第14話 嘘の東京
尋常小学校を卒業してからきよこは作蔵の分まで仕事をさせられていた。
太平洋戦争が始まり父も帰ってこなくなっていた。きよこも秋には16に成る。
仕事は増える一方だ、車が通れる道が深沢まで出来ていた、田んぼの仕事から帰って来る時には、荷車を付けた紅の背中に貼り付き寝てしまっても、紅は土蔵下の水場まで必ず連れて帰ってくれる。本当に利口な馬だ。
作物の供出がひどくなって来るに従って親戚のおばちゃん達が、おばあちゃんの世話と言いながら農作物をむしんに来ていた、戦争の話や世間話をしては半日仕事の邪魔をしていた、親戚のおばちゃんは「製糸工場では近くの県から工女が集まってえらく、盛んらしい、きよこも工女で諏訪や丸子へ仕事に出せば暮らしも楽になる」と母に盛んに勧めてきた。
ある日母は
「お前は 松代の親戚の紹介が有る旧家に嫁に行け」家同士で婚礼が決まるのは当時当たり前の事だ、12歳で奉公だといって嫁に出されることも当たり前だった。
きよこは母が言い出せば誰が何を言っても駄目なのは良く解っていた。「父さんは東京にいるが正月には帰って来る、そしたら婚礼だ」
下のちの兄がをずっと好きだった私は婚礼は嫌だった、兄は頭が良く働き者で、いつも学校に行く時に助けてくれていた、鼻が高く浅黒い兄も数年前に学校を卒業して兵学校にいってしまっていた。
母は工女に売り渡すのだけは嫌だったのだろう、母の愛だったのだろうか。
同級会に出かけた。
夏の同級会は毎年開いていた、長野に出た者、学校へ行った者、参加できる同級生は半分になってしまっていた。久しぶりの先生だった、帰り際、先生に呼び止められた「丸子の製糸工場には病院が有って看護学校が有る」「きよこ、これからは看護婦が必要になる、行ってみないか」先生は案内をそっときよこに渡した。背中で亡くなった末っ子の話を、先生は学校の休み時間に私に付き合ってくれ、一緒に泣いてくれたのを思い出した。
父に手紙を出した
「拝啓 父上様 如何お過ごしでしょうか、私も16に成り 思う所有り
先生の勧めで丸子病院に行きたくご相談申し上げます」短い手紙だ。
一週間程経った頃、近所の子供から明日小学校に来るように伝言を貰った。
学校へ行くと
丸子と父への連絡は先生がみんなやってくれた、知り合いが丸子にいるので任せておきなさいとの話だった。毎日看護婦に成る夢が膨らんでいた。
半月位経った時、母に呼ばれた「父さんから手紙が有った、東京へ顔を出しに行っておいで」封筒には汽車の軍切符が同封されていた。
切符の行先は上野だったのだが、丸子に入る当日のものだ、上野には行かない。
お盆が過ぎて秋の声が聞こえていた。同級会から未だ一か月も経っていない。
私は半分家出の様に小さな風呂敷に下着と大事にしていたもんぺを詰め
古漬けのおにぎりを明日の朝分まで四つ準備した、朝明けきらない前に出かけないと朝一番の列車には間に合わない。明日のことで全く眠れなかった。
母は内縁に新しいズックと牛皮で出来た小さなこおり位のカバンを朝用意してくれいた、父が置いていったカバンだ、カバンを開け自分の風呂敷を詰め込み、風呂敷に入らなかった下着やモンペを追加した。
瓶に水、何枚かの風呂敷とお金と綿の反物、父への手紙が入っていた
母は読み書きが出来ない、カタカナの読み書き程度だ、手紙は源さんが書いたものだったが、源さんも同じだろうに。新しいズックに履き替え、家を出た。
母・弟・妹の事は心配だったが妹のさとももう随分大人に成っていた。
自分の荷物に父への荷物は重い。母はなんで大きなカバンを準備してくれたのだろうか、庭先の見送りには出てこなかった。御先の崖まで来ると随分明るくなってきた、自分の作ったおにぎりを食べていると、下のちの「兄」を思い出してしまった。私の中では御先の崖が平林と日本の堺、大正と昭和の堺だ、お先の山道は昭和の初めから小田切の人たちは新道を使い、平林の住民だけの道になっていた。今はお先の崖までの道は途中がけ崩れしてしまって使う人もいない。
お先の崖ではススキの穂が出始め、蟋蟀の合唱には未だ少し早い奥信濃にいた。
犀川 千曲川 長野の広い眺めが朝霧とともに拡がっていた。
・・・
今日きよこは東京には行かない
長野駅の朝一番は出征列車だ。ここかしこで「バンザーイ バンザーイ」
口には出せないが「なにがめでたいんだ」きよこは生え始めたばかりの大事な体毛を
縫い込んだお守りを作り、下のちの「兄」に渡し、村の口でバンザイをした一人だった、長野まで2時間、上田までは1時間半、丸子まで1時間 昼過ぎには丸子病院についていた。
後で知ったのだが、本当の募集は従軍看護の募集であったらしい。
父と先生が手を回したのだ、秋口の入学も異例だった。
戦争が終わりに近づくまで平林に帰る事は無かった。
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