レンゲソウのせい


 ~ 八月二十二日(水) 化学、保健、英語、古文 ~


   レンゲソウの花言葉 あなたは私の苦痛を和らげる



 クーラーの効いた日帰り合宿所。

 夏の勉強に最適な、おしゃれな新築一戸建て。


 ようやく、その恩恵が効果を発揮し始めたのか。

 昨日今日と、熱心に宿題に取り組んでいるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭のてっぺんでお団子にして。

 白い花びらの先端を赤紫に染めて咲くレンゲソウを、三本挿しています。


 お花は実に美しいのですが。

 今日の君は。

 百年の恋も冷めるほどバカに見えるのです。



「数学終わったのー!」


 ……そんなバカな君も。

 目玉焼き語に変換された教科書なら。

 居眠りすることなく取り組むことができたようで。


 どうやら数学の宿題は終わったようなのですが。

 このペースじゃ、全部終わらせるのは無理かなあ。


 夏休み、最後の土日には。

 ひかりちゃんの面倒をみてくれたご褒美にと。

 まーくんが、一泊旅行に連れて行ってくれることになっているのですが。


 楽しみな反面。

 宿題に使える時間は、今日を入れてあと三日。

 ……今年は、諦めますか。


「一つ片付けたから調子に乗って来たの。古文の現代語訳も片付けるの」

「おお、いい傾向です」


 全部片付けるのは無理でも。

 自発的にこなそうとしてくれる姿勢は嬉しくて。


 とは言え、あと何が残っていたっけ?

 俺は携帯で、課題を書いておいたメモ帳を開いてみたら。


 膝に乗せていたひかりちゃんが。

 画面をぺしぺし叩きはじめたのです。


「ああこら! 携帯はダメです!」

「いやー! ぽーぽー! やる!」

「ぽーぽーってなに? 携帯を触ったら、めーです!」


 一生懸命背伸びして。

 俺が高く持ち上げた携帯に手を伸ばしていたひかりちゃんですが。


 あっという間に、びえーびえーと泣き出してしまいました。



 ……俺が悪いみたいで。

 すげえ困るのです。



「すいません、子供博士!」

「子供博士ってなんなの? あたしが子供みたいでいやなの」

「子供について詳しいから子供博士。それより、助けてください子供博士!」

「それ、やめて欲しいの。あと、何を助ければいいの?」


 いやいや、博士。

 随分と冷たい反応じゃないですか?


「何をもなにも、ひかりちゃんが泣き出しちゃってるでしょうが!」

「子供を叱ったら泣くに決まってるの。なんにも変じゃないからほっとくの」

「そこをなんとか! 泣き止ませてあげてほしいのです!」

「……のってきたの、古文の現代語訳」

「わたくしめがやりますから!」

「はあ。しょうがない道久君なの」


 溜息をついた子供博士。

 両手を投げ出して、びえーびえーと泣き続けるひかりちゃんを見て、もう一度ため息をつくと。

 ノートに顔を落としながら、厳しい事を言うのです。


「何度も言ってるけど、ひかりちゃんの前で携帯触ったら、触りたくなるのは当然なの」

「う。確かに」

「自分が触るものを触っちゃだめって言ったってだめなの。そりゃあぽんぽんしたくなるの」

「ごもっともです」


 縮こまる俺の耳に。

 冷たい博士の解説と。

 熱のこもったびえーびえー。


「博士。そんな憐れなわたくしめに、対処法を教えてください」

「携帯を触らせてあげるといいの。でも、そんなで泣き止まないかもしれないの」

「なるほど。試してみましょうか」


 俺は携帯の画面をロックして。

 ひかりちゃんの前に差し出すと。


 途端に泣き止んだひかりちゃんが。

 画面をポンポン叩いていたのですが。


「ちがうーーー! いやーーー!」


 携帯を持った俺の手をべしべし叩きながら。

 さっきよりも怒り出して。

 挙句に。


「ぎゃーーーーーーーー!」

「うわあ! 先生! 出番です、先生!」

「時代劇じゃないの」

「なんで君は平然としてるのさ!? ほんとに助けて!」

「だから当たり前なの。大人が楽しそうに叩いてるのに、自分が叩いてもちっとも楽しくないからこれじゃないって泣いてるの」


 ああ、それでさっき、泣き止まないかもしれないって言ったのですか。

 君はほんとによく子供の気持ちが分かりますね。


 とは言いましても。


「俺の携帯、子供が触って楽しいアプリなんか入れていないですし。どうすればいいのでしょう、先生」

「ぴかりんちゃんが、どんなのを想像してるか分かるはず無いから無駄なの。それにスマホの画面なんかずっと見てたら、子供の目に良く無いの」

「いや、先生! そこをなにとぞ!」


 せっかくやる気を出していたところ申し訳ないのですけど。

 これだけぎゃーぎゃー泣かれると、俺のせいとは言え可哀そうで仕方なくて。


 我ながら情けない表情を浮かべていたのでしょう。

 先生はとうとう折れて下さいました。


「ぴかりんちゃん、こっち来るの」


 先生の、のんびりした声に。

 ひかりちゃんはびーびー泣きながら、俺の膝からずるりと滑り落ちて。

 机の下を走って、ロングスカートに隠れた足にしがみつきました。


 そんなひかりちゃんに。


「あたしので我慢するの」


 先生は自分の携帯を差し出しました。


 ひかりちゃんは、俺の時と同じように。

 ぴたっと泣き止んで画面を触り始めたのですが。


 すぐに飽きて、穂咲の膝によじ登ると。

 お腹に顔を擦りつけながら寝息を立て始めたのです。


「ちきしょう。何が違うというのです?」


 穂咲も、ロックした画面を触らせていたというのに。

 この扱いの差は何でしょうか。

 嫉妬です。


「違い? ……分かんないの。あたしの携帯、ロックが顔認証ってくらい?」

「意味が分かりません。そんなことでひかりちゃんが泣き止むなら、俺も顔認証にします」

「これ、不便なの」

「そう言えば、今まで指紋認証でしたよね?」

「だって、指に瞬間接着剤が付いたのを剥がす方法を調べようとしたら、携帯が言うこときかなくなったから」


 なにその面白い話。

 いや、そんなことはどうでもいいのです。


「なんで穂咲のいう事は素直に聞くのでしょう」

「さあ?」


 小首を傾げながら。

 ひかりちゃんの背中をぽんぽんと撫でる穂咲が。


「……俺にはまるで、魔法使いに見えるのです」

「魔法なんて無いの。それより、顔認証って結構不便なの」

「さっき言ってましたね。でも、不便ってこと無いでしょうよ」


 穂咲は、だってだの使えないだのと言いながら。

 携帯をテーブルに立たせて。

 自分の顔をカメラに向けて、ロックを解除するのかと思いきや。


 ……意味の分からないことに。

 手で、カエルの顔を作って。



 …………それをカメラに近付けてますが。



 カエルの顔で認証?

 何言ってるの?

 そんなことできる訳……。




 ぴろりん♪




 くち、あんぐり。




「ふう。今日は一発でロック解除できたの。でも、いつもは三回くらいかかるから不便なの」

「やっぱり、なんか魔法使ってるでしょ、先生」


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