『泣いてヤブを斬る』④


 ピンポンパンポーン。


 大願成就を告げる祝福の鐘の音が校内に響き渡り、鳩の群れが飛び立つ――。


 直後、この俺が書き上げたグレゴリー紹介文を読み上げるヤブの声が、黒板上のスピーカーからゆっくりと流れ始めた……。


〔このメッセージをお聞きになられる全ての方々へ、神のご加護がありますように。アーメン〕


 グレゴリーへの哀悼の意を表した出だしは、なかなか順調だ。ヤブの声色からは微塵の迷いも疑いも感じられない。

 辺りを眺めると、みんな「何事か?」「何事か?」と前後不覚、右往左往している。


〔本日は、皆さんに僕のことを知っていただきたく、このような場をお借りした次第でございます。どうかそのまま、お食事を続けてください。そしてしばらくの間、僕のつたないお話にお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます〕


 さて、盛大なる茶番の幕はこうして切って落とされた。


〔改めまして、こんにちは。僕の名前は小暮豪と言います。よろしくお願いします〕


 ここで、クラス内の数名が食べていた物を噴き出した。一次災害である。

 だが、こんなことで済むものか。後にはもっと大きな二次災害、三次災害が次々と起こるのだ。


 しかし、慌ててはいけない。

 思い出してもみて欲しい。どうして俺たちが毎年毎年、面白くもない「全校避難訓練」などという行事を春先にやっていたかということを。

 こうした、第一級の災害に備えるためではなかったのか?


 では、みんな大人しく机の下に潜ってガタガタ震えていたかというと、決してそんなことはなく、どいつもこいつも呑気にソフト麺なんかすすってやがった。

 まったく、そんなことだから現代人は危機管理意識が低いなどと言われるのだ。


〔僕のクラスは一年四組です。出席番号十三番。生まれは平成十二年、六月六日のオーメンデイです。双子座のAB型です。身長百六十三センチ、体重八十七キロ。兄弟は姉が一人、弟が一人います。二人共、僕と同じ太マッチョです〕


 この辺りで、他のクラスからも笑い声が聞こえてきた。その中から、一際大きな野獣の吠えるような声を聞いた気がした。


「うおおおおおおおおおお! #¥@&$%*¥&*$@%#¥!」


 きっと、二次災害の前兆であろう。


 ヤブはまだ淡々とナレーションを続けている。しかもまた、これはかなり堂に入った読み上げっぷりだ。


〔僕の子供の頃の夢は、おもちゃ屋さんです。おもちゃと言っても、大人のおもちゃではありませんよ〕


 一体なんの確認だ? と一瞬思ったが、これを書いたのはそもそも俺ではないか。少々話を変な方向に伸ばしすぎたかな? と後悔してももう遅い。


〔小学校の卒業文集には見栄を張って、将来の夢は柔道でオリンピック出場と書きましたが、それは真っ赤な嘘です。本当は、アダルトビデオの制作会社に入社することです〕


 これにはちゃんと裏を取ってある。

 グレゴリーが情報の時間に使った後のパソコンの履歴を調べてみると、やつがアダルトビデオ制作会社のホームページを何件も梯子していたからだ。


〔僕は自分で自分のことをかなりのイケメンだと思っています。髪の毛をワックスで整えるのに、毎朝十五分は使います。ちなみに、そのワックスはお母さんに買ってもらっています〕


