第57話ルールですか?
低速な突進をしてくるスライムをわざと体で受け止めて、勢いを殺す。スライムは子供が全力でボールを投げた程度の速度ではあるが、粘着な性質の体は意外と重量があり、いくら良い防具を使っているとはいえ、体で受け止めるとなると、ずっしりとした重たさがのしかかる。
両手でスライムを引きはがし、空中に放り投げる。
「シェリー行ったぞ!」
宙を舞うスライムの落下点はシェリーの目の前だ。ボトンッと落下したスライムはすぐさま体を起こす。
「は、はいっ!」
シェリーは剣を地面に突き立て、自由になった両手を前に出す。依然、腰は引けている。後で注意しておこう。
シェリーは事前に詠唱しておいた魔法を発動する。小さな魔方陣が彼女の目の前に浮かび上がり、そこから拳サイズの氷塊が飛び出した。
有詠唱でこのサイズは正直、かなり小さいが、魔法が発動したという点では成功だ。
スライムと同じような速度で射出された氷塊はそのぬめっとした体に直撃し、吹き飛ばす。
「や、やった!」
「まだだ! 剣、抜いて!」
肩で息をする彼女を軽く叱責し、ハルトもまた、念には念を入れて彼女の横につく。
シェリーは両手で剣を引き抜き、スライムに向かって駆け出す。シェリーがスライムに剣を振りかぶろうとした瞬間、今まで気絶したようにピクリともしなかったスライムが突然身を起こし、彼女の顔面目掛けて体を飛ばした。
「――えっ!?」
避けられないと判断し、ハルトは剣を突き出した。鋭くとがった切っ先がスライムを貫通して日の光を反射する。
シェリーは腰を抜かしたようにストンっと地面に座り込んだ。
「はぅぅ……ごめんなさい」
「いや、よく魔法を使えたよ。ただ、やっぱりシェリーは優先して反射神経を鍛えたほうがいいね」
空を見上げると、太陽は既にハルトたちのてっぺんを超えて、西向きに下がりかけている。
「シェリー、昼飯にしようか」
「は、はい!」
シェリーと共に暮らし始めて三日。毎日、暴君の草原に通い詰めているが、未だに成果は芳しくない。それでも、彼女は最初に比べて魔物から目を背けることはなくなったし、今日はこうしてあと一歩というところまで来れた。
少しずつでいい。それでも、彼女との契約期間は限られているわけで、正直あと三週間弱でどこまで彼女を成長させてあげられるかはわからない。なるべく、彼女が王宮に戻ることになり、他の勇者たちとパーティーを組んだときに、遜色ないくらいには育てきってあげたい。少なくとも、魔剣士だからしょうがないと言われないくらいには……。
基本的にはシェリーの面倒はハルトが見ることにした。マナツ、モミジ、ユキオの三人には、他のクエストに出てもらっている。パーティーバフがないとはいえ、三人も立派な冒険者だ。簡単な護衛等ならば問題はないだろうと判断し、時間を余してしまうのももったいないため、現状は三人とは別行動をとっている。
しかし、最近は魔物の突然出現などもあり、この世界には絶対に安心という場所は存在しない。そのため、なるべく日帰りでこなせるクエストを重点的に行ってもらっている。むろん、ハルトたちも少し街からは遠いが、毎日暴君の草原から帰るようにしていた。
朝、来る前に街で買ってきたパンを荷物から二つ取り出し、一つを彼女に渡す。シェリーは受け取ったはいいものの、手を付けようとしない。
ハルトは少しだけ疑問に思ったものの、先に食べ始める。堅めのパンに濃いめの味付けをした肉と、青野菜を詰めた簡易的なものだが、割と美味しい。
「あ、あの……!」
シェリーが顔をあげる。おずおずとしているのが見て取れる。
「どした?」
「その、この世界では貴族の方以外も一日三食取っているのでしょうか……?」
ハルトは頭にはてなを浮かべながらうなずいた。
「そうだけど、シェリーのいた世界では違ったの?」
「わ、私の育った村では基本的には一日二食で、朝はスープ、夜は芋と木の実が主流でした。お肉は村の感謝祭の時にしか口にしていなかったです。それなのに、ハルトさんたちは毎日三食、しっかりと十分すぎるくらいくださるので……」
「申し訳ない……と?」
「は、はい……」
どうやらシェリーのいた世界――少なくともシェリーの育った村は、ハルトたちの暮らしとはずいぶんかけ離れた、質素な暮らしを強いられていたようだ。
だとしても、この世界で彼女が質素な生活をする必要はない。普通に冒険者として暮らし、年相応の栄養は取るべきだ。
「まぁ、この世界では三食が普通だし、肉とか野菜だってしっかり毎日食べる。その様子だと、風呂とかも数日に一回とか言い出しそうだけど、家に帰れる日は毎日風呂に入って、ちゃんとしたベッドで寝る。これは当たり前のことだから、シェリーもしっかり慣れておいたほうがいいね」
「当たり前……ですか。わ、わかりました。頑張って慣れます」
そう明言すると、彼女は大袈裟なくらい息を呑み、パンにかぶりついた。
日が傾き、空が焼け始める。頃合いを見て、今日はソーサルに引き返すことにした。
馬車に揺られながらも、周囲に警戒は怠らない。ただ、そこまで気を張り詰めている必要もないため、ぼんやりと沈みゆく太陽を眺める。
ふいに、肩の少し下に何かが倒れてくる。目を向けると、赤毛の少女が小さく寝息を立てて寄りかかってきていた。
