『泣いてヤブを斬る』③


 話は飛んで、ここで再び、グレゴリーの話に戻る。

 マシバの持ち物を教室中にぶちまけた、憎っくき輩――小暮豪だ。


「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」


 その言葉通り、武力による鎮圧をあきらめた俺たちはその後、グレゴリーに関する情報を徹底的に洗いざらいリサーチすることにした。

 そうして、グレゴリーのケツ毛が何本あるかというところまで調べ上げた結果、色々と面白いことがわかった。


 グレゴリーが、急成長を続ける俺たちを忌み嫌っているということ。特に女にモテまくっているマシバに対して相当なジェラシーを抱いているということ。中学に上がってからすでに三人目の彼女と付き合っているマシバの二番目の彼女に告白して振られていたということ。中間テストの五教科合計点数が百八十六点で下から四番目だったということ。授業中によく鼻クソをほじっては食っているということ。飼っている犬によく手を噛まれているということ。美少女フィギュア集めが趣味であるということ。その他諸々雑多な情報をかき集めてみると、それはもう膨大な量のゴミクズサプライズアイテムズオブグレゴリーが揃った。


 それをまとめたら一冊の立派な「グレゴリー百科事典」ができそうなものだったが、俺たちの目的はそんなことではない。

 大体、そんな物ができたとしても、一冊として売れるわけがない。だったら無理やり売ってしまおう、なんてブックオフに持って行ったところで、どうせその場で有害図書の烙印らくいんされ、火炎放射器による焼却処分が強行されるのがオチだ。


 ではどうしたかと言うと……ここからは俺の出番だ。

 俺は集めたグレゴリー情報の中から特に目を惹く物だけを抜き出し、一昼夜を尽くして、実に素晴らしい「グレゴリー紹介文」なる一つの論文(?)を書き上げた。


 論文という物は得てして提出され、発表されるべき物である。


 それが素晴らしい物であればあるほど、世に広く周知されて然るべき物である。


 ということで、俺はその素晴らしく偉大なる論文を信頼の置ける別のクラスの放送委員――倉橋くらはし竜矢たつやに厳封処理を施した上、恭しく提出した。

 しかし、それは最後の最後というシメの儀式であり、それ以前に俺たちはあの手この手で場を整えるべく、下準備に東奔西走していた。


 ここまで言えば、皆まで言わずともわかろう――では、本題に入る。


 放送委員による昼の放送には、毎日各学年から一名ずつが担当として放送室に派遣される。


 問題は、二名の上級生をどう排除するかという一点にあった。


 正攻法でいけば「一年生だけでやらせてください!」と直訴すれば良いのだろうが、事が露見した際に無関係の我らが同胞の身に危害が及ぶ。

 そこで、買収するか誘き出すかの二つの案が考えられた。

 しかし、さすがに上級生を買収するだけの強力なレアカードなどあろうはずもなく、そもそもそこまでのコストを支払うだけの価値がこのバカげたイベントにあるのかと問うと、皆一様に首を横に振った。


 大体、金銭のやりとりが発生した時点で、それはもうビジネスになってしまう。俺たちがやろうとしているのは、バカであってビジネスではない。バカをするのに金など不要だ。まったく、バカバカしいにもほどがある!


 俺たちはそこからもう一度リサーチを始めた。

 なんのリサーチかと言うと、昼にヤブと組んでいる二年と三年の先輩のリサーチである。


 リサーチの結果、二年の方は比較的容易に片が付きそうな目処が立った。

 そのヤブと組んでいる二年のなんとかいうやつは、どうにもオタクじみた薄気味の悪い男で、こともあろうに俺たちの同級生である野上のがみ結芽ゆめというかわいい系の女子に淡い恋心を抱いているらしいということがわかった。そして、その野上結芽の兄貴が三年のサッカー部のキャプテンであるということまでわかった。