「うおおおおおお! どこだコラああああ! ああああああああ!」


 叫びながら廊下を走って行くグレゴリーを見た。

 どうやら、放送室の場所を知らないようだ。


〔僕はイケメンなのに、なぜか女の子にモテません。どうしてなのでしょう〕


 知らんがな。自分の胸に手を当ててよく考えろ――。


 その時だった。俺のスマホに立て続けに五つのLINEスタンプが届いた。倉橋竜也と陸上部の四名からだ。

 どうやらみんな、無事逃げおおせて教室に帰ったらしい。


 これにて、作戦の全工程は無事終了。


 俺とマシバとサコツの三人は、もはや俺たちの名前しか残っていないグループLINEの「退会」ボタンを、三人同時に押した。


 しかし、ヤブの演説は今もまだ続いている。あとは暫し、作戦成功の余韻に浸りつつ、このくだらないライブを堪能することにしよう。


〔僕は今まで五人の女性に愛を告白しています。ですが、誰からも一度もOKをもらったことがありません。最初は小学四年生の時の同級生のH・Yさん。二人目は同じく小学四年生の時のM・Mさん。三人目は五年生の時のR・Gさん。四人目は六年生の時のK・Yさん。五人目はこの春告白した一年二組のA・Fさんです。それらの皆さん、どうかお願いです。今からでも結構ですので、僕に悪いところがあれば教えてください。謹んでお願い申し上げます。そして、僕が今好きな人は、一年一組のI・Hさんです〕


 それが読み上げられている間中、方々のクラスから悲鳴と怒号が飛び交っていた。

 そして、最後のI・Hこと、我がクラスの誉田ほんだ伊澄美いすみはそれが自分のことだとわかると、小刻みにガタガタと揺れ出した。

 アフターケアは頼んだぞ、マシバ。


〔皆さん、大変です。食べる物がありません。お腹が減って困っています。僕の主食は鼻クソです。鼻クソが足りません。皆さん僕に鼻クソを分けてください。一緒に愛も分けてください〕


 こうなってくると、教師連中も黙っていない。

 うちの金八まっしぐらなアホの担任は「静かに! 静かに!」と言って、それほど騒ぎ立てているわけでもない俺たちを叱咤していた。

 こいつの耳にはなにが聞こえているのか? 


 隣の二組の担任は、うちの担任に


「僕は放送室へ行ってきます。二組を見ていてください!」


 と言って、そのまま走り去って行った。廊下を走るなバカ教師。


〔僕は美少女フィギュアが大好きです。特に、服が取り外し可能になっている物はことさらに大好物です。僕の部屋には今、八体の美少女フィギュアがあります。でもまだ全然足りません。皆さん、どうかこの哀れな豚めに、Hな美少女フィギュアをお恵み下さい〕


 我ながら一体なにを書いていたのだろう、と今さらながらにバカバカしく思えてきた。だが、それでいいのだ。

 俺たちはバカをするために生きている。


〔先生方にもどうか、聞いていただきたいことがございます。僕の中間テストの五教科合計は百八十六点です。下から四番目です。どうかこの頭の悪い僕を叱ってください。そして、僕にもっと勉強を教えて下さい。もっともっと教えてください。補習でも居残りでもなんでもします。肩を揉めと言われれば揉みます。靴を舐めろと言われれば舐めます。僕はマゾヒストなのです。どんな困難な試練も、甘んじて受け入れる覚悟は、とうにできています〕


 さっきから、ヤブがナレーションしている奥の方で、なにやらドンドンという音が聞こえるような気がする。

 だが、まだもう少し猶予はあろう。そのまま最後まで読み切ってしまえ――ヤブ!


〔こんな僕ですが、皆さんどうか、これからもお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。そしてどうか、僕のことは嫌いになっても、この学校のことは嫌いにならないでください。ここまでのご清聴、どうもありがとうございました。以上、一年四組、小暮豪でした。それでは皆さん、ごきげんよう――〕


