第19話 仙人

日本医科大学付属病院の医局の横に

床屋さんが有った

入院患者さんや医療従事者

時には近隣の人たちがここを訪れていた。


寮住まいのきよこが働くようになって数年が経った頃

何度か利用していた床屋さんに、歳が同じ位の青年の新人さんがやってきた

夫婦の床屋さんに一年に数回、新人が出入りする

医局でも出入りが多いと噂になっていた



主人

「今日はどうしましょう?」

きよこ

「医長と三省堂に出かけるので整えてください」

主人

「お出かけ用にラジオ巻きで」

きよこ

「お願いします」

「新人さんがきたんですね」

主人

「いつまでいてくれるか心配です」

新人さんを見つめて

「今も少しボ~っとしているでしょ」

「私はもう慣れちゃったけど、医局で初めては  ね~」


新人さんは、ここで何度も会っているが

今日はいつもより、本当にボ~っとしていた

これが新人さんと医局の床屋で会うのは最後となった。


数か月後


お休みの日 日比谷公園で夕涼みをしていた時だった

近くのベンチに、頭が真っ青の

新人さんをみつけた

新人さんもこちらを見ていた

「床屋さん!」

新人さん

「看護婦さん」

間を置いて

「病院ではお世話になりました」

きよこ

「こちらこそ お世話になりました」

「あれから 病院には来ていないんですか?」

新人さん

「もう 病院は辞めてしまいました」

きよこ

「残念ですね」

新人さん

「もう病院は懲り懲りです」


新人さんは話を続け

「看護婦さんには 言いずらいんだけど、聞いてもらえますか?」


新人さんの話はこうだ


新人で入ってすぐ、二日目か三日目だった

白い病院服を着た老人が床屋にやってきた

「今日はどうしましょう」

老人は無反応だった

肩を叩きながら「今日はどうしましょう」

老人は耳が遠く、きずいたように

「髭が伸びてしまったんで、さっぱり剃り整えてもらいたいんでが」

新人さん(大きな声で)

「かしこまりました、立派な髭で勿体ないですが」

「大丈夫ですか?」

老人

「退院が決まって、さっぱりしちょるが」

新人さん

「わかりました」


老人の白髪は整えられていて、髭はまるで「板垣退助」のそれだった

老人は髭だけを剃って、五十銭を払い、帰って行った


それから一か月後

第三水曜日になると老人はやってきて、同じ会話をして

五十銭払って帰っていくのである。


また一か月がたった水曜日

老人は現れた、同じ格好、同じ会話で

五十銭払って帰っていく


また一か月がたった水曜日

五十銭払って帰っていく


四回とも新人さんを指名して

老人の髭の伸びる早さと、同じ会話が気になって

床屋の主人に訊ねた


新人さん

「すみません、あのご老人、髭が伸びるのが早いですね」

主人

「どの、ご老人だ?」

「仙人の髭剃ったのか?」

新人

「今 お代をもらった老人ですよ」


主人

「どうりで お前 ボ~ってしてる時間が長かった」

「この頃、来ないなあと思っていたんだけど」

「お前の処に来てたんか」


新人さんは主人の話を聞いてから

床屋に仕事に行けなくなったらしい


新人さんが病院を辞めた事が分り

数日後に入隊するよう令状が来て

準備が終わったところだった

誰も信じてくれず、もやもやしていたけど

新人さんは看護婦さんに話を聞いて貰い

すっきり戦場に迎えますと言っていた


青年は

公園のベンチを立ち上がると

もう練習したのだろうか

肘が少し前にでた

海軍の敬礼をして、まわり

背を向け、振り返らず

公園から出ていった



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