 そこで俺たちはアイドル・マシバを派遣し、野上結芽に近付いて


「どうやら二年のなんとかいうやつが君のことをつけ狙っているらしい。俺たち一年にはどうもしてあげられないが、君のお兄さんだったら力になってくれるかも知れない。水曜日の昼、なんとかいうやつは放送委員として一人で放送室に向かう。そこをお兄さんになんとかしてもらうといい」


 と言って、野上結芽をまんまと丸め込んだ。


 三年の方は女だったのだが、そいつもそいつで地味なやつで、いつも本ばかり読んでいるビン底メガネを掛けた痩せたブスだった。

 こいつと二年のなんとかとヤブの三人で一体なにができるのだろうとはなはだ疑問に思うが、それでも世界はつつがなく回っているのだから、意外とこれでなんとかなるのだろう。

 ところが、この女が曲者くせもので、家と学校の間を往復するばかりでろくに友達もいないようなやつだった。

 おまえはこの二年と少しの間一体なにをしてきたのか、と説教してやりたいところだが、そんな説教をするために誘き出せたら苦労はしない。しかし、俺たちはある決定的な情報を入手した。

 どうやらその女は図書委員も兼任しているらしく、そっちの方では委員長もやっているということだった。そして、昼休み中はずっと図書室で座って本を読んでいるということらしかった。

 おまえはそこまでして一人になりたいのか、とこれまた説教してやりたい気持ちを抑え、そこからさらにもう一歩踏み込んで計画を練った。


 俺たちはすでに、そのメガネ女が根っからの猫好きであるという情報を掴んではいたのだが「そんなものがなんになる?」とはなから見向きもしていなかった。

 だが、俺たちは改めてその情報に着目し、ついには一つの壮大なシナリオを作り上げた。


 そうして万事整った上で、いざ、計画実行の水曜日を迎えた。


 後にこの日は「大災厄の日デイオブディザスター」と呼ばれ、ハリウッドからも映画化の話が舞い込むほどに、それはもう天地がひっくり返るほどの大騒動の一日となる。


 昼になり、ヤブが給食を乗せたトレーを持って、誰に気付かれることもなく静かに消えるように教室から出て行った。それを確認した俺は、全ての工作員たちに任務ミッション開始スタートの合図を告げるスタンプをグループLINEに送信した。


