第10話 人魂①

 尋常小学校六年に成っていた

満州事変が起こり、政府はどんどん根拠の無い自信が大きく成って太平洋戦争への序章は始まっていた。

その日は父が御盆休みで東京から帰って来る、作蔵は黒に鞍と小さな荷車を付けていた。黒は乗馬用の黒毛で背丈も紅より随分大きく、荷車を付けるのに随分手間取っていた。昼には長野駅まで父を迎えなくてはならない、畑仕事はお休みだ、おまけに源さんは昨日から里に降りていた、父のお向かいまで近所の友達と朝から大騒ぎ出来る、水場で大騒ぎしていると、「いくよ」作蔵が呼びに来た 

「魚屋によって塩魚を買ってくる」 

黒の準備が出来た。

作蔵と鞍にのって沢を下った、黒の背は高く、坂道では時々前に飛び出しそうだった

きよこだけだったら黒は落とさない様ゆっくり歩いてくれるのだが、作蔵の腕の中なので動きが作蔵に合わせている、頭の良い黒でも、両方には合わせられない

飛び出しそうなきよこを手綱を持つ二の腕で、器用に押し返してくれていた 

作蔵の腕は父の太股の様に太く固かった。

長野駅まで黒だと三十分位で付いてしまう。

鳩の絨毯が駅前広場にいっぱい敷き詰められた中、きよこ一人で乗った黒の背から敷きつめられた鳩が舞立つと、黒の尻尾の方に直ぐに降り又絨毯を敷いてくれている

作蔵は手綱を持ち駅前広場を線路脇の柵まで黒の鼻を引いてくれていた、まるでなにか偉くなった様な気がした。

父は軍服を着て、大きな牛皮のカバンを二つ持ち、改札の端の通路を切符も出さずに出て来た、駅員の敬礼を目でかえして、通路脇にカバンを下ろした、きよこを肩まで抱え上げると肩に座らせて広場に出た、作蔵はカバンを荷車に乗せ、手綱を持ち柵からぐるりと黒を回すと、駅前広場の蕎麦屋の自転車置き場に黒をくくった、長野駅前は平林ではまれにしか見れない自動車が駅前の池の周りに沢山走っていた。

父は荷物を持った作蔵を先頭に蕎麦屋に、昼時でも小さな座敷は空いていた 

お店の蕎麦など初めてだった、母と長野に来ても用事を済ませると直に帰る。

長野の雰囲気と美味しさで久しぶりの父を堪能していた、鴨が乗っている蕎麦は初めてだ、蕎麦では無いこれはご馳走だ。蕎麦湯を漬物で飲み終わると父は煙草を一服しながら、「御盆が近いしまだ昼過ぎたばかりだ、善光寺にお参りしてから帰る」と言い出した。

中央通りを登り仲見世に着くまで、いろんなお店がずーっと連なっていた。

善光寺を参拝し終わった頃にはすでに陽は傾き始めていた。

裾花川のたもとでまで下り魚屋に寄り、塩イカと塩魚を買った

「裾花川を登っても家に行けるんだぞ、茂菅から富士の塔を超えると家に行ける」

茂菅を抜けると半日の山道になる、小市でも家に着く頃にはこの時間だと暗くなる

裾花川沿いを南へ下り橋を渡るとすでに、中尾山の影が川中島を覆っていた、風もなく、犀川の湿気でムシムシしていた。帰りは作蔵に替わって父が私を抱えていた、作蔵は荷車の後ろに乗ったり、人通りが多くなると黒の鼻を取っていた

安茂里の村は集落が数十戸ずつポツリポツリと山沿いに並んでいる

差出から南に下り、道の沢沿いに不自然な程大きな柳の木が、数百メートルごとに立っている、犀川の河原までそのまま下がり、西に殆ど真っ直ぐな道が、自普請堤防と国役堤防にぶつかる小市橋まで続いていた、「葦の中道」の周りには背丈ほどの葦が生い茂り、安茂里からの沢水を何度も超え、左右にはけもの道がいくつもトンネルを作っていた、この道は夜は「追い剥ぎ」が出て荷物やお金を取られるので、夜通る人は殆ど居なかったが、父ももっと暗ければ安茂里の狭い街道を帰ったのだろう。

父は馬では安茂里の中のせまい道は行かない、今日は作蔵が一緒だ

なるべく広い道を選んだんだろう、国道は未だ工事が始ったばかりだった。

萱の中道に入ったの頃には、中尾山に陽は落ちて、安茂里の山腹に明かりがぽつぽつ集まり始めていた。父は半分呆れ顔で「善光寺めぐりなんかしているから」自分で言い出した筈だ・・・・。

西河原地区に入った頃だった

作蔵と黒の影が、右に左に、大きくなったり小さくなったり、提灯の明かりが黒の足元と先の道を、うっすら照らしていた。

道の左側、犀川側の葦の上に直径1メートル程の「大きなみかん」の様な物が

数十メートル先に「ポッ」とお祭り提灯の様に揺れながら浮かんでいた

黒が歩く速さと同じ位で、近づくでもなく、離れるでもなく葦の上を ぼんやり白くなったり 熟したみかんの色になったり、葦に隠れたり。

「とうちゃん あれなに」

とうちゃんは頭越しに「人魂だ」との一言だった。

小市橋に上がる堤防まで来ると、唯一の街灯が小市まできた事を教えてくれていた、もう数キロも「大きなみかん」はきよこ達を先導している、堤防をふわりと駆け上がり青みがかり少し小さくなった、小市橋からの堤防の上の道を、小市の街灯まで先導している、街灯は小市橋と今来た河原の道が合流して安茂里からの道にT字路ぶつかる場所に立っている。「大きなみかん」はT字路の手前で明るく橙色になり直径2メートルに膨らんだ、すごい勢いで加速し街頭の電信柱にぶつかった、「バチッチ!!~~ン」と水面にお腹から飛び込んだ時の様な音がすると

幾つかに分れ シュワっと弾けてしまった。

平林の計画していた道は、 平林地区までは工事もほとんど終わっていた、山道に入って、父は黒のきよこの背中鞍の上で寝てしまっていた、作蔵は黒のたずなを持ち黒を先導していた、きよこは人魂の興奮がさめないでいた、雷光が松代の皆上山あたりの稜線を何度も描き出していた。間もなく大粒の雨が荷車を慌ただしくした。

作蔵は乱暴にきよこを荷車に移し、父も鞍を下りテントを被った、その間も黒は足は止めない、三人は荷車の角に後ろ向きに腰かけ、夕立の小市を眺めながら揺れていた。沢道に入っても提灯が無くとも、黒は家に帰る道を 踏み外すことは無い、テントに当たる雨音と荷車の揺れが、きよこを浅い眠りの中に置いてくれていた、目が覚めると雨はあがって母屋の庭だった。荷車は外されていて、黒は作蔵と水場に向かっていた。

板の間にはもう膳がならんでいた。

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