Ⅴ‐ ③
六月に行われた体育祭の時のことだ。
プログラムは滞りなく進行し、目玉種目の一つ、学年総出で行うフォークダンスの演目順になった。このフォークダンスは、男女でペアを組み、相手がどんどん入れ替わっていくという形式で行われる。
なんとも嬉し恥ずかしなこのイベント、男子も女子も顔には出さないが、内心楽しみにしているやつはけっこう多い。が、俺は昔からこの手のイベントが大嫌いだった。
なぜこんなものが運動会の競技種目に入っているのか、なんのためにこんなことをやらなければならないのか、色々と理解できないことが多すぎる。
一番の問題は、これを踊る際に一体どんな顔をしていればいいのか、それがわからないことだ。鼻の下を伸ばしてにやにやしていればいいのか、紳士を気取って微笑んでいればいいのか、眉一つ動かさずに真顔を貫けばいいのか、ダルそうにアホ面下げてりゃいいのか、誰も教えてくれないし、誰にも聞いたことはなかった。
そこで俺は、根本から考えを改めることにした。俺はこれをやる際、自分のことを人ではなく機械だと思うことにした。
そう、俺は機械だ。お辞儀をし、相手の手を取る。決められたステップを踏み、またお辞儀をして相手と別れ、次の相手にまたお辞儀……の繰り返し。
『アイアムアダンシングマッシーン。定時に飛び出す鳩時計の鳩、ゼンマイ仕掛けのブリキの兵隊、そういう物と俺は変わらん――』
そう自らに暗示を掛けることによって、ここ数年、俺はこの忌々しいイベントを平穏無事に乗り切って来た。
だから、今年もそうやって乗り切るつもりでいた。
そうこうしている内に、フォークダンスの曲が流れ始めた。俺は素早く頭を切り替え、自分の中にあるマシーンのスイッチをONにする。
俺はプログラミングされた動作を忠実にこなす一台のロボットになりきり、ベルトコンベアに乗って流れて来る「女子」という名前の物体を、右から左に延々と捌き続けて行った。
ところが、その途中に予期せぬ事態が起きた。
ひどく中途半端なタイミングで、曲が止まってしまったのだ。
それは、男子が女子の手を取り、女子がその場で一回転するという動作の途中だった。突然のエラー発生に、俺は女子の手を握り締めたまま、動きを止めてしまった。
「ちょっと! 放しなさいよ、あんた!」
「……へ?」
その時、俺は初めて相手の女が誰であるかに気が付いた。
レイリだった。
俺はレイリの手を握ったまま、愛し合う男女のように、やつと二人見つめ合っていた――。
いや、正確には睨み合っていた、と言った方がいいのだろう。
「――もう!」
レイリは俺の手を振り解くと、その右手を体操服の裾で念入りに拭った。
俺たちの周りからはくすくすと小さな笑い声が漏れ、この時になって、ようやく俺も素の自分を取り戻した。
「ああ、もう信じらんない! あんた一体、どういうつもり!」
みんなの笑い者にされ、レイリは顔を真っ赤にしながら俺をなじって来た。
「俺は別に、なんも悪くねえだろ。なに一人で勝手に舞い上がってんだよ? おまえ」
俺の顔も赤くなっていたと思うが、だとしたらそれは恥ずかしさのためではない。日に焼けただけだ。
「あんたが、ぼけっとしてるから悪いんでしょ!」
「おまえなんかと踊ろうと思ったら、そりゃ、ぼけっとすんのも当然だろ」
「ムカつく……。ほんっと、なに考えてんの、あんた!?」
「だから言ってんだろ、なんも考えてねえって」
「でしょうね。なんにも考えてないから、こういう時にこういうことになるんでしょ!」
グラウンドの中央には、いつの間にか俺たちを囲んで人集りができていた。
「じゃあ、おまえはなにを考えながら、このフォークダンスを踊ってたって言うんだ?」
「それは……」
「え? ほら、言ってみろよ」
「だからなに、それが一体なんだって言うの?」目を泳がせ、レイリは一瞬たじろいだ。
「おまえが言い出したんだろうが。俺がなにも考えてねえ、って」
「そ、それと、私がなに考えてるかは、別の問題でしょ!」
「どうせあれだろ、早く好きな男と踊る番が来ないかなー、とかそんなんだろ?」
「わ、私はそんなこと……!」
そんでもって、お城の舞踏会で王子様とダンスを踊るシンデレラにでもなった気になるんだろ? そんでもって、十二時の鐘の音が鳴る前に涙々のお別れをするんだろ? そんでもって、ガラスの靴を持った王子様が自分の目の前に現れるところを想像するんだろ?
って、メルヘンか!
