第61話皮肉だよなぁ?
ライズはため息をついた。同時に隣で小生意気に鼻を鳴らす青年にヤヒロが青筋を立てた。
「あぁびぃぃとぉぉ――ッ! てめぇ何度言ったら分かるんだよ! 先輩舐めてんのか? おぉん?」
牙を立ててアビトに迫るヤヒロに、なんだか恥ずかしくなった。とはいえ、ヤヒロが激昂するのも無理はない。
異世界より召喚された勇者の内の一人――アビトの育成を任された。
ライズたちからすれば、人の教育をすることは特に珍しいことでもなく、今までもやれ貴族の子供に剣術を教えろだの、やれ王国の兵士に訓練を付けてくれなど、人に何かを教え込む強制的な依頼は多くこなしてきた。むしろ、相手が変に階級が高いわけではないという点では楽だ。いや、楽なはずであった。
しかし、アビトの子守りは予想以上に面倒であった。
まず、とにかく生意気。事あるごとに王国の名前を出して、優位性を保とうとしてくる。
次に、暇さえあればライズたちを特殊スキルの『
現に今ヤヒロが激昂しているのが、この魔門開脈によって今日何度目かの暗殺を試みられたからである。
もちろん、経験浅いアビトにライズたちを倒すことなど毛頭できず、全て返り討ちにあっているわけだが、それでもアビトはひたむきに魔力が続く限り、魔物を召喚し続けるのだ。
「やだなぁ。これも僕が早く成長して、ヤヒロ先輩たちの手を煩わせないようにしようとしている結果ですよ」
いつもならば、コマチがヤヒロをなだめてくれるのだが、残念ながらここはディザスター内。しかも、CランクとBランクの魔物が出現する火山だ。人数制限の関係で、コマチとイアンはイルコスタに待機させている。
「俺らを狙うより、魔物を狙え! おら、来てるぞ魔物」
ヤヒロが指さした方向から、背筋がピキッと軋むような殺気が漂ってくる。そして、大きな岩陰から姿を現したのは、マグマで全身を纏った熊――『ボルグベアー』だ。
Cランクの魔物ではあるが、数が問題だ。最初に姿を現したボルグベアーに続き、後方にもう二体のボルグベアーが控えている。
「全く、先輩たちも戦ってくださいよ」
アビトはアッシュメッシュの入る黒髪をぼりぼりとかきむしりながら、一つあくびをする。のんきな奴だ。
普通、駆け出しの冒険者であれば、ボルグベアーなんて目にした瞬間、腰を抜かして尻餅をつくか、一目散に逃げだしてしまうのだが、アビトはどこまでもつかめない青年だ。
そもそも、彼の特殊スキルが強力過ぎるがゆえに、常に慢心状態。何度、言い聞かせても直す気配すら見せないので、ライズは早々に諦めた。アビトは誰かに師事を仰ぐより、一人で成長する方が早いタイプだ。
結果論ではあるが、倒せば態度など、どうでもよいのだ。冒険者にマナーなんてものはほとんど存在しないのだから。
「何言ってんだアホ。お前のためにわざわざこんなあっちぃところに来てんだ。さっさと倒せよ、おら」
「はぁ……、はいはい……」
アビトの目の前に巨大な魔方陣が展開する。そして、アビトのゆっくりと振り上げる手に呼応するように、魔方陣から漆黒の毛皮を持つ熊が現れた。見たことがない魔物だが、直感で判別するならBランク程度の魔物だろう。
「けっ、熊に熊を当てるなんて、どこまでも性格の悪い奴だぜ」
ヤヒロがあきれたようにライズの隣に腰を下ろした。気怠そうな態度ではあるが、手は常に大剣の柄に触れている。
アビトはさらに二つの魔方陣を展開し、同じく黒熊を二体呼び出した。
「――いってください」
アビトの手がびしっと前方のボルグベアーを指さした。
黒熊は猛然とボルグベアーに向かって突進し、ギラリと輝く鋭いかぎ爪を振るった。ボルグベアーも負けじとグツグツと燃える体毛でかぎ爪を受け止める。
肉が焼けるような音がするが、黒熊はそんなことお構いなしに、ボルグベアーのマグマ肌に噛みつき、その血肉ごと食い破った。
ライズは剣と盾を持って立ち上がり、アビトから背を向ける。
「ヤヒロ、後は任せた。俺はイアンに迎えを呼ばせる」
「へいへーい。早めに頼むぜー。暑くてたまんねぇよ」
火山を出て、出発前にイアンから受け取っていた小さな魔石を剣で砕いた。すると、粉々に砕け散った破片が再度、形を構成し、小さな鳥となってイルコスタにいるイアンの元へ飛び去って行く。
