第50話ストーカーですか?
誰かに見られている。
絶対に――。
ふと、振り向く。
中央広場は喧噪に包まれている。いわゆる、いつも通りだ。しかし、いつもとは違う視線が一つ、常に付きまとっている。
「どうしたの? ハルト君……?」
横を歩くモミジはたぶん気が付いていない。気が付いていれば、絶対に視線を向けるなり、小声で知らせるはずだ。
「……いや、何でもない」
気のせいかもしれない。自意識過剰だろうか。確かにモミジと二人きりで並んで歩くというのはどうにもこそばゆく、無いはずの視線が向けられていると錯覚しているのかもしれない。
さっきのカフェでの出来事もあったからね……。たぶん、そうだ。気のせいだ。
割り切って歩みを進めた瞬間、またしても視線を向けられているような気配を後方から感じた。じんわり、汗が滲む。
なになになになになんなの? 怖いんだけど。ストーカーってやつですか? でも、なんで俺? あ、いやモミジのストーカーの方が断然可能性あるか……可愛いし。いや、そうじゃなくて。
「具合、悪い……?」
「だ、大丈夫。ちょっと人酔い的な……。ほんと、大丈夫」
「裏道通っていく?」
「だ、だめ! それは、だめ……」
今、襲われてはモミジを護れる気がしない。なんせ、この場には二人しかいないのだ。自力でモミジを護れるとは過信していない。
いや、情けないなぁ。
この視線の正体がマナツやユキオのものではないだろうか、とも考えたが、それは可能性的には低そうだ。なぜなら、視線の正体があいつらだとするならば、胸の奥底がじんわり熱い感覚――つまり、あの力がある状態の独特な感覚が生まれるはずだ。今はその感覚が一切ない。
では、マナツかユキオのどちらか一人だけの可能性はないのだろうか。それも可能性的には薄いだろう。ユキオはそもそも一人でストーカーとかしないと思う。意外とあいつもめんどくさがり屋だからな。マナツに関しては、ああ見えて実際、結構な寂しがり屋だったりする。まぁ、好奇心の旺盛具合も考えて、ないとは言い切れないが。
では、マナツとユキオでないのであれば、誰なんだろうか。正直、心当たりがないような、あるような。あるとすれば、あの力――すなわちパーティーバフの存在をよく思わない人、もしくは謎を解明しようとする人だろうか。
先の魔軍侵略でパーティーバフのことは、多くの冒険者に噂として広まってしまった。その噂を聞きつけて、ただの好奇心か負の感情を持ってか分からないが、結果的にストーキングしているという筋が有力だろう。
でも、なんか殺気とか、そういうたぐいの視線というよりは、なんていうの? 好奇心の方に近いかもしれない。
「……見られてますね」
「気づいた……?」
ようやくモミジも視線に勘づいたようだ。先ほどまで、あからさまに緩い表情をしていた彼女の表情が一変する。
「落ち着け。なるべく、平常心保って……。気づいたとバレると厄介だから」
「でも、これ……殺気だと思う」
「えっ? 殺気……?」
おかしい。モミジには殺気として受け取れるようだ。
言ってしまえば、ただの視線。見られている程度のものなので、視線に対する感情の受け取り方に違いがあったとしてもおかしくはない。おかしくはないが、おかしい。
いや、おかしいというか、引っかかる。
「それで、どうする……? マナツたちと合流する?」
「いや、家に帰ったとしても二人がいるとは限らない」
「それじゃあ……」
モミジが唾を飲み込む。
「俺たちでやるしかない」
このまま放っておくわけにはいかない。もし、襲われたとしたらどうにかしてモミジだけ逃がそう。
横目でモミジに目を向ける。唇にギュッと力が入っているのが見て取れる。
そりゃ、怖いよな。俺だって、めちゃくちゃ怖いもん。でも、怖いだけなら大丈夫だ。
視線は依然ついてきている。後方二十メートルか三十メートルだろうか。やや右方向? いや、よくわかんね。
