第56話シェリーですか?

「あ、あの私、シェリーと言います。よろしく、お願いします……」


 眼前の少女はおどおどしながら、目一杯頭を下げた。

 燃えるように透き通った紅髪が風になびく。見たところ、年齢は十六とかそこらへんだろう。丸くて小さい鼻とクリっとした眼はなんとなくタヌキ顔と言いたくなる。それなりに値の張りそうな剣と、短めの黒スカート、白いシャツのような上着。

 見るからに防御しませんと言わんばかりの薄着だが、シェリーの全身を包み込むようにうっすらと展開されている障壁は、この薄い防具によるものだろう。きっと見た目以上に防護性が高い。


 今にも泣きだしそうなはどことなく、出会ったばかりのモミジに似ている。


「よろしく。俺はハルト。で、右からユキオ、マナツ、モミジだ」


「「「よろしくー」」」


 三人に気圧され――大半はマナツの大きな声のせいだが、シェリーは一歩後ずさりをして、口角をひくつかせながら何度も頭をぶんぶんと上下に振った。


「それじゃ、これから四週間は俺達と一緒に生活することになるんだけど、大きな荷物もなさそうだし、とりあえず軽く現状の能力を把握しに行こうか」


 ハルトは内心で優しく、優しくと連呼しながら慎重に言葉を選ぶ。でないと、彼女はほんとに今にも涙をこぼしそうだ。


 ハルトが先頭で、その後ろを困り顔というかどう対処するべきか悩んでいるユキオ、そしてそのさらに後方ではマナツとモミジがシェリーに色々と話しかけている。

 こういう時の女性陣の対応には、本当に頭が上がらない。


 馬車に乗り、駆け出し冒険者が始めに通過する登竜門である、暴君の草原へと向かう。

 道中、何とかたどたどしくではあるが会話を繋げ、色々とわかったことがある。まずは、やはり彼女は異世界から召喚された存在だということだ。

 シェリーが暮らしていた前の世界でも魔物という存在は、多少の違いはあれど存在していたらしい。しかし、彼女は向こうの世界では何の変哲もない村娘。父親の畑仕事の手伝いをしていたところ、突然意識が遠のき、気が付くと一糸まとわぬ姿でこの世界に連れてこられていたようだ。


「うっわ! なにそれ、ひどすぎる! 挙句の果てに、勇者として魔王を倒してこいって? 王様ひどすぎる! 何だっけ、ディザスター十二世だっけ?」


「ディディバルト十二世ね……。何だよディザスター十二世って」


 しかし、さすがに人間界の王とはいえ、このような暴君っぷりは同じ世界の人間として恥だ。今すぐ彼に変わってシェリーに頭を下げたいが、そんなことをされては彼女も困惑してしまうだろう。


 そしてもう一つ、彼女は異世界渡りによる特別な能力があるらしい。しかし、他に召喚された三人に比べ、なんとも微妙というか、強さの度合いが付きにくい能力であった。


 『魔力吸収』――シェリーの特殊能力で、生きている者から魔力を奪い取り、自分のものへと変換する能力らしい。


 彼女曰く、ぼんやりとやり方が頭に浮かんでくるらしいが、魔法を覚えた時のような、なんとも言葉に表せない感じなのだろう。


 とにかく、この能力に関してはハルトも未知数なので、検証の余地がありそうだ。


 暴君の草原に着くと、目当ての魔物であるスライムも繁殖期を通り越してまばらにしか存在しない。

 五人以上の冒険者が固まってディザスターにいると、魔物の大量発生が起きてしまう恐れがあるため、ディザスターの境界ぎりぎりで彼女の実力を見ることにした。シェリーとハルトがディザスター内で、マナツ、ユキオ、モミジの三人にはハルトの一歩後ろ、つまりディザスターの外にいてもらう。


「それじゃあ、スライムを相手にまずは一人で戦ってみよう。たぶん、その装備なら突進されたとしても、ほぼ無傷で済むと思うから」


「は、はい……ッ!」


 彼女なりに張った声を出したようだが、やはり声裏は震えている。へっぴり腰で剣を引き抜き、ハルトが誘導してきたスライムと向かい合う。


 スライムはぼよん、ぼよんと軟体的な跳ね方をして、シェリーを射程圏内に捉えると、グッと身体を引き延ばして、ばねのように自分の身体を飛ばした。


「ひッ……!」


 シェリーは突進してくるスライムからおもむろに目をそらし、構えた剣を前に出すのではなく、抱きかかえるように内側に引っ込めてしまった。

 スライムの決して早くない突進がシェリーの左肩に直撃する。防具の効果だろうか、スライムはバシッ跳ね返され、シェリーも痛がる素振りを見せてはいない。


「シェリーちゃん! 剣! 剣!」


 マナツのよく分からないアドバイスを聞き、シェリーは震える手で剣をぎゅっと握りしめた。

 彼女の顔は既に涙でくしゃくしゃだ。無理もない。突然、よくわからない世界に召喚された元村娘が、魔物と相対して、たとえスライムだろうと恐怖を感じないわけがない。実際に味わう魔物の怖さはハルトにもよくわかる。


