Ⅵ‐ ④
各クラス、部活動、委員会の活動状況について担当の区域を回り、最終報告を上げるため、由口雄貴は夕方遅くに生徒会室へと向かっていた。途中、同じように生徒会室へと向かうマシバと出会い、二人は和気藹藹と歩みを揃えて生徒会室まで向かった。
生徒会室の前まで来たマシバはドアに手を掛けたところで、その動きを止めた。
「どうした、マシバ?」
「静かに――」
マシバは由口雄貴を制すと、ドアに耳を寄せ、中から聞こえてくる声に耳を澄ませた。
由口雄貴も同様に聞き耳を立てていたが、「どうすんの?」「柏原のやつ」「一遍シメる?」などと言った声が断片的に聞こえてくるだけで、会話の全容は掴めなかった。
突如、姿勢を正したマシバが、音を立てて生徒会室のドアを開けた。
「なんの話をしているんですかあ?」
中にいた生徒会長・乱堂恭介、その他数名の三年生を前に、マシバはいつものとぼけた調子で呼び掛けた。
生徒会室にいた全員は面食らったように、マシバを見てぎょっとした。
「随分と物騒な話をしているように聞こえましたけど。僕も、混ぜてもらっていいですか?」
「てめえ、マシバ――」
一人の三年がマシバに向かって行った。
「よせよ、みっともない」乱堂がそれを止めた。「まあ、こっち来いやあ、マシバ。ん? 由口も一緒か。いいや、おまえも入れ。どうせ、おまえら二人で最後だ」
二人は促されるまま、乱堂の前に出た。
「で? なんか言いたいことあるわけ? ほら、言ってみ? うん?」
乱堂はマシバと由口雄貴の顔を交互に見やり、挑発するかのように二人の言葉を誘った。
「僕は別に、特に、なにもありません」由口雄貴が答えた。
「そうか、由口。おいマシバ、おまえもなんとか言えよ」
「そうですねえ……」マシバは少し間を置いてから、言った。「一体、レイリのなにがそんなに気に入らないんですか?」
乱堂は僅かに表情を曇らせたものの、すぐにいつものクールフェイスを取り戻した。
「俺が気に入らないんじゃない。あいつが、俺を気に入らないのが気に入らないんだよ」
「僕には、違いがわかりませんけど」
マシバを見る乱堂の目には、静かにではあるが、確かに、怒りの火が灯っていた。
「あいつ、中学の時に二年連続で生徒会長やってたんだってな」
「はい」
「今もその気でいるつもりなのか知んないけどさあ、ちょいちょい俺のやり方にケチ付けてくんだろ」
「学校のことを第一に考えてのことですよ」
二人の視線は交わることなく、話も噛み合わない。
「まったくさあ、かわいくねえんだよ、あいつ。いや、かわいいんだけどさ」
「わかります」
にやけた顔で答えるマシバを、乱堂が一瞥する。
「おまえもだよ、マシバ」
「なにがです?」
「そうやって、いつもへらへら笑いながら、俺のことバカにしてんだろ?」
「いえ、別に」
「おまえのそういう上から目線の気取った態度が、俺は気に入らねえんだよ」
「そんなつもりはないですけど、会長がそう思うんでしたら、謝りますよ」
「じゃあ、やって見せろ。あ、言っとくけど、土下座な」
マシバは澄ました顔で床に両膝をつくと、腰を折り、頭を下げた。
「どうも、すみませんでした――」
しばらく、マシバはそのまま床に額をつけていた。マシバが顔を上げると、すぐそばに乱堂の顔があった。
「誰が、『顔上げろ』って言った?」
乱堂はマシバの髪を掴むと、その顔面を床に叩きつけた。マシバは一つ、短いうめき声を漏らした。
「全然足んねーから。そんなんじゃ。あ、そうだ。おい、誰か柏原のやつ呼んで来い! あいつにも同じことしてもらわねーと」
「やめろ!」マシバが叫んだ。
「あ?」
「レイリは関係ない!」
「関係あるっつーの」
「いや、ない! 責めたいなら、あいつの分まで俺を責めろ! レイリには、手を出すな!」
マシバの声が生徒会室に響き渡る。そこにいた誰もがマシバの気迫に圧されたようで、直後に訪れた僅かな間の沈黙が、空気を重く、冷たい物へと変えていく。
「そこまで言うなら仕方ねえな。おまえで我慢してやるよ、マシバ」乱堂は尚もマシバを押さえ付けている。「で? どうやって、柏原の分までおまえが責任取るって?」
「頭を、丸めます」マシバは躊躇うことなく言い放った。
「ああ、いいね。日本の伝統、みたいなところあるもんな、それ。じゃあ、それ採用!」
乱堂は辺りを見回してから言った。
「おい、誰か野球部からバリカン借りて来い!」
「……少しは反省したか? マシバ」
マシバはそれには答えず、目の前で焚かれたフラッシュに目を細めた。
乱堂は床に正座したマシバの周りをぐるぐる回りながら、手に持ったデジカメでマシバを撮影している。マシバの頭部は、きれいなまでに丸刈りにされていた。
