ローズゼラニウムのせい


 ~ 八月十六日(木) 数学、化学、保健、情報 ~


   ローズゼラニウムの花言葉 恋わずらい



「こ・い・は・づ・ら・い! 検索どーん!」

「……ほらごらんなさいな。全然ヒットしないでしょうに」

「うう。じゃあ、こ・い・わ・ず・ら・い! どーん!」

「今度はヒット数が桁違いですし、web辞書もこっちで表示されてるでしょ?」

「ほんとだったの。『辛い』の最上級が『づらい』だから、『恋は、づらい』だとずっと思ってたの」

「なにそれ? じゃあ比較級は?」

「ヤバす」



 君のおバカは。

 たまに俺を納得させてしまうから不思議。



 ――ネットの情報が、すべて正しいなんて思わないですけど。

 これについては間違いありません。


 朝っぱらからずーっと、『恋煩い』の読み仮名について文句を言い続けるので。

 携帯のブラウザで検索した結果を見せてあげたのに。


 俺の携帯に入っている情報ではあてにならないなどと。

 まるで江戸時代の人みたいなことを言い出した藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 今日は乙姫様風に、二つの輪っかにして。


 その中に。

 ピンクのタコさんの顔みたいな花をつける、ローズゼラニウムを一房ずつ挿しています。


 そんな竜宮城の城主様。

 いつもの合宿所に到着するなり、まーくんの書斎へ押し入って。


 事の真偽を確かめようと。

 鼻息荒くパソコンへ向かうと。



 ……すがすがしいほど指一本。

 待てど暮らせど文字探し。



 呆れながら、まーくんと共に書斎を出ると。

 リビングでは、ダリアさんがひかりちゃんのおめかしをしておりました。


 そして。


 レースのリボンを引きずりそうな。

 ちいちゃなお姫様が生まれるまでに十五分。


 三人、家族揃って。

 お偉いさんとの会食とやらへ出かけるまでにもう十分。


 麦茶を注いだらちょうど空になったので。

 水筒の麦茶パックを代えて水を注いで。

 ついでに製氷タンクに水を入れていると。


「動いたのー!」


 合計、三十分もの時間を費やして。


 『正次郎』

 『MDH12345』


 というユーザー、パスワードの入力に成功したのでした。



 ~🌹~🌹~🌹~



「今どきパソコンくらいまともに触れないと苦労しますよ?」

「だって、携帯で事足りるのに覚える必要ないの」


 呆れたことを言い出す江戸時代人は。

 恋はづらいという言葉がこの世のどこにもないことを納得すると。


 まーくんの言いつけ通りに。

 シャットダウン前に、パスワードの変更作業をしております。


 でも、どうにもダブルクリックが下手くそで。

 まるで設定変更画面にたどり着ける気がしません。


 まーくんのパスワード。

 MDH12345。


 察するに。

 まーくん、ダリアさん、ひかりちゃん、そして五桁の数字。


 その五桁の数字だけ変えて、メールしておくようにとの指示なのですが。


「できた!」

「できてません。設定画面にたどり着いただけです」

「パスワード、先にまーくんにメールしとくの」

「まあ、どちらが先でもいいですけど」


 それより大変不安なのは。

 メールしたパスワードと違う数字を打ち込んでしまう事。


 親指一本で、あっという間に携帯からメールを送った穂咲は。

 人差し指一本で、イライラするほどゆっくりパソコンの設定を変更します。


「メールした通りに打ってくださいよ?」

「語呂合わせだから、間違えようがないの」

「なるほど、それなら安心なのです」

「M、D、Hの、こ・め・つ・き・バッタ、と」

「君の芸術センスに、俺は心から嫉妬することがあるのですが」


 こめつきバッタ。

 どんな数字の語呂合わせか、まるで想像つきません。


「これでいいの?」

「そうそう。それでシャットダウンです」


 パソコンのランプが全部真っ黒になるまで。

 穂咲は不安そうに見つめていましたが。


「ふう! 完璧だったの!」


 無事にシャットダウンできたと知って。

 かいてもいない汗をぬぐう仕草と共に。

 妙に傾いた椅子にぽふっと座り込みました。


「やり切った感を出しているのではありません。宿題に取り掛かりましょうよ。まだ一教科も終わってないのですから」


 俺が声をかけると。

 何かひらめいたとばかりに。

 こいつは再びパソコンの電源を入れます。


「なにやってるの?」

「情報の課題をするの」


 情報の課題?