今日は魔法を繰り返し練習した。魔力を大量に消費すると、疲労もその分増える。疲れてしまったのだろう。
起きているときはやはりまだ少しだけ遠慮があるように見えるが、眠っているときの彼女はハルトから見れば、ずいぶんと幼く見える。十五歳には見えないくらいに彼女は背が小さく、童顔だ。彼女だけなのか、異世界人がみな、年よりも幼くみえるのか。
まだ成人にもなっていない彼女には、大きな使命が課せられている。大きすぎて、彼女をつぶそうとしているようにさえ思える使命。
理不尽な世界だ。
それでも、冒険者は生きるために戦い続けるしかない。勇者はいわば冒険者の派生形のようなもの。彼女もまた、この世界では戦い続けるしかない。
今はとにかく、彼女の先の未来が心配でならない。さながら、保護者にでもなった気分だ。
西日がやけにまぶしい。
「シェリー……。おーい」
シェリーの肩を軽くゆする。彼女は一瞬、びくりと体を揺らすと、脱兎のごとく身を起こした。
「ふぁ……すいません。寝てしまってました」
「いや、俺的には可愛い寝顔も見れたし、いいんだけど。街に着いたからさ」
ちょうど、馬車の動きが止まった。
シェリーは顔を赤面させて、これまた脱兎のごとく馬車を降りた。
いや、可愛いかよ。おっと、心の声が漏れた。
門をくぐる。なんとなく、空気が変わった気がした。この中は人であふれている。ちゃんと、帰ってきたと思わせてくれる何とも言えない心地よいものだ。
ふいに視線を感じた。最後に感じたのは、いつだっただろうか。確か四日前とか。
すぐさま視線を周囲に巡らすと、やはりいた。街路樹の後ろでジーっとこちらを見つめる存在。
「……はぁー」
シェリーが不思議そうに見上げてくる。
「どうかしましたか?」
「いや、すぐにわかる。先に言っておくけど、俺には恋人も結婚相手もいないからね」
シェリーは余計意味がわからない、というように首を大きく傾げた。
街路樹から彼女が飛び出す。バレたと分かった途端、これだ。
「ハールートさぁぁぁぁぁんッ!」
彼女はシェリーと同じくらいの背丈で、確か年齢は一個上。しかし、落ち着きのない仕草と、破天荒っぷりのせいか、シェリーよりも年下に思える。
リリーはハルトたちの前で急停止、シェリーにいきなり指を突きつけた。
「誰ですか! この女は! リリーという身がありながら、女性に手を出すとはどういうことですか! しかも、パーティーメンバーのあのお二方ならまだしも、それに飽き足らずに女性を侍らせるとは、リリーは悲しいです!」
「いや、意味わからないし……。落ち着けよ」
「これが落ち着いていられますか! 浮気ですよ! 不倫! 密通! エロがっぱ!」
「よーし、良い度胸だ。俺の知り合いリストからお前を除外してやる」
ハルトとリリーが息を荒立てて見合っていると、シェリーがハルトの服の裾を軽く引いた。
「あ、あの、ハルトさんのお知合いですか?」
「ん? ああ、いやなんて言うか、ストーカー?」
「失礼な! 今、こうして目の前で堂々としているではありませんか」
リリーはハルトをわざとらしい上目遣いで見つめると、今度はシェリーに向き直る。
「リリーといいます。ハルトさんの未来のお嫁さんです。あなたには負けませんよ!」
「お、およっ……! えっと、シェリーと言います。ハルトさんには冒険者の先輩として、いろんなことを教えてもらってて、その……」
「リリーの思うような関係じゃない。ちょっと野暮用で彼女を住み込みで教えているだけだ」
流石にリリーにシェリーが異世界人だと明かすわけにはいかない。それとなく言葉を濁す。
リリーはひとまずハルトとシェリーの関係性を理解したらしく、逆立てていた肩を降ろす。
「そうでしたか。住み込みっていうのがやはり引っかかりますが、まあマナツさんにユキオさん、それとモミジさんもいれば、ハルトさんも獣になることはないでしょう。シェリーさん、よろしくお願いします」
「は、はいっ!」
よし、人のことを獣呼ばわりしたこいつは、今度から無視しよう。というか、獣ってなんだ、おい。
とにかく、リリーがシェリーの良き仲になるのは悪いことではない。知り合いだって、冒険者にとっては立派な武器になる。伝手はあってなんぼだ。
「ほら、帰ったらマナツたちに色々教えてもらうんだろ。さっさと帰ろう」
シェリーの冒険者としての一日はまだ終わっていない。彼女は寝る前にマナツ、ユキオ、モミジの三人から座学を教わる。冒険者として覚えておくべきことから、この世界の基本的な生活ルールなど、全般だ。
ハルトが歩き出すと、シェリーも慌ててついてくる。しかし、彼女は急に立ち止まり、振り返った。
「リ、リリーちゃん! ば、ばいばい!」
砕けた笑みだ。やはり、歳が近いというのは大きいらしく、シェリーは早くもリリーに心を許したようだ。
「ばいばーいです! ハルトさんもー!」
不本意ながら、軽く手を挙げる。
無視しよう、と先ほど言い聞かせたばかりなのに、どうしても無視できないこの性格は、良いのか悪いのか、ハルトには判別がつかない。
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