ゲッカビジンのせい


 ~ 八月二十三日(木) 化学、保健、英語、古文、家庭科 ~


   ゲッカビジンの花言葉 やさしい感情



 真っ白な、この上なく美しい大輪を夜の間だけ咲かせるゲッカビジン。

 台湾では、その完成された美しいお花を食べちゃうらしいのですが。

 気持ちは分かります。


 わざわざ暗室を使って、日中に開花させてみたこのお花。

 キッチンの湯気に当てたら可愛そうなので。

 料理の間は花瓶に挿して、テーブルの真ん中に飾ってあるのですが。


 ……まあ、手を伸ばしますよね。


「触らないでください。これは、見て楽しむのです。ほら、こんなにきれい」

「こんらいきれい!」


 俺が、乙女のようにはしゃぐ姿を見て。

 お隣の席で、両手をぽんぽんさせてお花を眺め始めたひかりちゃん。

 今回はイヤイヤにならなくてほっとしています。


 なぜならば。


 床に椅子、そしてエプロンと。

 食べこぼし用装備を万全にさせたひかりちゃんの前には。

 すでに昼食の準備が整っているからです。


「ふう。これで家庭科の宿題は完了なの」

「…………え? これのどこが?」

「だって、お料理作ったの」

「家庭科の宿題は、夏を涼しく過ごす工夫についてのレポートですが?」


 俺の説明を聞いて。

 涼しいどころか、汗をびっしょりとかきながら。

 がーんと口に出して驚いているのは。

 昨日遅くまでかかって、課題でもなんでもないチーズ作りのレポートを書き終えた藍川あいかわ穂咲ほさき


 お花を抜いたついでに、軽い色に染めたゆるふわロング髪を下ろした姿で。

 向かい側の席にしょんぼりしながら座ると。


 手にした二つの瓶の内。

 クリーム色のつゆの方を透明な器に注ぎます。



 まーくんの家で、ひかりちゃんのご飯を作ってあげるのはこれで何度目になるのでしょうか。

 ダリアさんから渡されたレシピから、本日はおそうめんをセレクトしたようで。


 いつものような、奇抜なアレンジを加えることもなく。

 一生懸命、忠実に作るため。


 当然、味にパンチのある品を楽しむことはできませんが。

 味に手榴弾が仕込まれている品で悲しむこともありません。


 さて、二才児との食事はとっても大変だと聞いていたのですが。

 ひかりちゃんは、半分ほどは零してしまいますけど。

 上手にスプーンでご飯を食べることができるので、それほど苦労はありません。


 母ちゃんにこの事を話したら、目を丸くさせていたので理由を聞けば。

 俺は、三歳近くまで手で食べていたとのこと。

 なんだか、ひかりちゃんのことを見直してしまいました。


 いい子いい子。


 そして、記憶にない俺。

 ダメな子ダメな子。



 ……そんな、しつけ上手なダリアさん。

 昼には帰ってくるとのお話だったのですが。

 間に合わなかったらお昼は先に食べておいてとのことだったので。


 先に、手を合わせて、感謝して。


「いただきます」

「いただきますなの」

「いたーきますなの!」


 ここ最近。

 いただきますとご馳走様に、『なの』が付き始めているのですが。

 そこは考えないことにして、いただきましょう。


 お豆腐を浮かべた温かなクリームスープに。

 小さくちぎったレタスと、コロコロに切って茹でたニンジンのサラダ。

 ひかりちゃんの器には、俺たちの半分くらいがよそわれて。


 そしてメインはもちろんおそうめん。


 短かく切って、スプーンですくうことが出来るサイズにしてあるうえ。

 俺たちも、ひかりちゃんの前ではスプーンで食事なので。


 つゆだくになってしまう恐れから、つけだれは薄味なのですが。

 これがスープパスタ的に、なかなか美味いのです。


 さて、この間はゴマでいただいたので。

 今日は合わせにしてみようかな?


 そんなことを考えながら麺つゆの入った瓶に手を伸ばすと。

 穂咲が、ひかりちゃんに尋ねました。


「ごまだれと醤油だれがあるの。ぴかりんちゃん、どっちがいい?」

「……とまと」


 え?

 ひかりちゃんは、ごく当たり前のように答えるのですけど。


「トマトのタレがいいの?」


 俺が、改めて聞いてみたら。

 愛用のウサギさんスプーンを握ったまま、こくりとうなずいているのですが。


「おかしいの。ぴかりんちゃん、トマトは嫌いって言ってたの」

「それより、トマトだれってなんだ?」


 俺が聞いてみても。

 穂咲も、むむむと唸るばかり。


 でも、とりあえず作ってみるのと口にした後。

 ダリアさんから言われている通り、まずは一度ご馳走様をしてから席を立ち。


 キッチンへ入ると、俺たちに向けて声をかけてきたのです。


「ぴかりんちゃん、これ?」


 穂咲が手にした物は、缶入りのトマトピューレ。

 そういえば、キッチンに沢山あったよね。


 ひかりちゃんが嫌いなはずなのに。

 なんで沢山あるのか、謎だった品を見て。

 お隣りの子は、背もたれから身を乗り出しながらうんと頷いていますけど。


 ほんとに?


