『遅れてきた最後のバカ』②


 アキラと会ったことは誰にも話さず、俺は普段通りの生活を続けた。やつからの連絡があったのは、土曜の朝六時。

 またしても、ヤブの携帯からだった。


『今おまえの家の前にいる。着替えて出て来い』


 どんな脅迫メールだ、と思いながらも、起き抜けの俺の身体はいつも以上にキレがあった。

 二分と経たずに家を出ると、目の前に止まっていた黒いワンボックスカーの運転席の窓が開き、アキラが顔を覗かせた。


「乗れ」


 俺は車の助手席に乗り込んだ。


「おまえ、免許なんて持ってんのか?」

「真面目か、てめえは? んなことより、今日は一日長丁場になる。まあ、景気付けに一本いっとけ」


 そう言って、アキラは俺に栄養ドリンクを一本くれた。俺がそいつを一気に飲み干すと、車はゆっくりした速度で走り出した。

 しばらくすると、ビンビンに冴えていたはずの俺の瞳は次第に瞼が重くなり、意識は途切れ途切れにだんだんと遠退いて行く。身体にも力が入らない。俺はうわ言のようになにかしゃべっているが、なにを言っているのか自分でもわからない。

 僅かな車の揺れが誘うのか、俺の意識は深い深いまどろみの淵へと沈んでいった。


 意識を取り戻した時、俺は俺の知らない部屋の中にいた。

 元はずいぶんと広い一室のようだが、そこら中所狭しと置かれた巨大な機械群のせいで、なにもない床面は俺の寝ていた場所を含めても畳二畳分あるかないかだ。その狭い空きスペースの一角、アキラは両膝を抱えながら四十インチの大画面テレビでアニメを見ていた。


「よお、起きた?」


 あっけらかんと話し掛けてくるアキラに、俺は寝起きの不快さも相まってイラッときた。


「おまえ、俺になんかしたか?」

「ははは! いやあ、バカにも効く薬ってのはあるもんだなあ」


 悪びれた様子など一切見せず、アキラはテレビを消して俺の方に向き直った。

俺が「ここはどこだ?」と聞くと、アキラは「俺の部屋だ」と短く答えた。

 改めて部屋を見渡すと、何台ものパソコンと業務用のサーバーらしき物がずらりと並んでいる。雑然とした機械類の中にあって、例の大型テレビの周辺だけがきちんと整理されており、そこにはいくつものアニメのDVDが陳列されていた。

 アキラはアニメオタクだったのだ。やつ自身もそれを否定しなかった。

 俺にはそういう世界のことはよくわからない。が、インターネットで見たそういうやつの部屋が美少女フィギュアで埋め尽くされ、壁には隙間なくアニメキャラのポスターが貼られているという凄まじい有様だったのに対し、アキラの部屋にはフィギュアの一体もポスター一枚すらもなかった。俺がそういった疑問を口にすると、アキラは


「二次元として完成されているものを、わざわざ三次元化する必要がどこにある?」


 と言って、わけのわからない持論を展開し始めた。

 アキラ曰く、やつは三次元の女には興味ないらしく、「二次元に千人の嫁がいるからいい」ということだった。俺は呆れた。折角のイケメンが、これでは宝の持ち腐れではないか。


「俺は次元の境界を越えて行く」


 アキラは言った。

 別にこいつがどこへ行こうと俺は一向に構いはしないが、よりにもよって、なぜ、より「高い」次元ではなく、より「低い」次元を目指しているのか、俺にはそれがわからなかった。

 こいつは、とてつもなくデカい理想を最先端のロケットに載せて、地中深くへ飛び立とうとしている。なにか間違っているような気もするが、どうせ三次元の理論などこいつには通用しないのだろう。


「雑談はここまでだ。そろそろ本題に入る」


 急にアキラの顔付きが変わり、俺は身構えた。アキラは真剣な眼差しで俺を見つめ、言った。


「今から、おまえには『嬉し恥ずかし、ドキドキわくわく告白タイム』をやってもらう」


 ポカンとする俺を他所に、アキラは話を続けた。


「なあに、簡単なことさ。おまえのこれまで十七年間の人生を今ここで全て曝け出すだけだ」


 ……なるほど。

 この間こいつの言っていた「人生を渡す」というのは、そういう意味か。


「俺らは金でも動くが、もう一つ『情報』というものを取引材料に動くこともある。と言っても、おまえみたいなザコの一般人の氏素性を耳が腐るほど聞いたところで、乱堂恭介の屁の臭いほどの価値もねえ。でもまあ、そこは今回大負けに負けてやる。おまえが真摯な態度で人生という大きな代償を支払うなら、俺もおまえに相応の対価をくれてやろう」


 ――安いもんだ。


 覚悟を決めた俺は、自分の生まれた日のことから話を始めた。


「……なるほどねえ、それでその名前か。確かに、おまえは千年に一人のバカだ」


 俺の前で、アキラはいつか誰かに聞いたような言葉を口にした。


 その後も俺は、自分で覚えている限りのありとあらゆる出来事をアキラに語って聞かせた。アキラはそれに所々鋭いツッコミを入れ、俺の痛痒い部分を根こそぎ引っこ抜いていく。話は俺の家族や友人関係のことにまで及び、他のやつらについても一人一人、知っていることは洗いざらい吐かされた。


 一体、何時間そうやって話をしていたかわからない。

 部屋には時計がなく、スマホも俺が寝ている間にアキラに取り上げられていた。途中で二回、コンビニ弁当でメシを食ったが、それも朝食なのか昼食なのか夕食なのか、時間の感覚を失くすと皆目見当も付かない。


 俺の話は現在に追い着く形で徐々に進行し、マシバが乱堂恭介にやられた下りになる頃には、俺の喉も枯れ掛けていた。それでも俺は感情の赴くままにしゃべり続け、自分が涙を流していることにもしばらく気付かなかった。アキラはそんな俺の感傷に感じ入る風もなく、ただ黙って、じっと俺の話を聞いていた。


 大体の話を終えて俺が肩で息をしていると、アキラが湯気の立つコーヒーカップを二つ持って部屋に戻って来た。


「御苦労さん。おまえの話は、なかなかに面白かったぞ」


 にやにや笑うアキラと二人、啜ったコーヒーは苦いブラックだった。

 やっぱり、この味はまだ慣れない。

 そう思いながらも、気分はやけにほっとしていた。

 落ち着いたら、これまでの疲れでもどっと出てきたのか、急に睡魔が襲ってきた。


「それにしても、おまえは本当にバカだなあ」


 アキラの笑い声だけが遠く聞こえる。

 すうっ、と浮かぶように軽くなる感覚に身を委ね、俺はそのまま、心地良い眠りの世界へと飛び立って行くのだった。

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