「はいはい、二人ともそこまでー」
この絶妙なタイミングで、王子様、もといマシバが現れた。
「今度はなに? 二人のせいで進行が止まってるんだけど」
「こいつがだなあ!」「だってこいつが!」
渋い顔をするマシバの前で、俺とレイリは互いの顔を指差して、同時に言った。
「よくわかんねえけど、わかったよ。とりあえず二人共、自分の列に戻れ」
俺とレイリは最後に一瞥をくれ合い、俺はマシバに押されて無理やり列に戻された。
その後、俺は体育祭実行委員の前で、プログラムの進行を妨害したことを謝罪する羽目になった。それなのに、どういうわけかレイリの方はお咎めなしだったらしく、納得いかない俺は後日、生徒会の意見箱にレイリを非難する旨の覚え書きを匿名で投書した。
『先日の体育祭で二年生のフォークダンス中にトラブルが発生した際、問題を起こしたとされる男女二名の内、男子生徒のみがその責を問われたことは大変遺憾であります。そもそも問題の発端は女子生徒側にあり、その落ち度が問われないことに甚だ疑問を感じます。これは男女の平等を無視した女尊男卑の表れであり、校内の秩序を乱し兼ねない一大事であると考えます。聞けば、当該女子生徒は生徒会に所属しているそうではありませんか。全校生徒の模範となるべき生徒会の一員がこの有様というのでは、他の生徒に示しが付かないことでしょう。即刻、この女子生徒会員に対し厳正なる処分を下されますよう、よろしくお願い申し上げます』
しかし、この投書はたまたまそれを回収したマシバの手によって、あっさりもみ消されることとなった。
「おい、これ書いたのおまえだろ、シン?」
帰宅途中に立ち寄った公園で、マシバは件の投書を俺の目の前に突き付けた。
「そうだけど。って、なんでおまえがそれを持ってんだよ?」
むすっとする俺に、マシバは小さくため息を吐き、呆れ顔して言った。
「おまえが怒るのもわからんでもないけどさあ、こんなもんを意見箱に入れてくれるな」
「はあ?」
「俺がいるんだから、生徒会関係のことは俺に直接言ってくれっての」
そう言って、マシバは俺の投書を無造作に鞄の中にねじ込んだ。
「おい、それは横暴だぞ」
「正しい公務執行だよ」
――ああ言えばこう言うやつだ。
まともに議論したところで、完璧な理論武装でフルアーマー化したマシバガンダムに、「屁理屈」という名の撹乱兵器しか持たない俺ザクでは勝負にならない。
俺は大人しく引き下がることにした。
俺たちは自販機で買った缶ジュースを飲みながら、ビルの谷間に沈む夕日を眺めていた。
「あいつもさあ、悪いやつじゃないんだ」独り言のようにマシバが言った。
それには答えず、俺は口に当てたジュースの缶を傾ける。中身が空なのは知っていた。ただ、なにか別の動きをしていないとマシバの顔を見てしまいそうで、俺はそれが怖かった。
真面目な顔をするマシバが、俺はちょっと苦手だ。
「おまえは知らないかも知んねえけど――」「わあってるよ!」
俺はマシバの言葉を遮った。
俺はバカだけど、そこまでバカじゃない。
レイリがいいやつだってことぐらい、俺もわかってる。でもそれを……そんなことをマシバの口から聞きたくはなかった。
なにに腹を立てているのか、どうしてこんなにもむしゃくしゃしているのか、俺にはわからなかった。それがわかるほど、俺の頭は利口じゃない。
ジュースの空き缶を地面に置き、俺は後ろに数歩下がった。
「それでも俺は……あいつが、嫌いだ!」
地面に置いた缶を、思い切り蹴飛ばす。
缶は高く舞い上がり、ふらふらと頼りない放物線を描いた後、ぽとりと地面に落ちた。
狙ったはずのゴミ箱からは、一メートルほどずれていた。
「おまえがなあ――」
横にいたマシバが振り被る。
「おとなしく宮前と付き合ってりゃあ、良かったんだ、よっと!」
ノーコンピッチャー・マシバの投げた缶は、これまた外れて、俺の缶の手前数十センチのところに落ちた。
「もうその話はすんなって言ったろ」
「ああ、そうだっけ?」
マシバはへらへら笑いながら、落ちた缶を拾いに歩き出した。
俺は一緒に缶を拾いに行くフリをして、マシバが拾おうとした缶を横から蹴飛ばしてやった。
「おまえ!」
マシバが笑いながら怒った。俺は笑った。
ムキになったのか、マシバはそばに落ちていた俺の空き缶を蹴飛ばした。
そうやって、俺たちは互いの空き缶を蹴飛ばしながら、少しの間ふざけ合っていた。
公園の桜の木は、茂った葉が夕日を受けて、鮮やかなオレンジ色に染まっていた。
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