Ⅹ‐ ②
「シン!」
すぐそばで誰かが呼ぶ。
全てをあきらめ掛けた俺であったが、俺の名を呼ぶその声に、救いを求めるが如く、渾身の力で両手を前に差し出した――。
手の平には、ひやりと冷たく硬い感触。黒い壁だと思った物、それは車のボディーだった。
「おい! 大丈夫か!」
顔を上げると、車中のアキラと間近で目が合った。それとほぼ同時に後部座席のドアがスライドして、中から誰かが飛び出して来た。
「サコツ!」
一気に三メートルばかりも飛んだサコツは、俺と、それを追って来た乱堂恭介の間に割って入る形となった。
「退けえっ!」
乱堂恭介がサコツの前で右手の凶器を振るう。
素早いバックステップで刃をかわすサコツ。しかし、サコツもナイフを持った相手には迂闊に手が出せない。
突き出されたナイフをひらりかわしつつ、体をねじってサコツが回し蹴りを放つ。それをあっさりいなす乱堂恭介も、元バスケ部エースの面目躍如と言ったところか。身体能力ではどちらとも引けを取らない。
勝負を分けたのは、互いの覚悟の差であった。
それまでしっかり間合いを取っていたサコツが、突然前に出たのだ。
動揺した乱堂恭介は、じりじり後退しながら身体の前で滅茶苦茶にナイフを振り回す。と、一旦前に出たサコツが急に足を止めた。釣られて乱堂恭介も動きを止める。が、やつはすでにサコツの間合いの中だ。
サコツはナイフを握っている乱堂の右手を掴み、素早く回り込んで後ろ手に捻り上げた。サコツお得意の型である。乱堂恭介は一声呻いて、ナイフを放した。
勝負あった。と思ったのも束の間、乱堂恭介はサコツの手を無理やり振り解き、尚も戦う構えを見せる。
だが、少し遅かった。その時すでに、サコツの拳は十分に溜めを作っていた。
相崎百合香と付き合い始めてこの方、サコツは永らくその拳を封印して来た。
それまで、サコツの拳は全てを貫く無敵の矛であった。しかし、相崎百合香との出会いによってその矛は形を変える。形を変えたサコツの拳は、彼女を守護する最強の盾となったのだ。
さりとて、忘れたわけではない。刃が錆びたわけではない。切っ先を丸めたわけではない。サコツの拳は今も変わらず、無敵の矛であり続けている。
今や伝説とまで謳われる、サコツの拳が放たれた――。
それは、俺の見たサコツ最後の一撃でもあった。
……さぞかし重い一撃だったのだろう。乱堂恭介は打たれた腹部を押さえて、地面にうずくまっている。
「まあ、そこらへんにしといてやってくんねえかなあ」
車から降りて、アキラが言った。
「なんで、おまえがここに? それにサコツまで」
俺の頭の中はわからないことだらけだった。
「これだよ」そう言ってアキラが俺に渡して来たのは、あのヤブレーダーだった。「この間、おまえの携帯にも仕込んでおいた」
この間、と言うのはそうか。こいつの部屋に行った時、俺が寝ている間、と言うことだな。
「そいつは、ここに来るまでにたまたま拾っただけだ」サコツの方を向いて、アキラが言う。「てめえがやべえって言ったら、自分からわざわざ乗って来やがったんだぜ、こいつ」
いつもの薄ら笑いを浮かべ、アキラは俺の方に向き直った。
「こんなことになって、おまえには済まないと思う。だが、今ここで起きたことは他言無用にしてほしい」アキラは難しい顔をして言った。
「どういうことだよ?」
「おまえはなにか勘違いしてるかも知れねえが、俺は別におまえを助けに来たわけじゃねえ」
今度は俺が難しい顔をする。
「俺は乱堂を止めに来ただけだ。こんなやつでも、一応俺らの仲間なんでなあ」
「はあ!?」
こいつと一緒にいると、なにかと驚かされてばかりだ。
「新しい借りができたついでに、特別に教えてやる。だが、それよりもまずはてめえの怪我の手当が先だ。車に乗れ。おい、もう一人のおまえは、俺と一緒に乱堂を車ん中に入れんのを手伝え――」
