らむね

 もう慣れた、と思った頃が一番やばい。

 良く言われる事だけど、まったくもってその通り。

 漢方薬のような、南国系の甘いフルーツのような。

 キーラの店は薬屋なので、そりゃ薬草が売るほどあるのは分かるけど。

 カレーのような漢方薬のような、それでいて南国系の甘い香りのような。この店内に何とも言い難い臭いに、最初あたしはうんざりした。

 服や髪に臭いが付くし、出来ることなら換気扇をフル活用したかった。

 しかし、しかし、しかし、換気扇はあるにはあるけど壊れているし、いつ作られた物かもわからないし。

 そもそも電気が使えない。

 少しは発電しているようだけど、貴重なので工場とかそう言った所にしか使わせてもらえない。

 そんなこんなで、居候の身で贅沢も言えないので我慢と慣れで乗り切っていたが。それでなんとか慣れたかな? と思っていた矢先に、気温が上がって臭いの濃さが数倍に膨れ上がった。

「むりー、むりー」

 カウンターに突っ伏しながらあたしはだだっ子みたいに手足をばたばたさせた。

「いくら何でも限度があるんじゃない?」

「チカは気にしすぎじゃない?」

 カウンターの向こうから、キーラがあきれたように言った。

「わたしは気にならないな」

「そーゆー問題じゃ無い気がするー」

 あたしは、ほっぺをハムスターみたいにふくらませる。

「臭いし、暑いし、最悪だし」

「はいはい」

 キーラはなだめるように笑うと、カウンターに腰掛けた。

「お茶でも飲む?」

「のむー」

 それじゃ、とキーラは店の奥に入るとお湯を沸かし始めた。

 ガスも無いので、基本薪か炭が燃料になる。

 もっとも、房総半島の方には天然ガス田がいまだ健在のようだ。

 ガスはあっても、パイプが無い。

 鋼管はもちろんあるけど、ガス圧の制御をするポンプが無い。

 いやポンプはあるにはあるけど、ポンプを動かす燃料が無い。

 そもそも系統を維持・管理する電気が無い。

 うわあ、文明って偉大。

 ここは、地理的には日本で時間的には遙かな未来。

 だと思う。

 少なくともあたしのいた、二一世紀の文明の断片が残っている。

 この町も元はと言えば、イオンだ。イオン浦和美園店が、一つの町になっている。

 気が付いたら、この町の外れにある野原に倒れていた。

 倒れていたあたしを、キーラがここまで運んで介抱してくれた。

 最初はパニくったけど、なんとかこの境遇にも慣れた。

 ーーこの臭いだけは慣れないなー。

 このまえ放射線も平時とほぼ同じーーように見えるーーことも観測したので、生きて行くには問題はないが。

「はい、ドクダミ茶」

「ありがとー」

 ドクダミを焙じたお茶は、香ばしい香りがして酷い臭いに疲れた鼻にはやさしい。

 とは言え……。

「熱い、暑い」

 暖かいお茶を飲むと、どっと汗が吹き出る。

 汗を吸った服が、肌にまとわりついて大変不快だ。

「暑いよう、冷たい物が飲みたいよう」

「井戸水? 生水は良くないよ」

「いや、そうじゃなくて」

 冷蔵設備も、冷凍設備も、もちろん庶民に開放されていない。

 夏に冷たい物を何か飲みたければ、井戸水を飲むか井戸水で冷やした何かを飲むかの2択っきゃない。

 そして、水道のないこっちの井戸水は沸かさないとお腹を壊すこともある。

「一度沸かして、冷めたら瓶に詰めて井戸に入れれば冷たい水が飲める」

「まあそうだけど、すごい手間のわりに結局ただの水じゃない?」

 キーラがお茶をすする、いいな美人は何をやっっても絵になる。

「暑くてもお茶の方が良くない? 味がついてるし?」

 ぐぬぬ、思わぬ正論。

「じゃ、じゃあお茶を冷やすとか。なんかこういろいろ冷やそうぜ!」

 間抜けなDJみたいな事を言いながら、あたしもお茶をすする。

 そういや、まあ当たり前だけど、こっちに来てから炭酸飲料みたいなジュース的な奴を飲み物を飲んではいない。

 まあ、ジュースに限らず嗜好品は二十一世紀に比べると制限される。

「うーん、この終末戦争後的と言うか文明崩壊的な」

「記録が残ってれば、文明は継続と見なす。ってこないだ言って無かった?」

 キーラが、からかうように笑った。

 確かに、空白の時期を除けばこの世界にも一応は記録があり連続した文化・文明が確かに存在する。

 この空白の時期が人類と言うか、人間中心の文明が衰退した様なのだが。

「本当に、東京なら記録があるのかなあ」

「あるんじゃない?」

 キーラが軽い調子で答えた。

「でも……」

 イタズラをする子供の様な調子でキーラは笑う。

「今考えるのは、この夏をどう過ごすか? じゃない?」

「たしかに……」

 こう、なんかスカットするような飲み物がほしい。

「さし当たり、麦茶とか……ラムネ?」

「ラムネ?」

 キーラが不思議そうに、繰り返した。

「ラムねって言うのは、こう炭酸がシュワーっとして、スカっとする飲み物」

「……ビールの仲間?」

 キーラが、怪訝な顔をする。

 発酵による、炭酸含有飲料はあるにはあるが、当然ながらアルコール飲料だ。

 あ、でもシードルならサイダーっぽいかも。

「ちょっと、ちがっくて、アルコールはないんだな。甘くて冷たくて」

「甘くて冷たい?」

