その前日
「ふむ。成程な……」
人間界とは異なる次元の、異なる環境の何処かにその居城があると言う。
その絶対なる主、異世界最強にして最凶と恐れられる偉大なる魔王・ルシフェール=ド=ヴェルドダーグは、確かに頷いたのであった。
「恐れながら、偉大なるルシフェール様にこの愚昧にして矮小なる忠実な臣下の一人、《
「構わん。言ってみろ。お前の叡知を尽くした考えとやらを、な?」
「有難き幸せ――」
恭しく丁寧に腰を折るその姿は、一言で表せば奇怪だった。その伽藍洞な身に纏う複雑に入り組んだ裂け目で彩られた闇色に近い紫の外套は、一見すれば破れかけのボロ布のようにも思われるが、その実、高度に幾重にも禁言の呪術が練り込まれた魔導具だ。その奥の肉体は既に朽ち果て、数十もの魔導士の遺骨によって辛うじて形を保っている。手にした捩じくれたまま天へと伸びる宝玉をあしらった魔杖を手放せば、あっという間に瓦解してしまいそうだ。
彼――臣下、オルヴェルススの言に耳を傾ける最強にして最凶、偉大なる魔王にしてこの城の絶対君主、ルシフェール=ド=ヴェルドダーグその者の姿もまた、奇怪としか言いようがなかった。無数に生え伸びた魔樹・ロジェドンナを丁寧に編み込み、煌びやかな黄金と輝石をあしらった豪奢な玉座に悠然と座するその体躯はあまりにも巨大で、黒蛇がうねるような見事な筋肉の流れが生き生きとしている。いや、実際その身体の一部分一部分が別の生命体であり、それをまとめあげ、御しているのだろう。その相貌は常に変化し、《無貌の魔王》との二つ名がそれをよく表している。
とん、とん、と肘掛を黒鉄色の爪でつつくと、ユグーはゆっくりと口を開いた。
「我らの治めんとするこの《アル=バース》の人間族は、偉大なる御方を撃ち滅ぼすべく、別の次元の、別の時間世界より、たびたび勇者を召喚していることは御存知でありましょう」
「ああ、勿論だとも」
「しかして、その《異世界召喚の儀》が行えるのは、何も人間族だけに留まった話ではございません。崇高にして聡明なる御方はそれもご存じの筈です。ですが……我ら魔族がそれを執り行ったところで、あまり利はございません。何しろ召喚されるのもまた人間族。はなから意思疎通が難しく、進んで我らの為に助力しようなどとは思いもしない浅はかな存在。これは仕方なき事なのです」
「うむ。……で、何を言いたい?」
分かりきったことばかりだ。ルシフェールは軽い苛立ちを覚えて肘掛をつつくテンポを少し早めた。
「年寄りの長話をお許し下され……。されど、ここからが要でございます。そう、人間族には出来ぬ事を、このユグーめは遂に成し遂げたのです!」
「……ほう? 面白い。聞こうではないか」
とん――肘掛をつつく音が止まる。
「この《魔界》と《人間界》を繋ぐ《扉》を遂に生み出すことに成功したのですよ!」
「……それなら既にあるではないか? 違うか、ユグー?」
「いえいえ、偉大なる御方。貴方様でも思い違いをされることがあるとしれて、このユグーは驚きながらも誇らしい思いで一杯でございますよ! 違うのです! こちらの《人間界》とを繋ぐのではなく、いまだかつて誰も足を踏み入れたことのないあちらの《人間界》とを繋ぐための《扉》なのでございます!」
「……何だと!?」
これにはさすがに驚きを禁じ得ない。
「ほっほっほ。さすがの御方も驚かれるでありましょうぞ。ただですな……まずは手始めに、あちらの《人間界》と《魔界》との通信ができた、というところでございます。まだ今は単なる言葉だけではございますれど、やがてはその声も、いずれは肉体までもあちらの《人間界》へと送ることが可能になります。その大いなる一歩をこのユグーめが成し遂げましたぞ!」
「何という……素晴らしい! 素晴らしいぞ、《千の言霊遣い》ユグー!」
「これはこれは勿体なきお言葉」