 再びスライムが突進してくる。


「振れば当たるよ!」


 ユキオもハルトの後ろで気が気じゃないといった様子で、何とか彼女に剣を振るわせようとする。


「……頑張れ、シェリーちゃん……!」


 モミジは小さくつぶやく。


 ハルトは無言で剣を引き抜いた。念には念を――だ。


 過呼吸気味に息が上がったシェリーの目は死んでいない。恐怖に沈みかけた視線であるが、それでも今度はしっかりとスライムから目を離さなかった。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」


 半ば叫び声ともいえる掛け声と共に剣を振り上げ、そして一気に振り下ろした。


 その瞬間、ハルトは動き出していた。




 往復で五時間以上馬車に揺られ、全身がギシギシと唸っている。昼前に街を出て、帰ってきたころにはすっかり夜がふけっていた。


「本当に、申し訳ありません……」


 馬車を降りて、何度聞いたかわからない謝罪が飛んでくる。


「いや、本当に気にしないで。むしろ、よく逃げなかったよ」


 シェリーがひたすらに平謝りをするのは、草原での一件なのだが、どうやらだいぶ引きずっているようだ。


 シェリーがやけくそ気味に振りかぶった剣はスライムに突き立つことはなかった。一言で言うなら、振り下ろすのが早すぎたのだ。シェリーの剣は地面をガツンとえぐり、小さな土ぼこりをまき散らすだけに終わった。

 一拍遅れて、前のめりの彼女の顔面にスライムの突進がクリーンヒットし、彼女は派手な尻餅をつくような形で後ろにひっくり返った。防具の効果で大事には至らなかったが、装備のつたない冒険者であれば、脳震盪くらいは平気で起こしていただろう。


 例のごとくバシッと弾かれたスライムをハルトが一太刀。その場は事なきを得たが、その一件でシェリーは再びスライムを直視することすらできなくなってしまった。そのため止む無くソーサルに引き返してきた。


「はうぅ……」


 シェリーはあからさまに肩を下ろして、慰めの言葉を必死にかけるマナツとモミジにも何度も謝っていた。


 しかし、わかっていたことだが、彼女を魔物と正面切って戦えるようにするというこの依頼は、だいぶ難関だ。徐々にステップを踏んでいくしかないだろう。


「とりあえず、歓迎会でもする?」


 ユキオの提案にマナツが速攻で賛成の意を上げ、ハルトとモミジも異論はなかった。シェリーは「わ、私なんかに歓迎会などもったいないです」などと、ひたすらに断っていたが、もちろんそんな意見を聞き入れる気は毛頭ない。

 どうせ金ならこのあとアホみたいに入ってくるのだ。


 有無を言わさず、豪華な食卓を囲む。

 シェリーも最初はうつむきがちであったが、徐々になじんできたのか、ユキオとマナツが眠りに落ちるころには、ちょくちょく小さな笑みを見せてくれるようになった。


「シェリーちゃん、本当にいいの?」


 モミジがつい先ほどした質問を、繰り返すようにシェリーに投げかけた。


「も、もちろんです。その、私は一番最後で大丈夫です……」


「そう? じゃあ、お先に失礼します」


 何の会話かというと、モミジはどうやらシェリーと一緒に風呂に入りたいらしく誘っていたのだが、彼女は両手を前にだして拒否。女性同士なんだし、羞恥心とかじゃないと思う。やはり、まだ遠慮しているのだろう。


 さて、困った。

 ユキオとマナツはいつの間にかふらふらーと部屋にこもって、アルコールの勢いで寝てしまったため、今この場にいるのはハルトとシェリーだけだ。


 卓を挟んで座る彼女は、もじもじとしながらうつむいている。ハルトはさすがにもじもじはしないものの、空になりかけたジョッキに口をつけたまま、沈黙。


 人と話すのは得意じゃない。

 たぶん、シェリーも同じだろう。それでも、やはり先輩としては何か話さないといけないわけで、ハルトが口を開いた瞬間、シェリーの方が早く言葉を発した。


「あ、あの……!」


「……どうした?」


 シェリーは吐きかけたため息を飲み込む。


「私、皆さんにご迷惑をたくさんおかけすると思いますが、その、が、頑張るのでよろしくお願いします……」


 何を言われるのかと冷や冷やだったが、杞憂な心配だった。


「大丈夫だよ。今はシェリーだって仲間なんだから、いっぱい迷惑かけなよ。助け合ってなんぼの職業だからさ、冒険者って」


「あ、ありがとうございます……。そ、それでもう一つだけ、お願いがあるんですけど……」


 シェリーは指を交差させて、やはりもじもじしている。


「――手、握ってもらっていいですか?」


「……はい?」


 しまった、酒が回っているのかシェリーの言葉の意味が理解できない。酒のせいでもないような気もするけど。


「あ、あの、別にですね、その、変な意味ではなくてですね! ただ、父によく手を握ってもらってて、そうすると怖くなくなるっていうか、震えが止まって、えっと、うーん……」


 目を回しながらあたふたするシェリーに、思わず少しだけ声を出して笑った。存外、彼女は可愛らしい。


「いいよ」


 シェリーの手を取って、軽く握った。戸惑いが伝わる仕草で握り返される。


 温かい小さな手だ。こんな小さな手で、王は剣を振るわせるのか。


 ディディバルトに反吐が出る。


 せめて、彼女が一人でもなんとか生きていけるようにしなくては。そして、彼女も理不尽すぎる自分の運命を受け入れ、覚悟ができたようだ。


 でも、結局のところ――


「魔剣士なんだよなぁ……」



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