Ⅱ‐ ①
二学期に入り、最初にその試練が訪れたのはロッテであった。
時に、ロッテは自作の小説を書いていた。大作らしかった。
俺たちは何度かロッテにそれを「読ませろ! 読ませろ!」とせがんだが、ロッテは頑としてそれを拒否した。内容も教えてくれなかった。
まあ、当然と言えば当然であろう。俺たちはやがてそれについて深く追及することもなくなり、ロッテが小説を書いているという事実は、やつの見えないパーツの一つとして「ああ、そうらしいね」くらいにしか思わなくなっていた。
しかし、ある時そのロッテの小説が闇の淵より白日の下に
それをやって
めでたい名前をした、めでたいバカだった。
安納幸寿がロッテの家に遊びに行った時、ロッテの机の上に推敲用にプリントアウトした書き掛けの自作小説が出しっ放しになっていた。
あろうことか、安納幸寿はその冒頭十数枚を無断で家に持ち帰り、翌日の学校で何人もの生徒に嬉々として見せびらかしたのだ。
ロッテはショックで学校を二日休んだ。
と、本題を進める前に、ここで問題のロッテの自作小説がどんなものであったかということを話そう。それは
「滅びゆく世界の中心で異世界から転生してきた魔王と女勇者が滅びゆく世界そっちのけでイチャラブコメる」
という非常に斬新で壮大なスペクタクル満載の内容であった。
しかし、決して笑うなかれ。この作品が完成した暁には、ロッテはそれを「なんとかノベル大賞」とかいうものに投稿し、見事大賞を受賞。さらにその作品でその年の芥川賞と直木賞と吉川栄治文学新人賞とゴールデングラブ賞とモンドセレクション金賞を同時に受賞するかも知れないはずの予定だったのである。
それだと言うのに……安納幸寿はそれを世に公表してしまった。
これでは「なんとかノベル大賞」の応募規定である「未発表作品に限る」の規定に抵触してしまう。一体どうしてくれると言うのか?
安納幸寿は、将来を嘱望されていた有能な若手作家の才能の芽を摘み取ってしまったのだ。
……おのれ、許さんぞ安納幸寿!
では、そんな安納幸寿という男は一体どんなやつであったのか?
安納幸寿はバカである。それは先ほども述べた。だが、同じバカでも小暮豪などは所詮一己のバカでしかなかったが、この安納幸寿という男は世界中からバッシングを受けて然るべき、プレミアインターナショナルクラスのバカだった。
安納幸寿は音楽バカだった。
と言うよりも、バカ音楽家だった。
安納幸寿は楽器も弾けない歌も下手クソなくせに、一丁前に自作の歌の歌詞なんぞを書いていた。
これでは小説を書いているロッテと大差ないではないかと思うかも知れないが、片やロッテが未来のノーベル文学賞作家候補(仮)であるのに対し、安納幸寿はろくにインディーズデビューもできない街角の自称ミュージシャン以下のとんだエセ野郎だ。日本の音楽業界もまさかこんなやつの手を欲するほどには廃れに廃れていまい。
それなのに、安納幸寿はエレキギターを持っていた。それも、十万以上するフェンダーのエレキだった。
安納幸寿は自分の家に来たやつにそのエレキを見せては得意気になっていた。それを弾いて見せてくれと言うやつに、安納幸寿は
「デビューするまでその姿は見せられない」
と言って断っていた。
じゃあ別に練習用のギターがあるのかと言うと、そんな物は一本も持っていなかった。こいつは一体どうやってギターの練習をするつもりだったと言うのか?
だからと言えば当然のように、安納幸寿はGコードはおろかCコードもDコードもろくに押さえられないヘボだった。
そんなことだから、安納幸寿の高価なエレキはやつの自室の片隅でただの小洒落たインテリアとして、万年埃を被っていた。
これはもう、世界中のギター愛好家に対する
安納幸寿は世界中のギター愛好家に足を向けて寝るべきではない。
足を向けて寝るところがなければ立って寝ろ。
でもきっと、地球の裏側にもギター愛好家はわんさかいるであろうから、そんな安納は逆立ちしながら寝るといい。
安納幸寿はあの世におわしますフランク・ザッパに七日七夜の祈りを捧げ、エリック・クラプトンのいる方角に二礼二拍手すること日に千回。布袋寅泰の両手全ての爪の垢を煎じて飲み、霊体としてイタコに憑依させたジミ・ヘンドリクスに自慢のエレキで脳天カチ割られるくらいのことでもされない限り、その身の穢れは浄化できまい。
しかも、学校の中での安納幸寿はこれまたどうにも立場のはっきりしないやつで、さも当然のように俺たちの輪の中にいたかと思えば、次の瞬間には西中グループの殿村嘉樹たちと一緒になってバカ笑いをしていたり、ちょっと姿が見えないと思えば他のクラスへ行って昔の仲間と与太話をしていたり、なんてことを繰り返していた。
なにもそれが悪いというわけではないが、一体全体、安納幸寿という男を見ていると、こいつがまるで定位置を持てない野球選手のように思えてきてしょうがない。
一体、どこの球団に内野と外野とバッテリーを一人でこなそうとする野手がいると言うのか? しかもそいつは、たまに球審の後ろに立っていたりするのだ。
そんなやつを誰が信用し、誰が信頼なんぞするものか。
それでも、こいつに幾ばくかの外交能力でもあろうものならグループ同士の橋渡し役として重宝もしよう。
だがしかし、実際安納にそんな能力は欠片も備わっておらず、結局の所こいつはただ都合のいい時に都合良く自分のポジションを切り替えているだけの、お調子者の日和見主義者に過ぎなかった。
そんな安納幸寿のことを「あいつには芯がない」と言って一番に毛嫌いしていたのは、意外にもサコツだった。
だから、安納のせいでロッテが学校を休んだその日「さすがにこれはやり過ぎだ」と最初に憤慨したのもサコツだった。同様に、俺とマシバも遺憾の意を表したことは言うまでもない。
まあ、実際この程度のことであれば、サコツが安納に睨みを利かせればそれで済む話である。しかし、それでは肝心のロッテはやられっ放しのままだ。それに、サコツの武は強者を挫くためにあるのであって、弱者を虐げるためにあるわけではない。
安納なんぞはただの弱者だ。だが、弱者であろうと悪は悪だ。悪はやっぱり見過ごせぬ。そして安納はバカであった。
目には目を、歯には歯を、バカにはバカの鉄槌を下すべきである。
俺たちは失われたロッテの未来と印税を取り返すべく、静かに動き出した――。
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