 穂咲共々、半信半疑。

 でも、器に少しだけよそってあげると。

 ひかりちゃんは納得した様子。


 なのにこの子。

 おそうめんには手を付けず。

 サラダとスープばかりを食べています。


「……ひかりちゃん、これはおそうめん。おいしいよ?」


 ランチプレートによそわれた、細かく切ったおそうめんを。

 俺はひかりちゃんの手を取って。

 ウサギさんのスプーンですくってあげたのですが。

 それを元の山にすぐに戻して、レタスをすくって口にします。


「やっぱり、トマトのタレってこれじゃなかったんじゃないか?」


 俺は、穂咲に向けて言ったのですが。

 ひかりちゃんは、首をふるふると横に振るのです。


「じゃあ、これで合ってるの?」


 そして続く質問に、うんと頷くと。


 イスから降りて。

 廊下へ走って行ってしまったのですが。


「ありゃりゃ。やっぱり何か違ったのかな?」


 いつものイヤイヤとは違いますし。

 なんだか、ちょっと寂しそうな顔をしていましたが。


 ひかりちゃんの言う事は。

 そして行動は。

 謎だらけなのです。


 そんなひかりちゃんはいませんが。

 習慣になっているので、俺は一旦ご馳走さまと言ってから追いかけると。


 玄関前で、俺の靴をぶかぶかと履いたひかりちゃんの目の前に。

 ちょうどダリアさんが扉を開いて現れたのです。


「すごいなひかりちゃん。よく分かったね」

「おかえい!」

「はい、ただいま」


 プラスチック製の食べこぼし用エプロンを下げたままのひかりちゃんが。

 ダリアさんに手を引かれると、嬉しそうに甲高い声ではしゃぎます。


 今日は、ちょっとだけ寂しかったのかな?

 そう考えた瞬間。

 理由が分かった気がしたのです。



 ダリアさんが、お昼は一緒に食べるって。

 俺と穂咲が話していたのを、君は積み木をしながら聞いていたんだね?



 ゴメンね。

 ひかりちゃんに、ウソをついちゃったんだね。


 でも、君はそれに文句も言わずに。

 ほんと。



 いい子いい子。



「……お帰りなさい。ダリアさん、お昼まだでした?」

「そう。ぺこぺこ。ちょっとお向かいで買って来る」

「いえ、ダリアさんの分もありますよ」


 ダイニングに戻ると。

 俺の昼食セットが、ひかりちゃんの斜め前に移動していて。

 ちょうど穂咲が、ラップしておいた昼食をひかりちゃんの隣に並べ終えたところでした。


「そうめん、細かく切ってある。私のタメか?」 

「ひかりちゃん用ですって。……あ、そうか」

「うむ。つるつるニガテ」


 そう言いながら、ひかりちゃんと一緒に手を洗ってきたダリアさん。

 席に着きながらひかりちゃんを椅子ごと自分に向けて。

 いつもの無表情で話しかけます。


「…………ぴかりんちゃん、食事中だった。ごはんの時に席を立つのは、良い事だったか、悪い事だったか」


 ダリアさんの質問に、ひかりちゃんは一生懸命考えて。

 そして、「あっ!」という顔になったかと思うと。

 しゅんとしてしまいました。


「…………次はしないか?」

「しない!」

「そう。食事中に席を立たないと、ごはんが美味しい。楽しい」

「おいしい!」

「ん。ならば良し」


 ……俺は、どうしてこう涙もろいのか。

 なんだか嬉しくなって、鼻をすすりながらひかりちゃんを見つめると。


 ウサギさんスプーンで、ようやくおそうめんをすくって。

 ダリアさんを見上げながら、おいしそうに食べていますけど。


「……だからさ。つゆにつけなさいな」

「あ、忘れてたの。ダリアさん、つゆはどっちがいいの? ゴマと醤油があるの」

「…………ドチラもいらない。これがいい」


 そう言いながら。

 ダリアさんはひかりちゃんの前に置かれたトマトピューレに麺を浸して。

 美味いと頷きながら食べるのでした。



 やれやれ。

 我慢してたのに。


 さすがに限界。

 涙が出ちゃいました。



 ……ひかりちゃん。

 トマトは嫌いなのに。



 ダリアさんと同じつゆが良かったのですね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る