 なにか、情報にまつわる疑問を。

 パソコンや携帯で調べてレポートにするというものですが。


「確かにそうでしたね」

「疑問があるから調べたいの」

「携帯で調べた方が早くないですか?」

「パソコンについての疑問だからこいつに聞くの。餅は餅屋なの」


 珍しくやる気スイッチが入ったようで。

 鼻息荒くキーボードを手繰り寄せると。


 鼻先で、キーを押しちゃうのではないかというほど顔を寄せて。

 パスワードを入力していますが。


 『パスワードが正しくありません。入力し直してください』


「どうしてそうなるんです? ちょっと貸してみなさい」


 大文字小文字を打ち間違えているのでしょうか。

 俺は慎重に、『MDH』と入力した後、穂咲へ振り向きます。


「あとは? 五桁の数字は?」

「1、2、3、4、5、なの」

「それは変更前の奴です。変更後のやつを教えて下さい」

「覚えてないの」


 ……そうね。

 パソコンと一緒に。

 君の電源も一回切れてましたもんね。


「『こめつきバッタ』って言ってたでしょうに。どんな語呂合わせなんです?」

「こめ……? 語呂合わせになってないの。変なこと言う道久君なの」

「ああもう! 携帯の送信履歴見なさいな!」

「そんなのいつも通り、速攻消したの」


 うそでしょ!?


「しょうがないやつなのです。じゃあ、まーくんに連絡なさいな、さっきのメール教えてって」

「見れないと思うの」

「なんでさ」

「このパソコン宛に送ったから」

「ポストのカギを郵送するようなことしなさんな!」


 どうするのさ!

 俺、パソコンとかメールとか詳しくないから。

 どうしたらいいか分からないよ?


 父ちゃんなら分かるのでしょうけど。

 こんな時間に連絡がつくはずありませんし。


 やれやれ仕方ない。


「五桁の数字を、一からはめていくしかなさそうです」

「大変なの。一万回も入力しなきゃなの」


 この人。

 記憶力も無い上に。

 算数も出来ないのです。



 ………………

 …………

 ……



 結局。

 一桁目が『9』だったせいで。


 指はおろか、肘の辺りまで痙攣するような状態になりながらようやく解錠。


 溜息をつく俺をよそに。

 穂咲は嬉しそうにブラウザを立ち上げます。


「……それで? 君は、なにを調べたかったの?」

「鍵のかかったパソコンのデータを見る方法」


 へえ。

 調べたかったこと自体は結構まともなのですね。


 まあ、それが出来たら。

 誰だって悪事し放題ですけど。


 穂咲の操作では、平成のうちに終わらなそうなので。

 俺が代わりに調べてあげると。


「当然ですけど無理なようです。じゃないと、パスワードの意味無いですから」

「メールも?」

「ええと…………、メールは、どこのパソコンでも見れるって書いてあるね」

「それなの! よかった、これで万事解決なの!」

「何が?」

「さっきあたしが送ったメール、その方法を使えば見れるの!」


 これでパソコンに入れるの~とか歌いながら。

 パソコンを使って。

 一生懸命その手順をノートに書き写していますけど。

 パソコンを使って。


 ……君のメールが届いているであろう。

 パソコンを使って。



 やれやれなのです。



 なんだかどっと疲れたので。

 俺はしばらく一人になるために。


 客間のカギを持ったまま中に入って、そっとカギをかけました。


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