第15話 姉さん

 小学校の先生から連絡をして頂いていたので 、講堂の入り口の長椅子には長くはいなかった、小県郡丸子町上丸子963「依田社病院」今年の新入生は半分きよこと同じ住み込みだった、一学年は春に入学していた。

きよこが一番若かった満16でないと入学できない、他の生徒は尋常中学を卒業して入学してきていた、看護師免許は三年の実習期間と試験に受からなくてはならず、中学を卒業していないきよこには出来ない仕事だ、戦争が激しくなり看護婦不足がこの看護学校にも学徒の風が吹いていた

薄い教科書は10部、家に居る時は朝から晩まで仕事をしていたきよこには、読み終わるまでに一週間とかからなかった、それは カラカラに乾いた スポンジに水が吸い取られるようだった、きよこの中に有った隙間や疑問が、急速に埋められていった看護学校の生活だった。

朝は朝食まで3時間は有った、午前中の授業は4時間、午後は病院での実習、夜も何もすることが無いので教科書がきよこの良い気晴らしになっていた、実習も平林での仕事の比ではない、一週間過ぎると教科書は同学年に追いついた、実習の間には先生に教科書の不明点を聞きはじめた うるさくて、いやな生徒だったに違いない、授業中も教科書に関係のない先の先の質問ばかりで、同級生からも変人扱いだった。

そんなきよこにも理解をしてくれたのは、弘子先輩だった、姉さんは何年も資格が取れないままこの病院に勤めて主任をやっている。先輩の付き添いで夜勤の手伝いに呼ばれたときの事だった、病院の裏口学校の夜間窓口から 受付に向かう廊下に何人もきよこと同じ位か二十歳そこそこの女の子が、何人も付き添いに寄り添い座っていた、廊下に寝そべって何か奇声をあげている、酒に酔っている娘もいるようだ、「先輩 何が有ったのですか」と聞きながら看護室まで階段を急いだ、たいがいの事は大丈夫なきよこも少し怖かった、「担当じゃないから」と言われ教えてはくれなかったが「病院に連れて来られる少女はまだ幸せ」先輩はポツリとつぶやいた。

入院病棟のお手伝いも2カ月程経つと配属され、きよこは小児外来とその病棟の担当となった、病院の端に別館が有り、看護室裏にやってくる少女達には一人の看護師が付き、まるで護送されて居る様に口にマスクが付けられてる、先生は特段診察する様子も無く、注射をしては同い年位の少女達は整然と病棟に戻って行った。製糸工場に働く少女達だと知るには時間はかからなかった、工女は5~6千人位は居るだろうか、夜間窓口に居る少女達も工女だった、製糸工場の仕事は辛く悪い男達の格好の獲物だ、「楽になるよ」と言ってはヒロポンを打って夜の餌食に成る少女が後を絶たないのだ

工女のお金と体を目当てに温泉街にたむろするやからだ、夜間窓口には中毒を起こして捨てる様に病院に連れて来られる少女達だった、なにかやり切れない気持ちだった

外科の先生から夕食後、看護室まで来るようよばれた、「4月の初旬 看護試験が有るから 受けなさい」きよこはもう試験の為に教える事が無いので受けてみなさいとの話だった。

長野市妻科信濃衛生会館での受験だった、昭和14年4月6日朝7:00 筆記用具・弁当・上履きをもってとの呼び状だった、試験は殆ど教科書のまま何の変わりもなかった。5月になる前に病院長から発表が有り、先輩達に交じって受験させてもらった。80名受け60名合格その中に先輩(姉さん)ときよこの名前が有った、先輩は3回目の受験だった呼ばれた時の歓声が続く中、きよこの名前を知っているのは弘子姉さんと小児科の先輩だけだった、東京小石川 岡田光代氏からの合格通知を渡された、看護経験が4年の姉さんは、本当の看護婦になれたと泣いていた、看護婦に合格した学生は、戦地に派遣される者もいる、戦時だからそんな事は解かっている、地方病院に派遣されるもの、それぞれの春がやってくる、先輩は東京の病院に派遣が決まった、「本年度は看護学校始まって依頼の初めての出来事が起きました、昨年度10月に入学した生徒が尋常小学校しか出ていないにも関わらず6ヶ月で看護試験の合格者が出ました、みなさんも見習い、2年の修学課程の中で合格し、人の為働けるよう頑張る様に」正確には看護士ではなく、産婆資格隼看護師だ、入学も9月だったったのですが、歳が16に成っていなかったので、記録上まずかったんだろう。

この院長の挨拶で同期の仲間から変な眼で見られて居る様な気がして、学校に居ずらい雰囲気になっていた、姉さんは相変わらずきよこを可愛がってくれていた。

先輩の妹は丁度きよこと同じ歳だった、妹は富山で冬の食べ物が無い時に体を壊し

生きる時間は短いと告げられ、姉さんは看護婦を目指したのだ、妹は今地方の結核の隔離病院に入院している。きよこも末っ子が天国に行った感触がまだ背中に残っている。何かお姉さんが出来たようで嬉しかった、先輩は春には他の病院に転院が決まっていたがそのまま戦地へ行くかもしれない、未だ見ぬ東京が先輩ときよこを待っている、先輩は希望に満ちていた。きよこは正月休みも家には帰って居ない、春の卒業休みには先輩は富山へ帰っていた、休みの間ずっと病院の仕事だ、授業は無いが一年生は殆ど病院に残って病院に出ている、もうクレゾールの匂いも体にしみ込んで先生の指示を待たず、治療の準備や包帯巻きが出来る様になっていた、病棟には毎日朝出していた、午前の授業が無いからだ、病棟も患者さんも随分減っていた、一昨日の夜から降り始めた雪は2日経った今日も降り続いて随分病院の庭につもった、院長先生に呼ばれた「きよこ後一年学校にいないと看護婦には成れない、千駄木の附属病院に実習の名目で行きなさい、ここで教える事はもう有りません、5月から行くから準備しなさい」「小田切小学校の教頭先生が心配していましたよ、成績については報告しておきました」院長先生がまさに尋常小学校の教頭先生の友人だった。

院長の話は相談ではないきよこへの命令だ、実習と言っても生活費以上の手当てが出る、今は午後の病棟の手伝いで生活させてもらっている、母は丸子の病院に来ている事を知っていたのか今でも解らない、兄弟にも言ってなかった、弘子先輩は卒業して一時帰京していた、丸子に一時戻り東京の病院に転院したと後から聞いたのだが、時代は混沌としその後の消息は知れない、先輩に手紙だけ残して看護学校を後にした。

夏に向かう頃、実家のおばあちゃんも亡くなったと、父から知らされたが、学業に専念しなさい、帰って来ることは無用だと云われていた。アジアでの日本の振舞いをアメリカは見過ごせなくなりはじめていた。日本のアジア進出で医師看護婦が本土や外地に足りなくなり、この後若い白衣の天使が終戦まで沢山生まれた。

第2次世界大戦直前の浮かれた空気が日本国内をどんどんアメリカとの戦争に向って加速していく。

東京の附属病院への移動は戦後に成って気が付いたのだが、やはり父の引いた道だったと思う、丸子の同級生たちの中にはその後、従軍看護婦として戦地に向かい、看護と同時に慰安にも駆り出されていた事を知った。戦場に従軍し命を落とした同級生も沢山いた。

平和に成り始めた頃になった頃でないと、知らされない軍の闇だ。

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