「気が済んだなら、もう、レイリに対して変な気を起こさないでもらえますかね」
マシバの正面に乱堂が屈み、二人がその視線をぶつけ合う。
「おまえさあ、随分と柏原の肩持つじゃん、マシバ。なに? おまえら付き合ってんの?」
「いいえ」
「じゃあ、なんでよ?」
「レイリはこの学校にとって、なくてはならない存在です。生徒会にとっても――」
「おまえにとっても、か?」
「はい」乱堂の遮りにも、マシバは毅然として答えた。
「へえ、奇遇だな。実は俺も、おまえと全く同じ意見だ」口元を歪ませ、乱堂がその顔に冷笑を浮かべる。「でもな、おまえは違う」
「はい?」
「おまえは別に、いなくてもいい」
微かに、マシバの眉間が動いた。乱堂が自分の会長席へと向かう。
「じゃじゃーん!」引き出しの中からなにかを取り出す乱堂。「これがなにかわかるか? マシバ」乱堂はマシバの目の前で、ひらひらと一枚の紙切れを振って見せた。
「退学届」と書かれている。
「今すぐこれを書け。後の手続きは、こっちでやっておいてやる」そう言って、乱堂はマシバの膝元にそれを置いた。
「こんな物を書く必要性が感じられません。責任と言うのであれば――」
「言っただろ。全然足りねえ、って。おまえは俺に無礼を働いたので、その責任を取って、この学校を辞めてもらう。ニュースとかでよくやってんじゃん、『引責辞任』ってやつだよ」
「断固、拒否します」マシバは募る怒りを押し殺すよう、歯を食い縛り、目を閉じた。
はあ、とため息を一つして、乱堂がマシバの肩に手を乗せた。
「なあ、知ってるか? マシバ」
「なにを、ですか?」
「柏原のこと――」
マシバは細く開いた瞳で、正面の乱堂を睨んだ。
「あいつの家ってさあ、母子家庭なんだよ。父親を二年前に亡くしてさあ、頼る親戚もいなくって。あいつがバイトしてるのは、よほど家計が苦しいからなんだろうなあ。しかも、あいつの下には中学生の妹と小学生の弟がいる。大変だと思わないか?」
その口調とは裏腹に、乱堂の顔には薄っすらと笑みさえ浮かんで見える。
「しかも、あいつは大学に進みたがっている。それも、金の掛からない国立大の推薦入試で、うちの学校にその枠は一つしかない。だから、勉強も頑張ってるし、生徒会に入って内申点を上げるのにも必死ってわけだ。本当なら、あいつはこんな三流高校なんかに来るはずじゃなかった。けどな、状況が状況なだけに、家から一番近いこの学校に入ることにしたってわけさ」
乱堂の目を見据えたまま、マシバは黙ってその話を聞いていた。
「なあ、マシバ。おまえがおまえの責任を取らないってんなら、誰かがおまえの代わりに責任を取らなきゃならない。それは、誰なんだろうなあ……?」
「そんなものが、責任と呼べるんですか?」
「俺がそう決めたら、そうなんだよ」
「バカげてる――」吐き捨てるように言って、マシバは奥歯を噛んだ。
「いいことを教えてやろうか? マシバ」
顔を上げたマシバを、にやりと不敵な表情の乱堂が見下ろす。
「柏原の母親は元々専業主婦だったが、家計を支えるために今は働きに出ている。どこで働いてると思う? 聖修会総合病院――俺の親父が医師兼理事の一人として勤務している病院だ。つまり、言ってみりゃあ俺の親父は柏原の母親の上司になるってわけさ。病院ってのは色々面倒なところでなあ、面倒を起こして院を去る医師や看護師も多い。なにせ、人様の命を預かる商売だ。ちょっとしたミスが、いろんな意味で命取りになる。事と次第によっては社会復帰すらままならない。そういうところで柏原の母親は働いている」
「なにが言いたいんです?」肩で大きく息をしながら、絞り出すような声でマシバが言った。
「いやあ、なにもなければいいなあ、ってさ」
床に置かれた退学届の用紙を、乱堂は爪先で踏み、マシバの膝に押し付けた。
「……一つ、約束してください、会長」
「なに?」
「これを書いたら、レイリには、なにもしないと――」マシバは俯いたまま、くしゃくしゃになった退学届を見つめている。
「もちろんだ。言っただろ? あいつはなくてはならない存在だ、って。おまえにとっても、俺にとっても、な。まあ、心配すんな。あいつのことなら、俺がたっぷりかわいがってやる」
マシバは乱堂が床に放ったボールペンを取り、震える手で退学届に記入を始めた。
書き終わった用紙を拾って、乱堂はそれをしげしげと眺めた。
「よくできました、だ。マシバ、帰っていいぞ。でさあ、明日からはもう学校来んな。二度と俺の前にそのツラ見せんじゃねえぞ――」
乱堂の吐いた唾がマシバの肩に掛かった。
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