第20話 癌

 戦争は激しさを増していた、合衆国までを相手にし、もう何年になっただろう

父が高田馬場、戸山公園の近くに入院したと知らせが来た、見舞いに出かけると、お腹にしこりが出来ていた、「もう手がつけられない」と先生は私と弟に告げた

現代なら手術やでどうにか長引かせることができたかもしれないが・・・・・

家へ連れて帰るかとの話だった。

父は「きよこ長野に帰ろう、もう東京も危ない空襲も激しくなる」ラジオからは未だ戦勝の放送しかされて居ないのだが、父には日本の状態は分っていた、知らないのふりをしていたのは父だけではなかったと思う、一週間後、妹と弟が迎えに来た、父を長野に連れ帰る準備だ、妹は親戚に嫁に行き弟は海軍だったが、3人で長野に連れ帰る事になった。父は小さな体だったが重いしっかりとした筋肉が一杯ついていたのだが、今の父は小さく軽くなっていた、平林まで4人でゆっくり帰った、列車は疎開や

地方に買い出しに行く人たちで一杯になっていた。母にはもう何年ぶりだろうか、家出の怒りはもう無いだろうかと心配だった、不安を持ったまま平林へ帰った。母はそれどころではなかった、父の病気にあたふたしていた、母にとってきよこの事など どうでもよかった、弟は又兵に戻り、妹は嫁ぎ先に戻った、小さな弟はきよこが丸子に出た後に生まれた子供で未だ小学校に入学したばかりで、何がなんだか解らないのだろう。

「父を見てくれ」

母の言葉は命令だ

父の最期を看取ってくれと、母は言っていた、上野の病院には詳細を電話して、父を看取ってから上野に戻るつもりだった、蚕室の風よけのトタン板まで軍にとられ、土蔵に有った幾竿の日本刀、猟銃、馬桶や正月に使う大きな釜まで 長野から来た軍部が引きずり出してしまって何も無い、作蔵は松代の実家に帰り、とくは親戚の家を転々としていた、父の葬式頃まで源さんは居たが、その後の行方は知れない、父はどんどん痩せ、食事も痛みを堪えるだけで消耗していった、看護婦でも当時は痛み止めの注射も出来た、アンプルも長野の薬局で買えた、父の命は東京から帰って半年も経たない暑い夏までだった。

母は衰弱していく父を救えない私に、何の為に病院へ行ったのかと、病気へのいらだちをぶつけて来たが、きよこは痛みを和らげるだけで精一杯だった。

供養の食も質素なままでは有ったが地元の村だけでも一日中葬儀の列はとぎれなかった

始七日の後

上野に戻るのだが、もう看護の事など考える余裕は誰にも無かったと思う。

荷物の整理、身辺整理の為に上野に戻った頃には、汽車も疎開の混雑がひどくなり

東京はもう帰る場所では無く成っていた。

空襲が毎日激しく成り、院長も何も言わずに送り出してくれた。

産科の若先生も従軍していった。

逃げる様に長野に帰ってきた、ただ出版社の双子ちゃんが心配でならなかった。

そのまま平林には数年住んでいたが、平林には弟が嫁を取る前に嫁にでた。

嫁ぎ先でも妖怪はいっぱいいた。


1945-8.15 身近に妖怪の居た時代は終わっていた。

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