『遅れてきた最後のバカ』①
「走れ、シン!」
アキラ。
本名、
こいつを人と呼ぶべきか、それこそ神と崇めるべきか、はたまた悪魔と罵るべきか――。
俺には判断の付けようがない。
ヤブの部屋にいた金髪イケメン野郎は、自らを「高城亜綺羅」と名乗った。
聞けば、アキラはヤブの通う高専の同級生ということだった。
「高専って、私服通学じゃねえのか? おまえが着てんのは、北中の制服だろ」
俺が訊く。
「服はこれしか持ってねえ。悪いか?」
「いや、悪かねえけど……」バカには違いなさそうだ。
その後も、俺は矢継ぎ早にアキラに質問を繰り出した。
「もしかして、今日俺を呼んだのはおまえか?」
「そうだ」
「なんの用だ?」
「なんだと思う?」
「ふざけんな!」
「ふざけちゃいねえよ」
「ところで、ヤブは?」
「あいつは電気屋まで買い出しに行ってる。今……東口の改札からホームに入ったところか。まだあと一時間半は帰って来ないな」
アキラは、ヤブの机の上に置かれた小型のタブレット端末を見ながら言った。
「なんだ、それ?」
「こいつには、俺が作った『ヤブレーダー』が入ってる。最新のカーナビシステムにちょいと手を加えたもんで、GPSであいつの携帯の位置情報を読み取って、リアルタイムでマップ上に反映してくれるよ」
さらっと恐ろしいことを言ってくれる。
「それ、ヤブは知ってんのか?」
「知らねえから面白いんだろう」
「ハイテクの無駄遣いだな」
「その無駄を楽しんでこその人生だろうが」
そこでアキラはタブレットの電源を切り、俺の顔をまじまじと見た。
「俺から言わせりゃなあ、おまえらが乱堂をハメようとしてることの方がよっぽど無駄に思えるんだが。それについてはどうよ?」
頭上から冷や水を浴びせられたように、俺はぞくりと背筋を震わせた。
「なんで、おまえがそれを……」
「おまえらの高校の文化祭、あん時、俺もそこに一般で参加してたのさ。ヤブと一緒にな」
そう言えば、ロッテが公園でそんなことを言っていた気がする。
「おまえのダチが二人して学校を出て行くのを見て、俺はピンと来たね。そこで俺は、ヤブに携帯のボイスレコーダー機能を使っておまえらの会話を録音して来いと言ったんだ。その甲斐あって、俺もおまえらの身になにが起きているかを知ることができたってわけ」
明かされた事実に閉口し、明かされていない部分にはどこまで言及すべきかで悩み、俺はなにも言えないまま、ただただ顔をしかめている他なかった。
「いやいや、そんな話は今どうだっていいんだ。俺が今日ここに来た一番の理由は、おまえらにちょっとばかし借りを返してやるためなんだからなあ」
「借り?」
俺は訝しんだ。
記憶の限り、俺はこいつとの面識は一切ない。それはアキラ本人も最初に認めている。
そのアキラは一瞬表情を曇らせてから、静かに語り出した。
「ヤスは俺の大切なダチだ。本当なら、あいつを守る役は俺になるはずだった」
なにを思い出しているのか、アキラは虚ろな瞳を宙に泳がせた。
「なあ、ちょっと、全然話が見えねえ。大体、ヤスって誰だよ?」
「おまえらのクラスにいるだろう? 片岡弥須雄って」
「……ああ、ヤスオ君のことか」
「そうだ。俺とヤスは同じ北中の同級生だった。おまえらもヤスのノートの綺麗さは知ってるだろう? あのノートの取り方を教えてやったのは、この俺だ。そうすりゃあ、わざわざ俺が自分でノートを取る必要もなくなるからなあ」
そう言って、アキラはからからと笑い出した。
「おまえ、本当にヤスオ君の友達なのか?」
こいつの話には、まるで説得力がない。
「ダチでもねえやつに、そんなこと教えたりするもんかよ」
アキラの表情にふざけた風は微塵もない。
「今年の一月終り頃だったかなあ、ある日を境に、ヤスの携帯の反応があいつの家から全く動かなくなった」
