クローブのせい


 ~ 八月十五日(水) 数学、化学、保健 ~


   クローブの花言葉 神聖



 クーラーの効いた日帰り合宿所。

 夏の勉強に最適な、おしゃれな新築一戸建て。


 そんな宿題がはかどる環境で。

 まったく宿題をしないのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はポニーテールにして。

 そこにクローブを一本植えています。


 水色のお星さまが群れて瞬くようなクローブの花。

 でもクローブって。

 カレーに、ローリエとトウガラシと一緒に入れて煮込むといい香りというのが俺の中のイメージなので。


 さっきチャーハンを食べたばかりだというのに。

 もうお腹がすき始めてきました。


 ……あるいは。

 こうしてひかりちゃんを膝に乗せていると。

 カロリー消費が激しくなるのでしょうか。



 さて、こっちの子供は。

 随分と聞き訳がいいのですけれど。


「ねえ穂咲、宿題しなさいな。今日は早く帰って、なにかお菓子でもつまみたい気分なのです」


 俺がちょっと口を尖らせながら、聞き分けの悪い方の子供に文句を言うと。

 こいつは負けじとタコのような顔をしながら。

 さっきから読んでいる本を突き付けてきたのですが。


 そのタイトルは。


 『三日×三分で三キロ減!? 驚きの、前回り受け身ダイエット!』


「…………減量中でしたか、それはすいませんでした」


 それにしてもどこから探してくるのですか、そんな本。


 俺が呆れながらも頭を下げると。

 こいつはふるふると首を振ります。


「そっちで怒ったんじゃないの。ちゃんと宿題をやってるの」

「は!? 俺の計画表では、今日は情報の課題になっているのですけど」

「気が変わったの。保健の課題をやってるの」


 ……保健の課題。

 人体の仕組みについてレポートするやつか。


 こいつがテーブルの上に並べた本。

 よく見れば全部ダイエット本なのですけど。


「まあ、悪くはないと思いますが」

「人体の仕組みを調査中なの。永遠の課題なの」

「さっきから読んでるだけじゃないですか。レポートにしないと」

「それは後でやるの」

「では、今日は実践ですか?」

「それも後でやるの」

「後っていつさ」

「冬休み?」


 ……こいつ。

 絶対にダイエットできないタイプなのです。


「宿題もダイエットも後回しですか」

「だから、宿題はやってるの」

「口答えしなさんな。体もおつむもデブになっちゃいますよ?」

「おつむはデブにならないの。おかしなこと言う道久君なの」

「……でぶ?」

「あ、しまった。ひかりちゃん、それは絶対言っちゃダメな言葉なのです」


 後悔先に立たず。

 そして重ねる二つ目の後悔。


 そんな言い方したら。

 子供は逆に、面白がるものなのです。


 ……案の定。

 ひかりちゃんは楽しそうに。


「でぶー! でぶー!」

「ああ、こら! ですからやめて欲しいのです!」

「いや! いーやーーー! でーぶーーーー!」


 うわあ、初体験。

 これがまーくんの言っていたやつですか。


 膝の上で、これでもかと身をよじって。

 イヤイヤとデブデブを大声で連呼し始めたのですが。


「だめですひかりちゃん、言うこときいて下さい! デブって言われたら傷つくんだから、デブは!」

「いーやーーー!」


 とうとう俺の膝から逃げ出して。

 ダイニングテーブルの下をくぐって穂咲の膝にエスケープ。


 こんな状態のひかりちゃんを穂咲に任せたら。

 とんでもないことに発展しそうな気がします。


 ……でも。

 慌てる俺をよそに。


 穂咲はひかりちゃんをテーブルに座らせると。

 いつもと変わらず、のんびりと話しかけるのです。


「ぴかりんちゃん、さっきの言葉は、言われた人が悲しくなる言葉だから覚えておいてほしいの。だから道久君は、言わないでほしいって言ったの」


 穂咲の言葉に、ひかりちゃんは聞き入っているような気がしますけど。

 それ、伝わってます?

 難し過ぎやしませんかね?


「かなしいのは? どうなの? でぶ?」

「そう。それを言うと、言われた人が傷つくの」

「じゃあ、イヤなあれ? ダメなのした?」

「そうなの。だから、もうやらないと良いの。……ぴかりんちゃん、もうデブって言わない?」

「いわない」


 そう口にしたひかりちゃんは。

 テーブルから穂咲の膝に飛び移ると。


 首元をくすぐる穂咲のお腹にしがみついて。

 きゃーきゃーと笑い始めたのですが。




 ………………くち、あんぐり。




「すごいね。……今のコツは? ひかりちゃんを大人扱いしていたのですか?」

「変な道久君なの。ぴかりんちゃんは子供なの。なんにも知らないの」

「えっと、でも、俺と何が違った?」


 首をひねって考え込む穂咲ですが。

 無意識なの?

 偶然?



 ……褒めて損した。



 違いなんてほとんどなかった気がするので。

 こいつののんびりトークで眠くなっただけかもしれないのです。



 俺は席を静かに立って。

 さっきの恐怖から、ちょっと距離を置いてひかりちゃんの様子を見ると。


 穂咲の太ももの上を気持ちよさそうに。

 ぺちぺちと叩きながら、笑っているのです。


 ……俺との違い。

 太もも?


「そういえば、クローブはフトモモ科フトモモ属でしたっけ」

「……そんなに太もも好き? 道久君、うすうす思ってたんだけど、ド変態?」

「好きなんて一言も言ってません」

「ここは神聖な領域なの。そんなに見てたらいけないの。ちょっと太くなった気がするからなおさらなの」


 ご機嫌になったひかりちゃんに反比例。

 穂咲がふくれ始めてしまいましたが。


 でも、こっちの子供のご機嫌取りなら。

 慣れたものなのです。


「そんなこと無いのです。二人三脚以来ちょくちょくジョギングしてますよね。その効果が出ているのです。前より細くなってます」

「……やっぱり太もも観察人なの。道久君はド足フェチなの」

「違いますって」


 厳しい反撃をしてくる穂咲ですが。

 褒めてあげた足を、恥ずかしそうにパタつかせて。

 その頬を嬉しそうに緩めていますので。

 ご機嫌取りはうまくいったようなのです。



 ……が。



「どあしへち?」

「げ」



 もう一度。

 同じ騒動が繰り返されることになりました。


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