Ⅵ‐ ⑤
理性など、とうに失っていた。
「由口ィッ!!」
気付いた時には、俺はもう由口雄貴を押し倒し、やつの上に馬乗りになって拳を振り上げていた。やつの顔面は白いメイクが汗で溶け出し、でき損ないのオバQみたいな醜い面になっていて、俺にはそれが余計腹立たしく思えた。
「てめえはそれを、黙って見てただけだってえのかよ! ええっ!?」
親友とまでは言わないが、俺は由口雄貴のことを大切な友人の一人だと思っていた。それだけに、マシバがそんなことになっている状況に居合わせながら、なんの手助けもせずに傍観していただけのこいつが許せなかった。
――金輪際、こいつとの関係を断ち切ってもいい。
そう思ってやつの顔面に振り下ろした俺の拳は、なんの手応えもないままに空を切った。
寸でのところ、俺はサコツに首を掴まれ、仰向けに地面に転がされていた。
「殴る相手が、違うんじゃねえのか?」
真っ赤な夕日を背に受けて仁王立ちするサコツは、雄々しき太陽神アポロンのようにも見えた。しかし、俺はそんな神にも食って掛かる。
「おまえこそ、どうしてそう冷静でいられるんだ? サコツ!」
俺はサコツのシャツを掴んで強く引っ張った。ボタンが二つ飛んだが、そんなことはまったく気にならなかった。
「この俺が冷静に見えるかよ? おい、シン!」
サコツは俺の襟を掴んでぐっと引き寄せた。俺とサコツは十センチとない距離で睨み合う。
ここまで怒気を孕んだサコツの顔を見たことがあっただろうか?
しかし、不思議と恐怖は感じなかった。それどころか、俺はそんなサコツの顔を見ながら、俺とマシバとサコツの三人が桜の木の下で笑ってふざけ合っていた時のことを思い出していた。
あれは一体、いつのことだ? あの桜の木は、近所の公園の物だったか、はたまた、中学の中庭の物だっただろうか?
「由口のやつは俺もボコボコにしてやりてえ……けどさ、それは今やることじゃねえだろ?」
俺とサコツがここにいるのに、どうしてマシバはここにいない? あいつはどこへ行った?
「シン、おまえが本当に殴らなきゃなんねえのは誰だ?」
へらへら笑うあいつの顔が、俺の脳裏に焼き付いている。
思えば、あいつはいつも笑っていた。
笑ってる顔以外のあいつを見たことがあっただろうか? 思い出せない。
「俺たちがやらなきゃなんねえことはなんだよ?」
女に振られた腹いせにあいつを投げ飛ばした、その時のあいつが俺の名を呼んだ。
『シン!』
その声が、今も俺の耳の奥でぐわんぐわんひっきりなしに響いていやがる。
――俺はもう二度と、俺の名を呼ぶあいつの声を聞くことができないのか?
「シン!」それはサコツの声だった。
俺は我に返った。
「サコツ……」嬉しかった。
そうだ。俺にはまだ、俺の名を呼ぶ友がいる。
「わりぃ」
心配無用。心配無用だ、サコツ。
やるべきことははっきりしている。むしろ、多すぎて困るくらいだ。
だが今はまだ、俺の怒りが治まらぬ。
地獄の悪鬼羅刹でさえも戦慄を覚えるほどの怒りが、今、俺の身体に満ち満ちている。
天がマシバに背くなら、俺も喜んで天に背こう――。
「ぜってえ、許さねえ……」
右手で神を、左手で仏を握り潰し、この世の邪悪を一身に背負って、呪詛を吐くように俺は言った。
「乱堂、ブッ殺す――!!」
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