「おい、ちょっと待て。おまえ、まさか――」
アキラはにやにやと薄ら笑いを浮かべながら、やつが言うところの「ヤブレーダー」をこつこつと指先で叩いた。
「こっちから電話を掛けてもみたが、ヤスは出なかった。俺はなにかおかしいと思って、ヤスの身辺調査を開始した。その中で浮上して来たのが、おまえらのクラスにいる西中出身の四人組だ。俺は次にこいつらに関する情報を集めた。ところがどういうわけか、その途中でやつら四人の関係が突如として崩壊しちまった。もっとも、それ以前に、俺以外の誰かが四人を陥れるために動いていることは知っていた。それがどんなやつなのかってことまでは把握していなかったが……。でもなあ、やつらを陥れた首謀者は、わざわざ自分からこの俺に名乗り出て来たんだよ」
言って、アキラは俺の顔を指差した。
「俺が?」
「そうだ。おまえ、事が全部片付いた後、ヤスにメールを一通送っただろう? 『あいつらは俺たちで懲らしめた。ヤスオ君にはもう手出しさせない』ってよお」
「それは……確かにそうだけど、なんでおまえがそれを知ってるんだ?」
くくく、とアキラはおかしそうに笑ってから、それに答えた。
「ヤスが送るメールと、ヤスに送られてくるメールは全て、そのままあいつの携帯から俺のパソコンに転送されるよう設定されている。おまえのそのメールを見て、俺は笑ったねえ。俺の知らないところに、まだこんなバカがいたのか、って。俺はおまえに興味を持った」
褒められているのか貶されているのか、俺は複雑な心境のまま、これまでずっと抱き続けてきた最大の疑問をやつにぶつけることにした。
「なあ。おまえは一体、何者なんだよ?」
アキラは無言のまま、四つ折りにした紙を俺に差し出してきた。それを開いてみて、俺は今日何度目かの驚きに、半ば呆れて声も出なかった。やつが俺に渡してきたのは、俺たちが西中グループを崩壊させる際に作った、偽の号外Ver1.01だった。
「俺が西中出身の四人組を調査している時、偶然手に入れた物だ」
「だから、なんでおまえがこれを……」
「おまえらが呼んでる『特捜部』ってのは、つまり、俺らのことだ」
「はあ?」
もう、驚く気力もなかった。
「詳しいことは言えねえ。だが、つまりそういうことだ」
アキラの顔は真剣そのものである。
「いいのかよ? そんなこと俺にバラしちまって」
「おまえこそいいのか? 知っちまったんだぜ、てめえは。俺の正体を」
余裕たっぷりといった感じのアキラは、手を床に向け、俺にその場に座るよう指図した。
「そうだ、それでいい。俺とおまえの関係は、これくらいでちょうど釣り合いが取れてる」
床に座った俺は、必然、椅子に座ったアキラを見上げるような形になる。
「で? おまえはこれから、俺をどうしようってんだよ?」
「それはおまえの返答次第だ」
「どういうことだ?」
「一つ訊く」
そう言って、アキラは顔の前で人差し指を立てた。
「乱堂恭介を、始末してやりたいと思うか?」
意外な質問に一瞬戸惑ったが、自分の気持ちに従い、俺は首を縦に振った。
「次に。おまえはそのために、これまでの人生を俺に渡すことができるか?」
言っていることがよくわからなかったが、俺はまたしても頷いた。
乱堂恭介に罰を下せるなら、この身がどうなろうと構いはしない。神も仏もとうに捨てた。救いを求めて地獄へ落ちる覚悟ならとうにできている。だが、その時はやつも道連れだ。
「そうか。おまえのことは、よくわかった」
俺を見る、アキラの目が変わった。
「おまえはバカだな! 俺はバカが大嫌いなんだ! でも、おまえのことは嫌いじゃないぜ」
アキラの気迫の変遷に、俺は少々面食らった。
「いいだろう。おまえらのバカに、俺もちょいと付き合ってやる」
