Ⅸ‐ ④

 一月八日。

 始業式の朝は冬晴れの空の下、陽の光柔らかく、寒風穏やかにして空気清らか。

 絶好の討伐日和に胸の鼓動も高まる。


 登校して来た俺たちに、生徒会長・乱堂恭介は校門前でにこやかに会釈する。


「新年、あけましておめでとうございます。皆さん、今年も良い一年を――」


 ――新年、あけましてさようならだ、バカ野郎! 残念だが、てめえの一年は今日終わる。


 俺は偉大なる生徒会長様に深々とお辞儀をし、震える足で校舎へ踏み入った。


 周りのみんなは、それぞれ久方ぶりの再会に頬も緩み切っている。これが数時間後には皆、驚愕と戦慄の表情に変わるかと思うと、今から俺の顔面も溶け落ちてしまいそうなくらいだ。

 だが、まだ早い。

 今日一番、いや、我が人生一番の大勝負がすぐそこに控えている。まだだ、張り詰めた緊張の糸を解くのは、まだもう少し先だ。

 そんな俺は今、職員室すぐ脇の教職員専用トイレの個室に身を潜めている……。


 ピンポンパンポーン。


『全校生徒の皆さんは、速やかに体育館に集合してください。只今より、三学期始業式を始めます。繰り返します……』


 トイレの中で放送を聞いた。教師連中が体育館に向かっているのか、外から聞こえる無数の足音が徐々に遠ざかっていく。

 その時、俺の携帯が震えた。どうやら、俺の出番が来たらしい。

 LINEの送り主は由口雄貴である。

 この少し前、やつは生徒会の代表として教職員を出迎えに職員室まで足を運んでいた。しかし、元々そんな仕事は生徒会にはない。由口雄貴の役目は、職員室から全教職員が退出するのを見届けた後、この俺にそれをLINEで知らせることだ。


 そして、ここからが俺の一人大舞台となる。


 由口雄貴からのLINEを受け取った俺は速やかにトイレを後にし、職員室に潜入する。この時、職員室には鍵が掛かっていたのだが、職員室の壁の下の方にはいくつかスライド開閉式の小窓のような物があり、その中の一つの鍵を昨日の内に由口雄貴がこっそり開けてくれている。俺はそこを使って職員室に出入りするのだ。

 無人の職員室に忍び込んだ俺は、迷わず生活指導主任であるババア教師の机に向かい、そこに置かれているノートパソコンを起動させた。

 実はこのノートパソコン、通常の教員業務で使われるのとは別に、学校のウェブサイトを一元管理するための専用端末としての側面もある。

 多くの学校がそうであるように、俺たちの学校にも保護者向けのメール配信サービスというものがある。これは学校のウェブサイトにアドレスを登録するだけで、緊急時などに「お知らせ」としてメールが届くというサービスである。その情報はサイト内で厳重に管理されているので、外部からの侵入は極めて困難と言えよう。

 だがしかし、今俺の目の前にあるこのノートパソコンには、そのウェブサイトを管理するための管理者用ページというものが存在している。そこからならば、パスワードを入力するだけで簡単に管理者用ページにアクセスすることができ、やりたい放題メール送り放題というわけなのだ。

 唯一の問題は、管理者用ページにアクセスするためのパスワードがどういうものかということだけ。

 ところが、このノートパソコンの持ち主である生活指導主任のババア教師、こいつはバカだから、「忘れては困る」と管理者用のパスワードを付箋にメモして机に貼り付けていたのだ! まったく、一体なんのためのパスワードだと思っているのか?

 敵は外ではなく内に潜むものだと、義務教育で習わなかったのだろうか、こいつは? 指導と言うならこいつが真っ先に指導を受けるべきだとは思うが、実際俺たちはこのバカのおかげでこうして救われているのだ。感謝こそすれ非難はすまい。

 どんな人間だって、道端に落ちている片方だけの軍手くらいは役に立つこともあるというものだ。


 ちなみに、これらの情報は全て、いずれ来たるべきこの作戦に備え、二学期の間から由口雄貴に頼んで探らせていたものである。由口雄貴は、己の後悔を補って余りあるだけの活躍を果たした。今や、彼を「裏切り者」と罵る人間は一人もいない。


 楽々と管理者用ページにアクセスし、メールボックスからメール送信の準備に入った。そこで、俺は持って来たUSBメモリを挿入し、その中にある一つの文章ファイルを開く。


「重要なお知らせ文」――ロッテに作ってもらったそれを、俺はメールに転載した。


『件名:重要なお知らせ

 本文:保護者各位の皆様におかれましては、日頃より本校への多大なるご支援、ご協力を賜り、教職員一同及び後援会支援メンバー共々、心より感謝いたしております。

 本日でありますが、本校において先頃発覚いたしました重大事案につきまして、その詳細を保護者各位の皆様に対し、ご報告申し上げます。

 本校に置いて、学力試験の結果に対する不正な操作が行われていたことが発覚いたしました。これは本校の一部教師たちと特定の生徒との間で、双方合意の下行われた行為であり、不正の主な内容は学力試験の点数水増し及び内申点の過剰引き上げという二点であります。

