Ⅷ‐ ③


 寝苦しい一夜が明けた。

 ろくに寝ていないせいで頭はぼんやりしていたが、それよりもやはり、マシバがいないという違和感の方が現実的には堪えた。


 あれほど騒がしかった文化祭の活気もどこへやら。校内はいつもの乾いた喧噪を取り戻し、誰の顔にも、同じくらいの疲労感と達成感が滲んでいた。

 そんなのほほん平和なやつらを尻目に、粛々とお通夜ムードの俺たちは、ひっそりと、されど激しい怒りを燃やしていた。

 だがしかし、俺たちもすぐには事を起こさず、まずは事態を慎重に見極めるところから始めた。軽はずみな行動に打って出て、俺たちの動きを乱堂恭介とその周辺に知られるわけにはいかない。

 具体的な計画については後日改めて練るとして、今日一日はみんな大人しくしていることに決めた。

 とは言いながら、俺には個人的に解決しておきたい因縁などもあり、じっとはしていられなかった。


 みんながぼんやりと授業を受けていた六限の最中、俺はとある人物にメールを送った。


 『大事な話がある。放課後、B棟の屋上まで来てほしい』


 俺の斜め前に座っていたそいつは、一瞬俺の方を振り返り、すぐに携帯を操作し始めた。

 直後、短い一文で返信があった。


 『はい』


 放課後。俺がB棟屋上の扉を開けると、そいつは屋上の金網を前に、こちらへ背を向けて立っていた。初めて、俺は自分からそいつに声を掛けた。


「呼び出して済まない、宮前――」


 宮前亜子は、その不似合いな薄い茶髪をふわりと揺らし、振り返って、俺を見た。


「なに? 話って」


 こうして、面と向かって話をするのはいつ以来だろう? いや、そんなことは今までに一度だってありはしなかった。

 俺が正面から宮前亜子の顔を見たのは、これが初めてだ。


 俺はまず、かつて宮前亜子からもらったメールに、まともな返事を返さなかったことを詫びた。その上で、今レイリの身に危険が迫っているかも知れないということ、そのために相崎百合香が動いてくれていることを告げ、二人とは旧知の仲である宮前亜子にもレイリを守ってくれるよう、「頼む」と頭を下げ、協力を仰いだ。


「うん、いいよ。そういうことなら、全然オッケー」


 そう言って、宮前亜子は照れたように小さく笑った。


 ――こいつ、こんな顔で笑うのか。


 それが、その宮前亜子の笑顔が、俺には堪らなく可愛く思えた。


 俺はたった一度だけ宮前亜子から来た、そのメールのことを思い出していた。

人に比して積極性のない宮前亜子は、一体どんな気持ちで『好きです』と携帯に打ち込んだのか? それを俺に送る瞬間、どんな気持ちで送信ボタンを押したのか? どんな気持ちで、俺からの返信を待っていたのか……。


 俺は後悔した。


 あの時の自分を思い返すと、ただただ情けなくて、不甲斐なくて、どうして俺はあんなにもバカだったのだろうかと、悔しくて悔しくて……胸が苦しい。

 

 宮前亜子。こんなにもカッコ悪い俺に、一度でも「好き」と言ってくれたこと、


「ありがとう」


 もう一度、俺は彼女に頭を下げた。


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