「……あーめんどくせ」
なぜか横でモミジが少し、本当に少しだけクスッと笑った。気になるが、真意を聞くにしても後でだ。
中央広場を外れ、裏路地に入ろうとモミジの手を取った――刹那、身震いするほどの殺気が伝わってきた。思わず、モミジの手を力強く握った。
どっちに対してか分からないが、モミジは「ひっ……!」と小さく悲鳴を上げる。
怖い……。いや、怖すぎるでしょ。この状況。勘弁してくださいよ、ほんとに。
ハルトは立ち止まっていることに気が付き、慌てて急半回転、右裏路地に転がるように入り込む。そして、そのまま直線二十メートルの路地を進む。突き当りはT字路になっている。なるべく、家の方向である左を選択して、さらに突き進む。
大丈夫。あわてるな……。ついてきている。焦って、気づかれてしまったら、まだ中央広場は近い。逃げ込まれたら、見つけることは不可能だろう。
さらに路地を二本進み、次の角を曲がった瞬間、魔法をできるだけ小声で詠唱する。モミジは黙っているが、ハルトが何の魔法を使おうとしているのか理解したのだろう。彼女は小さく頷いた。
詠唱を続けたまま、路地を歩く。次を左に曲がると、少しだけ広い道に出る。片を付けるとすればそこしかないだろう。
直線の路地を歩き、角を曲がる。少し歩き、振り返りざまに魔法を放った。路地に入ってから視線の距離はかなり近くなった、ような気がする。顔を出すタイミング的にはジャストミートだろう。
宙に魔方陣が浮かび上がり、そこから音もなく光の刃が射出される。刃は風を切り裂く音すら立てずに直線に軌跡を刻む。
まだ、そいつは顔を出していない。
そして刃が曲がり角を突っ切る瞬間、ちょうど現れた物体と刃が接触し、刃は形状を縄に変え、獲物をがんじがらめにする。
攻撃と束縛の両方を兼ね備えた魔法――ラストレルスカージだ。しかし、今回は魔力を最小限にとどめたので、おそらく標的は傷つけてはいないはずだ。あくまで、束縛だけ。
みるみるうちに光の縄に締め上げられていく
ストーカーとおぼしき者は、地面にドサッと崩れ落ち――
「あぅ……ッ!」と妙な声を漏らした。
縄をほどこうとジタバタしているストーカーに恐る恐る近寄る。光の縄はちょうど獲物を目隠しするように絡まっているため、向こうの素顔は見えない。
一応、モミジに合図して魔法を用意しておいてもらう。
「……おい」
ひとまず声をかけてみると、そいつはピタッと動きを止めた。
「あ、あの! 私、怪しいものではなくてですね……って、なにこの縄。なんで、口の中まで入ろうとしてるんですか! ちょっ! まっ……フゴ、モガッ、ケフッ!」
「いや、十分怪しいだろ……」
背丈は明らかにモミジやマナツよりも一回り小さい。といっても百五十くらいはあるだろうか。声質からして女性であることは間違いなさそうだ。目は見えないが、遮られた外套の奥から、艶のある黒髪が覗いている。
少し、不用心な気もするが魔法を解除する。光の縄は徐々に薄れていき、次第に見えなくなっていった。
剣の柄に手を添える。モミジは既に魔法の詠唱を終えて、ハルトのすぐ後ろに控えている。
外套の女性? 少女? がのっそりと立ち上がり、一瞬ふらついた。
「……なんで俺たちを尾けるんだ?」
外套がプルプルと震える。
「おい、聞いてるのか……!」
「……さん。……るとさん……」
剣を引き抜こうとした瞬間、彼女は鼻先まで降ろしていたフードをガバっと取った。長い黒髪がふわっとなびいた。顔立ちは少しだけ幼さの香りを残したような童顔で、大きな瞳が特徴的な少女だ。
思わず、柄を握る手を緩めた。
まっすぐにハルトを見つめる彼女。そして、声を大にして言い放ったのである。
「ハルトさん! 好きです……ッ!」
「……はいぃッ?」
そう反応したのはモミジだった。
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