ベルガモットのせい


 ~ 八月十七日(金) 数学、化学、保健、英語 ~


   ベルガモットの花言葉 野性的



 クーラーの効いた日帰り合宿所。

 夏の勉強に最適な、おしゃれな新築一戸建て。


 そんな最高の環境で。

 最低な結果しか出せない子、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 今日はパイナップルのように豪快に結んで。

 それに負けじと、豪快な花火のように真っ赤な花を咲かせたベルガモットを活けています。


 だからでしょうか。

 今日のこいつはいつにも増して。


 やることなすこと野性的と言いますか。

 大胆と言いますか。

 無謀と言いますか。



「朝、なめこじるを煮返したとこに溶き切ってない玉子を入れて、花っぽいとこと、とぅるんとぅるんにしたとこ作って、ママにこういうのがヘタウマっていうのかしらねって言われたの」

「無理です」

「無理とかじゃなくてね、美味しかったから今のがいいの」

「だったら自分で英訳しなさいよ」


 俺のふてくされた顔を見た穂咲が。

 途端に袖を掴んできましたけど。


「なんです? 腕を掴まないでください」

「逃げられると困るの」


 英語の課題は、ちょっと手ごわくて。

 日記を三日分、英語で書いて来るというものなのです。


 そんな難題を。

 今日は、ソファーで隣り同士に座りながら消化しているのですが。

 これには訳がありまして。


 俺たちの間で、すやすやとお昼寝中のひかりちゃんが。

 目を覚ました時に誰もいないと可哀そうだからと。

 穂咲が言い出したせいなのです。


 とは言いましても。

 一人いれば事足りますよね?


「たまには自力でやりなさいな。俺、母ちゃんに用事頼まれてるのを済ましときたいのです」

「困るの。辞書がいなくなると」


 酷いいわれようなのです。


「だったらもっと英訳しやすいものを考えなさいよ。つるんつるんなんて、どう言えばいいのさ?」

「違うの。とぅるんとぅるんなの」

「なおさらです」


 携帯の英訳アプリにそんなの書いたら。

 きっと違うアプリを紹介され続けて、たらいまわしです。


「……はあ。しょうがないですね、じゃあまずは、日本語で日記を書いて下さい」

「…………どうやって?」


 そんなおバカな発言をする穂咲の右手。

 俺の腕を掴んだままなので、確かにこのままでは書けないですけど。


「離せばいいじゃないですか」

「辞書が無いと困るの」

「書けなきゃ本末転倒なのです」

「でも、今日は頑張って五教科分くらい終わらせたいの」

「え? 何で?」

「明後日、ぴかりんちゃんと川へタイムカプセル埋めに行くから」


 そんなことを言いながら。

 眠っているひかりちゃんに、ねーとか言ってますけど。


「ダメですよ。そんな暇ないこと分かっているでしょうに」

「ダメじゃないの。いっぱい想い出作ってあげるの」

「こんなに小さいのです。忘れちゃうでしょう」

「忘れたら、道久君と一緒に見つけに行けばいいの」


 当然のように穂咲が言うと。


 ようやく俺の腕から離した手で。

 ひかりちゃんの髪を優しく梳いていますけど。



 なんだか、さっきの言葉が。

 少し嬉しくて。

 少し誇らしくて。



 辞書扱いの後。

 宝探し装置みたいに言われたというのに。


 誰かの想い出に寄り添わせてもらえるって。

 とっても幸せなのです。



 ひかりちゃんだけでは無く。

 いつか出会う、自分の子供にも。


 たくさんの想い出を作ってあげよう。

 たくさんの種を植えて歩こう。


 そして、できることなら。


 自分の子供が、そんな想い出を巡る旅に出たいと言った時。


 宝探し装置として。

 俺も一緒に連れて行って欲しいのです。



 そんなことを考えて。

 ぽかぽかな気持ちになっている間に。


 穂咲は宣言通り、一生懸命ノートに向き合いながら。

 携帯でアプリを操作しては。

 頭をぼりぼり掻いて、首をひねっています。


 ……そういえば。


「おじさんのタイムカプセルを見つけてから、いたるところに埋めてますよね、新しいタイムカプセル」

「うん。最寄りでは、香澄ちゃんちに埋めてきたの」


 女性ならでは。


 宿題をこなしながらも。

 おしゃべりは別腹のようで。


 ノートに英単語を書き込みながら。

 いつも通りのおしゃべりが続きます。


「パパのタイムカプセル、ギザ十が入ってたでしょ?」

「入ってましたね、ふちがギザギザの十円玉」

「あんな感じで、将来価値が出ると思って、お金入れてるの」

「全部に?」

「全部に」


 うそでしょ?

 君、今まで二十個近く埋めてない?


 紙幣じゃないでしょうから、百円玉か。

 つまり二千円も埋めてるのか。

 しかも、そんなに価値が増すとは思えません。


「……無くなって、損するだけなのでは?」

「損なんて無いの。例えば、ぴかりんちゃんが大きくなって、川でお金を見つけたら、きっとびっくりで嬉しいの」


 …………ああ、そうか。

 そうだよね。


 君がタイムカプセルを埋める理由は。

 自分で掘り起こすためじゃなくて。


 ひかりちゃんや、いろんな人に掘り起こしてもらうために。

 そして、その人が他の誰かのために、タイムカプセルを埋めて欲しいから。



 でも。



 ひかりちゃんが大きくなった時。

 俺たちくらいになった時。


 その時、俺たちとの想い出を見つけたいと考えてくれるでしょうか。



 ……いや。

 だからこそ。

 タイムカプセルを見つけたいと思ってくれるように。


 この子に、楽しい時間を。

 たくさんの想い出をあげたいって考えているんだね。




 おじさんがくれた、幸せのバトン。

 おじさんから穂咲へ。

 穂咲から、ひかりちゃんへ。




 永遠に続く、優しい想い。

 俺は、まだ見ぬ未来へ想像の翼を広げます。


 ……穂咲との想い出。

 きっと、この子は探しに行ってくれるでしょう。


 そう考えた時。

 急に、さっきの穂咲の言葉を思い出したのですが。


 『忘れたら、道久君と一緒に見つけに行けばいいの』


 タイムカプセルを、ひかりちゃんが探しに行く時。

 一緒に行くのは俺だけ?


 ……いやいや。

 まさかまさか。


 穂咲がいないなんてこと、あり得ないのです。


「調子が出てきたの。この分だと、あっという間に終わりそ……う? ちょっと。道久君」

「なんでしょう」

「せっかく調子が出てきたの」

「ええ、そう言ってましたね」

「腕を握られたら、宿題できないの」

「ええ、そうですね」

「…………困るの」

「……ええ、そうですね」


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