ気ない反応をするなんて、まるでゴキブリみたいなクラスである。
これでは埒が明かないため、今度は僕の方から質問することにした。
「えーとですね、このクラスで流行っていることは何ですか?」
「ディスり合い!」
元気に発言したのは、またもや鮫島だった。このクラスは鮫島しかいないのか? 他の生徒たちは僕と目を合わせないようにしていたため、どうしても彼を無下にはできない。
「どういうこと?」
「例えば、あいつブスじゃね? とか言う」
「え、それイジメですか?」
「いや、イジリとイジメは紙一重ですよ」
その境目が曖昧であることが問題なのだが、わざわざ今の時間に説教をする余裕は無い。とりあえず彼らと心の距離を近づけたいので、僕の方から歩み寄った。
「はぁ……。嫌なクラスですねー」
僕もクラスに倣いディスってみたのだが、生徒たちは誰もディスり返してはくれなかった……。全く流行ってねーじゃねーか!
このままでは生徒たちと仲を深められず、後で竜造寺先生に嫌味を言われてしまう。僕はクラス内の重い空気を変えるため、また新に質問し直した。
「えっと、このクラスで起こった、何か面白いエピソードとか無いかな?」
ほら、お前らの大好きな身内ネタだぞ。この約束されたホームで思う存分、無自覚な自己顕示欲を満たしてくれ。さぁ!
しかし、生徒たちは僕の安易な挑発には乗らず、依然として暗い雰囲気に包まれていた。もう巻き返せないほど絶体絶命のピンチに陥ったと諦めかけた時、廊下側最後尾の席から声が聞こえる。
「修学旅行の話は?」
発言したのは猫田と言う名の、愛嬌のある顔をした男子生徒だ。その彼と仲が良いのか、窓際の最後尾に座っている丸亀が応える。
「何かあったっけ?」
「何かしらあるでしょ」
なかなかエピソードを思い出せずに要領を得なくなった頃、一番前の席に座っていた鶴若が唐突に会話へ参加した。
「じゃ、あれはどう⁉ 人生ゲーム!」
「ああ、紫ピクミンのやつな」
今度は丸亀と鶴若の二人で会話が弾んで行ったのだが、二つのキーワードを組み合わせても意味が分からない。だが、意味が分からないからこそクラス内で通じるネタであり、ゆっくりなペースでも会話の輪が広がることを期待できる。
「没収されてウケたよなぁ!」
いや、もうオチ言っちゃったし! 人生ゲームやってねーし!
というか、僕はクラス全体での面白エピソードは何か質問したのに、その質問をした当の本人を差し置いて、彼らは自分たちだけで盛り上がっている。クラス内でも極一部の仲良しグループ単位で話をされては、今回やり直した自己紹介の狙いから外れてしまう。
この流れはマズいと感じた僕は、彼らの意識が少しでも外に向かうよう、近くにいた鶴若に言い放った。
「笑ってるの君だけだよ?」
教室内の空気が凍りつく。いや、元から彼らとの温度差は激しいものだったから、僕が氷のような刃で彼らの心臓を射抜いた、とでも表現するのが適切だろうか?
ともあれ、絶望的な状況であることは変わらない。いっそのこと、潔く派手に飛び散ろうか自暴自棄になりかけていると、この地獄みたいな空間を切り裂く者が現れた。
「ぎゃははは! メッチャ面白れ!」
わざわざ席から立ちあがって大笑いしたのは、野球部の白熊と言う名の男子生徒である。あまりにもわざとらしい立ち居振る舞いが不自然すぎたため、ただの目立ちたがり屋だと思った僕は何事も無かったように話を進めた。
「もうこんな時間か。最後に質問ある人!」
もし僕が生徒たちの立場だったとしても同じだろうが、みんな僕に対して興味が無さすぎる。どうせこのまま待っても質問されないと思い、強制的に生徒を指名した。
「じゃあ、丸亀君」
「なんで俺⁉」
理由なんて無いよ。その大仰なリアクションでさえ、僕にとっては神経を逆撫でする要素でしかない。
「いいから、何か質問して」
「あー、誕生日はいつですか?」
……クッソ、つまんねー質問だな。今こそ目立つ場面だろ。これでは最後の質問でも締まらないと思い、僕は投げやりに答える。
「八月十日」
「え、マジで⁉ 俺と一緒じゃん!」
僕と丸亀の誕生日が一緒だと判明した瞬間、教室の中で突発的な爆笑が生まれた。他の生徒も丸亀と同じく、まさかのミラクルが起こったとして感激している。
……いや、確かに実習生と誕生日が一緒という偶然性は高いが、そこまで笑えるような出来事だろうか? 当の僕はへぇ、くらいにしか思わなかったし、それで今日一の笑いが発生したことに唖然としている。
おそらく、生徒たちは自分たちの小さな関係性で完結しているのだろう。その外にいる人間の存在には無頓着で、他の何かと価値を相対化できないし、何かしらの善を見出すこともできない。
だからと言って、それらの人として成長できない原因を指摘しようとも、どうせ彼らは聞く耳を持たないだろう。まぁ、身内ネタだろうと自己紹介は切良く締められたんだ。終わり良ければ全て良し。
そう自分に言い聞かせて号令をかけた時だった。
クラスの生徒たちが全員、何の前触れもなく、動物へと姿を変えていたのである。
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