『泣いてヤブを斬る』⑤


 そんなヤブとの別れは、唐突に訪れた。


 二学期の終わり頃、ヤブは父親の仕事の関係でアメリカへと移住することになったのだ。


 嗚呼、さらばヤブ。おまえとの楽しかった日々は忘れない。せいぜい、向こうでも黒魔術の習得に励んでくれ。

 グッドラック。シーユーアゲイン。


 こうして、ポンコツ馬謖は誰に斬られることもなく、他国へと逐電したのだった。


 

 ところが、ヤブは帰って来た。


 ヤブが俺たちの元を去ってから約一年後、誰の記憶からもその存在を忘れ去られた彼は、ひょっこり俺たちの街に帰って来ていた。


「昨日、駅前でヤブを見た」


 ある日の朝、サコツが出し抜けにそんなことを言ってきた。


「それ、誰?」


 そう言ったのはロッテだった。

 無理もない、中二の春に転校して来たロッテは一年の時にいなくなったヤブとは面識がなかった。


「ヤブを見たって、それ本当か?」


 訊き返す俺に、サコツはこくりと頷いた。


 昨日の夕方、駅前をぶらついていたサコツがなんの気なしに路地裏をひょいと覗くと、そこにヤブの姿を見付けた。と、それとは別に数人の高校生の姿もあった。

 案の定、ヤブはカツアゲされていたのだった。


「おいコラ、おまえら!」


 サコツは勇躍して、一人果敢にそこへ切り込んだ。そして、数人の高校生をあっという間にボコボコに痛めつけ、ヤブを救け出した――ということらしかった。


 その日の放課後、俺たちは初めてヤブの家というところに行ってみた。

 その家には紛うことなく「薮田」の表札が掛かっており、しかも、見るからに金持ち臭漂う豪邸といった佇まいをしていた。


 チャイムを押し、出て来たヤブの母親に俺たちがヤブのベストフレンズであることを告げると、ヤブの母親は狂喜乱舞して俺たちを家に上げてくれた。

 そして、晴れてヤブと再会を果たした俺たちは、ヤブの母親から王公貴族並みの歓待を受けた。食い物も飲み物もアホみたいに出て来たので、俺たちはたらふく食って、浴びるほど飲んだ。


 どうやら、ヤブの母親はこれまでに我が子の友人が家を尋ねて来るなどといったシチュエーションに遭遇したことがなかったようで、初めて家を訪れた俺たちに、つい舞い上がってしまったものらしい。


 さて、そうしてヤブは一年ぶりに俺たちの学校、俺たちのクラスに復帰した。

 復帰したヤブは、サコツの背中というポジションに己の居場所を見付けた。

 カツアゲされていたところをサコツに救われたヤブは「こいつなら自分を守ってくれる」とでも思ったのだろうか、サコツの背中に背後霊のように張り付いては、しれっと俺たちの輪の中に紛れ込んでいた――などと俺もさらっと言っているが、これは言うほど容易いことではない。

 なにせ、武侠で名の通っているサコツのこと。その背後を取ろうなどとは命知らずにもほどがある。

 しかし、ヤブはそれを難なくやって退けた。


「いいのか? 背中にヤブ付いてるけど」


 俺はサコツに聞いた。


「別に? だって、ヤブって殺気ないしさあ。それに、いてもいなくても気付かないし」


 サコツはそう言い、ヤブのことなど天井の染みほどにも気にしていない風だった。

 しかし、この二人はこれで互いをうまくフォローし合っていた。


 ヤブはサコツの背後にいることで自身に振り掛かる身の危険を回避できていたし、サコツも背後のヤブを盾として、後方への備えとしていた。

 このように、サコツとヤブの関係は、ヤドカリとイソギンチャクの共生関係にも似たものであった。


 また、ヤブの家で盛大なもてなしを受けたことに味を占めた俺たちはその後、腹が減ったと言ってはヤブの家に行き、喉が渇いたと言ってはヤブの家に行った。

 そんなヤブの家のことを、マシバは


「あいつの家は『烏巣の兵糧庫』だ」


 と言い、


「あそこが焼け落ちたら、俺たちは河北まで逃げ落ちねばならん」


 などと、見えない曹操軍と官渡で一人、激戦を繰り広げていた。


 俺たちは徐々にヤブの家に出入りする機会が増え、その内、放課後と週末はヤブの家に入り浸るようになり、半分、ヤブの家の住人のようになっていた。

 と言うのも、ヤブの部屋は無駄に広いくせに物らしい物がほとんどなく、俺たちはそこへ私物のゲームやマンガを持ち込んで、ヤブの部屋を俺たちにとって住み心地のいい快適空間にリフォームしていたからだ。


 ヤブもヤブで下校時と外出時に俺たちが一緒なので、変な輩に絡まれることもなく、安心しているようであった。

 ヤブは俺たちが街へ遊びに行く際にも勝手に付いてくることがあり、俺たちとは別に済ませたい用事を済ませにどこかへ消えたかと思えば、数分後にはまたサコツの背中に憑依しているということが間々あった。


 中学の卒業式の日。息子にできた友達がよほど嬉しかったのか、俺たちは同席したヤブの母親に、泣きながら一人一人握手を求められた。

 しかも、その最後にヤブの母親はなぜかヤブ自身とも握手を交わしていて、それを見た俺たちはみんなで笑った。

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