Ⅹ‐ ①


 翌日の授業は、一時間遅れで始まった。

 教師連中も表情が堅く、なんだか学校全体が重く沈んだ雰囲気に包まれている。休み時間、たまたま廊下を歩いていた由口雄貴を捕まえて話をした。どうやら、生徒会長・乱堂恭介は今日、学校に来ていないらしい。


 今回の騒動は、その翌日には地元の新聞でも取り上げられることとなった。俺たちは乱堂恭介に関する資料を、やつが推薦で受かった医大にも送り付けていたので、新聞の記事には「今回の件を精査し、当該生徒の入学の是非については学内でもう一度検討する」といった大学側の見解も記載されていた。

 そんなことにもなったせいか、しばらくの間、学校の近くにはマスコミ関係者と思しき人間が複数うろついている様子が見られ、中には「取材を受けた」と言って鼻高々に話のネタにして触れて回る、安納幸寿以下数名のバカまで現れる始末だった。

 学校には毎日、ひっきりなしにいろんなところからいろんな人間がやって来て、俺たちは甚だ落ち着かない学校生活を強いられることになった。

 とは言え、これも自分で蒔いた種だ。俺はそれを粛々と受け止め、「いや、これで良かったのだ」と自身を納得させることに終始した。


 そんな日々の中で、俺は事あるごとにマシバにメールを送り続けていた。毎回きちんと返事が返ってくるわけではなかったが、それでも何回かに一度返って来る素っ気ないメールは、俺を元気付けてくれた。

 俺は何度もマシバに復学を勧めたが、やつはその気はないと言う。

 マシバ曰く、メールにて『高認を取って、適当な大学に入る』ということだった。


 一人で歩く帰り道にも、もう大分慣れた。途中公園に寄り、自販機で飲み物を買って帰る。そんなことが最近の俺の日課になっていた。

 今日はコーンポタージュにしよう。

 缶底にへばり付いたコーンの粒を惜しみつつ、俺はそいつをゴミ箱に放り込む。

 一息ついてから、再び家までの道を歩き出す。

 街灯もまばらな住宅街は人通りも少なく、時折、細い路地から吹き込む冷たい風に足を止める。 


「さみぃなあ――」


 呟いてみたとて、返事を返して来るやつは俺のそばにはいない。

 吐き出した白い息が一つ、目の前ですぐに消える。それは、自分が今生きていることを証明してくれる、魂の欠片みたいなものだと思った。


 ふと考える。俺のやって来たことはなんだったのか、と。


 マシバを救ってやりたかった。

 それは俺の、俺たちの切なる願いだった。その結果、乱堂恭介は叩いた。が、それはマシバを救うことに繋がったのか?

 なにか根本的な部分で俺はやり方を間違えたのではないか、でなければ、なにか他にやり残したことはなかったか、と疑念が過ぎる。しかし、ポタージュの缶にへばり付いたコーンの粒もろくに取り出すことのできない俺に、その答えを見つけることなんて、できようはずもない。


 ――いや、これで良かったのだ。


 結局、俺はそんな無理やりな納得の仕方で自分を慰めることしかできない。

 こんな、こんなちっぽけな自己満足を積み上げて行ったところで、一体いつになったらこの心の隙間は埋まると言うんだ?


 その時、俺の携帯が鳴った。知らない番号からの電話だった。


「……もしもし?」


 とりあえず、出るだけは出てみよう。それが一応の礼儀と言うものだ。


「おい! てめえ今すぐそっから離れろ!」電話越しに誰かが叫んでいる。

「誰、おまえ?」

「俺だ、俺!」


 どこかで聞いたことあるような声だなあとは思うが、それが誰か思い出せない。


「だから、誰だよ?」

「いいからさっさと俺の言うことを聞け!」


 随分と上からの物言いをする。そんなやつが俺の知り合いに……いたなあ、そう言えば。


「なんだ、おまえアキ――」



「走れ、シン!」



 その瞬間、横の路地からなにか黒い物が飛び出して来た。俺は咄嗟に後ろに飛び退いてそれをかわす。なにかが腕を掠めたらしく、その拍子に携帯を取り落してしまった。

 よろめく足を踏ん張って、身体を起こす。顔を上げた先には人影が一つ。俺はぎょっとして数歩後ずさる。

 背後の闇に同化したかのような黒い人影は、ゆらりと身体を揺すって俺の方に向き直った。ただならぬ気配を感じ、俺はまた一歩足を後ろへ送る。僅かにだが腕が痛む。

 目の前の人影がこっちに足を踏み出す。と、そいつの身体の横でなにかがきらりと光った。


 ――ナイフだ。


 刃渡り二十センチはあろうかというサバイバルナイフを、そいつは右手でしっかと握っていた。

 全身が総毛立つ――と同時に、俺の視界は痛む自分の右腕へと移って行く。

 着ていたダウンジャケットは袖口から十センチほどのところでぱっくり裂け、中の綿が露出してこぶのようになっている。そして見れば、俺の手の甲は指先まで赤黒い液体でべっとり覆われていた。


 ――切られた!


 そう自覚した瞬間から、朱に染まった右手が震え出す。

 さっきよりも強く、より鮮明に痛みを感じる。言うことを聞かない右腕をジャケットの裂け目から左手で押さえ付けた。鼓膜と心臓を直接繋げたかのように、どくどくと激しく脈打つ音が耳の奥で鳴り響いている。

 俺の目の前に、さっと影が落ちた。

 顔を上げて確かめるまでもなく、俺は地面を転がるようにしてその場から離れた。

 しかし、すっかり腰砕けになってしまった俺は幾らも進まぬ内に、その場に倒れ込んでしまった。思わず後ろを振り返る。やつは俺のすぐ後ろに立っていた。

 薄暗がりの中、浅く被ったフードの隙間から街灯の僅かな明かりに照らされ、ぼうっと浮かび上がったその顔を見て、俺は声を上げた。


「乱堂――!!」


 咄嗟に口走った俺の一言に、そいつ――乱堂恭介は一瞬、動きを止めた。

 すかさず、俺は背中からずり落ちた通学カバンをやつに投げ付け、暗い路地を無我夢中で駆けた。

 後ろからはパタパタという足音が微かに聞こえる。

 俺と乱堂恭介の間にどれほどの距離があるのかまったくわからない。振り返るも恐怖、前を向くも恐怖。前後から恐怖に挟まれた俺は息をすることもままならない。

 辛うじて開けていた視界を、横から巨大な黒い壁が遮る。


 俺は、絶望のなんたるかを悟り、全身の力を失ってその場に崩れ落ちた――。


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