「冷たいが重要」

 あたしは重々しく頷くと、奥の作業場にある、なんでも出てくる薬棚に向かう。

 既存の、と言うか二十一世紀にあるあたしが知ってる薬品ぐらいであればはすぐに出せるようになったのだ。

「ここに重曹があります」

「うんうん、それで」

 期待に目を輝かせているキーラに、あたしは水の入ったコップを差し出す。

「この水に重曹を溶かします」

 重曹を入れると、シュワーと水が泡立つ。

「それで?」

 キラキラっと輝く瞳、キーラの期待が重い。

「まあ飲んでみて」

「これを?」

「そう、ぐいっと」

 キーラはあたしが言うがままに、重曹入りの水、つまり炭酸水を形のいいの喉を動かし飲み干す。

 良い飲みっぷり。

 飲み干した後に、げっぷをする様も美しい。

「あまり……おいしくない? 酸っぱいし」

「でしょ!」

 重曹だけで味付けされた水は、おいしくはない。

「知ってたの?」

 ジト目でキーラがあたしを睨む。

「知ってた、って言うかやった」

 正直に言えば、実はこっそりやってみたのだ。

 重曹だけの純粋炭酸水。

 不純物が多いから、純粋は誇大だけど。

 炭酸のなんか酸っぱさが混じって、ダイレクトにまずい。これ、たぶん胃薬かなんかになるやつだ。みたいなまずさ。

 変に酸っぱいのが、もう胃液みたいでもう涙目。

 二度とやんない。

 酸っぱい思い出をしまい込むと、あらたに酸っぱい仲間に加わったキーラを見た。

 怒ってる。

「別の方法を試してみよう」

 あたしは、とりあえず話をそらしてみる。

「別の方法?」

 キーラはご機嫌斜めながら、話に食いついて来た。

「とりあえず、ガラス瓶を用意して」

 この好機を逃さない。

 あたしは、たたみかけた。

 うまくすれば、キーラの機嫌とラムネの両方をゲット出来る。

「これでいい?」

 キーラは、手じかにあったガラス瓶を差し出した。

「オーケー、オーケー行くわよ」

「どこに?」

「鍛冶場よ!」



 鍛冶場と言うのは、通称でショッピングモールの外れにあるドワーフの工房だ。

 鉄工や冶金、その他の化学・金属加工をここで担っている。

「今日はドライアイスでなくていいのか?」

「そうそう、今日は二酸化炭素を気体のままでいいの」

 ふーん? とドワーフの鍛冶屋、ミカはすっかり白くなった髭をしごいた。

「瓶の口に合うアタッチはあるが、まあやってみよう」

「あざーっす」

 よそモンの考えることは、よう分からん。

 ミカはぶつぶつ良いながらも、準備に取りかかってくれた。

 ここでは、色々な化学製品も製造している。

 その中には、アンモニアのような製造過程で二酸化炭素が生成される物も含まれる。

 普段はドライアイスにしたり捨ててしまっている二酸化炭素を、瓶に入れた水に直接入れる事によって炭酸水を生成する。

 これなら、不純物の少ない炭酸水が作れるはずだ。

 もっとも味がないので、そこはどうにかしないといけないのだが。

「いくぞー!」

 ミカが、ガラス瓶をアタッチメントに固定してくれた。

「お願いしまーす」

 あたしは元気良く答える。

「その前に、お前等こっちに来い」

 ミカは、自分の後ろに回るように指さした。

 瓶の様子をみていたかったけど、ここは現場のの親方の言う事に素直に従うことにする。

「固定確認、安全具装備」

 ミカは瓶の固定を確認すると、細い針金を編んで作ったゴーグルを装備した。

「お前らは後ろむいとれ」

「? はーい」

 言われるままに、キーラとあたしは後ろを向いた。

「注入開始」

 と、ミカがそう言った次の瞬間。

 パリーンと、瓶が砕け散る音がした。

 振り返ると、アタッチメントに瓶の首だけが残り、爆発四散した瓶の残骸達があった。

「あー」

「やっぱり、瓶の強度が足らんのう」

 ミカは人事のように言うと、無言で瓶の破片を集め始めた。

 工業用の二酸化炭素注入バルブでは圧力が高すぎて、注入と同時に瓶が割れてしまったのだ。

「とほほ、ごめんなさーい」

 あたしも泣きながら、後かたづけを手伝う。

 とほー、またしても失敗だよ。



「暑い、ぬるい、だるい」

「夏は暑い、これは常識、耐えるしかない」

 相変わらず、カウンターで突っ伏しているあたしが弱音を吐く。それに答えて、来客用の椅子で溶けきっているキーラが無駄に韻を踏んで答える。

 フリースタイルラップか!

 と突っ込む気力もない。

 ガラス瓶を爆発させてから一月。暦の上では六月である。

 二十一世紀より、確実に温暖化が進んでいる。日本で六月と言えば、はめちゃくちゃ暑い真夏を指す。

 こうやって二人でだらだらしていると、なんだか真夏の理科室みたいだ。

 夏休み、理科室で友達と部活の後にだらだら過ごす。

 この間まで当たり前だった日常から、ちょっと外れた毎日だけど夏休みたいだ。

 夏休みの自由研究。

 毎日が自由研究、毎日が夏休み。

「うーうー、チカーお茶入れて・・・」

 椅子で溶けても美人だな。

 キーラを見ながらあたしは、この夏休みがいつまでも続きますように。

 そう祈った。

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