 それを最後にナレーションは切れ、またいつもの眠くなるようなBGMが流れ出した。


 クラス内は異様な空気に包まれ、誰もが混乱した脳内を整理し直しながら、事後の処理に追われていた。


 俺たちバカ三人はすっかり温くなってしまった牛乳で祝杯を挙げた。


 しかし、今回の件に関わったやつら全員で集まって宴を開くようなことはしない。

 俺たちは、常に流れの中に身を置いている。留まることは腐敗を招く。

 俺たちがすることは、せいぜい廊下ですれ違った時にニヤリ、ニヤリと笑い合うことくらいだ。それでいいのだ。

 また時が来れば、俺たちは再び結集し、大きなうねりを作り出す。

 それで、いいのだ。


 とは言うものの、一つ気懸きがかりだったのはヤブのことだ。

 結局、その日は午後以降にヤブの姿を見た者は一人もいなかった。


 翌日普通に登校して来たヤブを、みんなはいつも通りに無視した。

 そもそも、あのナレーションをしていたのがヤブであるということに気付いている人間は、実はそれほど多くない。


 俺は誰もいないトイレにヤブを連れ込んで昨日のことを聞いてみたのだが、案の定、その九割は黒魔術の詠唱で、聞いている俺はイライラした。

 が、どうやらそこまで悪辣あくらつなペナルティを課されることもなかったらしく、簡単な事情聴取を得意の黒魔術で散々に遅滞せしめた挙句「とりあえず今日はもう帰れ」と五限の授業中に強制帰宅させられた、といったようなことが薄っすらと理解できた。


 その日、朝のホームルームで昨日の事件に関するアンケート調査が実施されたが、俺たちは揃って白を切った。

 しかし、白紙で出すのもなんなので、俺は「このような犯人探しをすることは教育現場のあるべき姿ではないと思います」とだけ書いて提出した。


 学校側も今回の件をそこまで深く追求する構えは見せず、むしろ、どういうわけだかグレゴリー本人が寄って集って教師共に質問の雨あられを浴びせられていたと言うのだから、まったくもってお笑いぐさである。

 それと言うのも、唯一の証拠品であるグレゴリー紹介文は放送室に押し入った教師共によってヤブの手から簒奪さんだつされており、その内容の真偽のほどについて教師共がグレゴリー本人に一々確認を取るといったようなことをやっていたからだ。

 なので、学校側としては、そもそも騒動を仕掛けた側に問題があるのか、騒動の元凶に問題があるのか、それすらも判断できず、この件をどう扱うべきか相当困惑していたようである。

 それと、同時に展開されていたもう一つの事件である「図書室猫戦争」についても協議が持たれ、二つの事件は互いに互いの影を薄め合いながら、なんだかよくわからないうちに次第にうやむやになっていった。


 ところで、捜査の手が俺たちの方にまで及ばなかったかと言うと、まったくなかったわけではない。俺たちの中で真っ先に疑いの目を掛けられたのは、図書室に潜伏していた二名だ。

 彼らは四限の間に「保健室に行く」と言って教室を抜け出したものの、保健室には行っていない。これに対し、二人は「トイレに籠もっていた」と答え、これを貫いた。

 どの道、なにか決定的な証拠があるわけではないので、知らぬ存ぜぬを通せば十分に切り抜けられる。

 そもそも、俺たちも計画に加担した人数が多すぎるので、一人二人怪しい人間を当たられたところで、計画の全容が明らかになることはなく、結果的には工作員全員誰一人として罪を問われる者はいなかった。さらに付け加えると、この犯人探しの件は、俺たちの知らないところで奇妙な膨らみを見せていた。


 ヤブへの事情聴取から、当日ヤブと一緒に放送室にいるはずだった二名の先輩の内、二年のなんとかいうやつだけ来なかったという証言を得た教師共は、そのなんとかいうやつを呼び出し「その時間なにをしていたのか?」とやつを問い詰め、なんとかいうやつもまさか好きになった女の兄貴に因縁付けられていたとは答えられず、しどろもどろになったところを怪しまれ、ヤブにグレゴリー文書を手渡した「謎のマスクマン(倉橋竜矢)」の正体はこいつなのでは? とあらぬ疑いまで掛けられ、グレゴリーとなんとかいうやつを同時に職員室に呼び付けて、合同面接ならぬ合同事情聴取を開くという、見当違いのバカ丸出し劇を思う様やっていた。

 そんなわけで、俺たちの存在は教師共の眼中に掠りもしなくなっていた。


 そして、当のグレゴリー本人がその後どうなったかということについては、もう

「筆舌に尽くし難い」という一文をもって、その説明責任を放棄させていただく。


 もはや、今となってはどうでもいいことなのだ。


 俺たちは散々にバカをやった。それだけで十分だった。


 しかし、俺たちはその後もしばしば似たような手段を用いて何人かの人間を絶望の淵に追いやった。

 そんなこともあり、ヤブは一部の界隈で「姿の見えない死の宣告人デスナレーター」の異名を取って、恐れおののかれていた。

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