この発明により、勇者となりうる人間族の暮らすあちらの《人間界》に直接侵攻ができる。
かねてより幾多数多の実例から証明されてきたとおり、あちらの人間族は、元々その世界においては特出した
そしてまた逆に、魔族である我々がその次元と時間の壁を超えることによって、さらなる強大な能力と力を得ることも容易に想像ができる。そうなれば、あちらの世界を一気に手中に治めることもそう難しくはないだろう。
「そこで、です――」
ユグーは一枚の磨き上げられた水晶板をいずこからか取り出した。
「まずはあちらの《人間界》がどのようなところで、どのような生活をしているのかを知っておくべきかと。戦では常に情報が大事でありましょう。古くより、彼を知り己を知れば百戦殆からず、と申します。このユグーめが行っても良いのでしょうが、何事も初めての偉業は偉大なる御方、ルシフェール様が成すべきかと存じます。ささ、まずはお手に取り下され」
「うむ」
いずれにせよユグーが扱うにはちと大きすぎる代物だった。何処かしっくりとする冷ややかな手触りを所在なさげに味わっていると、横合いからユグーが、こう、と身振りで示した。確かにそのとおり左手に収めると実にしっくりとくる。そうやって支え、右手の指で呪文を書く物のようである。
「こう……すれば良いのか?」
「そうでございます。しゃっ、しゃっ、と」
「しゃっ、しゃっ、とか?」
言われたとおりにすると、突然水晶板上にいくつかの魔界文字が表示された。
「おお。……成程な。これは便利だ。いちいち一文字ずつ書かなくても、表示された文字を選んでいけば良いという訳だな?」
「そうでございます。それが『フリック』と呼ばれているあちらの《人間界》の技術」
「フリックか……そんな名の勇者もいた気がするな……。ううむ、少しばかり慣れが必要かもしれん。で……この言葉は誰に届くというのだ? あちらの《人間界》の長か?」
「いえいえ。いきなりそれでは怪しまれてしまいます。まずは、一般的なごく普通の人間から情報を引き出すのがよろしいかと。それも、タイプの異なる女、三名程度からですな。女という生き物は今も昔もお喋りが好きなもの。御方の巧みな話術であれば、いとも容易いかと」
「ほほう。さすがだ。考えたな」
「《ぐるーぷちゃっと》という物がございます故、そこで今の条件に見合った者をお探しくださいませ。言葉についてはご心配に及びません。例の次元と時間の壁を超える際に、自動的に翻訳される筈でございます」
「我の名前を入れろ、と出てきたのだが……」
「二〇文字以内とありますな。……ですが、偉大なる御方がその真名を告げることはあまりに危険ではありますまいか。ここは一つ、偉大さと尊厳を失わない程度に噛み砕かれた方がよろしいかと思われますよ」
「『ああああ』では駄目か?」
「それでは駄目な勇者の典型ではありませんか」
「ううむ」
ルシフェールは一つ唸り、しばし考えを巡らせた。
「それではどうだろう? 『†我†』というのは?」
「よろしいかと存じます。『†』はその《ちゃっと》であるLIMEで流行っている文字の一つのようですので。一文字きりというのも鮮烈かつ煌びやかに思え、印象に残ります」
「よし」
次に《ちゃっとるーむ》なるものの選択だが――。
「女三名であればどれでも良いのだな?」
「若い生娘の方が御方も良いのではございませぬか?」
「うむ。……い、いや、余計なことは言わんで良い」
「これは失礼を……」
見れば見るほどどれもこれも同じように見える。
その中からルシフェールが選んだのは――。
「これで良い。これに決めたぞ、我は」
「よろしいかと」
最後に恭しく頭を垂れたユグーは告げた。
「――あとは御身の御心のままに」
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