イアンが来るまで、およそ一時間半というところだろうか。
全く、皮肉もいいところである。勇者に最も近いと呼ばれていたライズたちが、勇者を育てる羽目になるのだから、腹立たしさとむずがゆさにどうかなりそうだ。
別に地位なんてものはどうでもいい。しかし、冒険者としての純粋な強さだけは、誰にも負けたくはない。最近では、パっと出てきた魔剣士のパーティーに完全に劣っていると自覚したが、さらに異世界人によって追い打ちをかけられるとは、誰が予想できただろうか。
異世界人の特殊スキルは、純粋な冒険者では到底及ばない強力なスキルだ。アビトの魔門開脈と同等か、それ以上の特殊スキルを残りの三人の勇者も持っているのである。そんな異世界人がパーティーなんて組もうものなら、それこそどんなに足掻こうが勝ち目がなくなる。
強い存在でありたい。しかし、どうしても抗えない理不尽な力によって、己の強さが薄れる。積み上げてきた何かが、ゆっくりと崩れていく気配がした。
「どうすればいいんだよ……」
全く、意地悪な世界だ。
「さて、俺もやることをやってしまうか……」
先ほどから痛いほどに感じていた殺気を排除しなくてはならない。おそらく、ヤヒロも気づいていただろう。彼の発言の「早めに頼む」とは、火山の周りに張っているストーキング野郎たちをさっさと追い払え、という意味も込められていたのだろう。
殺気を常に向けていられるのは、気が良いものではない。肌を常にチクチクと細い針で刺されているような気分。針の筵だ。
しかし、殺気の隠し方も学んでいない奴らを仕向けてくるとは、舐められたものだな。
怠惰な思いと、若干の憤り、あとは八つ当たりも兼ねて、ライズは抑え込んでいた殺気を解き放った。
空気がびりびりと震える。
それからは簡単なものだ。ライズの殺気に焦って飛び出してきた、道外れの冒険者を受動的に皆殺しにするだけの作業。こいつらは人じゃない。だから、心は痛まない。どうして、己を殺そうとする者に同情が出来ようか。
最後の一人に剣を突き立て、ライズは考えた。
どうして召喚系の特殊スキルを持つアビトの育成を任されたのだろうか。もう一つのAランクパーティーであるラザリアのところには、確か召喚魔法の使える魔導師がいたはずだ。本来であれば、ラザリアのパーティーにアビトを預けるのが妥当なはずだが。
それに異世界人の召喚を行ったのもラザリアのとこの魔導師だと聞いている。なおさら、ライズたちのパーティーにアビトを押し付けられたのは納得がいかない。
召喚された勇者は、魔導師が二人、重戦士が一人、魔剣士が一人。どうにも偏った編成ではあるが、それでも一応パーティーとしてのカタチにはなるであろう。
魔剣士の勇者は、ソーサルにいる魔剣士のパーティーに預けられたと耳にした。おそらく、というか十中八九ハルトたちの事だろう。
俄かに不安である。ハルトたちは謎のパーティーバフによって、大概の魔物や冒険者に後れを取ることは無いはずだが、果たして勇者が狙われる存在であると、理解しているのだろうか。
もし、ハルトたちが人間による襲撃を予期していないとすれば、不意打ちをくらうことになる。まだまだ経験の浅い彼らでは、もしかしたら対処ができないかもしれない。
人を殺すというのは、魔物を屠るのとはわけが違う。全く別種の覚悟と、心の持ちようが必要だ。そして、少なくともハルトにその能力は備わっていない。
「……近いうちにソーサルに帰るか」
忠告も兼ねて、ホームに帰るとしよう。最近ではイルコスタに出現する魔物も以前より数が減ったため、ライズたちがいなくとも現地の冒険者たちで何とかなる程度には収まって来た。
ふいに、背後に突如出現した気配を瞬時に悟り、前飛びすると同時に身をねじって、剣を薙ぎ払う。
鋭いかぎ爪とライズの剣が火花を散らした。漆黒の毛皮に身を纏い、紅色の瞳を爛々と輝かせる黒熊を見て、ライズは再びため息をついた。
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