アキラはにやにや笑って、椅子から立ち上がった。
「それは、おまえが俺たちに協力してくれるってことか?」俺は聞いた。
「はあ? 協力なんてしやしねえよ。俺らは他人を利用することはあっても、他人に利用されたり、他人と協力したり、他人を手助けしたりなんてことはしねえんだ」
「でも、おまえはさっき『借りを返す』って」
「それとこれとは別の話だ。いいか? 言っておくが、俺らは慈善事業家でもなければ正義の味方でもない。金で動くことはあっても、情で動くことはねえ。やってることはおまえらと大して変わらんかも知れんが、行動理念や動機が違う。なんでかっつったら、俺らはおまえらと違ってバカじゃねえからだ!」
そう言って、アキラは最後にもう一言付け加えた。
「俺には俺の動く理由がある」
完全にアキラの独壇場となってしまったヤブの部屋で、俺は小さく縮こまりながら、次になにを言うべきか考えていた。
「一ついいことを教えてやる。これがおまえに返す『借り』ってやつだ」
「なんだよ?」
「真柴孔明の居場所――」
「なんだと!?」
俺は今日一番驚いた。
「本来ならそれを教えてやる、ましてや、真柴孔明の居場所を探してやる義理もねえんだが、おまえにはちょうど借りもあったことだし、それに人から頼まれたってのもある」
「頼まれた? 誰にだよ、それは?」
「おまえもよく知ってるやつだ。が、知らない方がいい。これからの人生がやり辛くなる」
どうも引っ掛かる言い方だ。
「それと、勘違いするなよ。そいつは別におまえのために真柴孔明の捜索を依頼して来たわけじゃない。そいつが助けたがってるのは、おまえでもなければ真柴孔明本人でもない」
「じゃあ、誰さ?」
「そいつが本当に助けたいと思っているのはなあ――真柴孔明の妹だ」
「なに!? まさか、ナオカのやつがマシバの居場所を知っているのか!?」
「んなわけねえだろ! このバカが! 真柴孔明の妹にやつの居場所なんて教えてみろ。あの兄貴思いの妹が、どんな行動に出ると思う?」
「きっと、探しに行く……」
……そうか。そういうことだったのか。
「だろ? いたいけな中学生の女の子にそんな危険な橋渡らせようなんて、そいつも思っちゃいねえ。だからそいつは真柴孔明の妹じゃなく、おまえにそれを伝えるよう俺らに依頼して来たんだ。わかる? そいつの気持ちがさあ?」
痛いほどわかるっつーの。
「……あの、バカ野郎が!」
それから俺は、マシバの居場所についてアキラから聞かされた。それは行こうと思えば行けないほどの距離ではなかったが、ちょっとした小旅行になるくらいには遠いところだった。と言って、それを聞かされたところで俺もやつに会いに行く気はさらさらなかった。今の俺には、まだあいつに合わせる顔がない。
「ひとまず今日はここまでだ。直にヤブも帰って来る。俺はその前にずらかるぜ」
「おい、ちょっと待て!」
部屋のドアに手を掛けたアキラを、俺は呼び止めた。
「いや、待たねえ。今日する話は全部済んだ。こっから先は次回までのお楽しみに取っとけ」
「次回って、それはいつだよ?」
「また連絡する。とりあえず、この週末は全部空けとけやあ」
アキラは、笑いながら部屋を後にした。
俺はこれまでの話の内容を頭の中で整理しながら、疲れ切った足で家路についた。
家に帰ると、弟のやつが何食わぬ顔をして居間で勉強なんかしていやがった。俺はムカついたので、後ろから弟の頭を引っ叩き、そして言った。
「おい、おまえからナオカのやつに言っとけ。マシバはてめえの近くにいる。すぐに戻って来るから心配すんな、ってなあ」
弟は鬱陶しそうに俺を睨み付けてきたが、隠す気もないのか口元には笑みが浮かんでいた。
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