 不正を主導していた人物は本校生徒の代表たる生徒会長職に従事している者と見られ、教職員の中で本件に関与していた者も複数いるものと見られています。また、件の生徒会長の父親が主催する会合に、不正に関与したと思しき教職員が複数名参加していたとの情報も得ており、双方の間で金銭その他の授受があったかなどについて、調査は現在も続行中であります。

 これら、教育現場においてあってはならぬ事態が起きてしまったことにつきまして、保護者各位の皆様には謹んでお詫び申し上げます。尚、本件の経緯また調査状況の進展等につきましては、誠心誠意対応させていただく所存でありますことを、重ねて申し上げておきます』


 俺はメールの送信ボタンをクリックした。送信先はゆうに千を超える数なので、送信が完了するまでには少々時間が掛かる。

 送信完了を確認すると、俺はすぐにノートパソコンをシャットダウンし、USBメモリを引き抜き、急いで職員室を抜け出す。どうせ、式には間に合わない。

 俺はそのまま保健室に直行し、仮病を使ってベッドに横になった。他のやつらには、最初から俺が体調不良で保健室に向かったことになっているとして、口裏を合わせてある。

 保健室には俺の他にも二人ほど生徒がいたが、これも俺が前もって依頼していた二人だ。これならば、事が露見した際に俺一人だけが疑われるということもない。


 間もなく始業式は終了したらしく、生徒たちが教室に帰って行く姿が窓越しに見られた。

 俺は保健室を後にしてクラスに戻った。ロッテにUSBメモリを返し、俺は作戦が上手く行ったことを伝えた。


「やったね、シン」

「ああ。ところで、サコツは?」

「もう行ったよ」

「そうか……」


 作戦はまだ続いている。お次はサコツたち数名による神足部隊の出番だ。

 彼らは始業式後の喧噪に紛れて一回の男子トイレに身を潜める。そこで、あらかじめ用意されていた「偽の号外Ver2」約百部あまりを分け合い、頃合いを見計らってトイレの窓から校舎の外へ出る。そのまま壁伝いに移動して生徒玄関に辿り着いた彼らは、それぞれに割り当てられたクラスの下駄箱に素早く偽の号外を突っ込んで行く。作業が完了した者から再び外を通って男子トイレの窓から校舎に入り、後は俊足を飛ばして各々のクラスへ帰る……。

 サコツもすぐに戻って来た。相当な速さだったにもかかわらず、息も切らしていないというのはさすがと言ったところか。

 サコツは俺たちに親指を立てて見せ、どっかと椅子に腰を下ろした。


 俺たちはしばらく教室でおとなしくしていたが、いつになっても担任が戻ってくる気配はない。

 ややあって、今から全校で一時間の自習時間を取るという旨の校内放送が流れた。

 恐らく今頃職員室では、教師共がひっきりなしに掛かって来る電話の対応に追われているに違いない。それともう一つ、本日付で学校に届いた乱堂恭介に関する資料にも目が通されているはずだ。この資料は、他にも教育委員会やPTAの本部にも送られているので、そこからの問い合わせも来ているのだろう。


 自習時間の後に簡単なホームルームが開かれ、その後すぐ、俺たちは早々に帰宅の途に就かされた。なにやら、これから緊急の職員会議が開かれるのだと言う。

 俺は心中、笑いが止まらなかった。


 全校生徒一斉帰宅となり、生徒玄関は帰宅する生徒でごった返していた。


「おい! なんだこれ!?」どこかで誰かが叫んだ。


 別の場所でも、誰かが驚嘆の声を上げる。生徒玄関はすぐに騒然となった。

 原因は言うまでもない。サコツたちの手によって仕込まれた偽の号外が、次々と発見されていったのだ。

 生徒玄関はもうお祭り騒ぎだ。年明け最初のビッグサプライズに、みんな冬休みボケも正月ボケもいっぺんに吹き飛んだ様子と見える。


 そこへ、血相を変えた乱堂恭介が飛び込んで来た。

 やつは近くにいた生徒が持っていた偽の号外を引ったくり、素早く目を通すとそれを引き千切って、なにか大声でわめき始めた。


 その後すぐ、生徒玄関に大挙して押し寄せて来た一団があった。生徒会と風紀委員会による連合軍だ。やつらは早速偽の号外の回収に当たったが、なにせ今回はいつもの三十枚とはわけが違う。それに、きっともう何枚かは校外に持ち去られた後だろう。その全てを回収し、事態を穏便に済ませようなんて、できるわけがない。

 生徒玄関は普通学生の集団と押し寄せた生徒会&風紀委員会の間で衝突が起き、方々で怒号や罵声が飛び交っている。

 果ては騒ぎを聞き付けた教師連中まで駆け付けて、もうなにがなんだかわからない真っ黒な一つの塊のようになり、到底、事態が収束するものとは思えない。

 俺、サコツ、ロッテの三人は、誰もなにも言わず、ただそれを遠巻きに眺めていた。


 混乱の最中、ふと一瞬、俺はレイリと目が合った。


 それだけでは、あいつがなにを考えているのかなんて俺にわかるわけがない。そんなことで気持ちが通じ合えるほど、俺とあいつは互いに愛し合ってなどいないのだ。

 ただ、その僅か一瞬のレイリの表情は、怒っているような、悲しんでいるような、それでいてどこかほっとしているような、そんなものに、俺には見えた。


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