 実は、俺たち工作員は全員、この日のためだけに専用のLINEグループを作っていて、それぞれの任務の成否に応じて専用のスタンプを送信することを確認・徹底していた。

 また、スタンプ送信後は即グループを退会して証拠を残さないことにもしている。

 仮になにか問題が起きて、工作員がその任務を果たせなかったとしても、その時の対処法をあらかじめ俺とマシバで各人に対し策定していたので、もしもの時も安心である。

 それでも想定外のトラブルが起こらないとも限らない。その際には、当人とマシバとの間で通話による速やかな対策協議が持たれることになっていた。

 ちなみに、工作員は全員信用に足る人物であると同時に、グレゴリーに対して少なからず反感を抱いている者ばかりであった。

 彼らは実に上手い働きをしてくれた。


 さて、そんなわけでまず、先行していた一名から任務成功のスタンプが届く。それは「二年のなんとかいうやつがサッカー部のキャプテンと接触した」という旨を示すものだ。

 直後、図書室に潜伏していた二人組の工作員からもオペレーション「図書室猫戦争」の実行開始を告げるスタンプが二つ同時に届く。


 俺はそれらが来るのを教室で椅子に座りながらなに食わぬ顔で確認していた。マシバとサコツも同様に、素知らぬフリをしていつも通りに過ごしていた。


 そうこうしている間に、うちのクラスの図書委員の男が俺に目配せをして教室を後にした。彼も工作員の一人だ。

 彼の任務は「ちょっと図書室の方が騒がしいので鍵を貸して欲しい」と放送室にいる三年のメガネ女から図書室の鍵を借り受けることだ。が、これはただのフェイク。

 彼の真の目的は、あらかじめ図書室に潜伏していた二名の工作員を人目に付かぬよう救出し、もってそこで繰り広げられていた(とされる)惨状――


「猫が図書室を荒らしている」


 を報告しに再び放送室へと戻り、三年のメガネ女を今度こそ完全に放送室から誘き出す、というものだ。

「図書室」と「猫」のキーワードに惹かれた三年のメガネ女は、必ずや我がクラスの図書委員と共に図書室まで向かうことだろう。

 そこまで上手くいった暁には、図書委員の彼からスタンプが送られ、それを確認した倉橋竜矢が、我が渾身の「グレゴリー紹介文」を携え、最後の刺客となって動き出す。


 クラス内では、ほぼ全員が着席し、給食を食べ始めるのを待っている。

 そこへ、クラスの図書委員からのスタンプが届き、直後に、最後の刺客である倉橋竜矢から「我、これより放送室へと進軍せん」なる諭旨を秘めたスタンプが送られてきた。


 ――今こそ、我が時来たれり。


 俺とマシバとサコツの三人は、ほとんど同時に目を合わせ、時が満ちたことを無言の内に確認し合い、互いにほくそ笑んだ。


 だが、ひとまずここで、まだ明らかにしていない作戦の一端――図書室に潜伏していた二名の工作員がなにをしていたのかということを話そう。

 その上で、それよりも前に、彼ら二人には作戦決行の前日までに二匹の野良猫を捕獲するという重大な任を与えていたことも明らかにしておく。これは別に一匹でも良かったのだが、もう一匹はもしもの時に備えての予備である。

 そして、二人にはそれを当日の朝に段ボールに入れて学校まで持って来るよう指示していた。

 俺は彼らがそのダンボールをどこに隠していたかまでは知り得ないが、三限が終わった後の休み時間に彼らと会った際「絶対にばれない所だ」と言ってにやにや笑っていたので、俺もそれ以上は訊かなかった。


 その後の計画はこうだ。二人は四限の授業中に「気分が悪い」と言って教室を抜け出し、昼前には閉まってしまう図書室――ではなく図書準備室に一人が忍び込む。ここでまずそいつからスタンプ。

 もう一人はその間に隠していた猫を取りに行き、機を見て図書準備室に潜む一名と合流。その後、内側から鍵を掛け、完全な密室であるはずの図書室の中に工作員二名と猫二匹がいる状況を作り上げる。ここまで成功すると、後から合流した一人からスタンプが送られて来る。

 だから、俺のスマホは四限の間に二つのスタンプを受信していた。


 そして、図書室に潜んだ二人は「二年のなんとかいうやつがサッカー部のキャプテンと接触」とのスタンプを確認次第、自分たちもオペレーション「図書室猫戦争」開始のスタンプを送信し、図書室に猫を解放。少しばかり辺りに本を散らばせたところで、救出に来た我がクラスの図書委員によって安全に脱走を図る。

 ちなみに、この時工作員が二名もいる必要があるのか、と思うかも知れないが、もしもなにかあった時には一人が泣く泣く囮となり、もう一人と猫を逃がす算段になっていた。


 さて、ここまでは計画通りだ。


 きっと今頃は、倉橋竜矢のスタンプを確認した四名の疾風はやての工作員が、彼の決死の逃亡劇を手助けするべく、行動を開始しているに違いない。

 彼ら四名の任務こそ、最も危険かつ作戦露見の恐れの高い任務であった。しかし、この作戦では誰一人として犠牲者を出してはいけない。出るとしたら、それはヤブ一人だけでいい。


 これが最終最後。密書を携えた倉橋竜矢の動きはこうだ――。

 給食準備中に教室を抜け出し、放送室のある特別棟三階のトイレに身を隠した倉橋竜矢は、我がクラスの図書委員から送られてくるであろう「三年のメガネ女誘き出し完了」の旨を秘めたLINEスタンプを待つ。