結果、俺が助手席に座り、後部座席にサコツと乱堂恭介が乗ることになった。乱堂恭介はアキラの手によって猿ぐつわを噛まされ、耳栓と、後ろ手に手錠まで掛けられている。
「乱堂は俺らの一員だ。と言うか、おまえらの呼んでる『特捜部』ってのがそもそもこいつ個人のことなんだが」
アキラは車を運転しながら、俺たちに語って聞かせてくれた。
「俺らの目的、それは今後社会の害悪となるであろう悪の芽を早期に摘み取ってしまうことだ。それも、一切の私情を挟まずに。だが、乱堂はそれを守らなかった。こいつも、最初は職務を忠実にこなすいい子ちゃんだった。だが、ある時期からこいつは生徒会のメンバー二人に、自分の整形に関することで強請りを受けるようになった。それに対し、こいつは俺らの総意でないにもかかわらず、そのメンバーを号外で陥れ、学校から放逐したのさ。これに味を占めたこいつは、その頃から段々と増長する姿勢を見せて行った」
俺たちが一年の頃に遭遇した二回の号外は、どうやらこれのことを指しているらしい。
「俺らの中でも乱堂排斥論が起こったが、それには難色を示すやつも多かった。と言うのも、こいつの親父が俺らの大事なスポンサー様だったからなんだがなあ。だが、そんな時に決定的とも言える事案が発生した」
アキラは横目でちらりと俺を見た。
「真柴孔明だよ。あいつに乱堂がしたことは、私刑以外の何物でもない。そこで、これは捨て置けんと言うことで、俺が動くことになった」
後部座席では、悪あがきする乱堂恭介をサコツが押さえ込んでいる。
「とは言え、俺らが直接手を下したとあっては、スポンサー様もご立腹なさることだろう。となったところで、頭のいい俺は考えた。外部の人間を使ってそれをやらせよう、と。そして、それにはうってつけのバカ共がいるじゃねえか、ともなあ」
なにがおかしいのか、アキラは突然大声で笑い出した。
「結果はご覧の通り。おまえらは本当によくやってくれた」
赤信号で車が停まった。
「しっかし、こっからの乱堂の動きは予想外だった。こんなにも早くおまえらのことがバレるとは俺も思っていなかった。さすが、腐っても鯛は鯛だな。乱堂の動きは俺が監視していたんだが、こいつは見事にそれを振り切った。こいつは俺のヤブレーダーにハッキングを掛けて、おまえの携帯の位置情報履歴を漁り、日々の行動パターンを予測していやがったのさ。俺がそのことに気付いた時、乱堂はもうおまえの元に向かった後だった」
青信号に変わり、車は再び走り出す。
「さっきも言ったが、俺の目的は乱堂を止めることだけだ。俺らも、乱堂恭介という存在は一度社会の表舞台から消すべきだとは思っていた。が、そのためにこいつを犯罪者にするわけにはいかなかった。もしそうなった場合、俺らは俺らよりもっとデカいやつらを敵に回さなきゃならなくなる。そんなのはまっぴら御免というわけさ」
車は、市内の総合病院へと入って行った。
「だから、おまえには悪いが、その傷が乱堂によって付けられたものだということは口外しないでもらいたい。無論、警察や裁判所に駆け込むってのもなしだ。いいな?」
俺はどう答えるべきか迷った。
「忘れたわけじゃねえとは思うが、おまえに関する情報は全て俺らが握ってるってこと、それがどういうことかわからねえほど、てめえもバカじゃねえだろう?」
結局、俺はアキラとの取引に応じることにした。俺の個人情報を担保に、今日起きたこと、見聞きしたことは決して口外しない、と。
俺とサコツは病院で降ろされ、アキラの車は乱堂恭介を乗せたまま、いずこかへ走り去って行った。俺の傷は五針も縫う大怪我だったが、幸い大事には至らなかった。
それからは連絡を受けた家族が飛んで来て色々面倒なことにもなったが、「ひとまず安静に」とだけ医者に告げられ、ようやく帰宅が許された。
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