 受信後、自分もすぐさまグループへ「進軍」のスタンプを送る。そうしてトイレを後にした倉橋竜矢は、もはやヤブ一人しかいない放送室へ直行。

 中へ入る前に、あらかじめ用意しておいたスキーの目出し帽を被り、顔を隠してから入室。ヤブに気付かれぬよう後ろ手に鍵を掛け、放送室を堅固な砦とする。突如現れた得体の知れぬマスクマンに動揺するヤブを一旦落ち着かせ、ひとまずマイクの前に座らせると、その価値ではアメリカ独立宣言書にも匹敵する、我が渾身のグレゴリー紹介文をヤブに手渡す。

 そして、倉橋竜矢は「ピンポンパンポーン」の音が鳴るスイッチを押し、直後、ヤブにグレゴリー紹介文を読み上げるよう促すのだ。


 ヤブは原稿を読み始めれば、なにがあっても最後まで読み上げる――。


 ということを知っている倉橋竜矢は、ヤブがグレゴリー紹介文を読み始めたのを確認した後、とうとう最後の大勝負に打って出る――。


 彼は三階の放送室の窓から、決死のダイブを強行するのだ。


 どうして倉橋竜矢がそこまでするかと言うと、彼はマシバやサコツ以上に、グレゴリーに対して呪いとも言うべき激しい憎悪を抱いていた。が、肝心のその理由を俺たちは知らない。

 それでも、彼が最も危険なこの任務を自ら志願して受けたという事実をもってしても、いかにその憎悪が深く大きいものか、推して量るに余りある。

 しかし、それならば倉橋竜矢にグレゴリー紹介文を読ませればいいだろう。

 否。彼では、読み上げている途中に感情が昂ぶってしまう恐れがある。


 グレゴリー紹介文を読み上げる者は、淡々と、ただ淡々と、なんの感情も込めずに読み上げることができるような、そんな人物でなければ務まらない。


 それができる人間として、ヤブ以上に適任なやつはいない。


 さて、倉橋竜矢がその決死のダイブを成功させるべく、四名の疾風の工作員が真昼間の中を暗躍している。

 彼らはいずれも俊足で名を馳せる、サコツも一目置くほどの陸上部の精鋭たちだ。彼らはチームワークもよく、四人でリレーを走ったこともある仲良しバカ四人組みである。

 そんな彼らを指して「足が速いだけの弱者」と断じたのは誰あろう、グレゴリーその人だ。


 四名の疾風の工作員は、まず給食準備中に体育教師の元へ行き「昼休みに自主練でマットを使いたい」と言って、体育倉庫から機械体操で使うマットを拝借する。

 それを「部室に運ぶ」と言ってその場を離れると、刺客である倉橋竜矢のスタンプを待つ。スタンプの受信確認後、彼らは部室へは向かわず、一目散に校庭へと駆け、放送室の真下で待機。上から顔を覗かせる、倉橋竜矢を待ち受ける。

 そして、彼を確認次第、四名は素早くマットの四隅をそれぞれが持って広げ、飛び降りた倉橋竜矢をマットで優しく受け止めるのだ。


 しかし、これが万事上手くいっているか否かは、その頃放送室にいる倉橋竜矢に確かめる術はない。


 彼が校庭を覗いた時、そこに誰もいなければ、彼に待ち受けるのは残酷な「死」のみだ。


 ここで再び、我らが教室内に目を向けてみると、ようやく始まった待望の給食の時間に誰もが顔をほころばせていた。

 しかし、俺とマシバとサコツの三名だけは給食前の合掌状態から微動だにせず、まぶたを閉じていた。

 時間の経過から察するに、今頃はもうヤブにグレゴリー紹介文が渡されていてもおかしくない時間だ。


 我らバカ三名は作戦の成功を祈願すると同時に、そうなった時に天へと召されるであろう、グレゴリーへの早めの黙祷も捧げていた。

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